ずっと、友達のままでいたかった


 ──普通の、ありふれた幸せが欲しいだけ。

 俺がここまで「普通の可愛い彼女」にこだわるのには、ちょっとしたワケがある。 

 それは、俺の本当の両親が、反吐が出るほど不仲で離婚しているからだ。

 元凶は、父さんが不倫したこと。

 本当に地獄だった。

 毎日家の中で繰り広げられる怒鳴り合いと、冷え切った空気。皿が割れる音、力任せに閉められたドアが軋む音。

 俺が中学に上がる頃、ふたりはやっと離婚した。
 その頃の母さんはボロボロだった。

 好き合って結婚したはずなのに、どうしてこうなったんだろう。
 俺は、あんな風にいつか終わってしまう恋愛なら、最初からしたくない。

 だから俺は、前の両親みたいにはなりたくない。
 絶対に終わることのない「普通の穏やかな幸せ」を築きたいのだ。

 ……それなのに、母さんが選んだのは「事実婚」という大人の事情まみれの形。

 しかもそのせいで、俺は黎とひとつ屋根の下、暮らす羽目になっている。

 黎と同居が始まってから、俺はとことん女運がない。

 ……っていうか、俺の“初恋”って、そもそもいつだったんだろう?

 自室のベッドで仰向けになりながら、ぼーっと考えてみる。

 『いいところまでいくのに、彼女ができない』という、足立たちに言われた言葉が、頭の隅でずっと燻っていた。 

 思い返せば、俺の「女の子を守ってあげたい」という恋愛観のルーツは、間違いなく保育園時代にある。

 当時、俺が通っていた保育園にいた黎は、身なりにひどく無頓着な子どもだった。

 男の子のくせに伸びっぱなしの長い髪。
 だけど、持ち前の容姿端麗さのせいで、どうしたってかわいい女の子にしか見えなかった。

 おまけに『れい』という名前のせいで、周りの園児から「女の子みたい」「男の子なのになんで髪の毛長いの?」とからかわれては、いつもしくしく泣いているような弱虫だった。

 まず、これは俺が100%アホなんだけど、『髪が長い+めちゃくちゃかわいい=女の子』ってことで、周りがなんと言おうと黎は女の子だと決めつけていた。

 それに加えて根っからの陽キャ気質だった俺は、そんな黎を完全に女の子だと信じて疑わず、男気から黎の手を引いて悪ガキどもの前に立ちはだかっていたのだ。

『──俺が守ってやるからな!』

 あの瞬間がきっと、俺の無自覚な初恋だった。

 いつの日か、黎は母親がいなくてあの無頓着な身なりだったということを知ったけど。
 そのときの衝撃たるや。

 ……そして、小学校に上がるタイミングで学区が離れて、小中は完全に別々。

 たまのバスケの試合会場で「あのイケメンキャプテン、まさか……」と見かけるくらいで、まともに喋ることもないまま月日が流れた。

 それが、高校でまさかの同じクラスになり、さらに親の事実婚で同居なんて。

 あの可憐だった泣き虫が、こんな生意気なモンスターになって俺の前に現れるなんて、本当に聞いていないのだ。

 クラスで一番目立つ一軍グループの頂点に君臨し、俺よりデカい背丈で、おちょくるように「同棲♡」なんて囁いてくるなんて……!

 だから、あの合コンの夜から、俺は黎のことをあからさまに避けている。

 自分の恋路を邪魔されたのがどうしてもムカつくし、なによりカラオケでのあの距離の近さを思い出すと、心臓が変な音を立てて落ち着かない。

 家でも学校でも、必要最低限の会話しかしていない。

 黎は黎で、俺に無視されても怒るわけではなく、いつものへらへらした態度の奥で、どこかじっと俺を観察するような、重い視線を向けてくる。

 俺だって、早く可愛い彼女を作ってこの気まずさから抜け出したい。

 5組の小春ちゃんみたいに、小さくて可憐な子と普通の恋をするんだ。

 ──このときの俺は、まだなにも知らなかった。

 まさか、その小春ちゃんが「俺を見ると緊張するから」という理由で、黎のことばかり見つめていたなんて。

 それを察した黎が、俺に小春ちゃんを近づけまいと、裏であんなに必死に奮闘していたなんて。

 このときの俺は、1ミリだって気付いていなかったんだ。


◇


 ……なんて。
 ここ数日、自室のベッドで昔の甘酸っぱい記憶やら、今の気まずい冷戦状態やらをぐるぐる考えていたけれど。

 今夜ばかりは俺の人生における最大の危機が訪れていた。

 リビングのテレビの番組表に並ぶ、燦然と輝く文字──『真夏の恐怖! 最恐心霊映像2時間SP』。 

 オカルトだの心霊だの、そんなものは大嫌いだ。

 見たら絶対に後悔するし、夜にひとりでトイレに行けなくなる。

 だけど、男としての悲しい性(さが)なのか、怖いもの見たさという知的好奇心にはどうしても勝てない。

 怖いけど、見たい……!

 なけなしの勇気を振り絞ってリビングを降りると、ソファの端っこに小さくなって座り、クッションを抱き締めながら恐る恐る画面を覗き込んだ。

『ここは、25年前に廃業した病院ですね。この手術室の……』

 おどろおどろしい音楽と、薄暗い廃病院の映像が流れてくる。

 まっっじで怖えー!!

