プラネタリウムを出たあと、サーの手を取らずにいたら、一颯の手を捕まえようと必死に追ってきた。
追いかけっこになりそうなので、諦めて右手を譲ってやった。子どもっぽく頬を膨らませ、
「Don't go on your own. If I get left behind, I'd be lost.」(ひとりで行くな。置き去りにされたら迷子になる。俺が)
と拗ねていた。
ロストだけが一颯の耳に残り、「なにも失くしてないだろ」と胸の裡で呟いた。
ショッピングに戻ったサーは、スマホを取り出すと、ソラマチの英語版案内を確認し、目当てに向かって一颯の手を引いて歩いた。
サーに連れていかれたのは、自分で選んだ香りを元に、香水を調合してくれる店だった。
明るいグレーの壁に木製の棚が作り付けられ、無色透明の液体を入れた瓶が整列している。
瓶は数字で識別されており、名前の表示はない。客はスティック状の白い紙にスプレーして、香りを試していた。余分なものを削いで、洗練された店内に、なにともつかない複雑な香りが溜まっている。
「えっと、……香水がほしいの?」
サーが右の口角を上げ、意味深に笑った。
「I want to give you a present.」(プレゼントしたいんだ)
プレゼントだけを聞き取った一颯は眉根を寄せた。
「は? プレゼント? プレゼントしてもらう理由がないんだけど」
店を出ようと言って手を引っ張ったけれど、サーはびたっと根を下ろしたように動かなかった。店を出る出ないの諍いになりかけたとき、話がかみ合っていない様子のふたりを心配して、白衣の女性スタッフが声をかけてきた。
「Can I help you with something?」(なにかお手伝いできることはございますか?)
スタッフが日本人の一颯ではなく、サーに英語で問う。一颯は客じゃないとみなされたのを察し、かぁっと顔を赤らめた。
サーはスタッフに早口の英語でしゃべり、「For him」と一颯のほうへ首を傾けた。
なるほどとうなずいたスタッフが「お詫びに香水をプレゼントなさりたいそうですよ」と一颯に言った。
──お詫びって……、キスしようとしたことの?
一颯はぴきんと固まった。香水で謝ったことにして、今日の一切合切をさっぱり清算したいということか。
「いらないよ。普段、香水なんて使ってないし」
ムッとしてサーの手を捨てるように放せば、サーは青ざめて掴み返してきた。
「I’ll make it for you right away. Just wait. Please.」(すぐに作る。だから待っていてくれ。……頼む)
手を両手で包んで、真摯な顔で懇願されると、意地を張れない。
店に迷惑をかけたり、周囲の注目を集めたりするのも不本意だ。
一颯は頭を振った。サーではなくスタッフと目を合わせ「はじっこで待ってます」と言えば、スタッフは「よろしければご休憩ください」と店の隅に置かれたスツールを勧めてくれた。
スツールが低くて、腰を下ろすと脚が余った。ほかの客の邪魔にならないように、かかとをくっつけて縮こまり、太腿に頬杖をついた。
肩を寄せ合ったカップルが、細長い白い紙を香水で湿らせ、ふたりで交互に嗅いでは、好みかどうかをアイコンタクトしつつ、オーダーシートに瓶のナンバーを書き込んでいる。
仲睦まじい様子を横目に、一颯は溜息をこぼした。
─意地を張らなければ、自分たちもあんなふうに。
瞼を伏せて、羨望をひっそりと隠す。
くやしくても仕方ない。
今日の思い出に、香水で値付けされるのはいやだ。
清算の意図ならなおのこと受け取りたくない。
成就できないなりに、きれいな思い出として終わらせたいのだ。
顔を洗うように手のひらで頬を擦って、さりげなくサーを目で追った。
サーは壁の棚に沿って歩き、長い指先でガラス瓶を持ち上げると、白紙に吹きつけ、それを振って空気に香りを羽ばたかせる。一颯を気にしてか、嗅ぐ時間は短く、ほとんど直感で判断しているようだ。
「I’d like your advice.」(意見を聞かせてくれ)
