霊山の中腹に建つ炎鬼の屋敷は、黒瓦の大屋根を連ねた、壮麗な数寄屋造り(すきやづくり)だった。都の高台に建てられており、市街が眼下に広がり、一望できる造りになっている。長い塀に囲まれた敷地は広大で、正門をくぐってからも母屋に辿り着くまでにいくつもの棟を通り抜けねばならない。
灯哉の後ろに従って屋敷に足を踏み入れながら、雪菜は心細そうに胸もとに手を添えた。
庭には白砂が敷き詰められ、庭石は赤黒く焼け焦げている。松の木も、葉先がわずかに茶色く縮れていた。
(あまりの暑さに植物が育ちにくいのね。寒さのせいで作物が育ちにくかった里とは正反対だわ……)
濡れ縁に沿って進むと、夜でもないのに、障子越しにゆらゆらと橙色の灯りが揺れているのが見える。あれはもしかして、灯哉の制御しきれていない異能の名残なのではないだろうか。
母屋の奥、主の間へと続く廊下に差しかかったところで、遠くからパタパタと走って来る音が響き渡った。
「灯哉様! お帰りになられたのなら、人をお呼びくださいませ。お出迎えさせていただきましたものを……」
「婆や。おまえこそ、そのように慌ただしく走るものではない。転んだらどうするのだ。もういい年なのだから」
「なんのこれしき。年寄り扱いなさらないでくださいませ」
声をかけてきたのは、腰の曲がった老女だった。灰色がかった白髪の合間から、小さく丸みを帯びた二本の角がのぞいている。額に刻まれた深い皺の下には、金色に近い琥珀色の瞳が、穏やかな光を浮かべていた。着物の袖からのぞく指先は、人よりもわずかに長く、爪も硬質な光沢を帯びている。
灯哉が雪菜に向き直る。
「雪菜。こちらは名を桔梗(ききょう)という。火ノ国の礎を築いた初代炎鬼に仕えた鬼の一族の末裔で、俺の育ての親のような存在だ」
「ええ、わたくしどもの一族は、代々炎鬼様のお側にお仕えする定めにございます」
桔梗はそう言って、皺のある顔にわずかな笑みを浮かべた。鬼の血を引くとは思えないほど柔らかな笑み。雪菜の緊張が、ふっと緩む。
(灯哉様は、桔梗様のことを〝婆や〟と呼んでいらしたわ。それに、おふたりのやりとりも幼い頃からの馴染みのように砕けた口調。きっと仲がよろしいのね)
終始触れれば切れる刃のような空気をまとっている灯哉が、桔梗の前では年相応の少年のようになる。まるでおばあちゃんを心配する孫のように見えてしまう。
「あらあら。ずいぶんかわいらしいお嬢様でいらっしゃいますね。お優しく、誠実そうでいらっしゃる。灯哉様、この方が現世からいらした花嫁様でいらっしゃいますか?」
「そのようだ。まるで興味はないがな。そうとはいえ、形だけでも花嫁は花嫁だからな、これから寝泊まりする部屋に案内してやってくれ」
灯哉はそれだけ言い残すと、用事があるとばかりに、さっさとその場から去ってしまった。うつむいている雪菜の腕に、桔梗がそっと触れる。
「花嫁様、そう気落ちなさらず。灯哉様はあのように素直ではない性格ですので、花嫁様を歓迎する言葉を伝えられないのです。きっと、己のために現世から常世にやって来てくださった花嫁様に、内心では感謝しておるはずです。灯哉様が素直になられるまで、今しばらくご辛抱くださいませ」
「は、はい……。そうだと、光栄なのですが」
「さあさ、立ち話もなんですから、こちらへ。あなた様のお部屋にご案内いたします」
桔梗の後ろについて廊下を進んでいると、桔梗が雑談とばかりに話を始める。
「花嫁様。灯哉様は、お小さい頃から人一倍力の異能の強いお方でした。それゆえに、周りに誰も近づけずにおられるのです」
「……そう、なのですね。確かに、このお屋敷は広いけれど、とても静かですね」
中庭に面した縁側に差しかかると、遠く霊山の稜線が見渡せた。広く格式高い造りでありながら、この屋敷には、使用人たちの団欒の声も、客人をもてなす華やぎもない。桔梗が、中庭に目をやりながら、ふと足を止める。
「……おっしゃるとおりです。この屋敷には、限られた使用人しかおりません。灯哉様の異能がお強いため、いつ暴走して周囲の者を傷つけるかわからないからです」
「あの方は、他人を気遣う、お優しい方でいらっしゃるのですね」
「ええ。灯哉様はご自分の力を恐れていらっしゃる……。態度は素っ気ないですけれども、悪いお方ではないのですよ。ただ、不器用なだけで」
