平穏は、長くは続かなかった。
収穫祭から数日後、屋敷に、不穏とも言える雰囲気の来客があったのだ。
「――灯哉様。おひさしゅうございます」
艶やかな金色の髪をなびかせ、しなやかな足取りで屋敷の大広間に現れたのは――ひとりの美しい女性の妖だった。紅い瞳は妖しく光り、耳の先には獣のものらしき毛並みが生えている。年のころは、雪菜よりも少しだけ上であろうか。
灯哉と共に、大広間に座して来客を迎えた雪菜は、その可憐な容姿に息を呑んだ。耳や尻尾から察するに、妖狐であろうと思われた。
「千影(ちかげ)か。しばらく顔を見せていなかったが、今更なんの用だ」
「あら、つれない言い方。幼馴染の顔を見に来ただけですのに」
千影はそう言って、灯哉のすぐ側に寄り添うように腰を下ろした。
雪菜が所在なくうつむいていると、千影が今存在に気づいたばかりに口を開く。
「あら、あなたが今代の贄? ずいぶんと頼りない異能ね。灯哉様には、わたくしのような強い妖狐こそがふさわしいのに」
「千影。雪菜は強い異能を秘めた娘だ。それ以上、侮辱するようなら俺が許さんぞ」
灯哉が低く怒りを含んだ声音で咎めると、千影はおもしろくなさそうにそっぽを向いた。
「ま、いいですわ。わたくし、しばらくこの屋敷に滞在することにいたしましたの。火ノ国が抱える不安定な情勢を見極めるよう、様子を見て来いと父に命じられましたから」
「ふん。さしずめ、俺の治世でも監視に来たのだろう。……好きにしろ」
灯哉は相変わらず興味がなさそうにしている。
(……これからしばらく、千影様とここで暮らすことになるのね)
どうしてだろう。千影は明らかに自分に敵意を抱いているし、なにか悪いことが起きる予感がして仕方なかった。
***
予感的中というべきか、千影は事あるごとに雪菜へ棘のある言葉を投げつけてきた。
屋敷に滞在するようになってからというもの、廊下ですれ違うたびに嫌味を繰り返し浴びせてくるのだ。
それもつらかったけれど、それよりも灯哉と千影が親しげに言葉を交わす姿を見ると、チクリとした小さな痛みを胸に感じた。
(……これは、なんの痛みなんだろう)
その夜。桔梗が心配そうに雪菜の部屋を訪れた。
「雪菜様、お顔の色が優れませんね。心配事でもございますか?」
「……あ、いえ、大丈夫です。少し、疲れているだけだと思います」
「うふふ、年老いているとはいえ、婆やの目はごまかせませんよ。千影様のことでしょう」
(うっ……!)
図星を指され、雪菜は言葉に詰まる。
桔梗は小さくため息をつくと、いつもの茶を淹れながら語り始めた。
「わたくしが存じている範囲で申し上げますと、千影様は、灯哉様が幼い頃からのお付き合いでございます。灯哉様がまだお小さく、力の制御に苦しんでおられた頃、唯一お側にいらしたのが千影様でございました」
「……そうだったのですね」
自分の知らないふたりの過去に、また胸がズキズキと痛んでくる。
「ですが、おふたりの関係は気心の知れた幼馴染、それだけのように婆やには思えます。雪菜様と出会って、灯哉様は変わられました。それは、あなた様にしかできなかったことです。自信をお持ちくださいな」
「ば、婆や! わたしは別に、やきもちなんてッ……!」
そこまで口走って、雪菜はハッと口をつぐんだ。
(やきもち、やきもちだなんて、そんな、わたしはそんなのじゃ……っ)
自ら墓穴を掘って真っ赤になり、雪菜は畳に突っ伏す。
そんな雪菜の部屋に、桔梗の上品な笑い声が響き渡っていた。
桔梗が去った後、雪菜は自室の障子を開け、赤々と燃える都の明かりを眺めていた。
(それでもわたしは、灯哉様のお側にいたい。あの不器用で頑張り屋な彼を、支えたい。この気持ちはきっと、わたしは、灯哉様のことをお慕いして――)
ストンと落ちた気持ちに、雪菜はひどく納得する。
だが、その穏やかな夜は、これから訪れる嵐の前触れであったのだ。
