瀧家のガスコンロは家で使っていたものと型がちがったのではじめは戸惑いましたが、すぐに慣れました。
七輪に鍋を置く。火加減はコックで調節。これさえ押さえておけば大丈夫です。ガス炊飯器も使い方は家のものと同じなので心配いりません。
近所の魚屋で買いもとめたかれいを甘辛く煮つけて、その横でお味噌汁を作ります。
双龍さまはどんな味が好みでしょう。お味噌汁の具はなにがお好きでしょう。あらかじめ聞いておくべきだったのにすっかり忘れていました。
やがておかずをこしらえている間に炊飯器からふつふつ音が聞こえてきて、お米の甘い匂いが台所に漂いはじめます。窓の外も次第に明るくなってきました。
ふたりで暮らすようになってはじめての朝。双龍さまにおいしい朝ごはんを食べさせてあげたい。
そう思うと自然と心が浮きたちます。
おいしいものを食べると気持ちがほぐれていくのはどなたでも一緒でしょう。それが苦手な女性の手によるものだとしてもです。
母がいないなかで料理をするのは今日が初めてでどきどきしましたが、双龍さまのことを思えばそのどきどきはべつのものに変わってゆきました。
お米がふんわり炊きあがったあとで私は双龍さまの部屋のまえに膝をつきました。
私たちの寝室はべつです。双龍さまは本来寝室として用意された部屋に、私は自分の部屋に布団を敷きました。
きのうはひとりで眠ることになりましたが、結婚式で緊張していたのでしょう、布団に入るなり私はこてんと眠ってしまいました。
双龍さまも眠れていたらよいのですが。
そんなことを考えながらふすまの向こうに「双龍さま、おはようございます」と声をかけます。
返事はありません。勝手に入ってよいものか迷いましたが、今日は平日なのでお仕事のはずです。起こさなければ。
双龍さまともう一度呼びかけて、「入りますね」と断って私はふすまを開けました。
双龍さまは布団のなかであおむけに眠っていらっしゃいます。
父にするように揺さぶって起こそうと思いましたが、彼は女性恐怖症。目覚めて最初に見るのが私の顔ではかわいそうです。
朝陽で起こすことに決めて、私は庭に面した障子と雨戸を開けてゆきました。
「ん……初音、さん……?」
そうしているうちに双龍さまが目を覚ましました。
おはようございます、と私は振りかえって微笑みかけます。
「気持ちのよい朝ですよ。ご飯はもうできていますから、お支度ができたらいらしてください」
双龍さまはまぶしそうに布団のなかから私を見ていました。
「これはすごい。奇跡のようです」
双龍さまが支度をしている間に私は朝ごはんを載せた箱膳を居間へと運びました。彼は入ってくるなり目を見開きます。
「こう見えて料理は得意なのです。私はあとでいただきますから、お先にどうぞ」
「いえ、そんな」
「いえ、ぜひ召しあがって感想を聞かせてください」
双龍さまは恐縮していましたが、「ではお言葉に甘えて」と座布団の上に正座しました。いただきますと丁寧に手をあわせてから箸を取ります。
かれいの煮つけは箸を入れるとほろほろと崩れました。白米と一緒に口に運び、双龍さまは驚いたように「おいしい」とつぶやきます。
「これはすごい、こんなにおいしい煮つけはいままで食べたことがありません。味つけも火入れも絶妙だ」
「濃くはありませんか?」
「米と食べればちょうどいいです。……すごいですね。初音さん、あなたはかれいの煮つけのプロフェッショナルだ。いますぐ店をだせる」
「……ふふっ」
大げさに褒めてくれるのが嬉しくて私は顔をほころばせます。
彼は味噌汁をすすり、味噌汁ぷろふぇっしょなるの称号も私にくださったあと、「しかし」とはたと気づいたように箸を止めました。
「これだけの料理を作るには時間がかかったでしょう。いったい何時から」
「気になさらないでください。早起きは得意ですもの」
「はぁ……」
感に入ったように双龍さまはもう半分ほど料理が減ったお膳を眺め、「……俺なんかのために。ありがとうございます」とつぶやきました。
ごはんを作って感謝されるなんてことまずありません。それも男のひとに。
意外でしたが私の胸は小さな火がぽっと灯ったようになりました。
私はにっこり笑い、「おごはん、おかわりありますからね」と伝えます。それから双龍さまにお味噌汁の具はなにが好きか聞きました。
「俺は……なすが好きですね。やわらかく煮こんであるものを噛みしめたときの感触、あれがたまらない。ですがなんでもかまいませんよ」
「でも、せっかくですから双龍さまの好みにあわせたいです」
「あなたの料理の腕は天才的だ。たとえ石が入っていたって俺はおいしくいただきます」
「まあ」
鍋で小石を煮こむところを想像して笑いだした私につられて双龍さまもくすりと笑いました。
「では、今晩は葉っぱの煮つけをおだししますね」と私は云いかえして、双龍さまの茶碗がからになったところで「おかわりにします?」と彼に向けて手を差しだしました。
双龍さまはお茶碗をそっと畳の上に置きます。
「……恐縮です」
「いいえ。たくさん食べて力をつけてくださいな」
私はおひつからごはんをよそって、双龍さまを真似して畳の上に置きます。実家だったらお行儀が悪いと叱られそうですが仕方ありません。
朝ごはんは直接ものを受けわたしできるようになるほどの力は持たなかったみたいです。
それでも私がへこまなかったのは、そのお茶碗を手にとるとき、双龍さまが私の目を見て「ありがとう、初音さん」と不器用に笑ってくださったからと――
残りのお料理を食べるとき。双龍さまが、食べおわるのがもったいないというふうに噛みしめていたからでした。
