東武浅草駅を出ると、サーが振り向いて駅ビルを見上げた。
ビルはスカイツリーの開業に合わせて、昭和一桁の開業当時の外観へ寄せて改築されていた。
重厚な石造り風の建物は、比較的新しいけれど、都市文化が成熟していく途中を象徴しているようで、その時代を知らない者にも懐かしさを覚えさせる。
「Japan hat sich damals also auch völlig vom Art déco anstecken lassen.」(日本も当時のアールデコにかぶれていたんだな)
「え? 日本っぽい? そうかな? あっちの商店街のほうがもっと和風だよ」
サーの手を引いて、緑と白の格子柄のアーケードに入った。観光客の密度が上がり、縦一列になって歩道を進む。
商店街を東へ行けば、人力車の乗り場があった。
女性ふたりを赤い客席に乗せ、屈強そうな車夫が梶棒を持ち上げて道路へ出ていく。一颯はサーに「ディスイズ、マンパワー・カー」と教えた。見てのとおりだが一応案内人としてなにも言わないのも心苦しかった。
が、サーは「そうかよしよし」的に頷きつつ、すぅーっと視線を移動させた。
通りすがりの母親と手を繋いだ男児が、トラックを指さして「ブーブー!」と言っている。
あのふたりのやりとりのようだと言いたいのだろう。
「……日本語はわかんないのにそういうのはわかんのな……」
検索さえできれば、と、一颯は恨めしく自分の手を見やった。右手はサーに掴まれ、左手はサーの飲みかけのペットボトルを持たされている。サーが買ったのに自分で持たないのだ。
お姫様かよと毒づきたくもなる。睨めば、サーが唇の片端をつり上げた。
「Those downturned eyes are part of your charm.」(その垂れ目も魅力的だな)
「また悪口言ったろ。わかんないと思ってさぁ……」
少し歩くと広場に出た。快晴の空に、雷門の朱が映えている。大提灯に向かって、右が風神、左が雷神だ。
一颯は脳内の貧弱な英語の語彙から絞り出し、投げやりに
「ビッグランタン、ウィンド&サンダー」
と教えた。
サーは、またひとを小ばかにした含み笑いを一颯に向けている。
「あぁあもお、マジで態度悪くないか。サー、観光する気あんの?」
周囲の観光客は、雷門を後ろに記念撮影をしている。一颯はうんざりしながらも、前払いの小遣いを思い出して、なんとかやる気を奮い立たせ、サーに「撮らないか」と訊ねた。
「Do you want a picture of me?」(俺の写真がほしいのか?)
サーはもったいつけるように片眉を上げてみせた。うっすら聞き取れた一颯は雑にイエスと答え、サーの手にペットボトルを押しつけた。
「撮るよ」
いざ一颯がスマホのカメラを向けると、サーは、ファッション誌の表紙で見かけるようなスタイリッシュなポーズをつぎつぎにとってみせた。軽く腕組みをしたり、プラチナブロンドの後ろ髪を手櫛で片側へ寄せたりと、動きながらもきっちりとシャッターに意識を向けていて、フラッシュを浴び慣れている雰囲気まである。
サーがサングラスを外し、そのつるを唇に軽く触れさせた。プラチナの長い睫毛がしっとりと伏せられる。一颯は無自覚にピンチアウトし、画面いっぱいにサーの表情を映した。
サーの唇が薄く開いて舌先がかすかに見えた。また意地悪く笑うのか、そう思った瞬間、ふっと瞼が開かれ、サーのアイスグレーの瞳が、鋭く一颯を見返してきた。びくっと肩を震わせ、とっさにスマホを下げる。
「あっ……え、っと……」
下心を咎められた気がした。そんなもの、そもそも抱いていないのに、気まずくなってそっぽを向けば、通りすがりの観光客の視線がサーに集まっていたことに気づいた。
近くで写真を撮っていた女性が「おふたりを撮りましょうか」と声をかけてくれた。間髪を容れずに、サーが一颯のスマホを取り上げ、女性に渡してしまう。お願いしますと会釈する間もなく、サーに肩を抱かれて、大提灯の下へと連行された。
