パウリスタで話してから、一月後の大安吉日。
十七歳の美也子と、二十五歳の昇二は夫婦となった。
侯爵家らしからぬ、こじんまりした式。めでたいこととはいえ、大々的に式をするのは、父も憚れたようだ。豪華絢爛な式を挙げる金銭もない。
婿に迎える以上、松平の家が結納金をはじめ、金銭を出すのが筋だが、用意するゆとりは残っていない。大部分を鷹司家が担った。
利害関係が一致した政略結婚だ。新婚の二人が幸せそうな顔を浮かべていないこともあり、来賓は複雑な笑みを浮かべながら祝いの言葉を口にしたのだった。
「昇二様、後で書斎に伺ってもよろしいでしょうか?」
夕食後、席を立つ昇二に美也子は声をかけた。昇二が不在の時でも書斎に立ち寄る美也子が、断りを入れる。それだけで昇二は今日が何日か、ピンときたようだ。
「一日か」
「ええ」
美也子の顔が赤らむ。今日は雑誌の発売日。美也子はこの日を毎月楽しみにしていた。特に連載中の小説がいいところで終わっている。一刻も早く読みたい。
「まだ読んでいる途中でしたか?」
「いや。今日は忙しくて、まだ読めていない」
「そう……でしたか」
あからさまにがっかりした表情だったのだろう。昇二は愉快そうに笑った。
「書斎に置いてあるんだ。先に読めばいい」
「そうはいきません」
頑なに首を振る。美也子は、昇二が読み終えてから自分が読む、と決めていた。
昇二が結婚前の条件に出した、完璧な妻。昇二がどう捉えているのか、具体的に尋ねたことはないが、今のところ文句は出てこない。
美也子が何かしら勉学に励んでいる姿が好ましいのか。手がすいたら、昇二の方から海外の様式や英語など、教えてくれることもある。
代わりに美也子も、昇二が率先して社交場に連れて行こうとするのを断ったことはない。勉学を優先したい、という要望は聞いてもらっているが、それ以外は時間の許す限り、付き添っている。
立ち振る舞いは問題ない。美也子は華族令嬢として、父母から徹底的に礼儀を叩き込まれているのだから。
とはいえ、博識で如才なく振る舞う昇二には、美也子の援助など不要だった。隣に立ち、微笑んでいるだけだった。
完璧な妻になると誓ったのに。昇二は美也子の力を借りなくても、上手く人脈を広げている。隣に立って会話を盗み聞きしていても、半分も内容が分からない。そのことが、非常に悔しい。
母に愚痴れば「殿方のお話に口を挟むなど、差し出がましいことはしてはなりません」と叱られるだろう。それでも美也子は、断片的に聞こえてくる昇二の話を耳にする度に、知識が足りず傍観者に徹するしかないことが悔しくて堪らなかった。
(昇二様の言う通り、女子大学校に進学した方がいいのかしら)
パウリスタで師範学校に進むと宣言した美也子に、昇二は良いとも駄目だとも言わなかった。何となくうやむやになったまま、美也子は勉学に励んでいた。成績は変わらず上位であるし、まだ受験までは猶予がある。
今から進路を女子大学校に変える、と告げても昇二は二つ返事で了承するだろう。美也子は、無意識に髪を留めているリボンに手を伸ばした。
毎日髪をくくっているリボンは、くたくただ。それでも、美也子は常に身に着けていた。自分では絶対に選ばない、金春色。外国ではターコイズと呼ばれる、明るい青。
(約束を……)
その瞬間、美也子の脳裏に過去の記憶が蘇った。
十七歳の美也子と、二十五歳の昇二は夫婦となった。
侯爵家らしからぬ、こじんまりした式。めでたいこととはいえ、大々的に式をするのは、父も憚れたようだ。豪華絢爛な式を挙げる金銭もない。
婿に迎える以上、松平の家が結納金をはじめ、金銭を出すのが筋だが、用意するゆとりは残っていない。大部分を鷹司家が担った。
利害関係が一致した政略結婚だ。新婚の二人が幸せそうな顔を浮かべていないこともあり、来賓は複雑な笑みを浮かべながら祝いの言葉を口にしたのだった。
「昇二様、後で書斎に伺ってもよろしいでしょうか?」
夕食後、席を立つ昇二に美也子は声をかけた。昇二が不在の時でも書斎に立ち寄る美也子が、断りを入れる。それだけで昇二は今日が何日か、ピンときたようだ。
「一日か」
「ええ」
美也子の顔が赤らむ。今日は雑誌の発売日。美也子はこの日を毎月楽しみにしていた。特に連載中の小説がいいところで終わっている。一刻も早く読みたい。
「まだ読んでいる途中でしたか?」
「いや。今日は忙しくて、まだ読めていない」
「そう……でしたか」
あからさまにがっかりした表情だったのだろう。昇二は愉快そうに笑った。
「書斎に置いてあるんだ。先に読めばいい」
「そうはいきません」
頑なに首を振る。美也子は、昇二が読み終えてから自分が読む、と決めていた。
昇二が結婚前の条件に出した、完璧な妻。昇二がどう捉えているのか、具体的に尋ねたことはないが、今のところ文句は出てこない。
美也子が何かしら勉学に励んでいる姿が好ましいのか。手がすいたら、昇二の方から海外の様式や英語など、教えてくれることもある。
代わりに美也子も、昇二が率先して社交場に連れて行こうとするのを断ったことはない。勉学を優先したい、という要望は聞いてもらっているが、それ以外は時間の許す限り、付き添っている。
立ち振る舞いは問題ない。美也子は華族令嬢として、父母から徹底的に礼儀を叩き込まれているのだから。
とはいえ、博識で如才なく振る舞う昇二には、美也子の援助など不要だった。隣に立ち、微笑んでいるだけだった。
完璧な妻になると誓ったのに。昇二は美也子の力を借りなくても、上手く人脈を広げている。隣に立って会話を盗み聞きしていても、半分も内容が分からない。そのことが、非常に悔しい。
母に愚痴れば「殿方のお話に口を挟むなど、差し出がましいことはしてはなりません」と叱られるだろう。それでも美也子は、断片的に聞こえてくる昇二の話を耳にする度に、知識が足りず傍観者に徹するしかないことが悔しくて堪らなかった。
(昇二様の言う通り、女子大学校に進学した方がいいのかしら)
パウリスタで師範学校に進むと宣言した美也子に、昇二は良いとも駄目だとも言わなかった。何となくうやむやになったまま、美也子は勉学に励んでいた。成績は変わらず上位であるし、まだ受験までは猶予がある。
今から進路を女子大学校に変える、と告げても昇二は二つ返事で了承するだろう。美也子は、無意識に髪を留めているリボンに手を伸ばした。
毎日髪をくくっているリボンは、くたくただ。それでも、美也子は常に身に着けていた。自分では絶対に選ばない、金春色。外国ではターコイズと呼ばれる、明るい青。
(約束を……)
その瞬間、美也子の脳裏に過去の記憶が蘇った。

