Act 02
「ここあちゃんはさ、どうして一人でここにいたの?夜におうちから出てくるの怖くなかった?」
礼真は、ここあが一息ついてところで、ベア吉の横に座って聞いた。
「おきたらね、ママがいなくて、おしごとなの。でも、ここあ、ママに会いたくなったからパパにママに会いたいって言ったの、そしたらパパが、会いにいけって、ここあをおそとに出したの」
礼真の問いに、ここあはすらすらと答えた。
その言葉には辛いとか、怖いとかいう負のものを感じさせない。
夜中に目を覚ました小さな子供が母の姿を探すのは当たり前のことだ。それに対して会いたいなら勝手にしろと、家の外に出す父。異常なことなのに、それを当たり前のように話すここあに礼真は、ぐっと奥歯を噛みしめてから、
「…そうなんだね」
なんとか普通に答えた。
マキシは無言で電子タバコを吸っていた。めずらしくメントール系だ。
「うん、それでね、いつも夜おそとに出るときはちょっとだけ滑り台するの。ひとりじゃつまんないから、いつも一回だけなの。けど、今日はベアちゃんがいたからいっぱいすべっちゃったー」
「?♪」
楽しそうに言って、ベア吉をぎゅっとするここあに、ベア吉も嬉しそうにぎゅっと返す。
「ベア吉も楽しかったって」
その姿に、少しだけ和まされて礼真はベア吉の通訳をすると、
「ここあも、楽しかったー」
ここあは笑う。
「カカオ」
今まで黙っていたマキシがここあを呼んだ。いつもの軽い調子ではない。なにを言うつもりなんだろう…と礼真はマキシを見る。
「なに?マキシ」
ここあも楽しい話の続きを聞くように、マキシを見上げた。
「カカオ、夜出かけるのははじめてじゃないんだな?」
マキシは、ここあの方を見ることはなく、どこかに別のなにかを見ているように、真っすぐに前を向いたままで聞く。
「うん、そうだよー。だけど、いつもこのこうえんまで来たらここあ、つかれちゃうから、ママのところまでは行ったことないの」
ここあは、少ししょんぼりして答えた。
「カカオ、夜に一人で外に出るのはやめろ」
「どうして?」
マキシの言葉にここあが首を傾げた。
「危ないからだ」
「マキシ!」
さっきからまったく軽さも緩さも感じさせないマキシのはっきりとしたあまりにストレートな物言いに、礼真は驚いて思わず声を上げた。
マキシは、礼真の呼びかけには答えず、電子タバコをポケットに入れると、ここあの前でしゃがんで目線を合わせた。
「カカオ、夜だけじゃない、昼だってカカオみたいなのが一人で外に出るのは危ないんだ。わかるか?」
声は柔らかくなったが、その目は真剣に鋭いままだ。ここあは飲まれたように、固まったている。
「ここあちゃん、本当は夜のおそと怖かったんだよね?俺たちだって怖いことや危ないことはしないよ」
礼真はフォローするように声を掛けて、あやすようにここあの小さい背中をぽんぽんと叩いた。横からベア吉も礼真のマネをして、ここあをポンポンする。
「大人なのに?」
ここあはマキシと礼真を交互に見て聞いてきた。幼いここあからしてみれば、大人は万能な存在に感じるのだろう。
「怖いと危ないに、大人も子供も関係ないの。怖いと危ないは、手加減なんかしてくれないからな。めちゃくちゃ本気で来る」
マキシの口調がいつもの軽いものになるが、目だけはわざとなのだろう鋭いままで答える。
「こわいねぇ」
「だから怖いんだって」
ここあも真剣な顔で頷いて、マキシもうんうんとしている。
礼真は二人の間だけでなにか通じ合っている姿に、思わず微笑んでいた。
どこまで、ここあが理解してくれたのかはわからないが、夜中の一人歩きがこわいものだと少しでもわかってくれたら、それだけでも進歩だ。
「ベアちゃんのお兄ちゃん、お茶ください」
長く話をしたせいか喉が乾いたのだろうここあが遠慮がちに言ってきた。
礼真はここあが飲みかけの麦茶を開けて「どうぞ」と渡す。
そのときちょうど、ここあの目の高さで礼真がペンダントのように下げている黄色と黒のツートンカラーのメモリースティックが揺れて、ここあがそれに気付いた。
「ベアちゃんのお兄ちゃんこれなに?」
ここあがメモリースティックに手を伸ばしてきたのを見た礼真は、メモリースティックを握って自分の胸元へ引き寄せた。
データ化されたマキシの残滓が保存されていて、メモリースティック自体もマキシが特別仕様にしてくれたもので、礼真には特別なものだ。
子供相手に大人げないとは思ったが、触ってほしくはない。
「ごめんね、これは俺の宝物だから、触らないでほしいんだ。見るだけならいいよ」
礼真が困ったように言うと、それが特別なものだと分かったらしく、
「うん、見せてください」
ここあは頷いた。
横で聞いてきたマキシが、咳き込んでいる。
「どうぞ」
礼真は手のひらの上にメモリースティックを乗せてここあに見せた。
ここあはじっとメモリースティックを見つめて、首を傾げた。
「これがお兄ちゃんの宝物?」
「そうだよ」
礼真が頷く。
「いいなー宝物、ここあも宝物ほしい」
ここあは羨ましそうにメモリースティックを見つめる。
メモリースティックが宝石のように価値があるものだと思ったらしい。
礼真はここあに視線を合わせると、
「これね、メモリースティックっていうものなんだけど、俺にはキラキラして見えるの。宝物だからね。ここあちゃんはどうかな?キラキラに見える?」
優しく問いかけた。
ここあは真剣な顔でじっとメモリースティックを見つめていたが、しばらくして少し悲しそうにふるふると首を振った。
「見えない」
「そうだね、宝物はね、みんな同じじゃないんだよ。ここあちゃんもこれからキラキラに見える宝物が見つかるよ」