「はい、チーズ」
女性の掛け声に、一颯は硬い笑顔を作った。密着されて喜んでいるような写真になるのが嫌だったのに、サーが「Smile, please」(ほら、笑え)と頬をぴたっとくっつけてきた。「ひゃっ!」と声を上げ、サーを突き飛ばそうとしたけれど、びくともしない。
「もぉ! サー! コラ! 近いってば!」
もみ合っている間に、カシャカシャカシャと連写されていき、スマホを返してもらって画面を見れば、風呂を嫌がる犬と手こずる飼い主の絵面になっていた。
撮ってくれた女性に「仲がよろしいんですね」と微笑まれ、全否定したい気持ちを伏せて、礼を言った。
仲がよさそうに見えるなら報告写真としては上々だ。
伯母とのチャットへ〔浅草に来たよ〕と添え、画像を一枚送信した。
サーが自分のスマホを取り出し、「イサ、イサ」と呼んだ。写真を寄越せの意だ。サーの単体の写真をエアドロップで送ると、「not enough」(足りない)と言って、一颯のスマホを取り上げた。もみ合っている連写の写真をすべて選択し、自分に送信する。
「Aha, your cheeks are turning red. How cute, Isa.」(頬が赤くなってる。かわいいな、イサ)
キュートだけを聞き取った一颯は、サーが自身のことを評価しているのだと思って「ナルシストかよ。サーは可愛い系じゃないと思うけど」と白目を剥いた。
その変顔を真似たサーが、またペットボトルを押しつけてくる。
いい加減にしろと、肘でサーを突き、一息に飲み干して、自動販売機横のゴミ箱へボトルを捨てた。
七面倒くさいことに、まだサーは接続しないと歩かない。
気温は二十六度を超えているのに、涼しい顔だし、睨めば薄笑いを浮かべる。
仲見世通りは浅草寺までまっすぐ続いている。
道の左右には商店が隙間なく並び、揃いの赤褐色の屋根と同じ高さに、赤い枠つきの江戸の風情を思わせる看板が上がっていた。
ぽってりと丸い筆文字は、歌舞伎や寄席で見かける文字にも似ている。
通りは祭りの縁日のような賑わいで、参るひとと帰るひとの人波が、うねりを伴いすれ違っていた。
扇子、手ぬぐい、数珠に箸、今も使われている和の小物が、土産物屋の店先に所狭しと置かれている。案内人の英語力が乏しいことを差し引いても、日本文化に触れるには仲見世通りは打ってつけだ。
サーの関心に任せ、歩調を緩める。けれどもサーは道具には目もくれず、人形焼きの店先へ吸い寄せられていった。
「なに?」という顔で振り向かれたが、説明しようにも一颯の頭の中には「アンコ・カスティラ」しか思い浮かばない。
とりあえず一袋買い、あたたかいそれをサーに持たせた。赤い紙に白抜きで『人形焼き』と書かれた袋を胸の前に持っても、スタイリッシュさが陰らない。手を繋いでいると、袋から取り出して食べられないから、ようやく一颯の右手が自由に、と思ったのもつかの間。サーが一颯の右手を捉え、アーと口を開けた。
「は?」
サーが肩を竦めて、袋と自分の左手を見やる。食べさせろ、だ。
「いやだから自分で食べろってば!」
手を振りほどくとまた一歩も進まなくなり、地蔵のごとくその場に立ちっぱなしになった。サーは、腰に手を当てて睨む一颯を見下しながら人形焼きを齧った。
「Is that a small waffle? No, wait, that's not right. There's something inside it」(小さいワッフルか? ……いや違うな。中に何か入っている)
サーが齧った断面を向けてきて、一颯は「こしあんだよ」と教えた。
「Coriander? That’s not right.」(コリアンダー? 違うだろ)
「こ・し・あ・ん。アズキ・ビーン・ペースト」
「Hmm.」(ふーん)