七輪に鍋を置く。火加減はコックで調節。これさえ押さえておけば大丈夫です。ガス炊飯器も使い方は家のものと同じなので心配いりません。
近所の魚屋で買いもとめたかれいを甘辛く煮つけて、その横でお味噌汁を作ります。
双龍さまはどんな味が好みでしょう。お味噌汁の具はなにがお好きでしょう。あらかじめ聞いておくべきだったのにすっかり忘れていました。
やがておかずをこしらえている間に炊飯器からふつふつ音が聞こえてきて、お米の甘い匂いが台所に漂いはじめます。窓の外も次第に明るくなってきました。
ふたりで暮らすようになってはじめての朝。双龍さまにおいしい朝ごはんを食べさせてあげたい。
そう思うと自然と心が浮きたちます。
おいしいものを食べると気持ちがほぐれていくのはどなたでも一緒でしょう。それが苦手な女性の手によるものだとしてもです。
母がいないなかで料理をするのは今日が初めてでどきどきしましたが、双龍さまのことを思えばそのどきどきはべつのものに変わってゆきました。
お米がふんわり炊きあがったあとで私は双龍さまの部屋のまえに膝をつきました。
私たちの寝室はべつです。双龍さまは本来寝室として用意された部屋に、私は自分の部屋に布団を敷きました。
きのうはひとりで眠ることになりましたが、結婚式で緊張していたのでしょう、布団に入るなり私はこてんと眠ってしまいました。
双龍さまも眠れていたらよいのですが。
そんなことを考えながらふすまの向こうに「双龍さま、おはようございます」と声をかけます。
返事はありません。勝手に入ってよいものか迷いましたが、今日は平日なのでお仕事のはずです。起こさなければ。
双龍さまともう一度呼びかけて、「入りますね」と断って私はふすまを開けました。
双龍さまは布団のなかであおむけに眠っていらっしゃいます。
父にするように揺さぶって起こそうと思いましたが、彼は女性恐怖症。目覚めて最初に見るのが私の顔ではかわいそうです。
朝陽で起こすことに決めて、私は庭に面した障子と雨戸を開けてゆきました。
「ん……初音、さん……?」
そうしているうちに双龍さまが目を覚ましました。
おはようございます、と私は振りかえって微笑みかけます。
「気持ちのよい朝ですよ。ご飯はもうできていますから、お支度ができたらいらしてください」
双龍さまはまぶしそうに布団のなかから私を見ていました。
「これはすごい。奇跡のようです」
双龍さまが支度をしている間に私は朝ごはんを載せた箱膳を居間へと運びました。彼は入ってくるなり目を見開きます。
「こう見えて料理は得意なのです。私はあとでいただきますから、お先にどうぞ」
「いえ、そんな」
「いえ、ぜひ召しあがって感想を聞かせてください」
双龍さまは恐縮していましたが、「ではお言葉に甘えて」と座布団の上に正座しました。いただきますと丁寧に手をあわせてから箸を取ります。
かれいの煮つけは箸を入れるとほろほろと崩れました。白米と一緒に口に運び、双龍さまは驚いたように「おいしい」とつぶやきます。
「これはすごい、こんなにおいしい煮つけはいままで食べたことがありません。味つけも火入れも絶妙だ」
「濃くはありませんか?」
「米と食べればちょうどいいです。……すごいですね。初音さん、あなたはかれいの煮つけのプロフェッショナルだ。いますぐ店をだせる」
「……ふふっ」
大げさに褒めてくれるのが嬉しくて私は顔をほころばせます。
彼は味噌汁をすすり、味噌汁ぷろふぇっしょなるの称号も私にくださったあと、「しかし」とはたと気づいたように箸を止めました。
「これだけの料理を作るには時間がかかったでしょう。いったい何時から」
「気になさらないでください。早起きは得意ですもの」
「はぁ……」
感に入ったように双龍さまはもう半分ほど料理が減ったお膳を眺め、「……俺なんかのために。ありがとうございます」とつぶやきました。
ごはんを作って感謝されるなんてことまずありません。それも男のひとに。
意外でしたが私の胸は小さな火がぽっと灯ったようになりました。
私はにっこり笑い、「おごはん、おかわりありますからね」と伝えます。それから双龍さまにお味噌汁の具はなにが好きか聞きました。
「俺は……なすが好きですね。やわらかく煮こんであるものを噛みしめたときの感触、あれがたまらない。ですがなんでもかまいませんよ」
「でも、せっかくですから双龍さまの好みにあわせたいです」
「あなたの料理の腕は天才的だ。たとえ石が入っていたって俺はおいしくいただきます」
「まあ」
鍋で小石を煮こむところを想像して笑いだした私につられて双龍さまもくすりと笑いました。
「では、今晩は葉っぱの煮つけをおだししますね」と私は云いかえして、双龍さまの茶碗がからになったところで「おかわりにします?」と彼に向けて手を差しだしました。
双龍さまはお茶碗をそっと畳の上に置きます。
「……恐縮です」
「いいえ。たくさん食べて力をつけてくださいな」
私はおひつからごはんをよそって、双龍さまを真似して畳の上に置きます。実家だったらお行儀が悪いと叱られそうですが仕方ありません。
朝ごはんは直接ものを受けわたしできるようになるほどの力は持たなかったみたいです。
それでも私がへこまなかったのは、そのお茶碗を手にとるとき、双龍さまが私の目を見て「ありがとう、初音さん」と不器用に笑ってくださったからと――
残りのお料理を食べるとき。双龍さまが、食べおわるのがもったいないというふうに噛みしめていたからでした。



