白雪の花嫁 ~無能巫女、最強の炎鬼の契約花嫁になる~

 案内された部屋は、屋敷の中でも静かな区画にある一室だった。飾り気のない素朴な調度品ばかりだったけれど、どれも丁寧に手入れが行き届いている。畳は青々として、真新しいい草の香りがほのかに漂っていた。文机の上には、季節の花を活けた一輪挿しがさりげなく置かれ、障子もぴんと張り替えられたばかりのようだった。

「こんなに、きちんとしたお部屋を……」

 雪菜は思わず声を漏らした。契約結婚の花嫁など、さほど歓迎されていないだろうと思っていた分、その心遣いが胸に染みる。

「灯哉様が、当日までに整えておくようにと婆やに申しつけておられたのですよ」

 桔梗の言葉に、雪菜は驚いて瞬きをする。灯哉のぶっきらぼうな態度の裏に、こんな細やかな気遣いが隠されていたとは思いもよらなかった。
 雪菜は深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。このような十分すぎるお部屋をいただけて、うれしいです」
「まあまあ、花嫁様は遠慮深い方でいらっしゃいますね。――花嫁様、よろしければお名前をうかがってもよろしいですか?」
「あ、失礼いたしました。わたしは、雪菜と申します。未熟者ではございますが、灯哉様や桔梗様、火ノ国の皆様のお役に立てるよう、微力を尽くしたいと思っております」
「雪菜様、なんとキレイなお名前でしょう。それから、どうかわたしめのことは〝婆や〟とお呼びくださいな。雪菜様は常世にいらしたばかりで心細くいらっしゃるでしょうから、どうかこの婆やを頼ってくださいな」

 桔梗の心温まる言葉に、雪菜は気を張っていた心の糸がプツリと切れたようになる。視界がにじんだと思った途端、まるで気持ちが決壊したかのように、涙があふれ出てしまった。
 泣きじゃくる雪菜を、桔梗が優しく抱きしめて背をさする。
 雪菜は、冷え切っていた心が涙で洗い流されていくような――そんな気持ちだった。


***


 しばらくして雪菜が落ち着くと、桔梗は部屋で茶を淹れながら、この国の成り立ちについて語ってくれた。

「この火ノ国は、遥か昔、初代炎鬼様が荒ぶる火山の力を鎮め、その力で国を治めたことから始まったと言われております。しかし、火を操るほどの強い力は、周囲に恐れられ、遠ざけられる力でもある。代々の炎鬼様は、国を治める力と引き換えに、孤独を背負ってこられました」
「……力が強いということは、多くのものを得られる分、同じくらいに多くのものを失うということなのでしょうか」
「ええ。一国の王はそれだけの責任が伴うものです。灯哉様の御身にも、初代炎鬼様と同じ血が流れております。……どうか、雪菜様。あの方のお力になって差し上げてください」

(わたしは異能の力が弱いから孤独だった……。けれども、灯哉様は逆。異能の力が強すぎるから、孤独であられるのね)

 雪菜は静かにうなずくと、開けられた障子の外に広がる赤茶けた景色を見つめた。

(わたしにできることを、ひとつずつ。少しでも灯哉様をお助けできるように)

 それが〝炎鬼の花嫁〟として嫁いだ自分の責任であろう。

「婆や、もしお許しいただけるならば、都を散策させてはいただけませんでしょうか。まずは、この国のことを知るところから始めたいのです」
「それは、誠にありがたい申し出でございます、雪菜様。さっそく灯哉様にご意向を窺いにまいりましょう」

 雪菜の前向きな発言に感銘を受けたのか、桔梗が嬉々として立ち上がる。
 そうして灯哉の部屋を訪れると――いつものように「好きにしろ」と興味もなさそうに言われ、問題なく外出の許可が出たのだった。

 火ノ国の都は、雪菜が思っていた以上に疲弊していた。
 井戸は涸れ、田畑はひび割れ、道端には力なく座り込むさまざまな妖の民の姿がある。子供が母親の袖を引き、水を求めて泣いている姿を目にしたときは――胸がえぐられるほどにつらかった。

(……なんてこと。こんなにひどい状況だとは思わなかった)

 すぐにでも自分にできることを探したくて、勇気を出して市街に繰り出してよかったと思う。
 都の惨状に息を呑んでいる雪菜の視界に、時折、遠くの空が赤く染まり、大地が小さく揺れる光景が映る。首をかしげていると、察した桔梗がぽつりと言い添える。

「空が染まる現象や今のような地鳴りは、灯哉様の異能――制御できない火焔(かえん)が暴れておるのです。代々の炎鬼様は、もちろん類まれな異能をお持ちでしたが、市街地に影響を及ぼすほどではございませんでした。けれども、灯哉様は力が強すぎるのです。お力を宿してから二十五年、誰ひとりとしてあの方の炎を鎮められた者はおりません」

 灯哉は歴代最強の妖の王と称しても過言ではないと、桔梗が沈痛な面持ちで言う。自分が守るべき国を、自ら傷つけてしまっている――それがどれほど歯がゆいことか。

(……彼の力になりたい。彼が、わたしをここに置いてくれたように)

「……わたしのような弱い異能の者では、灯哉様のお力にはなれないでしょうか」
「そのようなことは……と申したいところなのですが、正直、この婆ではわかりませぬ。雪呼びの民は代々、炎鬼様の力を鎮める役目を担ってこられたはずではございますが、灯哉様はあのとおり炎鬼様の中でもとりわけお力が強く……」

 なんとも絶望的な状況であった。
 灯哉の力を鎮め、この国を救うはずだった巫女が……自分のような者だとは。

(申し訳ない……。きっと火ノ国の皆様は、現世からやってくる巫女に希望を抱いてくれていたはずなのに)

 悔しかった。それでも、うつむいてばかりでは、里にいた頃の自分と同じだ。

(異能が弱いとはいえ、わたしも雪呼びの民のひとり。きっとなにかできることがあるはずだわ)

「婆や、まだわたしになにができるかはわからないけれど――それでも、自分の目で見て、足を動かして、自分にできることをさせていただきたいのです。ですから、どうかわたしを困っている皆様のところへ、連れて行ってください」

 雪菜は深々と頭を下げる。グッと膝下で握っていた拳を、桔梗が優しく取った。

「……ありがとうございます、雪菜様。異能の力は弱くとも、この婆には、あなた様が〝炎鬼の花嫁〟にふさわしいお方に思えてなりません。どうか、これからも灯哉様のお近くにいて差し上げてください」