ずっと、友達のままでいたかった


 それから数日。
 俺は小春ちゃんとのLINEに、純粋に夢中になっていた。

 朝の「おはよう」から始まって、授業中にちらっと返したり、夜は「おやすみ」のスタンプを送り合う。

 LINEを交換した日から、なんとなく途切れることなく、些細なやり取りは続いている。

 黎が言った「関係、なくないし」という呟きは最初こそ頭のどこかに引っ掛かっていたけれど、そのうちに忘れてしまっていた。

 黎はそんな俺を、特に何も言わずに見ていた。

 いつもより少し静かなくらいで、普段通りに隣の席で教科書を借りたり、家で夕飯を一緒に食べたりしていた。

 いつもと少し違う黎のことより、俺は画面の向こうにいる小春ちゃんに夢中だった。

 ……今思えば、あれは静かな観察期間だったのかもしれない。


◇


 帰りのホームルームが終わった直後。

 以前と同じように前方のドアからひょっこりと顔を出したのは、小春ちゃんだった。

 みんなデジャブを感じているのか、小春ちゃんが小走りで俺の方に駆け寄ってきても、にやにやしているだけで生ぬるい目で見守ってくれている。

「あ、あの……西瀬くん」

 教室のざわめきが、少しだけ止まった気がした。

 どうやら俺らの会話が気になるらしい。

 LINEだと普通に会話ができるけど、やっぱり小春ちゃんは直接顔を見て話すのが苦手みたいだ。

 真っ赤な顔のまま、まっすぐ俺の席まで歩いてくる。

 隣で荷物をまとめていた黎が、ちらりと視線を上げた。

 その視線が妙に気になって、俺は思わず背筋を伸ばす。

「あの、遊ぼうって言ってたのに、LINEでは全然その話してなかったから、予定立てない? ……よかったら、今度の休みとか、どうかな? 具体的に決めたいなって」

 小春ちゃんが小首を傾げると、肩までのさらさらな髪の毛もそよぐように揺れた。

「あ、そうだったね、ごめん!」

 そうだった。
 LINEを交換したのはスポッチャメンツとまた遊びに行く予定を立てるためだっていうことを、すっかり忘れていた。

 小春ちゃんとのLINEが楽しくて、うっかりしてた。

「……今週末とか、どうかな? テスト近いし、スポッチャみたいにみんなで遊びに行くのは夏休みってことにして」

 ……まじ?
 これってつまり、俺と小春ちゃんふたりっきりってこと?

 もしかして、小春ちゃんが俺のことを好きなんじゃないかっていうあの勝手な予想は、本当に当たっているのかもしれない。

 心臓がどくんと大きく高鳴った。

 俺は少し考えてから、小さく頷いた。

「うん。じゃあ今週末──」

「今日スーパーの特売日だから急がなきゃって言ってなかった?」

 隣から、黎の低いけど穏やかな声が聞こえてきた。

「……はあ?」

 俺が振り返ると、黎は荷物をまとめたまま、知らん顔でこちらを見ていた。

「『母さんいないし、特売だからまとめ買いしとこ』って、昼に言ってるの聞こえてたよ」

 ……言ったっけ?
 そんなこと。

 曖昧な記憶を辿っていると、小春ちゃんが「あ、そうなんだね……っ」と小さく声を落とした。

「ごめん、そうだったかもしんない! また改めて連絡してもいい?」

 俺が慌てて謝ると、小春ちゃんは首を横に振った。
 笑顔を浮かべているけど、それは誰が見ても無理に笑っている顔だ。

 ああー!
 なんっで俺はこんなにタイミングが悪いんだ!

「大丈夫だよ。おうちのこといろいろやってて偉いね! それじゃあ、また……」

 小春ちゃんはそう言いかけて、ふと黎の方を見た。

「……西瀬くんと城崎くんって、仲がよかったんだね」

 小春ちゃんからしたら、些細な一言だったかもしれない。
 だけど、俺は一瞬言葉を失った。

「え? そう見える?」

 そりゃあ同居してるし、仲は悪くないつもりだ。
 幼馴染みだし、お互いのいいとこも悪いとこも知っている。

 けど、学校ではそれをひた隠しにしてきた。

 それなのに、そう見えるのか?