礼真が言うとここあは首を傾げた。
「ほんとう?」
「うん、絶対」
「ねぇ、マキシは?マキシも宝物ある?」
礼真が頷いたのを見てから、ここあは傍らに立っているマキシを見上げた。
「俺ぇ?」
急に話を振られたマキシは声を上げて、珍しく目を丸くしてから少し考えて、
「あるよー宝物」
と軽い口調で答えた。
その答えに礼真は驚いて、
「なに?」
「なぁに?」
と、ここあと一緒に声を上げた。
マキシは眩しそうに目を細めて礼真を見つめて、もったいぶるように一呼吸おいてから、
「内緒」
と、ニヤリと笑った。
「なんだよ!それ!」
「ずるーい、教えてぇー」
「っ!?!?」
揶揄っているようなマキシの答えに、また礼真もここあも声をあげ、ベア吉まで反応している。
マキシはここあの方へ屈むと、いかにも警戒していますというように、周りを見まわしてから、唇にシっと指を当てて、
「俺の宝物はすごいんだよ。だから、もしかして誰かに聞かれたら、盗られちゃうかもしれないだろ?だから秘密にしてるんだよ」
重大な話だと言うようにひそひそと声を潜める。
マキシの言葉にここあは、はっとしてマキシを真似て唇に人差し指をあてた。
「わかった、マキシのすごいの、とられたらたいへんだもんね」
「そう、命より大切なのよ」
「すごい宝物じゃん」
「そーだよ!」
二人のやり取りに礼真はため息をついた。
「マキシ…お前なぁ」
子ども相手にまた適当なことを言っていると、たしなめようとした礼真と、マキシと目が合う。
マキシはまた柔らかく目を細めると、くしゃっと礼真の頭を撫でてから、ここあを抱き上げた。
「そろそろ帰ろうか、送っていくよ」
マキシが言うと、楽しいがいっぱいだったここあの顔がしゅんとなって、俯いた。
「かなり遅い時間だからね。ベア吉ももう寝る時間だから」
礼真も言いながらベア吉を抱き上げて、ベア吉にだけわかるように小さく頷いてみせた。
ベア吉はじっと礼真を見てから、
「!!」
と、頭の上に電球のライトが、パッとついたように頷いて、
「……zz」
と、眠そうに目をこすって見せた。
それを見てここあも釣られるように欠伸をする。
マキシがベア吉に小さくサムズアップしてから、
「帰ろう」
と言うと、ここあもしぶしぶ頷いた。
ここあを抱いたマキシとベア吉を抱いた礼真が並んで歩く。
「ここあ、早くキラキラの宝物ほしいな」
ここあがぽつりと呟く。
「宝物は見つけるまでに、時間がかかるほどすごいのが見つかるよ」
マキシが言う。
「どのくらい?」
「そうだなー俺は500年かかったなー」
ここあの問いにマキシはうーんと、言いながら答える。
「おい!」
マキシはたしかに500年間地縛霊をやっていたが、さすがにそれを言うのはと、礼真がツッコミを入れたが、
「すごいね!マキシってすごいんだねー」
ここあはその長さをどう理解したのか、素直にマキシの言葉を受け入れている。
「そーだよー」
また二人だけで会話が成立している。
礼真はそれ以上突っこむことはやめることにした。
3人と一匹?で、あれこれ話し、その途中でここあが、道案内をする。
そうこうしていると、それほど歩くことなく、アパートが建ち並ぶエリアに入ってきた。
「あれだよ」
ここあが道沿いのアパートを指さした。
古くも新しくも、おしゃれでもない、ごく普通のアパート。1階、2階にドアが5つ並んでいる。
「ここだよ」
そのうちの1つ。1階の1番端のドアをここあが指さす。
マキシと礼真は足音を抑えて、ドアに近づいた。
ドアの横に紙を挟むような小さな表札があって、女子高生の様な丸い文字で「松本竜弥 綾音 心愛」と、黒のマジックで書いてある。
「これで、ここあって読むのか」
表札の前で礼真は小さく呟いた。
表札だけ見れば、若い両親と愛されている子どもの姿が見える。
多分、この表札を書いたときはここあが夜に外に出されたり、体に痣を作ることになるとは予想もしてなかっただろう。
礼真は、今日何度目かのため息をついて、そっとドアのノブに手をかけたが、ノブは動かない。
「鍵かかってる」
「どれー?」
マキシはここあを下ろして、礼真に変わってドアの前に立った。
ノブの上に小さなタッチパネルがある。
「ドア、入るときピッピってするよ」
ここあがマキシの足元で背伸びしながら言う。
「暗証番号式の電子ロックね。これなら秒。それより…」
と、マキシは礼真の耳に顔を寄せた。
「カカオのパパが起きてて、出てきたらどうする?」
ひそひそと言うと、
「一回、眠らせるくらいしてもいいだろ」
礼真が冷めた表情で切り捨てるように答えた。
「おっけー、そっちも俺がやる。礼真は周辺の見張りよろしくー」
マキシは軽い口調で言うと、タッチパネルに指を当てる。
すぐにピッピっと音がして、ガチャと鍵があいた。
その音に、ここあがびくっとするのが見えて、礼真はここあの肩に手を置いた。
マキシがそっと小さくドアを開けると、灯りが漏れてくる。と、同時にゴーゴーとイビキの音も聞こえてくる。
ここあの体から少し力が抜けた。
イビキの主はここあの父親だろう。父親がこの音を出しているときは、緊張しなくてもいいのだと、ここあの体が無意識に反応している。
ここあ自身も気づいていないその事実が礼真にはたまらなく苦しかった。
「カカオ」
マキシがドアをここあが通れるほどに開けると、ここあは滑り台に向かっているような軽さで、家の中へ入って行く。
一瞬、礼真の手がここあの背中へ伸びかけた。が、礼真はそれをぐっと握ってゆっくりと下ろした。
「ベアちゃん、ベアちゃんのお兄ちゃん、マキシーばいばーい」
ドアの向こうでここあが手を振っている。
「♪?」