一颯も人形焼きを頬張った。甘くてふかふかで、おいしいけれど、口の中の水分が奪われていく。
またペットボトルを持たされそうだと思いつつ、隣の店先を見やれば、セールの雑多なカゴにカエルのおもちゃを見つけた。
一颯は屈んで細いチューブで繋がったラグビーボール型のポンプを握った。袋状になったカエルの脚に空気が入って、カエルがぴょこっと跳ねる。
それを横目で見下ろしていたサーに
「ユー&ミー」
と指先を向けた。サーは自分こそポンプ側だと言いたげに片手をにぎにぎしていたが、一颯は「ユー」と言い切って、渋顔を向けた。
「繋いでいないと歩かないくせに」
「Je sturer du dich gibst, desto reizender wirst du」(意地を張るほどかわいくなってるぜ)
「あっわっコラ! サー、やめっ……!」
サーの手が降りてきて、頭をわしゃわしゃと撫でられた。乱された髪を撫でつけつつ立ち上がれば、右手がサーに捕まった。髪を整える間もなく、またサーが実演販売中の和菓子屋に惹きつけられ、ほわほわの頭のままついて行く。
「なに、サーってば甘いものが好きなんだ?」
サーは、きなこの桶でひとっぷろ浴びたきび団子を見て、得意げに
「I know this. This is a rice cake. Its name is… Mochi」(これは知ってる、米の菓子だろ。名前は確かモチィ)
と言った。
──モチィて。
そこだけ妙にカタカナに聞こえ、餅ではなくきび団子だと教えようとしたのだが、「ノー、ノー、キビ・だァンゴ」と、発音が異空間に引っ張られ、英語かぶれのイントネーションになり、それを聞きつけた年配の店員に「ぷふっ」と笑われた。
一颯が「僕が英語もドイツ語も話せなくて」と言い澱むと、店員が流ちょうな英語でサーに説明してくれた。
「These are kibidango, traditional Japanese sweets. They’re made with millet flour, rice flour, and sugar, and have a soft, chewy texture」(これはきびだんごという伝統的な和菓子です。きび粉、米粉、砂糖で作られていて、やわらかくもちもちした食感が特徴なんですよ)
ホスピタリティに感激している一颯のとなりで、サーは「あんま興味ねーけど」といわんばかりの白けた顔をして、毛先をいじる。サーの脚を蹴り、態度の悪さを𠮟って、きび団子の串をひとつずつ注文した。
「おふたり、お手々繋いで仲良しですね」
「このひとが、手を繋いでないと歩かないんです」
「まぁ~、ごちそうさま」
「や、や、ちがいます、そういうんじゃなくて! このひとが変人なんですよ。会話できないんで、僕がどんなに怒っても通じないし」
「ふふ、俺様っぽい方ですもんね。サーって呼ばせるくらいですから」
一颯が会計し、串を受け取った。
「え、サーってあだ名だと思うんですが、違うんですか?」
「英語のサーだったら、『なんとか卿』とか『旦那様』とか『ご主人様』っていう意味の敬称だと思いますよ」
「へ⁉」
店員に「映画のセリフで、イエッサーって聞いたことないです? あのサーですよ」と教えられた。
一颯はイラッとしたけれど、すぐに、どうでもいいやと思い直した。一颯は少なくともご主人様と思って呼んでいないし、サーはマウントを仕損じていると気づいていない。サーのほうが滑稽だ。
後ろの客に場所を譲って、軒下できび団子を食む。サーは手が粉まみれになるのを嫌って、串を短く持ち、黒いシャツにきなこが散るのを警戒しつつ前歯で団子を引き抜いた。形よく揃った、白い前歯がきれいだった。
なにもかもが整っている。ほんとうに彼はモデルかもしれない。
サーの白い頬にはニキビもそばかすも、ひげの青みもない。ナルシストだけあって、日々のケアも相当徹底しているのだろう。自分磨きの側面からみれば悪くない性質なのかもしれない。