サーが、さきほどの女性スタッフを呼んで、背の低い彼女に顔を寄せた。
一颯が「は?」と顎を浮かせる。
キスしようとした相手の目の前で、ほかの女性に。
女性スタッフはサーに媚びるような笑みを向け、それを営業用のものに繕いながら、一颯に「香りの比率を調整いたします、ご一緒にいかがですか」と呼び掛けた。
一颯は苛立ちも露わに、手を振って断った。
嫉妬が湧いてきて、余計に自分が情けなくなる。サーが自分を選び続けてくれないことなんて当然なのだ。サーが迫ってきたときに受け入れず、先を考えて自分が傷つかないことを選んだくせに、一番近くにいられないことに歯噛みしている。
矛盾への嫌悪が一颯の頭を重くし、頬杖をつくために立てた肘が太腿に食い込み、痛くなってきた。
このどろどろした感情さえ、サーと離れてしまえば、ぜいたくな悩みだったと振り返るようになるのだろう
買い物を済ませ、ソラマチ広場に出た。垂直に伸びる噴水が、西日を受けて輝いていた。風が湿っぽくて涼しい。案内板を確認し、押上駅を指さした。サーにも、観光案内がもうじき終わることが伝わったようだ。繋いだ手を揺らし「It’s still too early.」(まだ早いだろ)と、困り顔で訴えてきた。
「まだ買い物したいの? ショッピング?」
サーは聞き取りに配慮してゆっくりと「Forget shopping. Wait—I know. Come to my room.」(買い物はいい。……そうだ。俺の部屋に来いよ)と言った。
「ふぉーげっとしょっぴんぐ……買い物を忘れろ? で、サーの部屋?」
どくんっと胸が高鳴った。短期滞在だからホームステイかホテル住まいだろう。どのみちサーとふたりきりだ。キスのリベンジを迫られるかも、と想像して、無意識に下唇を噛む。
するとサーが翻訳アプリを使い、画面を向けてきた。
【あなたが嫌がることは何もしないと約束します。私の部屋で夕飯を一緒に食べましょう】
嫌がることはしないと約束してもらっても、サーに迫られることが嫌じゃないから困るのだ。未練がましくずるずると長居し、帰るタイミングを掴めなくなったらどうしようと思うと、ついて行けない。
逡巡を振り切るように「ノー」と首を横に振った。
「ノー。朝の駅に戻るよ。モーニング、セイム、ステーション」
【わかりました。わたしが焦ってしまいました。ごめんなさい】
角を落としたような翻訳だった。アプリによってサーの言いたいことが、微妙にゆがめられている。
英語かドイツ語を覚えなくては、ありのままのサーとは話せないのだ。
「手を繋いでても……僕にはサーが遠いよ」
【わたしは話を聞き取れませんでした。あなたはなんと話されましたか?】
「なんでもない、……ナッシング」
サーは食い下がってこず、一颯の手を引いて道路に出た。片手をあげてタクシーをつかまえると、後部座席に一颯を押し込んだ。問答無用で連れ去るつもりかと警戒したけれど、サーは運転手にスマホを見せて、今朝の待ち合わせの駅名を告げた。
帰宅ラッシュの時間が近づき交通量が増えている。たぶん到着は電車より遅い。
空いた右手がすぐさま、サーの指に搦め取られる。ぎゅっと握り込まれて、やわらかい手のひらがしっとりと湿っていることに気づいた。
サーも、残り時間の少なさに焦燥を感じているようだった。
写真よりも香水よりもサーがほしい。
明日も明後日も、その先も。
バックミラーに映ってしまうことを気にしながら、一颯はサーの肩にこめかみを預けた。
胸が苦しくて穴が空きそうだ。
教えられたサーという呼び名も、愛称かなにかで、本名ではないだろう。伯母に訊けば本名はわかるだろうが、彼からきちんと名乗られていないことが、自分への想いも所詮その程度なのだと思わせる。
サーがスマホに話しかけ、画面を一颯に向けた。【あなたはWhatsAppを使っていますか】と書いているが、WhatsAppがなにかわからず、「ノー」と答えた。インスタグラムは、と訊ねられたけれど、もちろん使っていない。電話番号は、と続けられて、一颯は一瞬迷ったあと首を振った。
