僕らが手をつなぐ理由

 全校集会が終わると、一颯は体育館から生徒が去るのを待った。
 サーに隆太を友達だと紹介するつもりだったのに、隆太は「肝がキンキンに冷えちまったから今日はやめとくわ!」と尻尾を巻いて逃げた。

 サーの眼光はそんなに鋭かっただろうか。
 
 中村たちに訊くと彼女らは真顔で首肯し、「わたしたちも邪魔になっちゃうから、遠慮するね」と、足早に体育館を出て行った。
 サーは威嚇までピカイチなんだなと納得した。
 なおのこといちいち嫉妬してもらっては、学校生活に支障が出かねない。
 と、考えて、顔が熱くなる。

 ──一颯は俺のだから、気をつけてください。

 もう一回言ってほしい。できれば録音させてほしい。
 体育館の出口近くで待っていると、三年生を受け持っている教師といっしょにサーが来た。

「秀島君、この後の予定が空いていたら、ファルケンベルク君に校内を案内してやってくれないか」
「あ、はい。大丈夫です」

 サーは含み笑いで目を細めていた。やきもちで口を滑らせるほど想いが重たいくせに、感動の再会に涙を見せないところがサーらしい。サーに抱きつきたい衝動も、その涼しい顔を見ると急ブレーキをかけざるを得ない。

 もどかしくて、一颯のほうからサーの手を掴んで歩き出した。

 全校生徒の前であれだけ派手な宣言をした直後だ。まだ体育館に残っている生徒の好奇の目が集まり、さざ波みたいな囁き声が追いかけてきたけれど、だれも一颯とサーの前を塞がなかった。

 サーを連れて、美術室や音楽室が集まっている棟へ逃げ込んだ。隣接する棟の影になっている非常階段を三階へ上ると、一颯は周りに人がいないことを確かめて、ようやく一息ついた。中庭の蝉がうるさくて、ちいさな話し声ならかき消してくれそうだ。

 コンクリートの壁にもたれれば、ひんやりしていて気持ちよかった。
 サーのきらきらした瞳が「こんなところに連れ込んでどうするつもりだ」とおもしろがっている。

「……サーは、中村さんたちと連絡取り合ってたんだろ? インスタのアプリを立ち上げてたなら、僕にも返信してくれよ」

 つい、嫌味な言い方をしてしまって、うつむいた。責めたくなくても、はっきりさせないと手放しには喜べない。
 するとサーは「ひと言目がそれか」とニヤニヤしながら言った。

「僕がどんだけやきもきしたと思って……」
「ヤキモチィだろ?」

 一颯はふた月前の「モチィ」を思い出し、耐えきれず、ぷふっと吹き出した。

「なんで笑うんだ」
「いや、だって……ふははっ唐突に癖が強くなるんだもん」

 肩を揺らす一颯の隣で壁にもたれたサーが、身を屈めて覗き込んできた。

「一颯がインスタにまったく投稿しないから、どんなふうに過ごしているのかさっぱりわからなかった。だから中村さんたちから一方的に一颯の様子が送られてくることは正直……ありがたかった。でも迷惑でもあった」
「どういうこと?」
「飢えているほうが、危機感が高まって、学習意欲が燃える。一颯と話したい、日本に留学したいって、切羽詰まっていたからこそ、日本語が身についたんだ。難しかったけど、まあ……日本語は、一颯ほど手ごわくはなかったな」
「悪口に聞こえるんだけど」
「日本語は、本気で口説けば、難なくデレたってこと」
「なっ……なっ……」

 サーは得意げに片方の口角を上げたけれど、すぐにその眉尻が下がった。自分の胸へ人差し指を当て、とん、とん、と二度叩く。

「……ほんとうにきつかった」

 ふた月前の別れ際のハグが、香りと体温を伴って思い起こされる。
 確実な約束を結ばないまま別れたけれど、一颯はサーの腕時計に右手を掴まれていたし、サーの香りに慰められていた。そのふたつがなかったらと想像すると、サーの心痛が胸に響いてきた。