ベア吉も手を振り返している。礼真も手を振った。
「いいからっ早く、寝ろよっカカオ」
マキシも手を振りながら言って、ドアを閉める。
「うん、おやすみなさい」
ゆっくりとドアが閉まっていく。だんだんと狭くなっていくその隙間の向こう側からここあの声が聞こえる。
ドアから漏れる光が細くなり、隙間から見えていたここあの姿も、ほとんど見えなくなる。それでもまだ手を振っている気配が伝わってくる。
ドアは最後までゆっくりと閉まっていく。
礼真は、ドアが完全に閉じてしまう前にさっとそこから背を向けていた。
ガシャン…締まるドアとロックの音が残酷に響いた。
礼真は腕の中のベア吉をつぶれるほどに抱きしめて、顔をうずめた。
「礼真…」
マキシが礼真の前に来て、ベア吉を抱いている礼真をそのまま包むように抱き寄せた。
マキシの腕の中に収まった礼真は、ぎゅっと目を閉じて、マキシの胸に顔を押し付けた。
「俺たち…なんにもできないんだな」
マキシの胸に顔をつけたままの礼真の声はくぐもっていた。
マキシも礼真の頭に顔を埋めるようにしながら、
「…そうだね…」
と、低く小さく答えた。
2週間後。
「マキシ!」
ベア吉と一緒に屋上に行っていた礼真が一人で事務所に飛び込んできた。
「なぁにー?」
ソファにだらっと座ってゲームをしていたマキシが、さらにだらっと答える。
「朝比奈社長と奥村先生から聞いたんだけど、近所で女の子に暴力ふるおうとした父親が捕まったってこれってもしかして」
息が上がって、興奮気味に言う礼真に、マキシは傍らのタブレット端末を操作して、礼真に差し出した。
「これのことでしょ」
礼真はひったくるようにして、タブレットを取った。
画面にはネットニュースの記事が表示されている。
『【25歳父親を傷害容疑で現行犯逮捕 長女への虐待疑いで児相も対応中】
今月、Y市のアパートで、同居する長女に暴力を振るおうとしたとして、松本竜弥容疑者(25)が傷害未遂の疑いで現行犯逮捕された。
警察によると、松本容疑者が自宅から突然大声を上げて飛び出し、長女に暴力を加えようとしていたところを近隣住民が目撃。「子どもが危険な状態にある」と110番通報した。駆け付けた警察官が制止したが、松本容疑者は激しく抵抗し、その場で現行犯逮捕された。
逮捕時、松本容疑者は「あいつが来る」「化け物たちが来る」などと意味不明な言動を繰り返していたという。
捜査関係者によると、松本容疑者をめぐっては以前から長女への虐待が疑われ、児童相談所にも複数回の相談が寄せられていた。しかし、本人が面談に応じなかったことなどから、虐待の事実は確認できず、継続して状況を見守っていたという。
警察は当時の詳しい状況を調べるとともに、薬物使用の可能性も視野に入れて捜査を進めている。
長女は保護され、命に別状はないという。』
ここあは無事で、虐待という環境からも救われた。礼真は読み終えると、力が抜けたというように、ソファに座り込んだ。
あれから、自分ではなにもできない無力感に、礼真はかなり落ち込み、仕事のない夜にはここあのアパートの前に足を運ぶこともあった。
決定的な瞬間があれば、通報しようそんなことも考えていた。
それが、こんな形で解決するなんて…礼真は、もう一度記事を読み返して、
「…あいつが来る…化け物たちが来る…?」
引っかかった部分に、ばっとマキシを見た。
「マキシっやったな!」
「さぁ?」
横に座っているマキシに詰め寄ると、マキシはゲーム機に目を向けたままで、適当な返事をしてくる。
「さぁ…じゃないだろっ絶対マキシだ!」
ゲームを邪魔する猫のように、マキシの顔とゲーム機の間に入り込んで言うと、マキシは礼真の髪をくしゃっとしながら、ゲーム機を置いた。
「俺じゃないって。ただねーマキシチャンネルの子たちが、リアルで霊力つかわないと衰える、ストレス溜まるーって言うからさー。礼真もたまには自由にさせてあげないとって言ってたじゃん」
マキシが肩を竦めて、笑いながらくしゃくしゃと礼真の頭を撫でる。
マキシチャンネルとは、怪異現象を起こして、マキシに捕まった怪異たちが住んでいるネット上にあるサイトだ。ある程度話が通じて、危険度の低い怪異たちは、マキシが作るオカルト動画に混ざって、閲覧者に見てもらうことで、生前の満たされなかった欲求を、埋めている。
そして、ミロクセキュリティにきた依頼によっては仮想空間から出てきて、マキシのサポートをすることもある。
「やっぱりお前の仕業じゃないかっ。あのときっ俺が『なにもできない』って言ったら、『そうだね』って言ってたくせにっ。しっかりなんかしてるじゃないかっ!」
「あのときは本当になにもできなかったじゃん。それに今回も俺は手出してないって。」
仲間外れにされた気分でさらに噛みつくように言う礼真を抱き寄せて、よしよしと頭から背中の方までマキシの大きな手が撫でると、礼真がぽすっとマキシの肩に頭を置いた。
「みんなが刺激したせいで父親が暴走してここあちゃんに危害を加えたからどうするつもりだったんだよ」
むすっとして礼真が言うと、
「カカオにはちゃんと護衛つけてたよー」
と、当然と言うようにマキシが答えてくるのがまた、憎らしいが、マキシがやることに間違いはないことを知っている礼真はむくれるのを止めることにした。
「父親がいなくなったらここあちゃんは?母親は?」
マキシから体を離して、横に座りなおして礼真が聞いた。マキシならそこまでここあの情報を追いかけていると思ったからだ。
「カカオは施設に行くことになったって」
マキシはまたゲームを再開しながら答える。
「施設…」
マキシの答えに礼真は、胸元のメモリースティックに触れながら、しばらく考えていると、
