ずっと、友達のままでいたかった


「ねえ、醤油取って」

「ん」

 いつもと変わらない夕食の時間。
 ただ、今日は珍しく母さんと父さんも揃ってる。

 あの日は俺の向かいを避けるように父さんの席に座った黎だったけど、今日は俺の向かいの自分の席についている。

 黎のことは知っていたつもりだったのに、急に黎の考えてることが分からなくなって、つい黎の顔をじっと見た。

「……なに?」

 俺の視線に気付いた黎が、訝しげに聞いた。

「別にっ」

「ふーん、変なの」

 変なのはどっちだよ!

 内心むっとしながら、平然と飯を口に運ぶ黎にもやもやする。

 ……俺は、黎に振り回されてばかりいる気がする。

 そのとき、俺たちのやり取りを横で静かに聞いていた母さんが、こほんとわざとらしく咳払いをした。

「突然なんだけど、ふたりにちょっと大事な話があるの。聞いてくれる?」

 家族全員揃うなんて珍しいと思ってた。
 だから、なんかあるのかとは思ってたけど……。

 黎をちらりと見る。

 こいつ、まだ平然と飯食ってやがる。

 そんな黎を尻目に、俺は一旦箸を置いた。

「なに、そんな改まって。なんかあった?」

 母さんは父さんと一度だけ目を合わせたあと、俺の方をまっすぐに見た。

「一緒に暮らして、もうすぐ1年経つでしょう? 一緒に暮らしてみて、どうかなと思って」

「……別に、普通って感じ?」

 黎とは幼なじみだ。
 だから俺自身は、特に嫌だと思ったこともない。

 むしろ兄弟がいなかったから、最初は嬉しいと思っていたくらいで。

 ……まあ、最近はそうとも言えないけど。

 ちらりと黎を覗き見る。

 相変わらず何事もなかったかのような顔で、黎は飯を食っていた。

「そう。それならよかった」

 母さんが、心底ほっとしたような顔で笑った。

「実はね、私たちもこの1年一緒に暮らしてみて、悪くなかったと思ってるの」

「うん。俺もそう思うよ」

「だからこそ、ふたりの気持ちをちゃんと聞いておこうと思って」

「……ふたり?」

 そこで、なんとなくある予感がした。

「私たち、このまま籍を入れることも考えていてね……」

 ああ、やっぱり。
 薄々、そういう話なんじゃないかと思ってた。

「本当に、思っていることを話してくれていいの。春樹も黎も優しいから、無理して合わせてくれてるんじゃないかなって」

 そう言って、母さんと父さんはまた目を合わせた。

「実はね、昨日黎にも同じことを聞いたの」

「……え?」

 母さんのその言葉に、黎の箸がぴたりと止まった。
 昨日帰りが遅かったのと関係あるのかな、となんとなく思う。

「黎もね、普通って言ったのよ。でもね……」

 母さんが少しだけ眉尻を下げる。

「なんとなくだけど、まだ迷ってるのかなと思って。嫌って言ったわけじゃないんだけどね……」

 黎はなにも言わなかった。

 ただ、静かに箸を置いた。

「……ごちそうさま」

「え、もういいの……?」

「うん。ちょっと部屋行く」

 そう言って黎は立ち上がり、そのまま自室へと向かっていった。

 閉じていくドアと黎の背中を、なぜか目で追ってしまう。

「……」

 なんだよ。
 黎、やっぱりずっと変だ。

「ごめんね、春樹。たぶん、黎はまだもう少し考えたいみたいで……」

 黎の背中を同じように目で追っていた母さんは、困ったように笑う。

「嫌だって言ったわけじゃないのよ。でもね……」

 なぜだか胸がざわっとした。

 そっか。

 黎はこの同居自体、もしかしたら嫌だったのかもしれない……。

 何とも言えない気持ちが、胸の奥にいる。

 一緒に暮らしたこの1年が本当は嫌だった、我慢していた……なんて。
 そんな可能性があるなんて、微塵も考えたことがなかった。

 だって、俺にはそんなふうに見えなかったから。

 朝になれば一緒に飯を食って、学校まで一緒に行って。
 学校へ行けば、俺をからかって遊ぶ。
 帰ってくれば、しょうもないことで絡んできて。
 俺が料理をすれば、おいしそうに、当たり前のように食べてくれる。

 そんな何気ない毎日が、俺にとっては普通だった。

 だからこそ、黎がなにを考えているのか急にわからなくなった。

 こんなことは初めてだ。

 食事の味も途中からわからなくなって、気付いたら母さんたちが食器を片付け始めていた。

 俺も手伝おうと立ち上がってはみたけど、なんとなく気になってそのまま黎の部屋の前まで来てしまった。

 どうする……?