 一颯はいたわりを込めてサーの手をぎゅっと握り、自分の胸元へ当てた。
 胸の高鳴りに任せて、告白しそうになったが、それよりも先に確かめなくてはいけないことがあった。

 一颯は唾を飲んで喉を整えると、視線を足元に落とした。

「サーは……あの日曜日、どうして駅に来られなかったの?」

 事情があったことは承知している。ただ、また起こりうる事情が原因なら、今後もふいにいなくなるかもしれない。そう考えてしまったのだ。再会したばかりなのに、臆病だと思われそうだが、それでも言わずにいられなかった。

「すまなかった。俺の勝手な行動に、両親が怒って、夜にクレジットカードを止められて、問答無用で連れ戻された」

 サーは人差し指を飛行機に見立てて、ぴゅーんと弧を描いてから、自分の事情を話しはじめた。
 サーはベルリンに住み、高校に籍を置きながら、大学で情報工学の授業を受けている。

 サーの父は環境関連企業の経営者で、日本の研究機関と再生可能エネルギーの共同開発を進めていた。その縁でサーは父に、研究機関の代表者である鮫島氏の息子との交流をするように命じられ、五月に渡日したらしい。しかしサーは一颯を鮫島氏の息子と間違えたあげく、一颯を選んで父に逆らった。

 サーは、今度こそ鮫島氏の息子との交流を図ってくるからと、父に夏休みを利用した日本留学を願い出たけれど、両親の信頼が揺らいでおり、留学の条件として、『日常会話レベルの日本語の習得』をはじめ、厳しい課題を突きつけられることになってしまった。

「じゃあ、サーは……僕と手を繋ぎながら、取引先の息子ってひとに、べたべたしてるつもりだった?」
「ああ、日本に来ること自体が乗り気じゃなくて。相手を気持ち悪がらせるつもりだった。他意はない」
「いつから正しい相手じゃないって気づいてたんだ? ……タコ焼きのとき?」
「……ああ」
「早く言ってくれればよかったのに」
「人違いを理由に、あの一日を終わらせたくなかった」

 サーは、声に力を込めて即答した。

「でも……ち、違ったなら、違ったなりの一日があったかも、じゃん。僕は……あの日きりだって思い込んでたんだよ? あの日、状況を整理できてたら……」

 たらればを言っても仕方ないのに、やつあたりみたいな言葉しか出てこず、自分でも、なにを言いたいのかわからなくなった。

「一颯、俺の人生では、一颯が正解だ」

 うつむいた一颯の顎をサーの長い指が掬った。

「そ、そーゆー言い方で、押し流そうとするのはずるくないか……うやむやにしたい、みたいだぞ」
「違う。自分で選んで、正解を決めたんだ。人違いをアクシデントで終わらせない。運命を感じたから運命にする。……下心も含めて」
「変な日本語も覚えたんだ?」

 照れて睨んでも、サーは悪びれずに「ああ」と言った。

「一颯と話して、わかり合えるようになりたかったから。留学の条件にされなくても勉強してた」
「もう……口説かれても困るって……」

 耳の裏まで熱くなり、顔をそむけたが、サーはかまわず一颯の首筋に顔を寄せてきた。
 一颯は咄嗟に唇を丸めて、息を止めた。サーのやわらかい鼻先が、一颯の首筋に触れ、よその匂いを探る猫のようにすんすんと嗅いでいる。

 サーは硬直した一颯に向き直り、渋い顔をし「薄いな」と言った。

「へ……? なにが?」
「……香水だ」
「あ……、減ってくのが……さびしくて。背中に一回、しゅってするだけにしてるんだ……」

 一颯の声がしぼむと、サーは一度瞬きをしてから笑った。

「小瓶なら三か月以内に使い切るくらいでちょうどいいんだ」
「でも、なくなるじゃん」
「だからこうして、なくなる前に帰ってきただろ」

 最初から戻ってくる日が決まっていたように言われると、ふた月ぶんの切望と不安をどこへ置けばいいのかわからなくなる。
 あの日、連絡先の交換に応じなかったことへの意趣返しだとしても、納得できなくて、言葉を継げなくなった。
 表情を曇らせた一颯に、サーは一歩近づいて、繋いだふたりの手に左手を重ねた。