画面に出てくる日本語は硬くて冷たい。サーがいくら熱を込めても、翻訳されるたびに少しずつ薄まってしまう。
連絡先を交換しても、寂しさと猜疑心でつらい思いをするに決まっている。
──サーの強さの半分でも、自分にあったなら。
悔しく思いながら「……ソーリー」と告げた。
駅に着いてタクシーを降りた。風が強くなり、葉擦れの音が騒がしい。
プラチナブロンドのやわらかい髪が、風に遊ばれている。桜の影が伸びていた。
一颯は、まさかヒロインになりたくなるなんて、と自嘲気味に笑い、サーを振り返った。
切なげに眉根を寄せるサーに「ここまでだよ、ディスイズラスト」と告げ、手を解く。
香水の袋の持ち手を差し出された。固辞し続けると、サーをいたぶっているようで気が咎め、結局受け取った。
サーは一颯の瞳を見つめ、訴えかけるように
「トゥモロー、セイム、タイム、セイム、ステーション」
一音一音はっきりと刻んで言い、両腕を広げて、一颯を抱きすくめた。
腕の力強さから切実さが伝わってくる。
マンダリンの香りは、サーの体温に溶かされ、薄い塩気を含んでいた。
寝入る前のように深く息を吐いて、吸う。サーで自分の中を満たし、瞼を硬く閉じた。胸にしがみつきたいのを耐え、サーの胸を押して離れる。
深手になるのは怖いのに、やっぱりこのままお別れしたくない。
決心は脆くも崩れ、また直に会える明日があるなら、もう一日だけ会おうと自分に言い訳する。
「僕も、明日も会いたい」
一颯は通じない言葉で答えた。
サーは腕時計を外すと、一颯の右手を取って、手首に巻いた。
どうしてと瞬きで問えば、サーが唇の片端をつり上げた。けれど目は熱っぽいほど切実だ。
一颯は「明日返してくれ」という意味だと察した。
「I’ll wait for you, Isa. No matter how long it takes.」(おまえに会えるまで待っている、イサ。どれだけ時間がかかっても)
追いかけっこになりそうなので、諦めて右手を譲ってやった。子どもっぽく頬を膨らませ、
「Don't go on your own. If I get left behind, I'd be lost.」(ひとりで行くな。置き去りにされたら迷子になる。俺が)
と拗ねていた。
ロストだけが一颯の耳に残り、「なにも失くしてないだろ」と胸の裡で呟いた。
ショッピングに戻ったサーは、スマホを取り出すと、ソラマチの英語版案内を確認し、目当てに向かって一颯の手を引いて歩いた。
サーに連れていかれたのは、自分で選んだ香りを元に、香水を調合してくれる店だった。
明るいグレーの壁に木製の棚が作り付けられ、無色透明の液体を入れた瓶が整列している。
瓶は数字で識別されており、名前の表示はない。客はスティック状の白い紙にスプレーして、香りを試していた。余分なものを削いで、洗練された店内に、なにともつかない複雑な香りが溜まっている。
「えっと、……香水がほしいの?」
サーが右の口角を上げ、意味深に笑った。
「I want to give you a present.」(プレゼントしたいんだ)
プレゼントだけを聞き取った一颯は眉根を寄せた。
「は? プレゼント? プレゼントしてもらう理由がないんだけど」
店を出ようと言って手を引っ張ったけれど、サーはびたっと根を下ろしたように動かなかった。店を出る出ないの諍いになりかけたとき、話がかみ合っていない様子のふたりを心配して、白衣の女性スタッフが声をかけてきた。
「Can I help you with something?」(なにかお手伝いできることはございますか?)
スタッフが日本人の一颯ではなく、サーに英語で問う。一颯は客じゃないとみなされたのを察し、かぁっと顔を赤らめた。
サーはスタッフに早口の英語でしゃべり、「For him」と一颯のほうへ首を傾けた。
なるほどとうなずいたスタッフが「お詫びに香水をプレゼントなさりたいそうですよ」と一颯に言った。
──お詫びって……、キスしようとしたことの?