「マキシっここあちゃんが行った施設、どこか調べられる?」
急に立ち上がってマキシの手から、ゲーム機を取り上げた。
「できるけど…」
「調べておいて!」
ゲームオーバーの音を聞きながら、「えー」と声を上げているマキシに、勢いよく言うと、礼真は事務所を駆け出して行く。
「…いいけど…どこ行くの?」
「奥村先生のところっ」
その後ろ姿に声をかけると、ドアの向こうから声が飛んできて、バタバタと階段を登る音が遠ざかっていく。
「礼真はなにをバタバタしてんだ」
いつもいるのか、いないのかわからないくらい静かに動く礼真が、バタバタしている姿に、スマホを眺めながら、煙草をふかしていた花子が興味深そうにマキシに聞いてくる。
「さぁ…」
マキシも首を傾げながら、タブレットを使って、ここあの情報を調べ始める。
そうしていると、また、バタバタと礼真が戻ってきた。
「マキシっ施設、わかった?」
「わかったよー。はい、どーぞ」
勢いよく聞いてくる礼真に、数分で調べた結果のメモを渡す。
「ありがと、タブレット貸して」
「はいはい、どうぞ、なに?買い物?」
メモを受け取った礼真にタブレットを渡してやると、礼真はネット通販のページをすぐに開いている。
ソファに座った礼真の横から、タブレットを覗くと、タブレットの画面にはいろんな種類の動物のぬいぐるみが表示されている。
「ぬいぐるみ?あーカカオに?」
さっきからの礼真の行動からすぐに察してマキシが聞くと、
「奥村先生に匿名で送れるか聞いてきたんだ。そしたら、とりあえず奥村法律事務所の名前で発送していいからって」
礼真は画面から顔を上げることなく、カートにどんどん動物のぬいぐるみを入れていっている。
「なるほどーえっ?うさぎ、犬、猫、ゾウ、牛、馬、猿…」
「なんだ、十二支か?」
カートに入っている動物の多さにマキシが思わず声を上げていると、花子が面白そうにツッコミを入れてくる。
「いやいや、猫とゾウは十二支にはいないでしょ。それより、そんなにたくさん送るの?」
花子にツッコミ返して、マキシは礼真の手元を見る。礼真はさらにどんどんカートにぬいぐるみを追加していく。
「うん、ここあちゃんにっていうか、その施設に送るからさ。」
なにを想像しているのか、礼真の表情は柔らかい。
その綺麗な横顔に少し見惚れてから、マキシは、
「俺にも選ばせてー」
礼真からタブレットを取った。
「いいけど…」
礼真は少し心配そうにマキシがポチるのを見て声を上げた。
「ちょっと待てっサメ、タコ、マグロ、チンアナゴって!うわっこのダンゴムシみたいなのなに?全然かわいくないんだけどっ」
「ダイオウグソクムシだよー深海にいる子だよー多様性、多様性っ」
「やめろっマジでっ」
マキシのセレクトにタブレットを取り返そうとしてくる礼真から逃げたマキシは、購入まで手続きをあっと言う間にしてしまう。
「はーい、決済まで完了しちゃいましたー」
ひらひらーとタブレットを振って見せる。
「もう…」
と、マキシを睨んでから礼真はふっと笑うと、どんっとマキシに肩を当てた。
「あっそういえば、あれだけいろんな種類の動物いれてたけど、クマ入ってなかったね?」
マキシが思い出したように言っていると、ここあの父逮捕のニュースからのバタバタですっかり屋上に忘れられていたベア吉が一匹?でとことこ事務所に帰ってきた。
「あーベア吉っごめん、ごめん」
礼真が慌てて、ベア吉を抱き上げる。
「っ!!」
礼真の腕の中で文句を言うようにじたばたするベア吉に、
「本当にごめんね、お詫びにまた公園に行こうな」
ぎゅっとしながら言うと、
「っ♪?」
ベア吉がぎゅうっと礼真に抱きつく。
「クマはさ…」
ベア吉をあやすようにしながら、礼真はマキシに向きなおった。
「俺たちにとってクマのぬいはベア吉だけだろ」
礼真の言葉にマキシはふっと笑うと、
「確かに、手のかかるクマはこいつだけで十分だ」
と、ぐりぐりとベア吉の頭を撫でた。
20年後。
「ただいまー」
硝子がはめられた格子のドアを開けて礼真が帰ってきた。
ドアにつけられているベルが、カランと音を立てる。
入口のドアを開けた左にはカウンターがあり、その中にはキッチン。右側には4人掛けのテーブルとそれに合わせたソファが3セット並んでいる。
住宅街から少し離れた民家。一階の一部をカフェに改造した建物に、ミロクセキュリティのは一週間前に引っ越してきていた。
姿の変わらない自分たちの存在が周囲に与える影響を考えて、花子は十数年に一度程度事務所の引っ越しをする。
外が見える窓側の席にベア吉に並んで座っているマキシが、エコバッグを下げて、コンビニから帰ってきた礼真に声をかけた。
「おかえりーお疲れさま、どう?コンビニまでの距離」
「んー距離はあったけど、前のところよりは近いかな。」
礼真は答えながら、一番奥に座っている花子に、
「マルボロです」
と、いつもタバコを2カートン渡して、そのままカウンターの中に入る。
「コーヒー入れるね。所長飲みます?」
「飲む」
花子が即答してくる。
マキシも礼真も飲食はできない。だが、マキシがコーヒーの香りが好きだったこともあり、この場所の雰囲気に流されるように、豆を挽いて、コーヒーを入れるのが礼真の楽しみになっていた。
普段、水くらいしか飲まない花子も、そのコーヒーは飲む。
礼真は、まだ少しぎこちなくコーヒーをドリップして、元カフェの名残のように残されていたカップにコーヒーを入れた。
店に残っているものは自由に使っていいという契約になっていた。
カフェらしいぽってりとした白いカップをソーサーに乗せて最初に花子に出し、マキシの分はソーサーには乗せずにカップだけ。
