【完結】初恋めおと日記~結婚初夜に旦那さまから「愛人を作ってください」と云われまして~

 双龍さまのお言葉は衝撃でした。
 無事に私も旦那さまの隣で白無垢を着ることができたと思ったら、まさかの『夫婦生活は無理かも』。そんなのってありません。

「そんなぁ……」

 情けない声をだす私の気も知らないで外でウグイスが一声鳴きました。
 この美しい声はオスがメスを誘うためにあるのです。向こうは色恋を楽しんでいるというのに私はいったいなんなのでしょう。夫婦になった当日に返品されそうになっている私、ちょっと泣きそうです。

「無理だなんておっしゃらないでください。何事も挑戦と言うではありませんか」
「……はい。なので思いきって縁談を受けました。その結果がこれです」
「双龍さま、ご覧ください。私は見てのとおり女らしさのかけらもありません。丸顔で童顔ですし、体も貧相ですし、木登りは女学校のだれよりも得意です。ここはひとつ『妻』ではなく『妹』と思って」
「ですが……あなたからは姉たちと同じ香りがします」
「はい?」
「だ……だめだ! やっぱり怖い! ねえさんふたを閉めないで! ここを開けてぇ……っ!」
「双龍さま!?」

 双龍さまは頭をかかえると叫びだしてしまいました。
 同じ香り。もしかして、おしろいのことを云っているのでしょうか。化粧っ気のない私でもこの日ばかりはお化粧をしないわけにはいきませんでしたから。

 双龍さまの叫び声を聞いて、「なんの騒ぎだ!?」と隣の部屋にいた双龍さまのおとうさまたちが飛びこんできます。

「お義父さま、そ、双龍さまが――」
「なんだ、いつもの持病の(しゃく)か」
「へ?」
「初音さん、すまない。こいつはたまにこういうふうになるんだ。こいつの姉たちがみんな嫁に行ってからはすくなくなってきてたんだが……まあ気にしないでやってください。――ほら、嫁さんのまえで取りみだすな」
「うぐっ」

 ずかずか踏みいってくるとお義父さまは双龍さまの背中をばんと叩きました。お義母さまは私の隣にきて、「ごめんなさいね、あの子はちょっと変わりもので。でも感染(うつ)る病気じゃありませんから」とちょっとずれたことを云います。

「と……とうさん」と我に返った双龍さまはお義父さまを訴えるように見つめます。

「実家に帰らせてください」
「なんだ、忘れものでもしたのか? ならあとで新居に届けてやる」
「いえ、そうではなく……」
「もう体調はよいのだろう? ならはやく行くぞ。次は披露宴だ。おまえたちのためにわざわざ時間を作ってくれた客人を待たせるんじゃない」
「かあさん……」
「はやく孫の顔が見たいわぁ。ふたりの子供なら男の子でも女の子でもかわいいでしょうね」

 急きたてるお義父さまといくらなんでも気がはやいお義母さま。
 実の両親にまったく聞く耳がないことを知り、双龍さまはがくりとうなだれたのでした。


 新居は双龍さまの職場にほどちかい一軒家です。あたりには同じような住宅がならび、挨拶へいった大家さんによると日が落ちればしんと静かになります。でも表通りが近いので買いものには便利ですよとのこと。

 和洋折衷の作りで、見た目は古きよき日本家屋ですが西洋風の応接間があったり書斎があったりと見てまわるだけでわくわくします。調度品は瀧家のほうで用意してくださったそうで、どれも品がよくて気の利いたものばかりでした。

 私と双龍さまの両親はしばらく歓談してから帰っていきました。
 外は星月夜。うららかな夜のなかで、私たちの家にふたりきりです。

「…………」

 応接間の天井から吊りさがっている電灯の光が私と双龍さまを照らしています。
 紋付き袴と白無垢から晴れの日に着る着物に着替え、ソファにならんで座る私たちは他人から見たらどう見えるのでしょうか。ちゃんと夫婦に見えるのでしょうか。

「……あらためて」と双龍さまが沈黙を破りました。

 今日で一生分の苦労をされたのではないでしょうか。披露宴では気絶こそしなかったものの、ずっと顔面蒼白で、いまもまだ双龍さまの顔に血の気はもどっていません。気の毒です。

「昼は取りみだしてしまい失礼しました。で……」
「で……?」
「これからのことを話しあいたいのですが」
 
 これから。それはつまり、先に進むかここで引きかえすかということです。

 引きかえすなんて選択肢は私にはありません。この縁談が上手くいかなければ父の店はつぶれてしまうかもしれないのです。

「双龍さまのお気持ちはいかがですか」と私は問いかけました。彼は私の目を見ずに、いえ、まあ、と歯切れ悪く答えます。

「正直に言えば……いまにも倒れそうです」
「倒れそうですか」
「倒れそうです」

 私はうつむきました。
 自分の存在がだれかに恐怖心を与えてしまう、そんなつらいことはないのに相手はほかでもない自分の旦那さまなのです。

 やはりふたりで生活することは無理なのでしょうか。
 しゅんとしたとき、「ですが……」と双龍さまが云いました。

「夫婦となった初日に離縁など両親はゆるさないでしょう。面目丸つぶれです。あなたの御実家のこともある」
「それは……」
「だから――初音さん。どうか愛人を作ってください」

 私は目を丸くしました。「はい?」

「これは俺からのお願いです。女性が苦手なことを隠して結婚してしまった以上、俺はあなたになにをされても文句は云えないのです。もちろん不貞などと云って責めることはしませんから」
「な、な、なっ」

 男性が芸者さんをかこったりすることはめずらしくありません。
 ですが、女が。貞淑であれと散々教育されてきた女が愛人を作るなどあってはならないことです。

「なにをおっしゃっているのですか」と声がひっくり返りそうになります。でも双龍さまは本気でした。

「そうでもなければ俺はあなたに申しわけないのです」

 私が愛人を作れば彼の気持ちは楽になるのでしょうか。ならいっそ――と思いかけましたが、やっぱりそんな大それたことはできそうにありません。

 頭を深々と下げている双龍さまに顔をあげてほしくて、一応「お話はわかりました」と私は答えました。胸をなでおろしている彼に「でもそんなことを云われたらさびしいです」と云います。

 双龍さまは意外そうに私を見ました。

「さびしい?」
「袖振り合うも多生の縁、というでしょう? 日本だけではなく、世界にはとてもとてもたくさんのひとがいるのに私たちがこうして出会って夫婦にまでなったのは深い縁があったからです。その縁を結ぼうともしないなんて――さびしい、と思います」
「…………」
「どうでしょうか。しばらく試してみるというのは」

 双龍さまは瞬きをしました。「試す……?」

「そうです。双龍さまの女性恐怖症を治せないかいろいろ試してみて、それでもだめだったら考えます。せっかくの縁をなにもせずに手放すなんて私はしたくありません」
「初音さん……」

 しばらく考えこんだあと、ひとつうなずいて双龍さまは私に向きなおりました。そして真剣なまなざしで私を見てきます。

「わかりました。無理だ無理だと思っていましたが、これは恐怖症に打ち勝ついい機会かもしれません。協力してください、初音さん」
「ぜひっ!」

 私は双龍さまのほうに身を乗りだし、それ以上に彼が身を引いたのであわてて姿勢をもとにもどしました。すみません、と謝ってからつづけます。

「……でも、もしだめだったとしても愛人なんて作りませんよ。私の旦那さまはあなたひとりだけですから」

 やわらかい光の下で私は微笑みました。

「ふつつかものですが、末永くよろしくお願いいたします」