なんちゃって巫女は寺に居座る~家出ついでに配信してたら、副住職が本物の妖を祓い始めました~

 梅雨の時期にしては珍しく、月のきれいな晩だった。
 まるで、決意を固めた私の背中を押してくれているかのように。
 じめっとした空気は不快だが、今日ばかりは文句を言っていられない。
 私――朝霧みと(あさぎりみと)は、自分も丸まれば入れそうなほど大きなリュックを背負い直し、寺の案内板が立つ路地を曲がった。
 公道から逸れた坂道をゆっくりと登っていく。不意に、草木の匂いがむっと強くなる。
 この先にあるのは、小さな寺院だ。
 緑に囲まれたその佇まいは隠れた撮影スポットになっていて、昼間は写真を撮りに来る人の姿も珍しくない。
 汗がじんわりと浮かび、息も少し乱れてきた頃、ようやく朱色の門が見えてきた。
 時刻は二十時。もしかしたら熱心なファンが残っているかも知れないと思ったが、ありがたいことに人影はないようだった。
「よかった。ついてる」
 私はほっと息を吐いた。
「参道の端ならいっか……あんまり奥に行くと暗くて怖いし」
 石畳の端にリュックを下ろし、中からレジャーシートを出してばさっと広げた。
 靴を脱いでシートに上がる。
 肌掛け布団を身体にかぶせると、そのままごろんと横になった。
 真っ暗な空に浮かぶ月を見上げていると、何となく風流な気持ちになった。
「月ひとつ……大福みたいで、おいしそう」
 即興で作った俳句にしては、なかなかの出来だ。
 そう一人で満足していた、次の瞬間だった。
「……空につぶやく、不審者ひとり」
 背後から聞こえた声に、心臓が跳ね上がる。
 慌てて飛び起き振り返ると、そこには二十歳前後の男の人が立っていた。
 腕を組み、呆れたような視線をこちらに向けている。
 濃紺の作務衣(さむえ)に身を包み、月明かりに照らされたその姿は、境内の空気に不思議なくらい馴染んでいた。
「だ、誰!?」
「それはこちらの台詞です。こんな時間に境内で何をしているんですか。参拝時間はとっくに終わってますよ」
「あ、参拝じゃないです」
 私が即答すると、青年の眉がわずかに寄った。
「じゃあ何をしに?」
「泊まりに来ました」
「……はい?」
 私は巨大なリュックをポンと叩き、胸を張った。
「家出して寝る場所がないんです。ここなら静かでいいかなって」
 青年はしばらく絶句したあと、小さくため息をついて作務衣の懐からスマートフォンを取り出した。
「ちょっと失礼します」
 画面を操作する指を見た瞬間、私の血の気が引く。
(やばい……警察……?)
 思わず立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「?」
「私、別に泥棒じゃないですし! 誰にも迷惑かけません! 朝になったらちゃんと出ていきますから!」
 青年はきょとんとしたあと、ふっと苦笑した。
「いや、警察じゃありませんよ」
「……へ?」
「うちの住職です。勝手に決めるわけにもいかないので」
 そう言うと、青年はスマートフォンを耳に当てた。
「もしもし、住職。夜分に申し訳ありません。少しご相談したいことがありまして……」
 落ち着いた口調で事情を説明すると、電話を切って小さく頷いた。
「住職から許可をいただきました。どうぞ、中へ」