マキシの前にカップを置いた礼真は、ベア吉を挟んでソファに座る。
「ベア吉、なに見てるの?」
熱心にタブレットに見入っているベア吉に礼真は声を掛けながら、タブレットを覗き込んだ。
「水族館の動画か、最近よく見てるね」
「♪?」
かなり大きな水族館らしく巨大な水槽に大小さまざまな魚。カメも泳いでいる。
『この水槽に太平洋の海を再現しています。魚の種類は…』
と、飼育員らしい若い女性と、その女性を撮影しているカメラマンが会話をしながら、水族館の紹介をしていくという動画のようだ。
若い女性飼育員は新人なのか、ときどきつっかえながらも、一生懸命に魚たちの魅力を伝えようとしている。
つい、礼真も見入ってしまう。
画面が少し暗くなって、女性とカメラマンが深海魚のゾーンに入った。
『じゃあ、ちょっと別の質問です。新人のマツモトココアさん、どうして水族館飼育員になろうと思ったんですか?』
カメラマンから声が入って、女性はカメラを見ると、にこっと笑った。
マツモトココア…松本心愛…。
礼真の頭の中で、その音はすぐに漢字に変換された。そして、その女性の笑顔に夜の公園でパンを食べて笑っていたここあの顔が重なった。
「マキシ!見てっこれっ」
礼真はマキシの肩を叩いて、画面を指さした。
スマホを眺めていたマキシは動画を見て、
「カカオじゃん」
と、顔を見ただけですぐに、ベア吉が迷子になったあの夜の公園で会った女の子だとわかったらしく、あのとき変わらない愛称が彼女を呼んだ。
『飼育員になった理由ですか?』
画面の中で笑顔のままで心愛が答えている。
『私、施設で育ったんですよ。ある日、その施設に大量の動物のぬいぐるみが届いたんです。差出人は不明でした。』
『あしながおじさんだ』
『そうかもしれないですね』
カメラマンの言葉に心愛はちょっと頷いてから、続けた。
『本当にいろんな動物がいっぱいで、みんなで動物園と水族館つくって遊んだんです』
心愛の言葉に、マキシと礼真はちょっと顔を見合わせて、微笑み合った。
『かわいいぬいぐるみもたくさんいたんですけど、私も、その中にいたダイオウグソクムシのぬいぐるみが気に入っちゃって、なんかずっと抱っこしてまわってたんですよ』
心愛はある水槽の前で足を止めた。
『ダイオウグソクムシ!』
心愛は水槽の中を指さすと、少し眩しそうに目を細めて、隅っこでじっとしているダイオウグソクムシを紹介した。
『本物のグソクンに会いたくて水族館で働きたいって思ったんです!今の夢はもっと勉強してグソクンたちの担当になることです!』
カメラに向き直って、ぐっと両手を握ってみせた心愛に、カメラマン役が思わずというように、
『頑張れーグソクンも待ってるーって』
と、カメラを揺らして声援を送る。
画面を見ていたマキシは、横で同じように心愛の姿をじっと見つめている礼真に目をむけた。
礼真は、なにも言わずただじっと大人になって夢を語る心愛の姿を見つめている。
涙はでないはずのその目がマキシには少し潤んでいるように見えた。
礼真がはぁ…と息をつくと、なにかを噛みしめるように俯いた。
「レイマ…」
あのときの閉まった扉の前での礼真の姿を思い出す。
礼真の中でいろんな思いが渦巻いているのだろうと、マキシが柔らかく声をかけて、髪を撫でようと手を伸ばしかけた。その瞬間、がばっと礼真が顔をあげて、
「なっなんでっダイオウグソクムシ!?」
と叫んだ。
その叫びに、マキシは一瞬ぽかんとしてから、笑い出す。
「多様性って言ったでしょーイエーイ!俺の勝ちー」
「ダイオウグソクムシ…」
勝利宣言をするマキシの横で、肩を落とす礼真だったが、動画の中でダイオウグソクムシ愛を語り続けているここあを見る目はどこか晴れやかだった。
動画が終わって、ベア吉はまた別の水族館の動画を見始めた。
礼真はまだ、ダイオウグソクムシ…と呟いている。
「あっそうだ、レイマー」
「なに?」
「子どもが気に入ったことを無限ループする理由なんだけどさ。脳が『これ大事!』って学習してる最中なんだって。だから、同じ遊びでも毎回少しずつ新しい発見があるし、何回もやってて、先が分かる安心感もある。だから大人には同じに見えても、子どもにとっては毎回ちゃんと意味があるんだよ。」
「は?なに急に」
突然、説明口調で話し始めたマキシに、礼真は目を丸くした。
礼真の言葉にマキシも目を丸くする。
「ま?なにって、カカオとクマが何回も滑り台滑ってるときに、礼真がその理由調べて教えてって言ったじゃん」
なに言ってるの?と逆に言われて、礼真は記憶の糸をたどる。
「子供ってさーなんで同じヤツばっかり無限ループするだろうな」
マキシがぽつっと呟いて、礼真は自分も同じことを考えていたと思いながら、
「それ、俺も気になるから、マキシ、調べて教えてよ」
また滑り台を登りはじめたここあとベア吉に目を細めた。
「あっ…」
ここあに出会ったあの夜の公園でのなにげない会話を礼真は思い出した。
それ…今?と思いながら、マキシの顔を見つめると、投げたボールをとってきて褒めてもらうのを待っている犬のような顔のマキシがいて、礼真は思わず吹き出した。
「ありがとう、なるほど新しい発見かー」
無限ループをする子供とは違うが、新しい発見をするのは確かに楽しい。
礼真は思いながら、すっかり覚めて香りが立たなくなったマキシのカップを手に立ち上がった。
500年という礼真からは想像もできない長い時間を地縛霊として過ごしてきたマキシにとっては、20年前のなにげない雑談は3日くらい前の感覚なのかもしれない。
新しい発見だ。
それに、なにげない会話を覚えていて、ちゃんと返してくれるのも、マキシらしい。
