お家を存続させるための結婚です。情はありません!

「え?」
 ばっと顔を上げた美也子の目前に、昇二の顔があった。吐息が絡むくらい、近い距離。男性の顔をこんな距離で眺めたことのない美也子は、顔を赤くする。
「教師になりたいんだろう?」
 間近で問われた美也子は、恥ずかしさも相まって、コクコクと首を縦に振ることしかできなかった。昇二は顔色を変えることなく、美也子に淡々と語りかける。
「なら、もっと広い視野を持ちなさい。これからの時代の教育者になるなら、諸外国の人間と対等に渡り合える知識と教養を身に着けるべきだ。津田梅子女史のように」
 喋る度に、昇二の息が顔にかかる。何か大切なことを伝えられているのに、昇二の吐息に気を取られて話が全く頭に入ってこない。
 自身の尊敬する女性の名を出されているというのに。美也子は恥ずかしさのあまり、思わず昇二の胸板を押した。
「は、離れてください!」
 腕を突っ張って距離を取って、はたと気づいた。体に触れてしまっている。
「も、申し訳ありません!」
 慌てて引っ込めようとした手を昇二が、がしっと掴んだ。そして、再び顔を近づける。
「俺への要求は、それだけですか? 跳ねっ返りのお嬢様?」
 半分小ばかにしたような物言い。美也子はカチンときた。
「もう一つございます!」
 顔を真っ赤にしながらも、美也子は昇二をにらみつける。ほう、と楽しそうに息を吐く昇二に、息を吹き付けるように、美也子は宣言した。
「わたくしに、女を求めないでください!」
「女?」
 器用に眉を上げて驚きを表す昇二に、半ば怒鳴るような口調で美也子は答える。
「ええ! わたくしたちは政略結婚です。情を交わす必要はありません。良き妻になることはお約束いたします。しかし、子を成して育てるのはいたしません。お二号様にお願いしてくださいませ!」
「二号!」
 昇二が噴き出した。その瞬間、美也子を拘束していた腕の力が緩む。その隙に、美也子は手を振り払い、ざざっと後ずさる。その様子がまた面白かったのか、昇二は更に笑いを重ねた。

「な、なにがそんなにおかしいのですか」
 さすがに不快になった美也子が、問いただす。
「面と向かって妾腹と当て擦られたのは、初めてだ!」
 美也子の顔から、さぁ、と血の気が引いた。怒りに任せて、勢いで言葉を放ってしまったのだ。昇二に指摘され、初めて失言に気づいた。
「そ、そんなつもりじゃあ……」
 顔を赤くしたり青くしたりと忙しい美也子を、昇二は慰めるつもりはないようだ。言葉を探し、おろおろとしている美也子を眺めながら、昇二はククッと笑いを漏らす。
 更に動揺する美也子をひとしきり観賞した昇二は、やっと笑いを収めた。直後、顔が変わるのはさすがというべきか。昇二は冷徹な表情に戻って、淡々と告げた。