その優しさに、雪菜の胸がふっと緩む。故郷では、こんなふうに気にかけてくれる人など数えるほどしかいなかった。
灯哉の後ろに従って屋敷に足を踏み入れながら、雪菜は心細そうに胸もとに手を添えた。
庭には白砂が敷き詰められ、庭石は赤黒く焼け焦げている。松の木も、葉先がわずかに茶色く縮れていた。
(あまりの暑さに植物が育ちにくいのね。寒さのせいで作物が育ちにくかった里とは正反対だわ……)
濡れ縁に沿って進むと、夜でもないのに、障子越しにゆらゆらと橙色の灯りが揺れているのが見える。あれはもしかして、灯哉の制御しきれていない異能の名残なのではないだろうか。
母屋の奥、主の間へと続く廊下に差しかかったところで、遠くからパタパタと走って来る音が響き渡った。
「灯哉様! お帰りになられたのなら、人をお呼びくださいませ。お出迎えさせていただきましたものを……」
「婆や。おまえこそ、そのように慌ただしく走るものではない。転んだらどうするのだ。もういい年なのだから」
「なんのこれしき。年寄り扱いなさらないでくださいませ」
声をかけてきたのは、腰の曲がった老女だった。灰色がかった白髪の合間から、小さく丸みを帯びた二本の角がのぞいている。額に刻まれた深い皺の下には、金色に近い琥珀色の瞳が、穏やかな光を浮かべていた。着物の袖からのぞく指先は、人よりもわずかに長く、爪も硬質な光沢を帯びている。
灯哉が雪菜に向き直る。
「雪菜。こちらは名を桔梗(ききょう)という。火ノ国の礎を築いた初代炎鬼に仕えた鬼の一族の末裔で、俺の育ての親のような存在だ」
「ええ、わたくしどもの一族は、代々炎鬼様のお側にお仕えする定めにございます」
桔梗はそう言って、皺のある顔にわずかな笑みを浮かべた。鬼の血を引くとは思えないほど柔らかな笑み。雪菜の緊張が、ふっと緩む。
(灯哉様は、桔梗様のことを〝婆や〟と呼んでいらしたわ。それに、おふたりのやりとりも幼い頃からの馴染みのように砕けた口調。きっと仲がよろしいのね)
終始触れれば切れる刃のような空気をまとっている灯哉が、桔梗の前では年相応の少年のようになる。まるでおばあちゃんを心配する孫のように見えてしまう。
「あらあら。ずいぶんかわいらしいお嬢様でいらっしゃいますね。お優しく、誠実そうでいらっしゃる。灯哉様、この方が現世からいらした花嫁様でいらっしゃいますか?」
「そのようだ。まるで興味はないがな。そうとはいえ、形だけでも花嫁は花嫁だからな、これから寝泊まりする部屋に案内してやってくれ」
灯哉はそれだけ言い残すと、用事があるとばかりに、さっさとその場から去ってしまった。うつむいている雪菜の腕に、桔梗がそっと触れる。
「花嫁様、そう気落ちなさらず。灯哉様はあのように素直ではない性格ですので、花嫁様を歓迎する言葉を伝えられないのです。きっと、己のために現世から常世にやって来てくださった花嫁様に、内心では感謝しておるはずです。灯哉様が素直になられるまで、今しばらくご辛抱くださいませ」
「は、はい……。そうだと、光栄なのですが」
「さあさ、立ち話もなんですから、こちらへ。あなた様のお部屋にご案内いたします」
桔梗の後ろについて廊下を進んでいると、桔梗が雑談とばかりに話を始める。
「花嫁様。灯哉様は、お小さい頃から人一倍力の異能の強いお方でした。それゆえに、周りに誰も近づけずにおられるのです」
「……そう、なのですね。確かに、このお屋敷は広いけれど、とても静かですね」
中庭に面した縁側に差しかかると、遠く霊山の稜線が見渡せた。広く格式高い造りでありながら、この屋敷には、使用人たちの団欒の声も、客人をもてなす華やぎもない。桔梗が、中庭に目をやりながら、ふと足を止める。
「……おっしゃるとおりです。この屋敷には、限られた使用人しかおりません。灯哉様の異能がお強いため、いつ暴走して周囲の者を傷つけるかわからないからです」
「あの方は、他人を気遣う、お優しい方でいらっしゃるのですね」
「ええ。灯哉様はご自分の力を恐れていらっしゃる……。態度は素っ気ないですけれども、悪いお方ではないのですよ。ただ、不器用なだけで」
その優しさに、雪菜の胸がふっと緩む。故郷では、こんなふうに気にかけてくれる人など数えるほどしかいなかった。