「礼真ーコーヒーおかわり」
花子から、声が飛んでくる。
「はい」
礼真は、カウンターに入っておかわりのコーヒーを淹れ始める。
「ねーねーレイマー今度ークマと水族館の行こうよ」
ベア吉と一緒にタブレットを見ながらマキシがそんな提案をしてくる。
「いいよー」
「やった!」
「♪」
礼真の返事にマキシとベア吉が顔を見合わせて、ハイタッチをしている。
この今度ももしかしたら、10数年後になったりして…と思ってみたりしながら、どうせずっと一緒にいるんだし、時間は関係ないか…礼真はゆっくり落ちていくコーヒーを見つめた。
See you next heart
「ここあちゃんはさ、どうして一人でここにいたの?夜におうちから出てくるの怖くなかった?」
礼真は、ここあが一息ついてところで、ベア吉の横に座って聞いた。
「おきたらね、ママがいなくて、おしごとなの。でも、ここあ、ママに会いたくなったからパパにママに会いたいって言ったの、そしたらパパが、会いにいけって、ここあをおそとに出したの」
礼真の問いに、ここあはすらすらと答えた。
その言葉には辛いとか、怖いとかいう負のものを感じさせない。
夜中に目を覚ました小さな子供が母の姿を探すのは当たり前のことだ。それに対して会いたいなら勝手にしろと、家の外に出す父。異常なことなのに、それを当たり前のように話すここあに礼真は、ぐっと奥歯を噛みしめてから、
「…そうなんだね」
なんとか普通に答えた。
マキシは無言で電子タバコを吸っていた。めずらしくメントール系だ。
「うん、それでね、いつも夜おそとに出るときはちょっとだけ滑り台するの。ひとりじゃつまんないから、いつも一回だけなの。けど、今日はベアちゃんがいたからいっぱいすべっちゃったー」
「?♪」
楽しそうに言って、ベア吉をぎゅっとするここあに、ベア吉も嬉しそうにぎゅっと返す。
「ベア吉も楽しかったって」
その姿に、少しだけ和まされて礼真はベア吉の通訳をすると、
「ここあも、楽しかったー」
ここあは笑う。
「カカオ」
今まで黙っていたマキシがここあを呼んだ。いつもの軽い調子ではない。なにを言うつもりなんだろう…と礼真はマキシを見る。
「なに?マキシ」
ここあも楽しい話の続きを聞くように、マキシを見上げた。
「カカオ、夜出かけるのははじめてじゃないんだな?」
マキシは、ここあの方を見ることはなく、どこかに別のなにかを見ているように、真っすぐに前を向いたままで聞く。
「うん、そうだよー。だけど、いつもこのこうえんまで来たらここあ、つかれちゃうから、ママのところまでは行ったことないの」
ここあは、少ししょんぼりして答えた。
「カカオ、夜に一人で外に出るのはやめろ」
「どうして?」
マキシの言葉にここあが首を傾げた。
「危ないからだ」
「マキシ!」
さっきからまったく軽さも緩さも感じさせないマキシのはっきりとしたあまりにストレートな物言いに、礼真は驚いて思わず声を上げた。
マキシは、礼真の呼びかけには答えず、電子タバコをポケットに入れると、ここあの前でしゃがんで目線を合わせた。
「カカオ、夜だけじゃない、昼だってカカオみたいなのが一人で外に出るのは危ないんだ。わかるか?」
声は柔らかくなったが、その目は真剣に鋭いままだ。ここあは飲まれたように、固まったている。
「ここあちゃん、本当は夜のおそと怖かったんだよね?俺たちだって怖いことや危ないことはしないよ」
礼真はフォローするように声を掛けて、あやすようにここあの小さい背中をぽんぽんと叩いた。横からベア吉も礼真のマネをして、ここあをポンポンする。
「大人なのに?」
ここあはマキシと礼真を交互に見て聞いてきた。幼いここあからしてみれば、大人は万能な存在に感じるのだろう。
「怖いと危ないに、大人も子供も関係ないの。怖いと危ないは、手加減なんかしてくれないからな。めちゃくちゃ本気で来る」
マキシの口調がいつもの軽いものになるが、目だけはわざとなのだろう鋭いままで答える。
「こわいねぇ」
「だから怖いんだって」
ここあも真剣な顔で頷いて、マキシもうんうんとしている。
礼真は二人の間だけでなにか通じ合っている姿に、思わず微笑んでいた。
どこまで、ここあが理解してくれたのかはわからないが、夜中の一人歩きがこわいものだと少しでもわかってくれたら、それだけでも進歩だ。
「ベアちゃんのお兄ちゃん、お茶ください」
長く話をしたせいか喉が乾いたのだろうここあが遠慮がちに言ってきた。
礼真はここあが飲みかけの麦茶を開けて「どうぞ」と渡す。
そのときちょうど、ここあの目の高さで礼真がペンダントのように下げている黄色と黒のツートンカラーのメモリースティックが揺れて、ここあがそれに気付いた。
「ベアちゃんのお兄ちゃんこれなに?」
ここあがメモリースティックに手を伸ばしてきたのを見た礼真は、メモリースティックを握って自分の胸元へ引き寄せた。
データ化されたマキシの残滓が保存されていて、メモリースティック自体もマキシが特別仕様にしてくれたもので、礼真には特別なものだ。
子供相手に大人げないとは思ったが、触ってほしくはない。
「ごめんね、これは俺の宝物だから、触らないでほしいんだ。見るだけならいいよ」
礼真が困ったように言うと、それが特別なものだと分かったらしく、
「うん、見せてください」
ここあは頷いた。
横で聞いてきたマキシが、咳き込んでいる。
「どうぞ」
礼真は手のひらの上にメモリースティックを乗せてここあに見せた。
ここあはじっとメモリースティックを見つめて、首を傾げた。
「これがお兄ちゃんの宝物?」
「そうだよ」
礼真が頷く。
「いいなー宝物、ここあも宝物ほしい」
