その後もオニーサンは度々、銭湯に来た。
 決まって遅めの時間、時には閉店ギリギリ。

 でも、毎日ではなかった。

 少しずつだけど、会話のなかで見えてきたのは、
 仕事の前日、人と会う前の日、約束がある時。
 そういう時に来てるらしかった。

 熱で学校を休んで、ベッドに横になりながら、
 そんなことを思い出していた。




 夜の番台。

 そこにはいつもの少年ではなく、
 銭湯初日にお世話になった母さんの姿があった。

 オニーサンは引戸をあけて、一瞬固まった。

「あら、いらっしゃい。からだ、大丈夫だった?」

「あ、はい。そのせつは、すんません。
 今日は息子さんじゃないんすね」

「ユウト、熱だしちゃったのよー」

 オニーサンは、550円を出して置く。
 ロッカーの鍵を手渡される。

「ごゆっくりどうぞ~」

 そんな声に見送られながら、男湯へ向かう。

(ユートくん、ね)

 そんなことを反復しながら、
 脱衣場で鍵の番号のロッカーを見つけて、
 Tシャツを脱いだ。

 はじめてこの銭湯に来て、1ヶ月ちょっとくらい。
 オニーサンは銭湯に来る前の事を思い出していた。

 バンド解散後、彼女にもフラれ家を追い出された日。
 身一つで、財布とケータイくらいしか持ってなかった。

 夏前なのでなんとか公園で過ごすも、
 ファミレスやコンビニに寄ると、
 臭くなってきたのか店員の顔がひきつってる。

 店に入らないようにしたら今度は腹が減る。

 風呂か。
 元々嫌いだけど。

 そうして銭湯に来たが、体を洗いきる前にぶっ倒れた。
 思い出すだけでも、ちょっと情けなかった。

 でも、今はとりあえず、
 寝れる部屋があって、問題なく飯が食えて、
 こうやって身体が洗える銭湯がある。

 それだけで、十分だった。



 ……



 翌日、ユートはケロッとした顔で番台に立っていた。
 高校生の夏風邪なんて、治るのはあっという間だった。

 昨日、オニーサンが来たことは母さんから聞いていた。

「あの時のイケメン君、まだ来てたのね~。
 もう、教えてよ!」

 なんて、はしゃいでた。
 俺は肩を叩かれて、地味に痛かった。

 だから、今夜は来ないと思ってた。
 昨日来たばっかりだから。

 閉店の時間になる。
 暖簾を下ろしに、外に出る。

「よっ」

 不意に声をかけられて、身体がビクッとした。
 振り返ると、そこにはオニーサンがいた。

「ゆるされ?」

 それだけ言った。

「ふっ……ゆるされ」

 ユートは、少し笑ってそう返した。
 オニーサンは、暖簾を抱えたユートの横から開いてた引戸をもう少しだけ開けた。

「若いと熱下がるのも早いね、ユートくん」

「ん、名前……っ!」

 オニーサンは、その反応に返事はせずに、
 少し笑って、先に銭湯に入っていく。

「母さん……か」

 ユートは少しのくすぐったさを母さんのせいにして、
 オニーサンを追いかけて銭湯に戻って行った。

 オニーサンは、別に風呂に入りに来たわけじゃなかった。
 昨日入ったし、明日は特に用事ないって言った。

「今日はコーヒー牛乳飲みに来た」

 160円だけ、番台に置いた。

「俺、片付けするけど」

「ん、全然、それでいい」

 オニーサンは番台横の休憩スペースに座った。

 いつもと違うパターンに、少しだけソワソワした。
 でも、やることは変わらない。

 ボイラー、消して。
 洗濯もの集めて。
 お湯を抜いて、デッキブラシで磨く。

 それだけ。

 風呂に入っててくれてた方が、
 ちょっとだけ気にしないで片付けできたな。
 なんか、待たせてる感じがして、それもソワソワした。

 一通り終えて番台に戻ったら、オニーサンはコーヒー牛乳を飲み終えてた。

「ごちそうさま」

 とだけ言って、帰っていった。

 本当にコーヒー牛乳飲みに来たんだったんだ。
 って、ユートは思って、
 少し笑った。

 こういう日もあるんだな、って静かに思った。

 今日も無事に、営業終了。
 銭湯の電気を消す。

 閉店、完了。