救急車に運ばれたユートは、検査だけで入院もなく、
 無事帰ってきていた。
 ぶつけた頭はでかいたんこぶだけだった。

 でも、滑った時に足を挫いてた。
 少しの間、銭湯の当番はお休みだった。

 母さんに長時間働かせるのは申し訳ないけど。
 しょうがないか、って思って自分の部屋で横になってた。

 あれから、オニーサンにも会ってない。

 挫いたから、花火大会難しそうって、
 直接言えてないけど。
 オニーサンが銭湯に来てれば、
 たぶん母さんが伝えてるだろうって思った。

 もうすぐ、花火が上がる時間だ。

 コンコン、ってノックする音がした。
 部屋をノックする人なんかいないから驚いた。

「えっ?」

 って声が出た。

 部屋のドアを開けたのは、
 蚊取り線香の豚の陶器を持ったオニーサンだった。

「うす」
「なんでっ!?」

 ユートは少し起こした体を腹筋だけで支えて、
 半分叫んでた。

「おまえの母さんが、
 約束してたんなら、花火部屋で見ていけって」

 オニーサンは床に座って、蚊取り線香に火をつけ始めた。

「この窓から見えんの?」
「う、うん」

 窓を開けて、蚊取り線香入りの豚の陶器を窓辺に置いた。
 ゆっくりと蚊取り線香の煙が、豚の鼻から出ている。

 ユートは、部屋汚いし、とか思って見渡したけど、
 見られて困るようなものも特になかった。
 ベッドに横になったままで、窓の外も見える。

(ま、いっか)

 そう思ったら、緊張も溶けた。

 窓の外には、少し遠いけどスカイツリーが見える。
 花火スポットとしては、かなりいい立地なんだよな、
 とか思った。

 時間が来て、花火があがり始めた。
 大きくはない、端も切れる。
 でもちゃんと見えてた。

 オニーサンがケータイを手にとって、

「音楽かけていい?」

 って言った。

「うん」

 そう答えると、すぐ流し始めた。

 ゆったりとした、
 ユートの聞いたこと無い音楽だった。

 部屋の空気が一瞬で変わるのを感じた。
 なんだか、湯船に浸かってるみたいに穏やかだった。

 パン、パン……

 花火特有の大きい音が遠くからしている。
 音楽の穏やかさと重なっても、お互い壊さなかった。

 ユートは、なんだかすごく落ち着いて、
 少し寝てしまっていた。


 ……


 目が覚めた時には、花火は終わってた。

「あ、寝てた」

 そう言って部屋を見ると、
 音楽はもう終わってて、
 オニーサンも床で寝ていた。

 ケータイ触る途中みたいな格好だった。

 ユートはそれを見て、ちょっと笑った。

 体を起こして、窓を閉めた。
 クーラーの温度を一℃だけ下げる。

 片足で立って、自分の使ってたタオルケットをオニーサンのお腹にかけた。
 自分のはもう一枚ある。

 そうして、またベッドに戻った。

 十個上なんて信じられない。
 なんか、幼馴染みと過ごしてるくらいの感覚だった。

 でもまだ、銭湯で会うようになって二ヶ月たたないくらい。
 こんな感じのことってあるんだ。ってユートは思った。

 ふと、シャンプーの匂いがした。

 あ、オニーサン、銭湯入ってから来たんだ。

 いつもは番台にいて、
 シャンプーの匂いがするのが当たり前だったから、こんなところで、シャンプーの匂いに意識が行くと思わなかった。

 もう一度、オニーサンを見る。

 今日は自分で髪乾かせたんだ。
 って思ったら、また笑えた。

 なんか床で寝てるのをこうやって見てるのも、
 昔飼ってた犬を思い出した。

 オニーサンと会って、
 チョビのこと思い出すタイミング増えたな。
 そう思った。

 中型犬よりも、大型犬よりくらいのサイズの、
 雑種の犬だった。
 茶色い体に、鼻の周り黒くて、細身の犬だった。

 寝る時は決まって足の間を定位置にして。
 室内犬にしては、そんな綺麗に整えてやれてなかったかもだけど。家族のなかでも一番俺になついてた。

 チョビとだらだら寝てるだけの時間好きだったな。

 そう思ったら、ちょっとツンと鼻先にきた。
 ちょっと深く思い出しすぎちゃった。

 チョビがうちにきたのは、小四くらいの時だったと思う。
 桜湯の周りをウロウロしてる野良犬がいるって、
 母さんが言っていた。

 その時にはすでに成犬で、大きかった。

 近所の人が怖いからって、保健所に連絡した話を聞いて、
 急いで探しに出た。

 間一髪だったと思う。
 ほとんどニアピンぐらいで、先に捕まえて連れて帰れた。

 車を運転してる保健所の人が、
 たぶんあの犬だな、みたいな顔でこっちを見ていた。

 チョビは、脱走犬だったのか、捨て犬だったのかわからないけど、人によく慣れていたし、俺の事も全然怖がったりしなかった。

 こんないいヤツを、保健所になんて皆酷すぎる。
 なんて思って、ベソをかいたのを思い出した。

 母さんに何も言わずに飛び出して、
 近所で噂の野良犬を連れて帰ってきたもんだから驚かれた。
 その時、飼う許可をもらうための文句で出たのが、

「ちゃんと世話するし、銭湯の手伝いもやるから」

 だった。

 今はもう高二。
 世話はもう終わってしまったけど、
 銭湯の手伝いは続いている。

 オニーサンが寝返りをうつのを見て。
 やることもなかったけど、ケータイを開いた。

 画像フォルダには、チョビはいない。
 まだケータイを持ってなかったから。

 そう思ったら、ちょっと寂しくて、
 思い付きでカメラを起動して、
 オニーサンにカメラを向けた。

 カシャ

 思ったより音は響いたけど、
 オニーサンは起きなかった。

 画像フォルダには、
 オニーサンが寝てるだけの写真が1枚増えた。

 花火の写真すら取らなかったのに、
 と思ったら、また、少し笑えて、
 ユートはケータイを枕元に置いて、

 ゆっくりと目を閉じた。