 心臓がバクバクと嫌な音を立てるけど、ここでリタイアするのは男が廃る……っ!

『見えましたか!? いま、光の玉のようなものが一筋、手術室の方へ流れていったのを!!』

 映像も盛り上がってきた。
 だけど、俺の身体も限界を迎えつつある。身を硬くし、それでも食い入るように画面を見つめ続ける。

 そのとき、画面が暗転し手術室の中が映され、白いぼやっとした人影が写り込んだ。

「春、」

「ギャーーーー!!!!!」

 後ろからタイミングよく聞こえた低い声に、思いっきり叫び声を上げた。

「驚きすぎじゃない?」

「なっ、なっ、ふっざけんなおまえ!!」

 雰囲気を出すために真っ暗にしていたリビング。
 かなり集中して見ていたからか、黎がいることに全然気付いていなかった。

 ……いや、こいつ絶対わざと静かに来やがったな!

 憤慨している俺に気付いているのか、いないのか。

 黎は片手に三ツ矢サイダーのペットボトルを持ったまま、あろうことかソファの空いているスペースに腰を下ろした。

 ……黙って隣に座るな!

 と思いつつも。
 もしかして黎も心霊番組見たいのか?
 一緒に見てくれる人がいるなら、怖さがマシになるかも。

 なーんて考えがじわりと浮かぶ。

 テレビはこのリビングにしかない。
 つまり、黎も見たいなら一緒に見るしかないのだ。

「……黎も見んの? 心霊」

「んー、まあ」

「ふーん……」
 
 黎のことを無視して三日目。

 勝手に怒って勝手に話しかけるなんて、都合がいいって自分でもわかってる。
 だけど、隣にいてくれることに心底安堵した。

 相変わらずおどろおどろしい音楽が流れる画面を、黎は黙って見つめている。

 何事もなかったかのように澄ましたその横顔が、テレビの青白い光に照らされている。

 それが悔しいくらいに整っていて、腹立たしい。

 ……って、なにこいつの顔まじまじと見てんだ俺は。

 慌てて視線を画面に戻すと、番組はいよいよ怪奇現象が多発するスポットの核心へと迫っていた。

『ゴトッ……』

 画面の中で嫌な音が響いた瞬間。

 つん。

「はぎゃあああああ!?」

 不意に右肩を指で叩かれ、俺はソファから飛び上がった。

 心臓をバクバクさせながら右側を睨み付けると、黎がサイダーのペットボトルを口に当てたまま、くすくすと喉を鳴らして笑っている。

「なんだよ! 驚かせんな、バカ黎!!」

「ん? なんもしてないよ? ただ『あそこ、いま映ったね』って言おうとしただけ」

「はあ!? 絶対いま触っただろ、肩! ここ!!」

「さあ? あ、また映った」

「ぎゃあああああ!! なにも言うな! 触ったって正直に言ええええ!!」

 黎のくだらない嘘といたずらのせいで、怖いんだか恥ずかしいんだか、なにがなんだかわからない。

 ……そしてこんな時に限って生理現象が。

「……おい」

「ん? なに?」

 クッションの隙間から、黎をきつく睨み付ける。

「……トイレ行くから。廊下の電気つけてドアの前で待ってて」

 情けない。情けなさすぎて心で泣いてる。

 そんな俺を見て、黎は小さく笑う。

「いいよ。ほら、行こ」

 おい、ちょっと吹き出したの聞こえてんぞ。
 でも、笑いながらもソファから立ち上がって、先に廊下の電気をつけてくれた。

 俺は黎の広い背中にぴったり張り付き、小走りでトイレへと駆け込んだ。

 ドアを閉めて鍵をかけた途端、さっきの廃病院の映像がフラッシュバックする。
 急に背筋がぞわぞわして、思わずドアをぶん殴る。

「おい、黎! ほんとにそこにいる!? どっか行ってない!?」

『ちゃんといるって。ドアのところ』

 薄いドアを隔てたすぐ向こう側から、黎の低くて落ち着いた声が聞こえる。

 はあー……、こんなやつでもいるだけマシだわ。

 無事にトイレが終わって出ると、そこにちゃんと黎はいた。

「……ありがと」

「ん」

 なんだかむず痒い空気が流れてる気がする。

「……春さ、風呂まだでしょ。入れんの?」

「……!!」

「ははっ、先に風呂入ればよかったのに」

「あーむりむりむり……。詰んだ」

「ははっ、どんだけだよ。ほら、ドアんとこで待ってるから。ささっと行ってきな」

「……なんか、おまえ優しくね?」

「俺はいつだって優しいでしょ? 春には」

「嘘こけ!!」

 そうやって黎が優しく笑うから。
 不覚にも納得しかけてしまった。

 ──でも、いつだってそうだ。

 黎が生意気なモンスターになろうが、どれだけムカつこうが。
 俺が本当に困っている時は、いつもこうして一番近くにいてくれる。

「……脅かしたら殺すかんな」

「しないよ、そんなこと」

 結局、俺たちの三日間にわたる冷戦は、こうして幕を閉じたのだった。