「うん……。一緒にいるところはあんまり見ないけど、お互いのことをよく知ってるのかなあって、ちょっとだけ思った。……特に、城崎くんの方が」

 小春ちゃんは少し寂しそうに微笑むと、「なんてね。じゃあ、またね!」とだけ残して教室を出て行った。

 小春ちゃんの華奢な後ろ姿が廊下に消えるまで見送ったあと、隣から黎の静かな息遣いが聞こえた。

 振り返ると、黎は何も言わずに鞄を持って立ち上がっていた。

 『特に、城崎くんの方が』

 あの言葉が耳の奥で何度も繰り返されている。

 隣で、黎が鞄のチャックを閉める音がした。
 短くて、乾いた音だ。

 黎は俺の顔を見ずに先に教室を出て行った。

 だけど、なんとなくその背が「ついてこい」と言っているような気がして、俺は慌てて荷物をまとめると後を追う。

 校門を出ると、むっとした熱気が身体にまとわりついた。

 いつもなら暑いな、くらいにしか思わないのに、今日は妙に息苦しい。

 しばらく歩いても、黎はほとんど喋らなかった。

 いつもなら「今日の数学つまんなかった」とか「夕飯なに?」とか、どうでもいいことを言ってくるくせに。

 今日はただ、黙って隣を歩いている。

 いつもは適当に緩く喋る黎が喋らない、ただそれだけのことにもやもやする。

「……さっき、なんであんなこと言ったの?」

「なにが?」

「スーパーの特売日。今日だとか言う必要なかっただろ」

「……別に?」

「別に、って……」

 普段の黎なら、俺が何を買うとか、何時に帰るとか、そんなことをいちいち口にしたりしない。

 なのに今日は、俺が小春ちゃんと話しているところにわざわざ割って入ってきた。

 ……絶対おかしい。

「なんかあるだろ」

「……春が忘れてたから言っただけ」

「それだけ?」

「それだけ」

「ふーん……」

 なんとなく納得できないけど、黎はそれ以上何も言わなかった。

 家までの道を、また二人で黙って歩く。

 隣にいるのはいつもと同じ黎なのに、今日は妙に遠く感じる。

 家が間近に迫ったところで、黎がふいに足を止めた。

「……春、」

 振り返った黎と目が合う。
 その瞳がいつもより真剣で、俺は思わずびくっと身体を震わせた。

「小春ちゃんと、遊びに行きたかった?」

「そりゃ……」

「……そっか」

 いつもより少し低い声で伏し目になった黎を見て、ふと、前から考えていたことが頭をよぎった。

「……もしかして、おまえ、小春ちゃんのこと」

 ずっと、そうなんじゃないかと思ってた。
 だからやけに邪魔してくるんじゃないか、って。

「……違う」

 だけど俺が聞いた途端、黎は食い気味にぼそっと答えた。

「俺、あの子に興味ない」

 きっぱりと言い切った。

 そのくせに、黎自身もどこか困ったような顔をしている。

 じゃあ、なんで……?

