近所の中では、
 夏の一大イベントだった。

 花火大会。

 母さんは、
 来年は受験生なんだから、
 今のうちに遊んでおきなさいって。

 その日の当番は無しにしてくれてた。

 先に花火大会にいく予定だけができて、
 肝心の誰と行くとか、
 そういうのがぽっかり空いていた。

 花火を見るだけなら、
 銭湯の二階に位置する自分の部屋からも見える。

 問題は、あの人混みに、
 屋台を楽しみにいくかどうかだ。

 母さんが言うのは、たぶん、
 ラストチャンスだから現地行っとけ。
 そういうことだと思う。

 仲良しメンツは、彼女が出来たりとかで、
 最近は離散気味だった。

 でも、彼女いないメンツをわざわざ集めて行くのも、
 気分が乗らなかった。

 番台に座ったまま、ケータイを開いて、
 チャットグループの一覧を何となくなぞる。

「うーん……」

 ここ最近で一番でかい悩みだった。

 もうすぐ、閉店だ。
 今日もこの悩みは解決しなかった。

 そう思った時だった。

 銭湯の表の引戸が開く。
 暖簾から顔を出したのは、オニーサンだった。

「よっ」
「あ、」

 誘えそうな人。
 そう思ったときには口が滑ってた。

「花火大会の日、空いてる?」

 オニーサンは、引戸を閉める手が止まってた。

「ん、それ、いつ?」

 閉店後の銭湯で、
 はじまったのは花火大会の日の作戦会議だった。

 たまたま、オニーサンの予定も空いていて、
 無事、花火大会の同行人が決定した。

 まだ少し先だけど、
 と言っても来週で、すぐだけど。

 母さんに言われてることとか、
 友だちの状況とか、
 一通り、伝えた。

 そっから先の予定は何にもなかった。

 当日、オニーサンが銭湯に迎えに来ることが決まった。

 まだ一週間あるし、他に決めることとかがあればオニーサンがきた時に話すだろうって感覚もあった。

 三日くらい経って、
 オニーサンが珍しく夕方にきた。

「昨日の現場が汗だくだった」

 って言ってた。
 予定の前のお風呂じゃなくて、
 珍しくさっぱり目的のお風呂だ。って思った。

 しばらくして、ピピッとアラームが鳴る。
 風呂の温度の確認にボイラー室へチェックに行く時間だった。
 設定を変えたりはできないけど、
 チェックだけ。

 「席をはずしています、少々お待ちください」
 と書かれたボードを番台に置いて、立ち上がる。

 ボイラー室は、男湯の先にある。
 オニーサンが湯船に浸かってるのを横目に進む。

 オニーサンと、一瞬目があった。

 その時、ユートの視界が揺らいだ。
 足元がズレた感じがした。
 ガツンと頭に衝撃が響いた。
 何が起きた?!
 ……そう思うか思わないか。
 目の前が白く、意識が遠くなる感覚だけがあった。

 ユートは、こどもが撒き散らしたボディーソープに滑ってひっくり返って頭を打っていた。
 その様子を見ていたオニーサンの行動は早かった。

「おい!」

 声をかける。
 返事はなかった。
 無理に動かさずに安全に寝かした。
 血は出てなさそうだった。

 冷やすものは咄嗟で見つからないから、冷えたコーヒー牛乳の瓶を、隣にいたおっちゃんに渡して当てておくように伝えた。

 脱衣場に行って、ロッカーから自分のケータイを出す。
 とりあえず、下着だけ履いて救急車を呼んだ。

 番台に内線を見つけて、ユートの母さんを呼ぶ。
 母さんもすぐに来て、
 救急車を呼んでることを伝えた。

 母さんが声をかけてたら、ユートも目を覚ました。

「いってぇ~」

 って声がしてたから、たぶん無事だろう。

 オニーサンは、額の汗をぬぐって、
 なんであんな冷静だったんだ。
 って心のなかで呟いた。

 救急車が到着して、母さんも同行することになった。

 ユートは自分で立ち上がれそうだったけど、
 念のため担架で運ばれた。

 それを、番台横で見送ってたら。
 母さんに声をかけられた。

「服、着なさいね」
「えっ」
「……」

 ユートも、その様子を運ばれながら見ていた。

「いや違。いや、はい」

 冷静に対応しているつもりだった分、
 パンツ一丁で立ってる自分が、
 かなり恥ずかしかった。

 ロッカーに戻り服を着て番台に行くと、
 救急車のドアが閉まるところだった。

 サイレンが遠ざかる。
 静かになった。
 桜湯に、湯気だけ残る。

 ふと、いつもユートが座っている番台を見た。

 誰もいない。

 下駄箱の鍵。
 コーヒー牛乳。
 入浴券。
 全部そのまま。

 営業中だった。

「……」

 良くわからないけど、誰もいないよりマシだろ。
 と思ってカウンターの内側へまわって座った。

 その後も普通に客はきた。

「大人二人」
「うす」
「サウナ付きで」
「ッス…」
「……」
「……」
「兄ちゃん、ここの人?」
「いや」
「違うの?」
「違います」

 案外やれてる。
 コンビニよりシステムがシンプルでいい。

 サウナは、よくわかんないから今日は無料だ。
 使う客の方がわかってて、自分で追加で支払ってくる。
 サウナ、使ったことねぇ。

 おじいちゃん常連がきた時は少し困った。

「今日は坊主いないの」
「熱……っす」
「熱かぁ」
「らしいです」
「若いのになぁ」
「ほんとですよ」

 そのまま言ったらたぶん心配かける。
 嘘をつくのもどうかと思ったけど、
 たぶん、この客とそんなに会うことはないだろう。
 そう思った。

 毎日これやってんだ。

 お釣り。
 常連の顔。
 コーヒー牛乳。
 閉店作業。

 全部。

 少し、ぼんやりしたまま、
 ユートのいつも番台にいる時の、
 なんでもない顔を思い出していた。


 ……


 閉店後。

 誰もいない脱衣所。
 まわる扇風機。
 テレビの音。

 オニーサンはまだ番台に座っていた。
 さすがに、閉店作業全部は把握してなかった。

 ボイラー室に行って、たぶん電源を切って、
 湯を抜いて、デッキブラシで磨く。
 そこまでやる気は起きなかった。

 番台に座ったまま、何となく時間を潰していた。
 すると、番台横の電話が鳴った。

「はい、桜湯です」

 一応、銭湯を名乗った。

「あら、ホントにいてくれたの!?」

 桜湯の母さんの声だった。

「ユートに聞いたら、連絡先知らないって言うし。
 たぶん店にかけたら出てくれるって言ってたけど」

 母さんらしい、一発で状況がわかる電話だった。

「ユウト、大丈夫だった」
「よかった」
「検査だけして帰れるって」
「よかった……ッス」

 本当に安心した声が出た。
 自分でも驚くくらい。

「ありがとね」
「いや。俺、前に助けてもらったんで」

 桜湯の母さんも、嬉しそうな声色だった。

「もうすぐ帰るから、電気だけ消しておいてくれたら、
 そのままでいいから。ホントにありがと」
「電気っすね。了解っす」

 そう言って、電話を切った。

 電気の場所は知っていた。

 灯りを落とす。
 今日もなんとか、営業終了。

 閉店、完了。