僕らが手をつなぐ理由

ロータリーの中心に、こじんまりとした中洲のような広場があった。

 落葉樹が枝を広げ、若葉をきらめかせている。
 降水確率は連日0パーセントで、五月なのに空は七月の青の深さだ。春と夏を同量含んだ風が、一颯のとろみのあるグレーのシャツをふわっと膨らませた。
 木陰には日傘を持たない女性たちが群れており、一颯はちょっと気後れしながら隅に加わった。

 ──日本語しかしゃべれないなんて人生つまんないし、不便よ。

 伯母は、一颯にそう吹き込んで、今回の観光案内を託してきた。
 帰宅部になり保身優先で高校生活を消費している一颯を、伯母なりに心配してくれているのがわかって断りづらかった。

 大企業の貿易部で働いている伯母は、四か国語を自在に操るキャリアウーマンだ。海外への出張も多く、しばしば外国語の感嘆詞が飛び出てくる。一颯は伯母のその条件反射を内心「ちょっと痛いな」と思っていた。

 待ち合わせ相手は、伯母の友人の息子で、ドイツから文化交流に訪れているらしく、浅草とスカイツリーへ連れて行くようにと伯母に指定されていた。

 東京を代表するような場所は動画でもSNSでもよく見かけるし、目新しさはないはず。どうせなら現代日本の家庭の平均的生活を知ってもらうのはどうかと考え、一颯は秀島家への招待を伯母に提案した。けれど電光石火で「東京を知ってほしいの!」と却下された。

 むろん、経費とはべつに破格の小遣いを前払いされているので、指示に不服はないけれど、肝心の相手については、金髪、青い目、長身という三つの特徴しか教えられておらず、困っていた。

 一颯のイメージでは、西洋人の七割くらいがそんな特徴をしている。東京に限っても千人以上いそうだ。補足情報として、アニメオタクであることと、幼稚園児レベルで日本語を話せることが明かされたが、一見してわかるようなキャラクターTシャツでも着ていないかぎり、目印にもならない。

 せめて名前や連絡先をシェアしてほしい。
 そう書いて、再三メッセージを送っているというのに、なしのつぶてだ。

 うつむいていると、レンガ畳に人影が落ちた。ハトがバタバタと羽ばたいて逃げるのを見送り、視線を地面に戻せば、先の尖った黒い革靴が、一颯のほうへ近づいてきていた。

 青いテーパードパンツがよく似合う、のびやかで、たくましそうな脚。その運びにつられ、顔を上げかけるも、彼の腕時計に目が留まった。

 艶のあるコバルトブルーの文字盤に、銀色の繊細な文字と三つの円盤が刻まれている。十二時の位置に王冠のロゴが入っていた。
 百貨店の外商をしている一颯の父が、部長昇進の折にお得意様からお祝いに頂戴した腕時計が同じブランドのもので──たしか三桁万円するのだとか。

 十代がつけるには高すぎる時計だ。待ち人ではない。
 一颯はさりげなく踵を返して、駅舎の外壁のデジタル時計と、自分のスマホの時計を見比べた。約束の時間まであと三分であることをしらじらしくもダブルチェックした。向こうが時間までに来なければ、一颯が帰っても言い訳が立つ。いっそ来てくれないほうがいい。

 そんなことをぼんやり考えていると、葉擦れの音に女性たちのそわそわした囁きが混ざった。腕時計の彼を、脚が長いだのイケメンだのと口々にほめている。彼の気を引きたいのか、やや聞こえよがしな声量だ。

 女子絡みの憂鬱な記憶を引きずり出された一颯は、うんざりして溜息をこぼした。

 すると、ふいに腕時計の彼が一颯の前に回り込んできた。
 プラチナブロンドの毛先が白い首筋に触れて、くるんと踊っている。
 毛先のツヤが染めた金髪には見えなくて、日本人ではないと思った。

 だが一颯の待ち人の特徴とは言い難い。
 金髪というからには、もう少し黄みがかっているだろう。それに日本語が話せるなら話しかけてくるはずだ。
 一颯は桜の幹の周りをきょろきょろしながら半周し、待ち人が近くまで来ていないかを探しつつ、彼から離れようとした。

