なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 夜の湿った空気が肌を撫でる。
 薄暗い庭へ目を凝らした、その時――。
「……え」
 数歩先で、真尋がこちらを振り返った。
 片手には錫杖。その金輪が、まだかすかに揺れている。
「なぜ出てきたんですか!」
 これまで聞いたこともないほど、強い声だった。思わず足が竦む。
「だ、だって、すごい音が――」
「戻ってください!」
「でも、あれ……何なの?」
 庭の奥でうごめく大蛇へ目を向ける。
 真尋は一瞬だけそちらを見て、低い声で言った。
「おそらく、今の相談者に憑いているものです」
「ナバちゃんに……?」
「抱えている不安につけ込まれたのでしょう」
 ぞくりと背筋が冷える。
(ナバちゃん、こんなのに憑かれてたの……?)
「だから、早く中へ――」
 その瞬間——首筋の痣が熱を持った。
「――っ!」
 背後から、ずる……と重いものが地面を這う音がして、息が止まる。
 振り返るより先に、真尋が駆け出した。
「みとさん!」
 腕を強く引かれ、視界が大きく傾く。
 次の瞬間、半歩ずれた場所へ、巨大な黒い影が叩きつけられた。
 ――ドンッ!
 衝撃に地面が震え、砂利が高く舞う。
「ひっ……!」
 真尋に抱え込まれるようにしてよろめいた。
 砂利を踏んだ足が滑りそうになり、慌てて真尋の衣を強く掴む。
「だから、中にいてくださいと言ったでしょう!」
 いつもの静かな声とは違う。
 余裕のなさが滲んだ、切羽詰まった声だった。
「だ、だって……心配だったから……!」
「それに」
 真尋の視線が、不意に私の足元で止まる。
「……靴下で出てきたんですか」
「え? う、うん。だって縁側から飛び出してきたから」
 真尋が一瞬、言葉を失った。
「そこまでして出てこなくても――」
「心配だったからって言ってるでしょ!」
 その時、大蛇が再び身をもたげた。
「――っ」
 真尋の腕が、咄嗟に私の前へ伸びる。庇うように一歩前へ出た真尋の背中が、鼻先に触れそうになる。
(……近い)
 すぐ目の前に真尋の肩がある。
 さっきから掴んだままの衣も、まだ離せていない。
「……みとさん」
「えっ」
「離れないでください」
「う、うん」
 いや。
 たぶん、そういう意味じゃない。
(わかってるけど……!)
 そんな雑念を吹き飛ばすように、大蛇が大きく口を開け、こちらへ飛びかかってきた。
「下がって」
 真尋が私を背後へ押しやり、手にした錫杖を大きく振り抜く。
 しゃん――!
 金輪の澄んだ音が夜の庭に響き渡り、錫杖の先に光が宿った。
「迷えるものよ――執を離れ、安らぎへ還れ」
 次の瞬間、光が鋭く弾けた。
 閃光が闇を走り、大蛇の胴体を貫く。
 大蛇はびくりと大きく身を震わせ、その巨体を地面へ叩きつけた。
 ――ドンッ!
「わっ……!」
 思わず真尋の衣を一層強く掴む。
 黒い巨体に、細かな亀裂が走っていく。亀裂から黒い影が剥がれ落ち、夜の闇へ溶けるように消えていく。
「…………」
 あれほど太かった胴が、見る間に細くなっていく。
 張りつめていた身体から一気に力が抜けた。
「よかったぁ……」
 ほっと息を吐いた、その時。
 足元で、何かが動いた。
 黒い塊。消えきらずに残ったそれが、ぐにゃりと形を変える。
 ――蛇の頭。
「みとさん!」
 真尋の静止の叫び。
 けれど――間に合わない。
 漆黒の頭部が、ぐっと鎌首をもたげた。
 次の瞬間、大きく開いた口が私めがけて襲いかかる。
「――っ!」
 鋭い牙が、脹ら脛に突き刺さった――その瞬間。
 ポケットの中が、焼けるような熱を持った。
「え?」
 ――パァンッ!