一颯はぴきんと固まった。香水で謝ったことにして、今日の一切合切をさっぱり清算したいということか。
「いらないよ。普段、香水なんて使ってないし」
ムッとしてサーの手を捨てるように放せば、サーは青ざめて掴み返してきた。
「I’ll make it for you right away. Just wait. Please.」(すぐに作る。だから待っていてくれ。……頼む)
手を両手で包んで、真摯な顔で懇願されると、意地を張れない。
店に迷惑をかけたり、周囲の注目を集めたりするのも不本意だ。
一颯は頭を振った。サーではなくスタッフと目を合わせ「はじっこで待ってます」と言えば、スタッフは「よろしければご休憩ください」と店の隅に置かれたスツールを勧めてくれた。
スツールが低くて、腰を下ろすと脚が余った。ほかの客の邪魔にならないように、かかとをくっつけて縮こまり、太腿に頬杖をついた。
肩を寄せ合ったカップルが、細長い白い紙を香水で湿らせ、ふたりで交互に嗅いでは、好みかどうかをアイコンタクトしつつ、オーダーシートに瓶のナンバーを書き込んでいる。
仲睦まじい様子を横目に、一颯は溜息をこぼした。
─意地を張らなければ、自分たちもあんなふうに。
瞼を伏せて、羨望をひっそりと隠す。
くやしくても仕方ない。
今日の思い出に、香水で値付けされるのはいやだ。
清算の意図ならなおのこと受け取りたくない。
成就できないなりに、きれいな思い出として終わらせたいのだ。
顔を洗うように手のひらで頬を擦って、さりげなくサーを目で追った。
サーは壁の棚に沿って歩き、長い指先でガラス瓶を持ち上げると、白紙に吹きつけ、それを振って空気に香りを羽ばたかせる。一颯を気にしてか、嗅ぐ時間は短く、ほとんど直感で判断しているようだ。
「I’d like your advice.」(意見を聞かせてくれ)
サーが、さきほどの女性スタッフを呼んで、背の低い彼女に顔を寄せた。
一颯が「は?」と顎を浮かせる。
キスしようとした相手の目の前で、ほかの女性に。
女性スタッフはサーに媚びるような笑みを向け、それを営業用のものに繕いながら、一颯に「香りの比率を調整いたします、ご一緒にいかがですか」と呼び掛けた。
一颯は苛立ちも露わに、手を振って断った。
嫉妬が湧いてきて、余計に自分が情けなくなる。サーが自分を選び続けてくれないことなんて当然なのだ。サーが迫ってきたときに受け入れず、先を考えて自分が傷つかないことを選んだくせに、一番近くにいられないことに歯噛みしている。
矛盾への嫌悪が一颯の頭を重くし、頬杖をつくために立てた肘が太腿に食い込み、痛くなってきた。
このどろどろした感情さえ、サーと離れてしまえば、ぜいたくな悩みだったと振り返るようになるのだろう
買い物を済ませ、ソラマチ広場に出た。垂直に伸びる噴水が、西日を受けて輝いていた。風が湿っぽくて涼しい。案内板を確認し、押上駅を指さした。サーにも、観光案内がもうじき終わることが伝わったようだ。繋いだ手を揺らし「It’s still too early.」(まだ早いだろ)と、困り顔で訴えてきた。
「まだ買い物したいの? ショッピング?」
サーは聞き取りに配慮してゆっくりと「Forget shopping. Wait—I know. Come to my room.」(買い物はいい。……そうだ。俺の部屋に来いよ)と言った。
「ふぉーげっとしょっぴんぐ……買い物を忘れろ? で、サーの部屋?」
どくんっと胸が高鳴った。短期滞在だからホームステイかホテル住まいだろう。どのみちサーとふたりきりだ。キスのリベンジを迫られるかも、と想像して、無意識に下唇を噛む。
するとサーが翻訳アプリを使い、画面を向けてきた。
【あなたが嫌がることは何もしないと約束します。私の部屋で夕飯を一緒に食べましょう】
嫌がることはしないと約束してもらっても、サーに迫られることが嫌じゃないから困るのだ。未練がましくずるずると長居し、帰るタイミングを掴めなくなったらどうしようと思うと、ついて行けない。