「どうしても、再会を七月七日に間に合わせたかったんだ」
「……え?」
「タナバタは、離れた恋人が会う日なんだろ。で、ふたりで願い事を紙に書いて、ツリーに飾るんだったか。生涯の愛を誓うにも最適じゃないか」

 おどけて言うサーに、一颯はたまらず笑った。

「七夕の行事と、織姫と彦星の昔話が混同しちゃってるじゃん。サーって、ジンクスとかおまじないとか信じるんだ?」
「もちろん。イイゴエンが叶ったから、信じることにしたんだが」

 サーは鷹揚に頷いた。

「サーは、八月末までいるんだろ。こっちは七月の二十日ごろから休みだから……実質、学校に通うのは十日くらいか」
「ああ、一颯の高校生活をちょっと見られれば十分。残りの時間は、研究機関に通うか、一颯とバケーションするかだ。秋に新学期が始まるから八月末を目途に帰国するけど、クリスマス休暇にはまた戻ってくる。それか一颯をドイツに招待しよう」
「へ? や、でも僕、パスポートも持ってないし……ドイツ語だって」

 全然上達していない、と言えば、学ぼうとしていることがばれてしまう。サーの努力に比べれば、本気とは言い難い程度の頑張りを引き合いに出すのが恥ずかしくて下唇を甘く噛んだ。つづきを聞きたがるサーに、なんでもないと首を振れば、ふいに沈黙が落ちてきた。サーが熱っぽい目で、一颯の唇を見つめてくる。なにを考えているのか一瞬で理解した。


 ──キス、したがってる。


 頬の火照りが耳やうなじに広がって、全身が強張り、唾を飲み込んだ。喉の上下する音がいやに大きく聞こえる。自分に告白してきた女子たちは、もっと緊張していたに違いない。

 サーの努力には報いたい。でも、そんなごほうびみたいな理由で唇を重ねるのは違うと思った。
 今度こそ、素直に、ちゃんと、自分から言わなくては。
 でも、今じゃなくて、もっと後で、と、自分に言い訳した。

「……あのさ、サー。そろそろ人が減ったと思うんだ。案内を続けたいんだけど、いい?」

 サーはあからさまに肩を落とした。熱を持て余すようなまなざしで空を見上げると、二秒後もすると気を取り直し、「やっぱり一颯が一番むずかしい」と片頬を膨らませた。

 中庭に降りて、保健室や職員室のある棟の一階を通り抜け、隣接する建物へサーを連れて行った。二階が図書館、一階が学食と購買だ。

 生徒がまばらな食堂の隅に並んで座り、昼食を食べた。カレーやピラフのようにスプーンで食べられるものを勧めたが、サーはきつねうどんを選んだ。一颯は心配したけれどサーの箸遣いには迷いがなく、麺を啜ることもできた。
 サーは「スパゲッティみたいに巻いて食べるかと思ったか?」と鼻で笑った。親日家の父に連れられて日本食の店へ行くことが多く、麺や寿司などは食べ慣れているそうだ。「一颯がドイツに来たときにも連れて行く」と言われて、「うん」と「ううん」の間の返事をした。
 金銭的に甘えることに抵抗があり、航空券の費用を出してもらうことにも気が引けた。

 
食べ終わったあと、職員室で挨拶して下校するつもりだったけれど、サーが一颯の教室に行きたいと言い出した。

「明日、授業が終わったら一颯を迎えに行きたい」と、また直球を投げられて、照れながら受け取った。

 教室棟へ続く廊下は人影がまばらだった。窓の向こうでは夏の日差しが白く照り返し、蝉ばかりがやかましい。
 教室の並ぶ階へ上がったところで、一颯は繋いだ自分の右手を見てから、サーを仰ぎ見た。
 告白したい。ひとがいないし、絶好のチャンスだ。それなのにサーと目が合っても、唇の上下を引き結んだまま、なんでもないと首を振ってしまう。