 が、彼は、物言わぬまま一颯の後ろをついてくる。思わず「ちょ、ちょ、怖い怖い」と、口走りそうになって振り返り─息を呑んだ。

 彼がツンと唇を尖らせて、一颯を見下ろしている。
 彼の丸くて黒いレンズのサングラスに、目尻がキリッと上がったアーモンドアイが透けていた。
 彼がサングラスのブリッジを摘まんで下げれば、アイスグレーの瞳が露わになった。直に一颯を見つめつつ、含み笑いを浮かべた。

 値踏みされているようで気分が悪い。

「あの、もしかしてドイツからの留学生のひと、ですか?」

 不本意《》ながらうわずった声になってしまった。

「Du sollst mich doch begleiten, oder? Warum weichst du aus?」(おまえが俺を案内するんだろ? なんで逃げる?)

 彼が母語と思しき言葉を発した。筋肉質な喉にふさわしい低い声だった。

「な、なに、なに、どういうこと?」

 一颯が訊き返すと、一颯の肩の外側に長い腕が回され、風に膨らんだカーテンをなにげなく捕まえるような気軽さで、彼の胸へ誘われた。厚い胸に自分の胸が軽くぶつかり、彼が纏うマンダリンの爽やかな香りが鼻腔を掠めた。パニックになる寸前で、挨拶のハグだと思い至った。文化交流に来てるなら、挨拶も日本のスタンダードに寄せろと、心中で舌打ちし、両腕を彼の胸に突っ張った。

「Damit habe ich nicht gerechnet. Dass sie mir so eine Schönheit hinstellen」(想定外だ。まさかこんな美人だとはな)
「ちょ、ちょ、僕、秀島一颯ですけど、マジで待ち合わせのひとで合ってますか?」

 至近距離で覗き込まれた一颯が眉根を寄せても、彼は動じない。

「Mein Vater hat mir gesagt, dass du Deutsch verstehst. Warum sprichst du dann nicht?」(父がおまえはドイツ語に明るいと言っていたが、なぜ話さないんだ?)

「英語? 英語じゃない? ドイツ語? まくしたてられても、さっぱりだって」

 彼は一颯を自分の片腕の内側へ抱き寄せると、まるで真冬に恋人と寄り添っているかのような体勢に持ち込み、いきなり歩き出した。

「え、え、えっと、なあ! ほんとに僕で合ってますか⁉」

 彼は白金の柳眉をくっと持ち上げた。「なんだって?」の顔だ。一颯は拙い英語で「きゃんゆーすぴーく、じゃぱにーず?」と問うた。

「Das ist ja kaum auszuhalten, dein Englisch」(聞くに堪えない英語だな)

 一颯は彼の声色から彼が日本語を話せないのだと理解した。伯母が「ちょっとは日本語を話せる」と言っていたのは、一颯を油断させ、外国語を話せない不自由さをとことん味わわせるためだろう。
 こういう落とし穴を掘っていたからこそ、伯母は返信を寄越さないのだ。

 一颯は受け取った前払いぶんで、すでにヘッドホンを買ってしまっており、いまさらドタキャンはできない。
 金髪と言えなくもないプラチナブロンド。碧眼と言えなくもない、アイスグレーの瞳。
 身長は一八五センチの一颯より十センチほど高く、服装にはアニメオタク要素が見当たらないが、一颯が知らないだけで推しカラー的な要素を含めているのかもしれない。
 表情も纏う空気も大人っぽいが、身体の線にはハイティーンの繊細さが見受けられた。

 駅の周りには、ほかに金髪碧眼高身長に当てはまる男子の姿はなく、一颯は彼が待ち合わせの相手だと納得せざるを得なかった。

「What's your name?」(なんて呼べばいい?)

 彼が英語に切り替えた。二度聞き返して、名前を訊ねられているのだとわかった。イッサ・ヒデジマと、秀島一颯のどちらで名乗るか迷ったが、伯母は一颯だと教えているだろうと踏み、「イッサ・ヒデジマ」と答えた。

 彼が「イサ」と復唱する。
 イの音が小さく、ッの促音が消えた。ニックネームをつけられたみたいでこそばゆい。

 一颯はカタカナ英語で彼に名を訊ねると、彼は自分の胸に親指を当て「Sir(サー)」と言った。
 一颯は発音が不安で、舌の動きを気にしつつ「サー?」と呼んでみた。
 サーは「まあいいだろう」という薄笑いを浮かべ、鷹揚に頷いた。変な名前だが、それを指摘する言語能力はない。