またサーは立ち姿のバランスが格別にうつくしい。意識的に筋肉を造形していることは想像に難くない。
仮に、なにかのスポーツに打ち込んだ結果、副産物としてついた筋肉だとしたら、多かれ少なかれ、身体に競技特有の偏りが出る。たとえば走り回る競技なら太腿が発達するし、ラケットを持つ競技なら利き腕だけが太くなるのだが、サーの身体にはその偏りがない。一颯はサーの横顔を観察したあと、自分の脚を見下ろした。
太腿が痩せ、ズボンのわたり幅にゆとりができている。
思い出したくもないのに、中学三年の夏のことが脳裏に戻ってきた。
当時、一颯はサッカー部のエースだったが、同じころに訪れたモテ期によって、私生活は混乱していた。
毎日のように告白されていることも、それに対する一颯の返答も、どういうわけか、たちどころに全校へ拡散される。一颯がプライバシーのなさに落胆し、もうやめてくれと頼んでも、状況は悪化の一途を辿った。ヒートアップした女子たちは、一颯を取り合い、互いを見下し合い、ときには口汚く罵りあう。
一颯は他人から向けられる、剥き出しの嫉妬と執念のスパイラルに打ちのめされていた。
中学三年の五月末、一颯は事態を収めようとクラスメイトの女子と交際を始めた。「私のこと、好きじゃなくてもいいの」と告白してくれたので彼女に決めた。
だが彼女は一颯を自分の友人グループ全体の共有物のように扱い、相談役としてメンバーと一颯の連絡先を交換させた。
やがて彼女の友人たちからきわどいメッセージが届くようになり、返答に窮した一颯が彼女に相談すると、彼女は一颯の浮気を疑ってひどく責めるようになった。
気配りすれば気力が摩耗し、受け入れれば神経が圧迫される。
何を言っても角が立つ状況に追い込まれ、学校へ行こうとすると吐き気が込み上げてきて、トイレから出られなくなった。サッカーも続けられず、中学三年の六月末から五カ月間、一颯は自宅に籠っていた。
カウンセラーの指導を受け、女子と距離を置くことを学んだおかげで、その後も続く女難に挫けず、中三の冬からは普段どおり登校できている。
太腿の筋肉はやや萎んで、サッカー部のエースだった自分が遠ざかったことは、さみしい気もするが、こうした肉体の変化は、今と過去がきちんと隔絶していることを再確認させてくれるから、嫌いではない。
一颯がきび団子をもちゃもちゃと噛みながら、サーを眺めていると、サーが「ふっ」と、眉を上げて笑った。
「Du siehst aus wie ein süßes Eichhörnchen, Isa」(かわいいリスみたいだな、イサ)
「ん? ん? なに?」
サーに顎をくいっと持ち上げられ、唇についたきなこを、親指で擦られた。最後に舐めようと思って残しておいたのが台無しだ。仕返しに、がぷっとサーの指へ噛みついた。
「Aua! Verdammt!」(痛ッ! くそっ!)
サーが手をぶんっぶんっと振って、痛みをやわらげようとしている。
コミカルなオーバーリアクションに、一颯は肩を揺らして笑った。
「日本人の食い意地舐めんなよ」
一颯がベーと舌を突き出せば、サーはカチカチと歯を鳴らして、威嚇し返してきた。
「Ich nehme alles zurück! Du kleines Teufelchen!」(前言撤回だ! この小悪魔!)
VーvーVーvーVーvーVーvーVーvーV
こんにちは! 朝瀬 はのんです!
表紙イラストは森野くみちさんに
イラストの線画と陰影指示を
作業交換で頂戴しました!
ハンサム2名をありがとうございます!
サーの背中の厚みと、いじましくも指をにぎにぎしているところに、ノッカウトでした!!
くみちさんのXアカウント:https://x.com/morinokumichi
くみちさんの新刊『セカンドキスからはじまる恋』が9月15日に発売します! たのしみ~!