 そんな疑問を口に出すことができないまま、俺たちは自宅のドア前に到着した。


◇


 家に着いても、その沈黙は続いていた。

 普段はリビングにいることが多いけど、黎は靴を脱ぐとそのまま自室に上がってしまった。

 乱暴に閉めたわけじゃないのに、ドアの音がやけに大きく響いて聞こえた。

 ふう、とひとつ息を吐いたあと、壁にかかっているカレンダーへ目を向ける。

 そこには、各々の予定が書きこまれている。

 今日の日付は7月5日。

 『特売日!!』と母さんの文字で書き込まれていた。

 ああ、やっぱり特売日だったんだ。
 そんなこと学校で話した記憶はないから、黎はきっとこれを見たんだろうな。

 ……今日は何を作ろう。

 母さんは夜勤で今日もいない。

 俺はひとりでキッチンに立ち、冷蔵庫を開けた。

「……なんもない」

 そりゃそうだ。
 本当なら帰りにスーパーへ寄るはずだったのに、すっかり忘れてそのまま帰ってきたから。

 アイスも食べたいし、買い物行くかあ。
 めんどいけど。

 冷蔵庫の脇に引っ掛かってる買い物袋を持って、家の鍵をポッケに入れる。
 リビングから出て玄関で靴を履き、爪先を地面でとんとんと鳴らした。

 すると、二階から足音が聞こえてきた。

「……どこ行くの?」

 だる着姿になった黎が、階段を下りてくる。

「スーパー。冷蔵庫なんもなかったから」

「俺も行く」

「え、なんで? なんかほしいもんでもあんの? 買ってくるけど」

「……アイス食いたい」

「ん、わかった。買って帰るわ」

「待って、俺も行く。自分で選びたいから」

「ふーん」

 さっきまで部屋に引きこもってたくせに、アイスのためならわざわざ出てくるらしい。

 そんなところが子どもっぽくて、思わず笑ってしまう。

「んじゃ、行こ」

 そう言って俺が玄関のドアを開けると、黎もすぐ後ろからついてきた。

 俺たちはそのまま、いつものように並んで家を出た。

 スーパーに着くと、俺はカゴの中に必要なものを適当に放り込んでいく。

「牛乳……卵……あと肉。ウィンナーも」

「春、野菜も」

「えー、なんか食いたいのある?」

「別に……ない」

「じゃあいいだろ」

「よくない。母さんにまた怒られるよ。『私がいないとすぐ冷蔵庫が肉ばっかになる!』って」

「俺らしかいないのに、なんでおまえは母さん代わりみたいなこと言うんだよ。つか、その裏声母さんの真似? やば! 似てない!」

「……うるさいよ。春が適当すぎるから」

「はいはい」

 そんなことを言いながら食品売り場を回っていると、目的のアイスコーナーが見えてきた。

 黎が足を止め、並んだアイスの中からひとつを真っ先に手に取った。

「あ」

 思わず声が漏れた。

 それは、俺が黎に買うならこれだろうなと思っていたアイスだった。

 ……やっぱり。

 なんとなく嬉しくなって、俺はひとりで得意げな顔をする。

「……なに変な顔してるの?」

「変な顔してない」

「してる」

「してないって!」

「じゃあ、なんでそんなドヤ顔なの」

 黎がめちゃくちゃ不思議そうな顔して聞いてくるから、俺は黎の手元を見つめた。

「……それ」

「ん?」

「おまえが持ってるアイス。俺が黎に買うなら、それだと思ってたから」

「……」

 俺が言うと、黎はにわかに目を見開いた。

「当たった」

 どうだ、と胸を張る。

 すると黎は、手に持ったアイスと俺の顔を交互に見た。

「……なにそれ」

「なにって、すごくない?」

「別に、すごくない」

「なんでだよ! 普通ちょっと嬉しいだろ!」

「……まあね」

 そう言いながら、黎はほんの少しだけ口元を緩めた。

 なんだよ。嬉しいなら最初からそう言えよ。


◇


 買い物から帰って夕飯を済ませると、俺はソファに寝転がった。

 風呂からあがり、タオルを首にかけた黎が冷蔵庫を開けるのが見える。

「……ドラマ、何時からだっけ?」

「9時じゃない?」

「もーちょいだ」

「うん」

 最近話題の恋愛ドラマ。
 小説が元になっていて、休み時間とかにいろんなやつが話しているくらいには人気がある。

 かく言う俺も、そのうちのひとりだ。

「今日、ついに付き合うんだよね? ドラマ」

 スーパーで買ってきたアイスを取り出した黎が、ソファの背もたれ越しに聞いてくる。

「たぶん。先週、いいところで終わったし」

「ふーん」

「てか、俺のアイスも取って」

「はい」

「さんきゅ」

 アイスを受け取ると、黎はそのまま俺の隣に座った。さっき買ったばかりのアイスの袋を開け、ふたりして食べ始める。

「春、これ選んだの?」

「そうだけど」

「……へえ」

「なに?」

「別に?」

 黎はそれ以上何も言わず、テレビに視線を戻した。

 ちょうどドラマが始まる時間になって、画面が切り替わる。

 物語は先週の続きから始まった。

 主人公とヒロインは、ようやくお互いの気持ちを確かめ合う。

 ここまで長い道のりだった……!