 ここまで来てみたはいいけど、黎の部屋の前で立ち止まる。

 いままで、黎の部屋に入ることはほとんどなかった。

 別に入っちゃいけないわけじゃないけど、できるだけ入らないようにしていた。
 それは、黎も同じで。

 なのに今日だけは、なぜかそのドアを無性に叩きたかった。

 コン、コン——。

 小さくノックしてみる。

「……黎、」

 返事はない。けど、部屋に黎がいるのはわかってる。

「黎、ちょっとだけ時間いい?」

「……なに?」

 ドアの向こうから、やっと返事が返ってくる。

「少しだけ、話したい」

 少しの沈黙の後、「……入れば?」と中から声が聞こえて、俺は久しぶりに黎の部屋のドアノブを握った。

 静かにドアを開けると、黎はベッドに座ってスマホをいじっているところだった。

 見慣れない部屋ではない。
 以前見た時と大きくは変わらない、黎らしいシンプルな部屋だ。

 だけど実際に足を踏み入れると、妙に落ち着かなくなる。

 対して黎は俺が入ってきても驚いた顔なんかせず、本当に普通に見えた。

「珍しいね。俺の部屋に来るなんて」

「そう、かな……」

「うん」

 黎が少しだけ笑う。

 その笑顔はいつも通りで見慣れているはずなのに。

 俺はいま黎がなにを考えているのか、さっぱりわからない。

 黎がベッドに座っているから、俺はその近くにぽつんと置かれているクッションの横に座る。

「……黎さ」

「ん?」

「母さんたちのこと、ほんとはどう思ってる……?」

 そう聞いた瞬間、スマホをスワイプしていた黎の指先が、画面上でぴたりと止まった。

「どうって?」

「さっきの話」

「ああ……、それね」

 黎はまたスマホに視線を落とした。

「さっき聞いたでしょ。普通、って」

 聞いた、確かに聞いたよ。
 でも、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて。

 俺は黎の顔色を窺いながら、続けた。

「母さんが昨日先に黎に聞いたって言ったとき、急に部屋に行ったじゃん」

「……」

 黎の指が、スマホの端をゆっくりなぞった。

「なんか、嫌だったの?」

 黎は、基本的に人が食べている間に席を立つことはしない。
 どうでもいい会話をして、時折突っ込み入れたりとぼけたり、最後までいつもその場にいた。

 だから、おかしいって思う。

 そして、黎はそのおかしさに俺が気付いてることも、たぶんわかってる。

 少しの沈黙の後、言葉尻を濁しながら黎が言った。

「嫌っていうか……、なんだろ。うまく言えない」

「……そっか」

「うん」

 いつもならここで適当なことを言ってはぐらかすか流すかするのに、今日は違った。

「……俺にも言えないこと?」

 言った後、自分でも少し驚いた。

 黎にそんなことを聞いたのは、たぶん初めてだったから。

 黎も少し驚いたように俺を見た。

「言えないっていうか、うまく言葉にできないだけ。単に俺の言語能力の問題」

「……ほんとに?」

「ほんとだって」

 黎は即答だったけど、なんとなくその答えが腑に落ちない。

「そっちはどう思ってるの? 再婚のこと」

「俺?」

「うん」

 さっき俺がした質問を、今度は黎が投げ返す。
 だから俺は、夕食のときと同じようにもう一度答えた。

「俺は……、特に嫌じゃないよ」

 だって、それは本当の気持ちだから。

「黎と一緒に暮らすのも、母さんたちが籍を入れるのも……。黎が嫌じゃないなら、いいと思ってる」

「俺が……?」

「うん」

 俺の答えを聞いた後、黎はしばらく黙っていた。

「……そっか」

「ん?」

「……それでいいんだね」

「え?」

「……なんでもない」

「なんだよ、それ」

 なんとなく笑ってみたけど、黎は笑わなかった。

「話って、それだけ?」

「あ、うん……」

「なら、今日はもう寝よ。なんか疲れたし」

「あ、ああ。わかった……」

 部屋を出ようとして、ドアノブに手をかける。

「……おやすみ」

 小さな声が後ろから聞こえた。

 俺も同じように、小さく返す。

 廊下に出た俺は、そのまましばらく動けなかった。

 やっぱり、黎はなにか隠してる。

 でも、それがなんなのかはわからない。

 そして俺は、もうひとつ気付いてしまった。

 黎が、全然俺の名前を呼ばなくなったことに。

 ——今まで、黎のことなら大体分かっているつもりだった。

 なのに今は、全然だ。

 ……なんなんだよ。

 黎のことを、もっと知りたい。

 そんなことを思ったのは、初めてだった。