「Let’s get going.」(そろそろ移動するか)

 妙に馴れ馴れしいサーは、一颯を押し流すようにして、駅と反対側へ誘おうとしてきた。はっきりとした目的意識のある足取りだ。一颯もこの周辺の土地勘があるわけではない。ふたりがかりで迷子になるつもりだろうか。

「サー、どこ行ってんの? 今日、浅草方面の案内を頼まれたんだけど、これじゃ駅と反対じゃないか」

 翻訳アプリを使えないことが歯痒い。一颯はサーの手首を掴んで、肩から外させた。

「パーソナルスペース侵略されるの無理だし、とりま暑いからやめて」
「Ha. Playing hard to get, are you?  Von mir aus kannst du mich ruhig hassen.」(ははっ。ガードが堅いってことか? 嫌ってくれて一向にかまわないぜ)
「日本じゃ男同士はベタベタしないんだよ」

 半ばやけくそに言い切り、スマホを取り出して、浅草寺とスカイツリーを検索した。
 ネット検索を使うことは禁止されてない。

 サーの鼻先にスマホを突き出し
「ここに行くんだろ?」
 と、画面を指先でコツコツッと叩いた。

 サーは、「はぁ?」というふうに肩を竦めると、鼻で嘆息した。乗り気ではないらしい。
 もんじゃに、人形焼きにと、観光案内所の写真をスクロールして気を引こうとしてみたが、サーはむきになる一颯をおもしろがって、画面を滑る一颯の指をツンツンと突いてきた。

「Ha. You actually want to go somewhere this pathetic?」(は、おまえ、こんなくだらないところに本気で行きたいのか?)
「いえすいえす。とにかく浅草とスカイツリー! 飯代もおばちゃんにもらっちゃったから!」

 一颯はサーの背に回ると、両手で背中を押した。引き締まった身体だと、Tシャツ越しにもわかる。西洋のアニメオタクは、身体づくりもするのかと意外だった。

「浅草より秋葉原に行きたいってことなんだろけど……」

 伯母にミッション完了の報告ができなくなるし、万が一にも、サーがオタク的爆買いに興じた場合、無駄遣いに加担したと𠮟られるかもしれない。秋葉原は回避だ。
 背中に当てた一颯の手にもたれ、サーが駅のほうへ歩き出した。だが、軌道に乗ったと思って手を放せば、サーがピタッと足を止める。

「サー。なんの遊びだよ。重たいって。もぉ。ひとりで歩けよ」

 ぶうぶう言えば、サーがくつくつと喉を震わせて笑った。茶目っ気を出しているつもりだろうが、やはり性悪だ。

「Wenn du wütend bist, machst du mich noch mehr an.」(怒ってると、ますますそそるな)
「なんて? え、なんて? もう。僕、ぜんぜん英語わかんないんだから。アイキャントスピークイングリッシュだから!」
「Hä? Das war übrigens Deutsch. Du kannst doch Deutsch, oder? Oder tust du nur so, als würdest du kein Deutsch verstehen?」(は? ちなみに、いまのはドイツ語だぞ。話せるんだろ? わからないふりか?)
「なんなんだよ、もう。アイキャントスピーク、……ドイツ語! ……イングリッシュ、ア・リトル! ドーユーアンダスタン?」
「Ich verstehe nicht, was du meinst」(意味がわからない)
「サーも翻訳アプリを禁止されてんの? 不便すぎるってば!」

 一颯は肩を怒らせて、ひとりで駅舎に向かった。ちょっと置き去りにすれば、不安になってピヨピヨとついてくるだろう。そう思ったのだが、サーは来ず、駅舎手前で振り返ると、彼は三人の女性に囲まれて談笑していた。

 サーは立てば芍薬というたとえがぴったりな、スマートな立ち姿をしている。周りに立つ女性らの華やかな衣服が日差しを受けてきらきらしているが、サーの白磁の肌が纏う、上品なきらめきには見劣りした。
 一颯は、彼らを見て、生け花のようだと感じた。ヒロイン気取りの彼女らに自覚はないだろうが、まるっきり、主役の花を引き立てる添え花だ。