「おお……」

 思わず身を乗り出して、画面を食い入るように見つめた。

「……春、こういうの好きなの?」

「え?」

「恋愛ドラマ。いままであんまり見てなくなかった?」

「まあ、普通に好きだけど。あと、このドラマかなり話題になってるし、気になるじゃん」

「……ふーん」

「なんだよ」

「別に」

 別に、が多いな。まあいいけど。
 黎はアイスを食べながら、テレビを見ている。

 俺も画面に視線を戻した。

 しばらくして、主人公がヒロインの手を取った。
 そのまま顔を近づける。

「うわっ、近!」

 思わず声が出た。

「……ドラマなんだから、そんなもんでしょ」

「いや、そうだけどさ!」

 画面の中では、二人の距離がどんどん縮まっていく。

「……でも、こんなの実際されたら恥ずかしくない?」

 ドラマだから、って言うけど、世の付き合っている男女はこういうことを当たり前のようにするわけで。

 経験のない俺はまったく想像がつかなくて、何気なくぽつりと呟いた。

「……春は?」

「俺?」

「うん、恥ずかしいと思うの?」

「俺なら無理。恥ずかしすぎる」

「好きな相手でも?」

「……それは……」

 言葉に詰まる。

 そのとき、隣から黎の視線を感じた。

「……なに?」

「別に」

「またそれかよ」

 そう言いながら黎を見ると、切れ長の瞳と目が合った。
 いつもと同じ顔のはずなのに、普段とはどこか違うように見えた。

「……好きな相手でも?」

「え? なにが?」

「さっきの」

「ああ……」

 俺はテレビに視線を戻す。

「まあ……、好きな人相手なら、頑張るんじゃない?」

 わかんないけど。
 なんせ経験が皆無だから。

「そう……」

 心なしか黎の声が少しだけ低くなった。

 なんだろう。
 さっきから黎の様子がおかしい。

「……じゃあ、好きでもなんでもない相手なら?」

「いや、それは余計に無理だろ! 考えるまでもなく!」

 やっぱりおかしすぎる。
 暑さで気でもおかしくなったのか?

「なんでそんなこと聞くんだよ」

「……なんとなく」

「変なの」

 そう言ってテレビに向き直った、そのときだった。

「春、」

「ん?」

 呼ばれて振り返る。
 黎の顔が思っていたより、ずっと近くにあった。

「……黎?」

 黎から距離を取ろうと、思わず身体を引こうとした。
 だけどそれを阻むように、黎の手が俺の肩に触れる。

「なに?」

「……別に、」

「いや、絶対なんかあるだろ」

 そう言った瞬間、黎の指先が、そっと俺の唇に触れた。

「……っ?」

 なにが起きたのかわからなくて、身体が固まる。

 黎も、俺の顔を見たまま動かない。

「……まじか」

 そう言ったのは、黎。

 なぜか黎の方が驚いたような顔をしていて、困ったようにさっき俺に触れた指先を見つめている。

「……ほんと、なに?」

「いや……、うん」

 心臓が変な音を奏でている。

 だって、今の触りかたは、いつもの黎と違ってやけに優しくて……。

「俺たち、友達だろ……? 冗談が過ぎるって」

 そうやって、笑い飛ばそうとした。
 けど、できなかった。

「そうだね。友達、だもんね……」

 いつもならなにか言い返してくるのに、その声は妙に静かだった。

「……?」

 もう一度、黎の顔を見る。

 だけど黎は自分の指先に視線を落としていた。

「……ごめん」

「え?」

「ううん、なんでもないよ」

 そう言って黎は、静かに俺から離れていった。

 テレビでは、さっきと変わらず恋愛ドラマが続いている。

 画面を見ても、もう内容は全然頭に入ってこなかった。

 さっき触れられた唇に、半ば無意識で指を当てる。

「なんだったんだよ、あれ……」

 思い出した黎の指先は、やけに優しかった。