桔梗に伴われて、雪菜は都の外れにあるひび割れた畑を見に行った。
本来なら、青々とした稲穂が風に揺れているはずだったのだろう。けれども、土地は見渡す限り茶色く干からび、大地は幾筋にも裂けていた。
陽炎が地表からゆらゆらと立ち上り、乾いた土の匂いと、ひそかな焦げ臭さが鼻をつく。
(あの陽炎は、灯哉様から漏れ出している異能のお力ね。このような郊外にまで影響が出ているなんて……)
畦道に目をやれば、転がっているのは実をつけることなく枯れ果てた稲の残骸ばかりだった。風が吹くたびに乾いた音を立てて崩れていく。井戸の跡らしき窪(くぼ)みには、底に泥がわずかに残るのみで、水の気配はどこにもない。
畑を確かめている雪菜と桔梗の前に、畑の持ち主である狸(たぬき)の妖が進み出る。ずんぐりとした体格で、日焼けというより土に焼けたような浅黒い肌をしていた。
「……花嫁様。灯哉様が炎鬼に即位されてからというもの、田畑はどこもこの調子でございまさぁ。もうなにを試してもダメでしてねぇ。次の実りが望めねぇとなりゃあ、うちの一家、どうやって食いつないでいけばいいのか……。正直、途方に暮れておりやす」
「……お気持ち、お察しいたします。わたしがお役に立てるかはわかりませんが、どうか頑張らせてください」
雪菜は、白装束の懐から小さな神楽鈴を取り出した。ひび割れた土の上に、そっと足を下ろす。乾ききった大地の熱が、じりじりと伝わってきた。それでも構わず、雪菜は鈴を胸の高さに掲げ、目を伏せた。
――シャン。
澄んだ音が、静まり返った畑に響く。雪を呼び、大地を鎮め、乾きを終わらせるための舞。巫女の血に刻まれた動きだった。
雪菜はゆっくりと腕を巡らせて、鈴を振る。シャン、シャン、と鈴の音を奏でながら、爪先を土の上を滑るように動かしていく。袖が、風もないのに大きくはためいた。
一歩、また一歩。円を描くように、雪菜は舞う。
鈴の音だけが響き渡る清廉さの中で、桔梗や狸の妖が、魅入ったように雪菜を見つめていた。
(届くかどうかは、わからないけれど――)
シャン、シャン、シャラン――。
乾いた畑に、涼やかな音色が満ちていく。やがて、ぱらり、ぱらりと、粉雪にも似た冷気の粒が舞い落ちた。ほんのわずかな、けれど確かな潤い。
(……わたしには、これくらいしかできないけれど、それでも、なにもしないより前に進めている気がする)
どれくらい経っただろうか。
雪菜は鈴を持つ手を下ろし、荒くなった息を整えながら、地面に視線を落とした。溶けた雪の跡は、指先ほどの大きさの染みとなって、乾いた土にわずかな湿り気を残しているだけだった。
(ああ、これでは、足りない……)
とても畑を潤すには至らない。氷華ならもっと大きく、もっと長く、天から雪を降らせることができたはずだ。
(悔しい、〝無能〟であることがこんなにも……)
「雪菜様、今のは――」
桔梗が駆け寄ってくる。雪菜は小さく息をつき、けれど顔を上げた。
「雪呼びの民の巫女舞で、天から雪を呼んでみました。舞自体は上手くいきましたが、田畑を蘇らせるには、まだ全然足りないようです。わたしの異能が弱いばかりに、大変申し訳ございません……!」
濡れた土の染みを見つめながら、雪菜は唇を噛みしめる。
けれども、成果はあった。自分の弱い異能でも、この常世で雪を呼ぶことができる。それは自分にとって大きな希望だった。自分にできることのきっかけを見つけたようで。
小さな光の灯るような希望を胸に、雪菜は晴れやかな笑顔を浮かべる。
「――それでも、届かないわけじゃない、みたいです」
その一言に、狸の妖が目を見開いた。ふっと笑みを浮かべ、乾いた土をそっとなでる。
「花嫁様のおっしゃるとおりでございやす。届かねぇわけじゃ、ねぇ」
狸の妖が鼻をすする。
「……へへ、情けねぇ話ですが、涙が出そうになりやしたよ。もうなにをやってもダメだと、正直、諦めかけておりやした。けど、こうしてわずかでも雪が降るとこを見せてもらえて――希望を、ありがとうございやす、花嫁様」
万感の思いが込み上げたのか、狸の妖が雪菜の手を取る。雪菜もまた、もらい泣きをして視界が涙でにじんだ。
(よかった、少しでも皆様に元気になっていただけて――! もっと、もっと頑張ろう。わたしの力はわずかだけれど、何度も何度も繰り返して、この土地を潤せるように)
雪菜は鈴を握り直す。まだ、自分の挑戦は始まったばかりだ。
――自分がこの火ノ国の呼ばれた意味が、きっとあるはず。
民家の物陰から、その様子を見守る金色の瞳があったことに、この時の雪菜はまだ気づいていなかった。