収穫祭から数日後、屋敷に、不穏とも言える雰囲気の来客があったのだ。
「――灯哉様。おひさしゅうございます」
艶やかな金色の髪をなびかせ、しなやかな足取りで屋敷の大広間に現れたのは――ひとりの美しい女性の妖だった。紅い瞳は妖しく光り、耳の先には獣のものらしき毛並みが生えている。年のころは、雪菜よりも少しだけ上であろうか。
灯哉と共に、大広間に座して来客を迎えた雪菜は、その可憐な容姿に息を呑んだ。耳や尻尾から察するに、妖狐であろうと思われた。
「千影(ちかげ)か。しばらく顔を見せていなかったが、今更なんの用だ」
「あら、つれない言い方。幼馴染の顔を見に来ただけですのに」
千影はそう言って、灯哉のすぐ側に寄り添うように腰を下ろした。
雪菜が所在なくうつむいていると、千影が今存在に気づいたばかりに口を開く。
「あら、あなたが今代の贄? ずいぶんと頼りない異能ね。灯哉様には、わたくしのような強い妖狐こそがふさわしいのに」
「千影。雪菜は強い異能を秘めた娘だ。それ以上、侮辱するようなら俺が許さんぞ」
灯哉が低く怒りを含んだ声音で咎めると、千影はおもしろくなさそうにそっぽを向いた。
「ま、いいですわ。わたくし、しばらくこの屋敷に滞在することにいたしましたの。火ノ国が抱える不安定な情勢を見極めるよう、様子を見て来いと父に命じられましたから」
「ふん。さしずめ、俺の治世でも監視に来たのだろう。……好きにしろ」
灯哉は相変わらず興味がなさそうにしている。
(……これからしばらく、千影様とここで暮らすことになるのね)
どうしてだろう。千影は明らかに自分に敵意を抱いているし、なにか悪いことが起きる予感がして仕方なかった。
***
予感的中というべきか、千影は事あるごとに雪菜へ棘のある言葉を投げつけてきた。
屋敷に滞在するようになってからというもの、廊下ですれ違うたびに嫌味を繰り返し浴びせてくるのだ。
それもつらかったけれど、それよりも灯哉と千影が親しげに言葉を交わす姿を見ると、チクリとした小さな痛みを胸に感じた。
(……これは、なんの痛みなんだろう)
その夜。桔梗が心配そうに雪菜の部屋を訪れた。
「雪菜様、お顔の色が優れませんね。心配事でもございますか?」
「……あ、いえ、大丈夫です。少し、疲れているだけだと思います」
「うふふ、年老いているとはいえ、婆やの目はごまかせませんよ。千影様のことでしょう」
(うっ……!)
図星を指され、雪菜は言葉に詰まる。
桔梗は小さくため息をつくと、いつもの茶を淹れながら語り始めた。
「わたくしが存じている範囲で申し上げますと、千影様は、灯哉様が幼い頃からのお付き合いでございます。灯哉様がまだお小さく、力の制御に苦しんでおられた頃、唯一お側にいらしたのが千影様でございました」
「……そうだったのですね」
自分の知らないふたりの過去に、また胸がズキズキと痛んでくる。
「ですが、おふたりの関係は気心の知れた幼馴染、それだけのように婆やには思えます。雪菜様と出会って、灯哉様は変わられました。それは、あなた様にしかできなかったことです。自信をお持ちくださいな」
「ば、婆や! わたしは別に、やきもちなんてッ……!」
そこまで口走って、雪菜はハッと口をつぐんだ。
(やきもち、やきもちだなんて、そんな、わたしはそんなのじゃ……っ)
自ら墓穴を掘って真っ赤になり、雪菜は畳に突っ伏す。
そんな雪菜の部屋に、桔梗の上品な笑い声が響き渡っていた。
桔梗が去った後、雪菜は自室の障子を開け、赤々と燃える都の明かりを眺めていた。
(それでもわたしは、灯哉様のお側にいたい。あの不器用で頑張り屋な彼を、支えたい。この気持ちはきっと、わたしは、灯哉様のことをお慕いして――)
ストンと落ちた気持ちに、雪菜はひどく納得する。
だが、その穏やかな夜は、これから訪れる嵐の前触れであったのだ。


