お家を存続させるための結婚です。情はありません!

 昇二の視線は冷たいものに戻っていた。しかし、瞳の奥にかすかに見え隠れするものは、憤りである。
 いくら明治が終わり、新しい時代になったとはいえ、家督を継ぐのは長男と決まっている。次男以下は、分家を設立したり、養子となることが出来れば、万々歳。多くは生涯、結婚も出来ず、長男の手足となって生きるのだ。
 特に昇二は庶子だ。兄とは数日違いで生まれたと聞いている。仮に昇二の方が先に誕生していたとしても、正妻の子が男児なら、妾腹(しょうふく)である人間が家督を継ぐことはなかっただろうが。
 しかし、昇二にしては面白くないはずだ。
 美也子の耳にも、鷹司男爵家の情報は入ってきている。長男よりも次男の昇二の方がよっぽど優秀だと。

 それでも、鷹司の跡継ぎは長男である。もし、今回の婿入りの話がなければ、一生実家で兄を支えるしか道はない。
 仮に美也子が、この結婚はなかったことに、と言えば、困るのは松平家だけでない。昇二もまた、梯子を外されてしまう。
 だからこそ、美也子は強気でいられるのだ。正式に昇二を婿に迎え入れる前の今だけだとしても。
「して、君の望みは?」
 問いかける昇二の顔は、客間で見せた冷徹なものに戻っていた。ひやりとする視線を浴びせられているのに、美也子はすっと落ち着いていく。
(わたくしたちの間に、情など不要。どうぞ利用をしてください。わたくしもあなた様を利用させていただきます)
 美也子は心の中で呟くと、昇二を見上げる。美也子のまっすぐな視線を、昇二は正面から受け止める。どんな挙動も見逃さないというような、強い視線で見返す昇二を十秒ほど見つめた美也子は、ようやく口を開いた。

「女学校を卒業した後、上の学校に行きとうございます。お給金で必ずお返しいたしますので、立て替えてはいただけませんか?」
「上の学校……。というと、帝国大学か?」
「いえ。帝国大学でも女子学生が入学した例は聞いておりますが、まだまだ帝国大学は男性のものです。わたくしが目指しているのは、……じょ、女子高等師範学校です」
 冷静なつもりだったのに。初めて他人に自分の夢を話した美也子は、噛んでしまった。体も小刻みに震えている。
 他人に、自身の夢を語ったのは、初めてだった。女学校に通えるだけで恵まれている。そう思っていたのに、ある人と出会ったことで、夢を抱いてしまったのだ。
 教育者になりたい、と。
 それも美也子は津田梅子女史のような、新しい時代で活躍する女性を生み出す側になりたいという、壮大な夢を持っていた。
 幸いにもなんとか家柄に恵まれて、女学校に通うことが出来た。成績も主席ではないが、上から数番目だ。進学するのには充分だ。
 問題は、父の考えの古さと、金銭面だった。男ならともかく、女に学は必要ないと考える父だ。女学校こそ、花嫁修業の一環として認めては貰えたが、事業に失敗して家計は火の車だ。 
 まだ美也子が男だったら、父は無理にでも進学させただろう。しかし、兄よりも博識で学校の成績が良くても、教師からの進学を仄めかされても、美也子が女である限り父は首を縦に振ることは、絶対にない。
 家を守るために美也子が婿を取ることになったといえども、父の考えは変わらなかった。
 むしろ妻となるなら、これ以上の勉強は不要、と女学校の退学を促すくらいである。

 しかし、夫になる人間ならどうだ?

 いくら婿取りとはいえ、結婚する前なら、美也子の方が立場は上。権力を振りかざすのは、華族として相応しくない振る舞いなのは、百も承知。
 そして、相手は貿易商を生業にしている。海外の人間と接する機会が多いのだ。父よりも柔軟な考えを持っているはず。いや、持っていると願いたい。
 重要なのは結婚する相手が、パトロンになってくれるか。その一点であった。