逡巡を振り切るように「ノー」と首を横に振った。
「ノー。朝の駅に戻るよ。モーニング、セイム、ステーション」
【わかりました。わたしが焦ってしまいました。ごめんなさい】
角を落としたような翻訳だった。アプリによってサーの言いたいことが、微妙にゆがめられている。
英語かドイツ語を覚えなくては、ありのままのサーとは話せないのだ。
「手を繋いでても……僕にはサーが遠いよ」
【わたしは話を聞き取れませんでした。あなたはなんと話されましたか?】
「なんでもない、……ナッシング」
サーは食い下がってこず、一颯の手を引いて道路に出た。片手をあげてタクシーをつかまえると、後部座席に一颯を押し込んだ。問答無用で連れ去るつもりかと警戒したけれど、サーは運転手にスマホを見せて、今朝の待ち合わせの駅名を告げた。
帰宅ラッシュの時間が近づき交通量が増えている。たぶん到着は電車より遅い。
空いた右手がすぐさま、サーの指に搦め取られる。ぎゅっと握り込まれて、やわらかい手のひらがしっとりと湿っていることに気づいた。
サーも、残り時間の少なさに焦燥を感じているようだった。
写真よりも香水よりもサーがほしい。
明日も明後日も、その先も。
バックミラーに映ってしまうことを気にしながら、一颯はサーの肩にこめかみを預けた。
胸が苦しくて穴が空きそうだ。
教えられたサーという呼び名も、愛称かなにかで、本名ではないだろう。伯母に訊けば本名はわかるだろうが、彼からきちんと名乗られていないことが、自分への想いも所詮その程度なのだと思わせる。
サーがスマホに話しかけ、画面を一颯に向けた。【あなたはWhatsAppを使っていますか】と書いているが、WhatsAppがなにかわからず、「ノー」と答えた。インスタグラムは、と訊ねられたけれど、もちろん使っていない。電話番号は、と続けられて、一颯は一瞬迷ったあと首を振った。
画面に出てくる日本語は硬くて冷たい。サーがいくら熱を込めても、翻訳されるたびに少しずつ薄まってしまう。
連絡先を交換しても、寂しさと猜疑心でつらい思いをするに決まっている。
──サーの強さの半分でも、自分にあったなら。
悔しく思いながら「……ソーリー」と告げた。
駅に着いてタクシーを降りた。風が強くなり、葉擦れの音が騒がしい。
プラチナブロンドのやわらかい髪が、風に遊ばれている。桜の影が伸びていた。
一颯は、まさかヒロインになりたくなるなんて、と自嘲気味に笑い、サーを振り返った。
切なげに眉根を寄せるサーに「ここまでだよ、ディスイズラスト」と告げ、手を解く。
香水の袋の持ち手を差し出された。固辞し続けると、サーをいたぶっているようで気が咎め、結局受け取った。
サーは一颯の瞳を見つめ、訴えかけるように
「トゥモロー、セイム、タイム、セイム、ステーション」
一音一音はっきりと刻んで言い、両腕を広げて、一颯を抱きすくめた。
腕の力強さから切実さが伝わってくる。
マンダリンの香りは、サーの体温に溶かされ、薄い塩気を含んでいた。
寝入る前のように深く息を吐いて、吸う。サーで自分の中を満たし、瞼を硬く閉じた。胸にしがみつきたいのを耐え、サーの胸を押して離れる。
深手になるのは怖いのに、やっぱりこのままお別れしたくない。
決心は脆くも崩れ、また直に会える明日があるなら、もう一日だけ会おうと自分に言い訳する。
「僕も、明日も会いたい」
一颯は通じない言葉で答えた。
サーは腕時計を外すと、一颯の右手を取って、手首に巻いた。
どうしてと瞬きで問えば、サーが唇の片端をつり上げた。けれど目は熱っぽいほど切実だ。
一颯は「明日返してくれ」という意味だと察した。
「I’ll wait for you, Isa. No matter how long it takes.」(おまえに会えるまで待っている、イサ。どれだけ時間がかかっても)