VーvーVーvーVーvーVーvーVーvーV
ビルはスカイツリーの開業に合わせて、昭和一桁の開業当時の外観へ寄せて改築されていた。
重厚な石造り風の建物は、比較的新しいけれど、都市文化が成熟していく途中を象徴しているようで、その時代を知らない者にも懐かしさを覚えさせる。
「Japan hat sich damals also auch völlig vom Art déco anstecken lassen.」(日本も当時のアールデコにかぶれていたんだな)
「え? 日本っぽい? そうかな? あっちの商店街のほうがもっと和風だよ」
サーの手を引いて、緑と白の格子柄のアーケードに入った。観光客の密度が上がり、縦一列になって歩道を進む。
商店街を東へ行けば、人力車の乗り場があった。
女性ふたりを赤い客席に乗せ、屈強そうな車夫が梶棒を持ち上げて道路へ出ていく。一颯はサーに「ディスイズ、マンパワー・カー」と教えた。見てのとおりだが一応案内人としてなにも言わないのも心苦しかった。
が、サーは「そうかよしよし」的に頷きつつ、すぅーっと視線を移動させた。
通りすがりの母親と手を繋いだ男児が、トラックを指さして「ブーブー!」と言っている。
あのふたりのやりとりのようだと言いたいのだろう。
「……日本語はわかんないのにそういうのはわかんのな……」
検索さえできれば、と、一颯は恨めしく自分の手を見やった。右手はサーに掴まれ、左手はサーの飲みかけのペットボトルを持たされている。サーが買ったのに自分で持たないのだ。
お姫様かよと毒づきたくもなる。睨めば、サーが唇の片端をつり上げた。
「Those downturned eyes are part of your charm.」(その垂れ目も魅力的だな)
「また悪口言ったろ。わかんないと思ってさぁ……」
少し歩くと広場に出た。快晴の空に、雷門の朱が映えている。大提灯に向かって、右が風神、左が雷神だ。
一颯は脳内の貧弱な英語の語彙から絞り出し、投げやりに
「ビッグランタン、ウィンド&サンダー」
と教えた。
サーは、またひとを小ばかにした含み笑いを一颯に向けている。
「あぁあもお、マジで態度悪くないか。サー、観光する気あんの?」
周囲の観光客は、雷門を後ろに記念撮影をしている。一颯はうんざりしながらも、前払いの小遣いを思い出して、なんとかやる気を奮い立たせ、サーに「撮らないか」と訊ねた。
「Do you want a picture of me?」(俺の写真がほしいのか?)
サーはもったいつけるように片眉を上げてみせた。うっすら聞き取れた一颯は雑にイエスと答え、サーの手にペットボトルを押しつけた。
「撮るよ」
いざ一颯がスマホのカメラを向けると、サーは、ファッション誌の表紙で見かけるようなスタイリッシュなポーズをつぎつぎにとってみせた。軽く腕組みをしたり、プラチナブロンドの後ろ髪を手櫛で片側へ寄せたりと、動きながらもきっちりとシャッターに意識を向けていて、フラッシュを浴び慣れている雰囲気まである。
サーがサングラスを外し、そのつるを唇に軽く触れさせた。プラチナの長い睫毛がしっとりと伏せられる。一颯は無自覚にピンチアウトし、画面いっぱいにサーの表情を映した。
サーの唇が薄く開いて舌先がかすかに見えた。また意地悪く笑うのか、そう思った瞬間、ふっと瞼が開かれ、サーのアイスグレーの瞳が、鋭く一颯を見返してきた。びくっと肩を震わせ、とっさにスマホを下げる。
「あっ……え、っと……」
下心を咎められた気がした。そんなもの、そもそも抱いていないのに、気まずくなってそっぽを向けば、通りすがりの観光客の視線がサーに集まっていたことに気づいた。
近くで写真を撮っていた女性が「おふたりを撮りましょうか」と声をかけてくれた。間髪を容れずに、サーが一颯のスマホを取り上げ、女性に渡してしまう。お願いしますと会釈する間もなく、サーに肩を抱かれて、大提灯の下へと連行された。