ここあは羨ましそうにメモリースティックを見つめる。
メモリースティックが宝石のように価値があるものだと思ったらしい。
礼真はここあに視線を合わせると、
「これね、メモリースティックっていうものなんだけど、俺にはキラキラして見えるの。宝物だからね。ここあちゃんはどうかな?キラキラに見える?」
優しく問いかけた。
ここあは真剣な顔でじっとメモリースティックを見つめていたが、しばらくして少し悲しそうにふるふると首を振った。
「見えない」
「そうだね、宝物はね、みんな同じじゃないんだよ。ここあちゃんもこれからキラキラに見える宝物が見つかるよ」
礼真が言うとここあは首を傾げた。
「ほんとう?」
「うん、絶対」
「ねぇ、マキシは?マキシも宝物ある?」
礼真が頷いたのを見てから、ここあは傍らに立っているマキシを見上げた。
「俺ぇ?」
急に話を振られたマキシは声を上げて、珍しく目を丸くしてから少し考えて、
「あるよー宝物」
と軽い口調で答えた。
その答えに礼真は驚いて、
「なに?」
「なぁに?」
と、ここあと一緒に声を上げた。
マキシは眩しそうに目を細めて礼真を見つめて、もったいぶるように一呼吸おいてから、
「内緒」
と、ニヤリと笑った。
「なんだよ!それ!」
「ずるーい、教えてぇー」
「っ!?!?」
揶揄っているようなマキシの答えに、また礼真もここあも声をあげ、ベア吉まで反応している。
マキシはここあの方へ屈むと、いかにも警戒していますというように、周りを見まわしてから、唇にシっと指を当てて、
「俺の宝物はすごいんだよ。だから、もしかして誰かに聞かれたら、盗られちゃうかもしれないだろ?だから秘密にしてるんだよ」
重大な話だと言うようにひそひそと声を潜める。
マキシの言葉にここあは、はっとしてマキシを真似て唇に人差し指をあてた。
「わかった、マキシのすごいの、とられたらたいへんだもんね」
「そう、命より大切なのよ」
「すごい宝物じゃん」
「そーだよ!」
二人のやり取りに礼真はため息をついた。
「マキシ…お前なぁ」
子ども相手にまた適当なことを言っていると、たしなめようとした礼真と、マキシと目が合う。
マキシはまた柔らかく目を細めると、くしゃっと礼真の頭を撫でてから、ここあを抱き上げた。
「そろそろ帰ろうか、送っていくよ」
マキシが言うと、楽しいがいっぱいだったここあの顔がしゅんとなって、俯いた。
「かなり遅い時間だからね。ベア吉ももう寝る時間だから」
礼真も言いながらベア吉を抱き上げて、ベア吉にだけわかるように小さく頷いてみせた。
ベア吉はじっと礼真を見てから、
「!!」
と、頭の上に電球のライトが、パッとついたように頷いて、
「……zz」
と、眠そうに目をこすって見せた。
それを見てここあも釣られるように欠伸をする。
マキシがベア吉に小さくサムズアップしてから、
「帰ろう」
と言うと、ここあもしぶしぶ頷いた。
ここあを抱いたマキシとベア吉を抱いた礼真が並んで歩く。
「ここあ、早くキラキラの宝物ほしいな」
ここあがぽつりと呟く。
「宝物は見つけるまでに、時間がかかるほどすごいのが見つかるよ」
マキシが言う。
「どのくらい?」
「そうだなー俺は500年かかったなー」
ここあの問いにマキシはうーんと、言いながら答える。
「おい!」
マキシはたしかに500年間地縛霊をやっていたが、さすがにそれを言うのはと、礼真がツッコミを入れたが、
「すごいね!マキシってすごいんだねー」
ここあはその長さをどう理解したのか、素直にマキシの言葉を受け入れている。
「そーだよー」
また二人だけで会話が成立している。
礼真はそれ以上突っこむことはやめることにした。
3人と一匹?で、あれこれ話し、その途中でここあが、道案内をする。
そうこうしていると、それほど歩くことなく、アパートが建ち並ぶエリアに入ってきた。
「あれだよ」
ここあが道沿いのアパートを指さした。
古くも新しくも、おしゃれでもない、ごく普通のアパート。1階、2階にドアが5つ並んでいる。
「ここだよ」
そのうちの1つ。1階の1番端のドアをここあが指さす。
マキシと礼真は足音を抑えて、ドアに近づいた。
ドアの横に紙を挟むような小さな表札があって、女子高生の様な丸い文字で「松本竜弥 綾音 心愛」と、黒のマジックで書いてある。
「これで、ここあって読むのか」
表札の前で礼真は小さく呟いた。
表札だけ見れば、若い両親と愛されている子どもの姿が見える。
多分、この表札を書いたときはここあが夜に外に出されたり、体に痣を作ることになるとは予想もしてなかっただろう。
礼真は、今日何度目かのため息をついて、そっとドアのノブに手をかけたが、ノブは動かない。
「鍵かかってる」
「どれー?」
マキシはここあを下ろして、礼真に変わってドアの前に立った。
ノブの上に小さなタッチパネルがある。
「ドア、入るときピッピってするよ」
ここあがマキシの足元で背伸びしながら言う。
「暗証番号式の電子ロックね。これなら秒。それより…」
と、マキシは礼真の耳に顔を寄せた。
「カカオのパパが起きてて、出てきたらどうする?」
ひそひそと言うと、
「一回、眠らせるくらいしてもいいだろ」
礼真が冷めた表情で切り捨てるように答えた。
「おっけー、そっちも俺がやる。礼真は周辺の見張りよろしくー」
マキシは軽い口調で言うと、タッチパネルに指を当てる。
すぐにピッピっと音がして、ガチャと鍵があいた。
その音に、ここあがびくっとするのが見えて、礼真はここあの肩に手を置いた。
マキシがそっと小さくドアを開けると、灯りが漏れてくる。と、同時にゴーゴーとイビキの音も聞こえてくる。
