家に帰ると、黎はもうリビングにいた。
「……ただいま」
「おかえり」
ソファに座ったまま、黎がちらりと俺を見る。
それだけだった。
そのまま手に持っていたファッション誌に視線を戻した。
……聞かないんだ。
小春ちゃんに呼ばれてふたりで教室から出ていったことを、知ってるのに。
前だったら絶対、『なに話してたの?』とか『ふたりでどこ行ってたの?』とか、うざいくらいに絡んできたはずなのに。
「……」
じーっと黎を睨みつけるようにして見る。
……いや、聞かれたところで困るんだけど。
小春ちゃんに告白された、なんて。
それを黎にどう話せばいいのか、俺だってわからない。
だから、これでいい。
聞かれない方が、都合がいい。
……なのに。
「ねえ」
「え」
いつの間にか目の前にいた黎に呼ばれて、顔を上げる。
「そこ、どいて。通れない」
「……あ、すんませんした」
気付けば俺は、リビングの入り口に突っ立ったままだった。
なんだよ。
変なのって、俺だけ?
リビングでだらけながらテレビを見ていると、もうすぐ夕飯時。
タイミングよく黎が部屋から降りてきたから、さらりと聞く。
「今日も母さんたち遅いって。夕飯どうする?」
「なんでもいいよ」
「……なんでもいいが一番困るんだけど」
「じゃあ、適当でいいよ」
人の言葉を聞いているのかいないのか。
なんでもも、適当も、どっちも困るんだけど!
いつもなら『ハンバーグ』とか『ナポリタン』とか言うくせに……。
面倒になって、ワンパンで作れる簡単ナポリタンを作ることにした。
一応これも、黎の好きなメニューだけど。
作り始めても傍に寄って来やしない。
『味見』とか『食べさせて』とか、いつもだったらキッチンに出入りするのにさ。
作り終わって、それぞれの場所に出来立てのナポリタンを置く。
いつもと同じ、俺の目の前に座る黎。
普通に食ってる……けど。
「……どう?」
「なにが?」
「いや、味」
「ん、おいしいよ」
「……そ」
なんで?
いつもなら俺が聞かなくても『うまい』とか『春のナポリタン好き』とか、そんくらい言ってたじゃん。
「ごちそうさま」
「あ、うん……」
黎はさっさと食べ終えて、また自室にこもってしまった。
そんな調子のまま、夏休みに入って数日が過ぎた、ある日のこと。
昼飯を食べ終えて、自分の部屋で漫画でも読もうかと思っていたときだった。
玄関の方から物音が聞こえてきた。
「どっか行くの?」
覗きに行くと、黎が靴を履いているところだった。
髪はセットされていて、いかにも遊びに行きますって格好。
「うん」
「どこ?」
「駅前」
「誰と?」
「友達」
「誰?」
「……なんで?」
ぎくっとする。
そうだよ、普段俺こんなこと聞かないじゃん。
「別に。聞いただけ。で、誰と?」
「真中たち」
「……夕飯は? いるの?」
「いらない。そもそも母さん今日は帰り早いでしょ」
「あ、そっか……」
しょうもないやり取りのあと、黎は出かけていった。
玄関に残ったシトラスの香りと、急に静けさを帯びた家の中。
「……暇だ」
仕方なく自室に戻り、ベッドに寝転びながら漫画を読む。
3冊くらい読み終わった頃、『ぽこん』というLINEの通知音がした。
飛び起きてスマホを開くと、小春ちゃんからメッセージが届いていた。
『元気にしてる?
夏休み、楽しもうね!』
短いメッセージと、かわいいリスのスタンプつきで送られてきていた。
『元気だよ。小春ちゃんは?
俺はいま漫画読んでた』
数分たったあとに、また通知音が鳴る。
『いいね!
私は買い物してたよ!』
『そうなんだ。なんかいいの買えた?』
『夏服!
セールしてたからたくさん買っちゃったー笑』
小春ちゃんとのLINEは、相変わらず楽しい。
送ればすぐに返事がくるし、使ってるスタンプもいちいちかわいい。
漫画を読みながら他愛ないやり取りを続けていると、外がいつの間にか薄暗くなっていた。
……もう、こんな時間か。
時計が19時を指したころ、玄関のドアを開ける音がして、反射的に顔を上げた。
部屋から出て、急いで玄関まで降りていく。
「ただいまー。買い物してたら遅くなっちゃったー」
……母さんだった。
「……おかえり」
「ただいまあ。なんか急いで駆け下りてきたけど、なにかあった?」
「いや、なんでもない!」
「そう? 今日の夕飯なんだけど──」
閉まったドアをちらりと見る。
それから母さんとふたりで夕飯を食べて、風呂も済ませた頃には、もう21時を回っていた。
リビングのソファでぼんやりテレビを眺めていると、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
聞き慣れた声に、テレビから顔を上げた。
「おかえり」
「ん」
そのまま俺の近くを通って、風呂場まで行こうとする。
すれ違った瞬間、ふわっといつもと違う香りがした。
……シトラスの匂いじゃない?