「はい、チーズ」
女性の掛け声に、一颯は硬い笑顔を作った。密着されて喜んでいるような写真になるのが嫌だったのに、サーが「Smile, please」(ほら、笑え)と頬をぴたっとくっつけてきた。「ひゃっ!」と声を上げ、サーを突き飛ばそうとしたけれど、びくともしない。
「もぉ! サー! コラ! 近いってば!」
もみ合っている間に、カシャカシャカシャと連写されていき、スマホを返してもらって画面を見れば、風呂を嫌がる犬と手こずる飼い主の絵面になっていた。
撮ってくれた女性に「仲がよろしいんですね」と微笑まれ、全否定したい気持ちを伏せて、礼を言った。
仲がよさそうに見えるなら報告写真としては上々だ。
伯母とのチャットへ〔浅草に来たよ〕と添え、画像を一枚送信した。
サーが自分のスマホを取り出し、「イサ、イサ」と呼んだ。写真を寄越せの意だ。サーの単体の写真をエアドロップで送ると、「not enough」(足りない)と言って、一颯のスマホを取り上げた。もみ合っている連写の写真をすべて選択し、自分に送信する。
「Aha, your cheeks are turning red. How cute, Isa.」(頬が赤くなってる。かわいいな、イサ)
キュートだけを聞き取った一颯は、サーが自身のことを評価しているのだと思って「ナルシストかよ。サーは可愛い系じゃないと思うけど」と白目を剥いた。
その変顔を真似たサーが、またペットボトルを押しつけてくる。
いい加減にしろと、肘でサーを突き、一息に飲み干して、自動販売機横のゴミ箱へボトルを捨てた。
七面倒くさいことに、まだサーは接続しないと歩かない。
気温は二十六度を超えているのに、涼しい顔だし、睨めば薄笑いを浮かべる。
仲見世通りは浅草寺までまっすぐ続いている。
道の左右には商店が隙間なく並び、揃いの赤褐色の屋根と同じ高さに、赤い枠つきの江戸の風情を思わせる看板が上がっていた。
ぽってりと丸い筆文字は、歌舞伎や寄席で見かける文字にも似ている。
通りは祭りの縁日のような賑わいで、参るひとと帰るひとの人波が、うねりを伴いすれ違っていた。
扇子、手ぬぐい、数珠に箸、今も使われている和の小物が、土産物屋の店先に所狭しと置かれている。案内人の英語力が乏しいことを差し引いても、日本文化に触れるには仲見世通りは打ってつけだ。
サーの関心に任せ、歩調を緩める。けれどもサーは道具には目もくれず、人形焼きの店先へ吸い寄せられていった。
「なに?」という顔で振り向かれたが、説明しようにも一颯の頭の中には「アンコ・カスティラ」しか思い浮かばない。
とりあえず一袋買い、あたたかいそれをサーに持たせた。赤い紙に白抜きで『人形焼き』と書かれた袋を胸の前に持っても、スタイリッシュさが陰らない。手を繋いでいると、袋から取り出して食べられないから、ようやく一颯の右手が自由に、と思ったのもつかの間。サーが一颯の右手を捉え、アーと口を開けた。
「は?」
サーが肩を竦めて、袋と自分の左手を見やる。食べさせろ、だ。
「いやだから自分で食べろってば!」
手を振りほどくとまた一歩も進まなくなり、地蔵のごとくその場に立ちっぱなしになった。サーは、腰に手を当てて睨む一颯を見下しながら人形焼きを齧った。
「Is that a small waffle? No, wait, that's not right. There's something inside it」(小さいワッフルか? ……いや違うな。中に何か入っている)
サーが齧った断面を向けてきて、一颯は「こしあんだよ」と教えた。
「Coriander? That’s not right.」(コリアンダー? 違うだろ)
「こ・し・あ・ん。アズキ・ビーン・ペースト」
「Hmm.」(ふーん)
一颯も人形焼きを頬張った。甘くてふかふかで、おいしいけれど、口の中の水分が奪われていく。