 畳の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
 通されたのは、寺の境内に建つ母屋の一室——柔らかい灯に照らされた和室だった。
「どうぞ、お掛けください」
 青年に促され、座布団へおそるおそる腰を下ろす。すると、彼は一度部屋を出ていった。
 周りを見渡すと、床の間には墨文字の掛け軸と、小さな季節の花が飾られている。
 その隅には、先端に金色の輪が付いた見慣れない杖が、木製の杖立てに置かれていた。
 ……なんだろう。
 初めて来た場所なのに、不思議と落ち着く。
 ついさっきまで、境内の片隅で野宿するつもりだったのに。
 見ず知らずのお寺で和室へ通されるなんて、ほんの数十分前まで想像もしなかった。
 やがて、襖が静かに開いた。
 青年は木のお盆を両手で運び、私の前へ湯呑みをそっと置いた。
 湯気の立つお茶と、小皿の煎餅。
「熱いので、お気をつけください」
「……ありがとうございます」
 頭を下げると、彼は作務衣の袖をそっと整え、向かいの座布団へ静かに腰を下ろした。
 湯呑みを両手で包み、恐る恐る口をつけると、香ばしいほうじ茶の香りが広がった。
「……おいしい」
「それは良かったです」
 思わず漏れた小さな呟きに、青年はふっと口元を和らげる。
 その静かな笑顔に、私はつい、まじまじと見入ってしまった。
(このお寺の人なんだよね。でも、住職じゃないみたいだし……)
 そこまで考えて、はっとする。
 この状況下、どう考えても怪しいのは自分のほうだ。私は慌てて口を開いた。
「あの、私、朝霧みとって言います。さっきは警察に連絡しないでいただいて……ありがとうございました」
 深々と頭を下げる。
「いえ。まずは事情を伺ってから判断しようと思いまして」
 不思議と落ち着く声だった。青年はお茶を一口啜ると、顔を上げた。
「僕は、藤代真尋(ふじしろまひろ)と申します。ここの副住職を務めています」
 ――副住職。
 なるほど、さっきの電話のやりとりに納得がいった。 
「こんなに若い人でも、副住職になれるんですね」
「……いろいろありまして」
 真尋は穏やかに笑った。
「今、二十歳です」
「二十歳……」
 じゃあ、学校に行きながら、副住職の仕事をしているのだろうか。
(……というか、この人イケメンだな)
 年頃なのでついそんなことを考えてしまう。
「住職も、ここにいらっしゃるんですか?」
「いえ。今はおりません。腰を悪くしているので、仕事以外の時間は少し離れた自宅のほうに」
「そうなんですか……」
 そう言えば、人の気配がない。
 その時ふと、重大なことに気付いた。
(え、待って?)
 二口目のお茶を啜る副住職をつい見つめてしまう。
(……もしかして私、かなり危ない状況にいるんじゃ?)
 こんな夜遅くに、若い男の人と、二人きり……。
 不意に真尋と目が合い、胸がどきりと鳴った。彼は薄く眉をひそめる。
「……何か、不謹慎なこと考えてるでしょう」
「へっ!?」
「さっきから全部顔に書いてありますよ」
「……ひぇ。あ、あの……」
 さぞかし変な顔をしていたのだろう。顔に一気に血が上る。慌てて両手で頬をぱちんと叩いた。
(だめだめ、何考えてるの私!)
 真尋は小さく息を吐くと、続けた。
「……取り敢えず、聞かせてください。家出の理由」
「あ、はい」
 少しだけ背筋を正した。
「私、高校二年で……親と、その、進路のことでケンカしちゃって……あ、話ちょっと長くなりますけど、いいですか?」
「なるべく手短にお願いします。早めにご自宅までお送りしたいので」
「うぁあああ――っ!?」
 真尋の言葉の後半は、私の唐突な悲鳴に掻き消された。
 何事かと目を見開く彼をよそに、私は壁に掛けられた時計を指差す。
「九時!? 配信時間過ぎてる!!」
「はい? 配信?」
「ご、ごめん! ちょっとだけ静かにして!」
 私は慌てて巨大なリュックを引き寄せ、ファスナーを勢いよく開けた。
「えーっと、スマホ、スマホ……あった!」
 充電ケーブル、モバイルバッテリー、折りたたみ式スタンドを次々と取り出し、畳の上へ並べる。
 真尋がぽかんと見守っていた。
「……何を始めるんですか?」
「お仕事!」
 スマホをスタンドへ固定し、モバイルバッテリーを接続する。
 続いてワイヤレスイヤホンを耳につけ、バッグから小さなリングライトを取り出した。
 ぱちん、とスイッチを入れると、柔らかな白い光が私の顔を照らす。
「よしっ」
 前髪を整え、一つ深呼吸する。
 スマホのインカメラを起動し、笑顔を確認する。配信アプリを開き、『ライブ開始』をタップした。
 画面にカウントダウンが表示される。
『3、2、1……』
 次の瞬間、画面の中で可愛い巫女姿のアバターがぱっと現れた。
「こんばんはーっ!」
 私の声に合わせて、画面の巫女がにっこり笑う。
「みんな、お待たせしました! 地元に笑顔と巫女パワーをお届け! 地元密着VTuber、"みこにゃん"こと月乃みことです!」
「ごほっ……」
 真尋が茶を吹きそうになり、慌てて口元を押さえた。
 湯呑みをそっと座卓に戻す。足音を立てないよう私の横まで歩み寄ると、スマートフォンの画面を覗き込んだ。
 画面の中では、巫女姿の少女が明るく手を振っていた。
 真尋は画面と私を見比べ、小さく目を瞬かせた。
 そんな真尋にはお構いなしに、私はカメラへ向けてバッチリお決まりのウィンクを決める。
「今日もみんなのお悩み聞かせてね!」
 私の挨拶の間も、勢いよくコメント欄が流れていく。
『こんばんは!』
『待ってた!』
『今日もかわいい!』

 ——その時、杖立てに収められた錫杖が、かすかに光を放った。