本来なら、青々とした稲穂が風に揺れているはずだったのだろう。けれども、土地は見渡す限り茶色く干からび、大地は幾筋にも裂けていた。
陽炎が地表からゆらゆらと立ち上り、乾いた土の匂いと、ひそかな焦げ臭さが鼻をつく。
(あの陽炎は、灯哉様から漏れ出している異能のお力ね。このような郊外にまで影響が出ているなんて……)
畦道に目をやれば、転がっているのは実をつけることなく枯れ果てた稲の残骸ばかりだった。風が吹くたびに乾いた音を立てて崩れていく。井戸の跡らしき窪(くぼ)みには、底に泥がわずかに残るのみで、水の気配はどこにもない。
畑を確かめている雪菜と桔梗の前に、畑の持ち主である狸(たぬき)の妖が進み出る。ずんぐりとした体格で、日焼けというより土に焼けたような浅黒い肌をしていた。
「……花嫁様。灯哉様が炎鬼に即位されてからというもの、田畑はどこもこの調子でございまさぁ。もうなにを試してもダメでしてねぇ。次の実りが望めねぇとなりゃあ、うちの一家、どうやって食いつないでいけばいいのか……。正直、途方に暮れておりやす」
「……お気持ち、お察しいたします。わたしがお役に立てるかはわかりませんが、どうか頑張らせてください」
雪菜は、白装束の懐から小さな神楽鈴を取り出した。ひび割れた土の上に、そっと足を下ろす。乾ききった大地の熱が、じりじりと伝わってきた。それでも構わず、雪菜は鈴を胸の高さに掲げ、目を伏せた。
――シャン。
澄んだ音が、静まり返った畑に響く。雪を呼び、大地を鎮め、乾きを終わらせるための舞。巫女の血に刻まれた動きだった。
雪菜はゆっくりと腕を巡らせて、鈴を振る。シャン、シャン、と鈴の音を奏でながら、爪先を土の上を滑るように動かしていく。袖が、風もないのに大きくはためいた。
一歩、また一歩。円を描くように、雪菜は舞う。
鈴の音だけが響き渡る清廉さの中で、桔梗や狸の妖が、魅入ったように雪菜を見つめていた。
(届くかどうかは、わからないけれど――)
シャン、シャン、シャラン――。
乾いた畑に、涼やかな音色が満ちていく。やがて、ぱらり、ぱらりと、粉雪にも似た冷気の粒が舞い落ちた。ほんのわずかな、けれど確かな潤い。
(……わたしには、これくらいしかできないけれど、それでも、なにもしないより前に進めている気がする)
どれくらい経っただろうか。
雪菜は鈴を持つ手を下ろし、荒くなった息を整えながら、地面に視線を落とした。溶けた雪の跡は、指先ほどの大きさの染みとなって、乾いた土にわずかな湿り気を残しているだけだった。
(ああ、これでは、足りない……)
とても畑を潤すには至らない。氷華ならもっと大きく、もっと長く、天から雪を降らせることができたはずだ。
(悔しい、〝無能〟であることがこんなにも……)
「雪菜様、今のは――」
桔梗が駆け寄ってくる。雪菜は小さく息をつき、けれど顔を上げた。
「雪呼びの民の巫女舞で、天から雪を呼んでみました。舞自体は上手くいきましたが、田畑を蘇らせるには、まだ全然足りないようです。わたしの異能が弱いばかりに、大変申し訳ございません……!」
濡れた土の染みを見つめながら、雪菜は唇を噛みしめる。
けれども、成果はあった。自分の弱い異能でも、この常世で雪を呼ぶことができる。それは自分にとって大きな希望だった。自分にできることのきっかけを見つけたようで。
小さな光の灯るような希望を胸に、雪菜は晴れやかな笑顔を浮かべる。
「――それでも、届かないわけじゃない、みたいです」
その一言に、狸の妖が目を見開いた。ふっと笑みを浮かべ、乾いた土をそっとなでる。
「花嫁様のおっしゃるとおりでございやす。届かねぇわけじゃ、ねぇ」
狸の妖が鼻をすする。
「……へへ、情けねぇ話ですが、涙が出そうになりやしたよ。もうなにをやってもダメだと、正直、諦めかけておりやした。けど、こうしてわずかでも雪が降るとこを見せてもらえて――希望を、ありがとうございやす、花嫁様」
万感の思いが込み上げたのか、狸の妖が雪菜の手を取る。雪菜もまた、もらい泣きをして視界が涙でにじんだ。
(よかった、少しでも皆様に元気になっていただけて――! もっと、もっと頑張ろう。わたしの力はわずかだけれど、何度も何度も繰り返して、この土地を潤せるように)
雪菜は鈴を握り直す。まだ、自分の挑戦は始まったばかりだ。
――自分がこの火ノ国の呼ばれた意味が、きっとあるはず。
民家の物陰から、その様子を見守る金色の瞳があったことに、この時の雪菜はまだ気づいていなかった。