またペットボトルを持たされそうだと思いつつ、隣の店先を見やれば、セールの雑多なカゴにカエルのおもちゃを見つけた。
一颯は屈んで細いチューブで繋がったラグビーボール型のポンプを握った。袋状になったカエルの脚に空気が入って、カエルがぴょこっと跳ねる。
それを横目で見下ろしていたサーに
「ユー&ミー」
と指先を向けた。サーは自分こそポンプ側だと言いたげに片手をにぎにぎしていたが、一颯は「ユー」と言い切って、渋顔を向けた。
「繋いでいないと歩かないくせに」
「Je sturer du dich gibst, desto reizender wirst du」(意地を張るほどかわいくなってるぜ)
「あっわっコラ! サー、やめっ……!」
サーの手が降りてきて、頭をわしゃわしゃと撫でられた。乱された髪を撫でつけつつ立ち上がれば、右手がサーに捕まった。髪を整える間もなく、またサーが実演販売中の和菓子屋に惹きつけられ、ほわほわの頭のままついて行く。
「なに、サーってば甘いものが好きなんだ?」
サーは、きなこの桶でひとっぷろ浴びたきび団子を見て、得意げに
「I know this. This is a rice cake. Its name is… Mochi」(これは知ってる、米の菓子だろ。名前は確かモチィ)
と言った。
──モチィて。
そこだけ妙にカタカナに聞こえ、餅ではなくきび団子だと教えようとしたのだが、「ノー、ノー、キビ・だァンゴ」と、発音が異空間に引っ張られ、英語かぶれのイントネーションになり、それを聞きつけた年配の店員に「ぷふっ」と笑われた。
一颯が「僕が英語もドイツ語も話せなくて」と言い澱むと、店員が流ちょうな英語でサーに説明してくれた。
「These are kibidango, traditional Japanese sweets. They’re made with millet flour, rice flour, and sugar, and have a soft, chewy texture」(これはきびだんごという伝統的な和菓子です。きび粉、米粉、砂糖で作られていて、やわらかくもちもちした食感が特徴なんですよ)
ホスピタリティに感激している一颯のとなりで、サーは「あんま興味ねーけど」といわんばかりの白けた顔をして、毛先をいじる。サーの脚を蹴り、態度の悪さを𠮟って、きび団子の串をひとつずつ注文した。
「おふたり、お手々繋いで仲良しですね」
「このひとが、手を繋いでないと歩かないんです」
「まぁ~、ごちそうさま」
「や、や、ちがいます、そういうんじゃなくて! このひとが変人なんですよ。会話できないんで、僕がどんなに怒っても通じないし」
「ふふ、俺様っぽい方ですもんね。サーって呼ばせるくらいですから」
一颯が会計し、串を受け取った。
「え、サーってあだ名だと思うんですが、違うんですか?」
「英語のサーだったら、『なんとか卿』とか『旦那様』とか『ご主人様』っていう意味の敬称だと思いますよ」
「へ⁉」
店員に「映画のセリフで、イエッサーって聞いたことないです? あのサーですよ」と教えられた。
一颯はイラッとしたけれど、すぐに、どうでもいいやと思い直した。一颯は少なくともご主人様と思って呼んでいないし、サーはマウントを仕損じていると気づいていない。サーのほうが滑稽だ。
後ろの客に場所を譲って、軒下できび団子を食む。サーは手が粉まみれになるのを嫌って、串を短く持ち、黒いシャツにきなこが散るのを警戒しつつ前歯で団子を引き抜いた。形よく揃った、白い前歯がきれいだった。
なにもかもが整っている。ほんとうに彼はモデルかもしれない。
サーの白い頬にはニキビもそばかすも、ひげの青みもない。ナルシストだけあって、日々のケアも相当徹底しているのだろう。自分磨きの側面からみれば悪くない性質なのかもしれない。
またサーは立ち姿のバランスが格別にうつくしい。意識的に筋肉を造形していることは想像に難くない。