 弱気な自分に嫌気がさすけれど、いざ言おうとするたびに心臓が縮こまってしまう。

 一年三組の教室に入り、窓側の後ろから二番目の席にサーを連れて行くと、一颯は「ここ、僕の席」と机の角を撫でた。昼下がりの日差しが机の天板を白く照らしていた。

 するとサーが一颯の手を放して、腰を抱き、一颯を机に座らせた。微笑むサーに見下ろされて、息を呑んだ。
 アイスグレーのきらめきに吸い込まれそうだった。

「サー、あの……時計……、返すよ」

 腕時計のバックルを外すと、手首に薄く日焼け跡ができていた。サーの手を取り、体温の移った腕時計を押しつける。手首が軽くなったぶん、無性に寂しさが込み上げてきた。繋いでくれる手があるのに、腕時計にまで執着してしまう自分が、少し情けなかった。

「……一颯、つけていてくれないか」
「え……でも、こんな高価な時計、意味もなく預かれないよ」
「指輪にはまだ早いし、この腕時計を代わりだと思って」

 サーは一颯の左手首に、腕時計をつけ直した。
 サーの意図を、瞬き三度ぶんの間を置いて理解し、頬の温度がしゅわりと上がる。
 プロポーズを予感させるということは、すなわちプロポーズではなかろうか。

「……ナチュラルに気障だ……」
「ん、キザ?……って、なんだ?」
「かっこつけって意味だよ」
「かっこ? かっこはいいよな?」
「どうかな……かっこいいひとは自分をかっこいいとは言わないと思う」
「ふうん」

 サーが片目を眇めた。一颯の右手を握り、さりげなく指を絡めようとしてくる。
 指に力を込めてみても、サーの大きな手に抗えなくて、強引に握り込まれた。
 手の熱さに、再会のハグがまだであることを意識させられた。
 早く告白しなくては。
 とっておきのフレーズを練習してきたのだから。

「イッ……」と口を開いたところで、「一颯はいつまでサーって呼ぶんだ?」と問われた。

 マティアスと呼んでみたいけれど、再会の妄想をしているときもサーと呼んできた。
 たった一日でも、実際に本人へ呼びかけていた「サー」のほうが、口にも心にも馴染んでいた。

 だが本人を前にしてうまく発音できるとも思えず、おずおずと呼んでみれば「まちあす」になってしまった。
 もっと呼んでとねだるように、サーが一颯の額に額を重ねてきた。

 手を握る力が、ほんの少しだけ強くなり、顔が近づいてくる。
 鼻先が触れそうになって、一颯は息を止めた。あの日のプラネタリウムと同じ近さなのに、今度は逃げたいと思わなかった。胸の内側に細かな漣が立つ。サーの指が腕時計の跡が残った右手首をなぞる。ふた月、ずっと身に着けていた証拠が、一颯の答えを表していた。

 サーは圧倒的な熱量で押してくるくせに、最後の一歩だけは待ってくれている。
 その気になられたら、ひとたまりもない。

「……マティアス」

 唐突に衝動が込み上げてきて、一颯は左手をマティアスの首に回して、抱き寄せた。鼻先が触れ、互いの呼吸が混ざる。やわらかなものが、唇に触れ、体温と果肉みたいな感触を残して離れた。

 熱い血が全身を脈打たせる。
 ずっと、マティアスの言葉で告白したかった。

「Ich liebe dich. Ich will deine Hand halten.」(愛してます。あなたの手を握りたい)


 二度目のキスはマティアスが、噛みつくような勢いで唇を重ねてきた。




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ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
いったん完結です!

賞で選ばれたら、つづき書くチャンスが巡ってくるかもしれないんですが……!!
あたりますように~~!!(宝くじじゃない)

7月8月をまるごとこのお話につぎ込んでいたので、
別の話しもそろそろ書いて、つぎの賞にも挑戦したい!!

プロットが渋滞していまして、またノベマさんにてお目にかかりたく思います!

感想ポチ、いただけるとすごくうれしいです!!

どうぞよろしくおねがいします!

朝瀬 はのん

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