 サーは長い脚を肩幅よりやや狭く開いて、重心をさりげなく右から左へ移した。サングラスでは目元ににじむ嘲笑を隠しきれていない。

「サー!」

 片手を上げて呼んだ。女性たちの輪を抜けるための助け舟を出したつもりだが、サーは首を傾げただけだった。やむなく女性の背後から「すみません」と割って入り、「サー、行こう」と声をかけた。

 サーは眉を持ち上げ、高い鼻をツンと上に向けた。ダンスの誘いに応じる姫のように、左手を一颯へ差し伸べる。優美さを指先まで行き渡らせたサーに、女性らがキャアキャアと騒いだ。小指をくっと持ち上げている手が、芝居がかっていて気持ち悪い。
 一颯はサーを連行するつもりで手首を掴んで引いた。輪から引っ張り出すと、サーは「バァイ」と彼女らに手を振って、投げキッスを配っていた。

「……女たらしかよッ」
「Jealous of them?」(あいつらに妬いたのか?)
「なに? パードン?」
「Or is that just lip service?」(それとも、俺をよろこばせるためのリップサービスか?)
「サービス? あーうん、いえすいえす。おばちゃんに交通費とか飯代はもらってる。気にしなくていいよ」

 むっとしたサーが「……How clever」(小利口だな)と言った。
 一颯はチクッと刺されるような響きを感じ、サーはおごられることが不服なのだと思った。が、今日は折れてもらう。

 一颯が手を掴んでいるかぎり、サーは自発的に歩いた。掴まれているくせに、サーの態度は犬の散歩をさせているかのようにえらそうだった。駅の改札を抜けたあと、一颯がサーの手首を捨てると、サーは電源を落とされたおもちゃのようにだらんと腕を下げ、唇をつーんとさせて、棒立ちになった。
 「いくよ」という一颯の呼びかけにも応じない。やむなくサーの手を掴み直すと、しぶしぶといった体で歩きはじめた。

「あーもー……! 幼稚園児かよ!」

 接続していないと動かないという謎ルールを徹底するつもりらしい。
 後頭部を掻いた一颯は、手首を放して、サーのにやけ顔を仰ぎ見た。
 こんな調子だと、浅草に着くまえに日が暮れる。

「ったく、女好きのくせに……どういうつもりだよ……」

 やむなく「手だけならいいよ」と右手を差し出した。
 浅草は家からも高校からも遠く、知り合いにばったり会うリスクはないに等しい。旅の恥はかき捨てだとしても妥協できるのは片手が限度だ。

 サーの薄笑いが途切れた。ガラス玉みたいな目を見開いて「Stehst du auch auf Männer?」(おまえって、男も恋愛対象なのか?)と呟き、一颯の反応が予想と違ったとでも言いたげに前髪を掻く。

「なんだよ。サーが歩かないから譲歩したんだぞ。ほら」

 一颯は手をグーパーさせ、握らないのかと催促した。
 サーがためらいを打ち消すように頭を振る。

「If it’s a cute little date you want, I don’t mind indulging you」(かわいいデートをお望みなら、つきあってやる)

 サーの左手が一颯の右手に重なり、長い指でぎゅっと握られた。
 サーに頼られている気がした。
 言葉の通じない国でひとりきりなのだから、心細くなるのは当然だ。
 あんまり邪険にしちゃかわいそうかと思い直した。

 一颯は周囲の耳目が集まるのを気にしながら、サーを引き連れて歩き出した。
 階段を登りながら、肩越しに振り向けば、サーは唇をUの字にして笑っていた。
 うれしそうにされて、一颯の胸が不自然に高鳴る。


「……き、きびきび、歩いてくれよな」




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こんにちは! 朝瀬 はのんです! 

「サーのセリフ」に対してドイツ語or英語のルビをあてたくて、試してみたのですが、
ノベマさんのシステムではできないようで
「サーのドイツ語or英語」(翻訳)にて連載を続けます!


★サーのドイツ語=一颯にはわからなくてもいいけど言いたい

●サーの英語=一颯に伝えたい/少なくとも一颯に聞き取られても問題ない


という書き分けになっております!

(サーのセリフの翻訳)の9割くらいが、サーの心の声のような状態です!

AIやアプリがなんでもかんでも便利にしてしまう世の中ですが、
不便ゆえに育まれる、ボーイらのラッブをば、たのしんでいただけますと幸いです!

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