仮に、なにかのスポーツに打ち込んだ結果、副産物としてついた筋肉だとしたら、多かれ少なかれ、身体に競技特有の偏りが出る。たとえば走り回る競技なら太腿が発達するし、ラケットを持つ競技なら利き腕だけが太くなるのだが、サーの身体にはその偏りがない。一颯はサーの横顔を観察したあと、自分の脚を見下ろした。
太腿が痩せ、ズボンのわたり幅にゆとりができている。
思い出したくもないのに、中学三年の夏のことが脳裏に戻ってきた。
当時、一颯はサッカー部のエースだったが、同じころに訪れたモテ期によって、私生活は混乱していた。
毎日のように告白されていることも、それに対する一颯の返答も、どういうわけか、たちどころに全校へ拡散される。一颯がプライバシーのなさに落胆し、もうやめてくれと頼んでも、状況は悪化の一途を辿った。ヒートアップした女子たちは、一颯を取り合い、互いを見下し合い、ときには口汚く罵りあう。
一颯は他人から向けられる、剥き出しの嫉妬と執念のスパイラルに打ちのめされていた。
中学三年の五月末、一颯は事態を収めようとクラスメイトの女子と交際を始めた。「私のこと、好きじゃなくてもいいの」と告白してくれたので彼女に決めた。
だが彼女は一颯を自分の友人グループ全体の共有物のように扱い、相談役としてメンバーと一颯の連絡先を交換させた。
やがて彼女の友人たちからきわどいメッセージが届くようになり、返答に窮した一颯が彼女に相談すると、彼女は一颯の浮気を疑ってひどく責めるようになった。
気配りすれば気力が摩耗し、受け入れれば神経が圧迫される。
何を言っても角が立つ状況に追い込まれ、学校へ行こうとすると吐き気が込み上げてきて、トイレから出られなくなった。サッカーも続けられず、中学三年の六月末から五カ月間、一颯は自宅に籠っていた。
カウンセラーの指導を受け、女子と距離を置くことを学んだおかげで、その後も続く女難に挫けず、中三の冬からは普段どおり登校できている。
太腿の筋肉はやや萎んで、サッカー部のエースだった自分が遠ざかったことは、さみしい気もするが、こうした肉体の変化は、今と過去がきちんと隔絶していることを再確認させてくれるから、嫌いではない。
一颯がきび団子をもちゃもちゃと噛みながら、サーを眺めていると、サーが「ふっ」と、眉を上げて笑った。
「Du siehst aus wie ein süßes Eichhörnchen, Isa」(かわいいリスみたいだな、イサ)
「ん? ん? なに?」
サーに顎をくいっと持ち上げられ、唇についたきなこを、親指で擦られた。最後に舐めようと思って残しておいたのが台無しだ。仕返しに、がぷっとサーの指へ噛みついた。
「Aua! Verdammt!」(痛ッ! くそっ!)
サーが手をぶんっぶんっと振って、痛みをやわらげようとしている。
コミカルなオーバーリアクションに、一颯は肩を揺らして笑った。
「日本人の食い意地舐めんなよ」
一颯がベーと舌を突き出せば、サーはカチカチと歯を鳴らして、威嚇し返してきた。
「Ich nehme alles zurück! Du kleines Teufelchen!」(前言撤回だ! この小悪魔!)
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こんにちは! 朝瀬 はのんです!
表紙イラストは森野くみちさんに
イラストの線画と陰影指示を
作業交換で頂戴しました!
ハンサム2名をありがとうございます!
サーの背中の厚みと、いじましくも指をにぎにぎしているところに、ノッカウトでした!!
くみちさんのXアカウント:https://x.com/morinokumichi
くみちさんの新刊『セカンドキスからはじまる恋』が9月15日に発売します! たのしみ~!
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