「黎、香水変えた?」
「え? ……ああ、真中が店で試してたやつ。なんか俺にもつけてきた」
「ふーん……」
「風呂行くね」
そう言って黎は風呂場へと消えていった。
何気なくテレビのリモコンを操作する。
……あ、今日ドラマの最終回じゃん。
ドラマの中のふたりは、付き合ったかと思ったら離れて、最後また結ばれる……はず、たぶん。
そんなことを考えているうちに、風呂場の方からドアが開く音がした。
しばらくして、タオルで髪を拭きながら黎がリビングを通りかかる。
「今日、これ最終回だって」
「そうなんだ」
「……見る?」
俺が聞くと、黎はテレビに目を向けた。
「……うん。見ようかな」
そのまま黎がソファに腰を下ろした。
「……」
俺との間には、ひとり分くらいの隙間が空いていた。
……まあ、別にいいんだけど。
ドラマはもう始まっていたけど、大筋は俺の見立てで合っていそうだった。
そのとき、テーブルの上に置いていたスマホからLINEの通知音が鳴った。
『西瀬くんって、夏休みにどこかおでかけする予定ある?』
『いまのとこないかも。足立とかと遊ぶくらい。小春ちゃんは?』
返信して、スマホをまたテーブルに戻す。
……なんとなく黎を見る。
黎は真面目にテレビを見ていた。
それだけ。
……いや、だから。
それでいいんだってば。
テレビの中では、一度離れたふたりが再会して、思いを確かめ合う場面になっていた。
『離れてみて初めて、あなたが大切だって思ったの』
かなりドラマチックな展開だ。
……けど、離れたあとに会えたからそう思えるわけで、会えなかったらなんも意味ないじゃん。
俺が恋愛初心者だからそう思うのか?
わかんねー。
最終的には、何だかんだ丸く収まって、ハッピーエンドだった。
「終わったな」
「うん」
「意外とおもしろかったわ」
「そうだね」
ドラマが終わった途端、黎はソファから立ち上がる。
「おやすみ」
「うん……。おやすみ」
黎が座っていた場所を、視線でたどる。
……俺も寝よ。
◇
それからまた数日が経った。
夏休みの課題も半分くらい終わり、今日は足立と渡邊とゲーセンに行く日だ。
洗面所で新しく買ったワックスで髪を整えていると、ふらりと黎が入ってくる。
「……出かけるの?」
「おう」
「5組の子?」
「……え?」
さらっと聞いてくる黎に、少しだけ戸惑う。
「出かけるんでしょ。小春さん、だっけ」
「……いや、足立たちだけど」
「あ、そう」
「……なんで小春ちゃんだと思ったの?」
「別に。出かけるみたいだったから」
「いや、だから、なんでそこで小春ちゃん?」
「仲いいみたいだから」
「……」
「この前もLINEしてたのちらっと見えたし。夏休みなんだし、誘えばいいんじゃない?」
「……は?」
思わず、黎の方を見る。
「なに?」
「いや……前はあんなに邪魔してきたじゃん」
「……もう、しないよ」
鏡越しに黎を見る。
黎はいつもと変わらない顔をしていた。
「……あっそ」
「じゃ、楽しんできて」
黎は洗面台に置いてあった香水瓶を持って、洗面所から出ていった。
ゲーセンに着いてからは、いつも通りだった。
渡邊と格ゲーで対戦して、足立が取れもしないクレーンゲームに1000円以上突っ込んでるのを笑って。
「西瀬、次これやろうぜ!」
「おう」
財布から100円玉を取り出したとき、ふとさっきの黎の声が蘇った。
『……もう、しないよ』
「……」
「西瀬? どうした?」
「あ、ごめん。なんでもない!」
100円玉を機械に入れる。
……別に、いいじゃん。
邪魔されなくなるなら、その方が。
なのに、どうしてそれでいいって言い切れないんだろう。
余計なことを考えてたからか、その後の対戦は負けに負け続けた。
◇
黎との距離は、変わらない。
夏休みも半ばに迫った、昼前。
「昼飯、食う?」
「食べる」
「なにがいい?」
「なんでも」
「……またそれ?」
ソファでスマホを見ていた黎が、顔を上げる。
「ほんと、なんでもいいよ」
「じゃあ、ナポリタン?」
「この前食べたよ」
「じゃあオムライス?」
「だから、ほんとになんでもいいって」
「……」
黎はまた、何事もなかったみたいにスマホへ視線を戻した。
なんだよ、なんでもいいって。
「……黎」
「なに?」
「最近、なんなの?」
黎の指が、スマホの画面の上で止まった。
「……なにが?」
「いや、だから、おまえ最近なんなんだよ」
「だから、なにが」
「それだよ!!」
「前はもっと……なんかあったじゃん!」
「なんかって?」
「だから……っ、飯だってなんでもいいばっかだし、俺が出かけてもなにも聞いてこなくなったし、小春ちゃんのことも」
いつの間にか、握っていた手に力が入る。
「……だって、春がそうしてほしかったんでしょ?」
「……」
言葉に詰まる。
そうだ。
確かに俺が、そう言った。
「……言ったけど。でも、おまえがいなくなる必要ないじゃん」
「……別に、いなくなってないけど」
黎はソファに座ったまま、俺を見上げている。
「そういう意味じゃなくて!」
「……じゃあ、どういう意味?」
「それは……」
「春は、俺にどうしてほしいの?」
「どうって……普通にすればいいだろ! 前みたいに」
「友達なんだから、って言ったのは春だよ」
「友達だよ! だからって、なんでこんなふうになるんだよ!?」
「……俺には、意味があるからだよ」
「え……?」
「意味って、なに?」
黎が、俺から視線を逸らした。
「……とにかく、前みたいにはできない」
そう言って、黎がソファから立ち上がった。
さっきまで見えていたつむじが、目の前から消えた。
代わりに、今度は俺が黎を見上げている。
「……話はそれだけ?」
俺の返事を待たずに黎は横を通り過ぎて、リビングから出ていった。
足音が階段を上っていって、やがてドアの閉まる音がした。
ひとり残されたリビングで、俺はその場に立ったまま動けなかった。