 乾いた破裂音とともに、脹ら脛から目も眩むような光が弾けた。
 大蛇の頭部が勢いよく弾き飛ばされ、砂利の上で黒い影となって掻き消えた。
「……なに?」
 恐る恐る足を見る。
 確かに牙が刺さったはずなのに、傷ひとつない。
 呆然とポケットへ手を入れる。指先に触れたのは、熱を帯びた一枚の紙。
 取り出した護符の表面からは、かすかに煙が立ち上がっていた。
「……これ」
 真尋にもらった、あの護符。
「効いた……?」
 顔を上げると、真尋は無言のまま、私の手の中にある護符を見つめていた。
「真尋さん?」
「…………」
 やがて、真尋は深く、長く息を吐き出した。
「……本当に」
「え?」
「寿命が縮まりました」
「…………ごめん」
「……もう二度と、無茶なことはしないでください」
 真尋の声は、まだ少し硬かった。
「……うん」
 これまでの真尋なら、こんなふうに強く言ったりしない。
 怒ってるのかな。
 いや――たぶん、心配してくれたんだ。
「足は?」
「え?」
「痛みはありませんか」
「あ……うん。大丈夫。全然痛くない」
「……そうですか」
 真尋の表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
 その顔を見た途端、胸の奥が妙にむずむずした。
「何かあったら、お母様に顔向けできません」
「わ、わかったってば」
(なんだ。お母さんに頼まれてるから心配してくれただけか)
 ……って、なんでちょっとがっかりしてるの、私。
「あのー……二人とも大丈夫?」
「わっ!」
 突然聞こえた声に、飛び上がりそうになる。
 振り返ると、いつの間に来たのか、縁側に悠斗が立っていた。
「なんか、ものすごい音してたけど」
「あ……はい。大丈夫です。……って、配信は?」
「ああ、30分くらいって聞いてたからさ。相談もなんとなくまとまったし、時間も時間だったから終わりにしといたよ」
「まとまったんだ……」
 私がいない間に……。
「最後にさ、『みこにゃんに話せてよかったです。なんか、さっきまでより気持ちが軽くなりました』って」
「……ほんと?」
「うん。今度、ちゃんと彼と話してみるって」
「……そっか。よかった」
 ほっと胸を撫で下ろす。
 ちゃんと話を聞いてあげられなかったことは心残りだけど、それでもナバちゃんの気持ちが少しでも軽くなったならよかった。
「最後もちゃんと『今日も来てくれてありがとー! みこにゃんでした!』って」
「そこまでやったんですか!?」
「結構うまかったと思うけど」
 いや、それは認めざるを得ない。
 というかこの人の適応力、なんなの。
「……で」
 悠斗が私を見る。それから真尋を見る。
 さらに、私がまだ掴んだままの真尋の衣へと視線を落とす。
「……あ」
 慌てて手を離すも、遅かった。
「俺、もうちょっと中にいたほうがよかった?」
「ち、違いますから!」
「まだ何も言ってないけど」
「顔が言ってます!」
 悠斗が楽しそうに口元を緩める。
「いやぁ。『お母様に顔向けできない』なんて聞こえてきたからさ」
「……聞いてたんですか」
「ちょうど出てきたときに」
「あれは家庭教師だからです!」
「ああ、そういうこと?」
「そういうことです!」
「……何の話ですか?」
「えっ」
 真尋に不思議そうに見つめられ、頬が一気に熱くなる。
「な、なんでもないです!」
「……そうですか」
 真尋はまだ納得していないようだったけれど、それ以上は聞いてこなかった。
 悠斗が堪えきれずに吹き出した。
「……相変わらずだな、真尋」
「何がだ?」
「そういうとこ」
「?」
 何ひとつわかっていない顔の真尋と、笑いを堪えている悠斗。
 私は一人、熱くなった頬を両手で押さえた。

(もう……なんなの、この二人!)