ここあの体から少し力が抜けた。
イビキの主はここあの父親だろう。父親がこの音を出しているときは、緊張しなくてもいいのだと、ここあの体が無意識に反応している。
ここあ自身も気づいていないその事実が礼真にはたまらなく苦しかった。
「カカオ」
マキシがドアをここあが通れるほどに開けると、ここあは滑り台に向かっているような軽さで、家の中へ入って行く。
一瞬、礼真の手がここあの背中へ伸びかけた。が、礼真はそれをぐっと握ってゆっくりと下ろした。
「ベアちゃん、ベアちゃんのお兄ちゃん、マキシーばいばーい」
ドアの向こうでここあが手を振っている。
「♪?」
ベア吉も手を振り返している。礼真も手を振った。
「いいからっ早く、寝ろよっカカオ」
マキシも手を振りながら言って、ドアを閉める。
「うん、おやすみなさい」
ゆっくりとドアが閉まっていく。だんだんと狭くなっていくその隙間の向こう側からここあの声が聞こえる。
ドアから漏れる光が細くなり、隙間から見えていたここあの姿も、ほとんど見えなくなる。それでもまだ手を振っている気配が伝わってくる。
ドアは最後までゆっくりと閉まっていく。
礼真は、ドアが完全に閉じてしまう前にさっとそこから背を向けていた。
ガシャン…締まるドアとロックの音が残酷に響いた。
礼真は腕の中のベア吉をつぶれるほどに抱きしめて、顔をうずめた。
「礼真…」
マキシが礼真の前に来て、ベア吉を抱いている礼真をそのまま包むように抱き寄せた。
マキシの腕の中に収まった礼真は、ぎゅっと目を閉じて、マキシの胸に顔を押し付けた。
「俺たち…なんにもできないんだな」
マキシの胸に顔をつけたままの礼真の声はくぐもっていた。
マキシも礼真の頭に顔を埋めるようにしながら、
「…そうだね…」
と、低く小さく答えた。
2週間後。
「マキシ!」
ベア吉と一緒に屋上に行っていた礼真が一人で事務所に飛び込んできた。
「なぁにー?」
ソファにだらっと座ってゲームをしていたマキシが、さらにだらっと答える。
「朝比奈社長と奥村先生から聞いたんだけど、近所で女の子に暴力ふるおうとした父親が捕まったってこれってもしかして」
息が上がって、興奮気味に言う礼真に、マキシは傍らのタブレット端末を操作して、礼真に差し出した。
「これのことでしょ」
礼真はひったくるようにして、タブレットを取った。
画面にはネットニュースの記事が表示されている。
『【25歳父親を傷害容疑で現行犯逮捕 長女への虐待疑いで児相も対応中】
今月、Y市のアパートで、同居する長女に暴力を振るおうとしたとして、松本竜弥容疑者(25)が傷害未遂の疑いで現行犯逮捕された。
警察によると、松本容疑者が自宅から突然大声を上げて飛び出し、長女に暴力を加えようとしていたところを近隣住民が目撃。「子どもが危険な状態にある」と110番通報した。駆け付けた警察官が制止したが、松本容疑者は激しく抵抗し、その場で現行犯逮捕された。
逮捕時、松本容疑者は「あいつが来る」「化け物たちが来る」などと意味不明な言動を繰り返していたという。
捜査関係者によると、松本容疑者をめぐっては以前から長女への虐待が疑われ、児童相談所にも複数回の相談が寄せられていた。しかし、本人が面談に応じなかったことなどから、虐待の事実は確認できず、継続して状況を見守っていたという。
警察は当時の詳しい状況を調べるとともに、薬物使用の可能性も視野に入れて捜査を進めている。
長女は保護され、命に別状はないという。』
ここあは無事で、虐待という環境からも救われた。礼真は読み終えると、力が抜けたというように、ソファに座り込んだ。
あれから、自分ではなにもできない無力感に、礼真はかなり落ち込み、仕事のない夜にはここあのアパートの前に足を運ぶこともあった。
決定的な瞬間があれば、通報しようそんなことも考えていた。
それが、こんな形で解決するなんて…礼真は、もう一度記事を読み返して、
「…あいつが来る…化け物たちが来る…?」
引っかかった部分に、ばっとマキシを見た。
「マキシっやったな!」
「さぁ?」
横に座っているマキシに詰め寄ると、マキシはゲーム機に目を向けたままで、適当な返事をしてくる。
「さぁ…じゃないだろっ絶対マキシだ!」
ゲームを邪魔する猫のように、マキシの顔とゲーム機の間に入り込んで言うと、マキシは礼真の髪をくしゃっとしながら、ゲーム機を置いた。
「俺じゃないって。ただねーマキシチャンネルの子たちが、リアルで霊力つかわないと衰える、ストレス溜まるーって言うからさー。礼真もたまには自由にさせてあげないとって言ってたじゃん」
マキシが肩を竦めて、笑いながらくしゃくしゃと礼真の頭を撫でる。
マキシチャンネルとは、怪異現象を起こして、マキシに捕まった怪異たちが住んでいるネット上にあるサイトだ。ある程度話が通じて、危険度の低い怪異たちは、マキシが作るオカルト動画に混ざって、閲覧者に見てもらうことで、生前の満たされなかった欲求を、埋めている。
そして、ミロクセキュリティにきた依頼によっては仮想空間から出てきて、マキシのサポートをすることもある。
「やっぱりお前の仕業じゃないかっ。あのときっ俺が『なにもできない』って言ったら、『そうだね』って言ってたくせにっ。しっかりなんかしてるじゃないかっ!」
「あのときは本当になにもできなかったじゃん。それに今回も俺は手出してないって。」
仲間外れにされた気分でさらに噛みつくように言う礼真を抱き寄せて、よしよしと頭から背中の方までマキシの大きな手が撫でると、礼真がぽすっとマキシの肩に頭を置いた。
「みんなが刺激したせいで父親が暴走してここあちゃんに危害を加えたからどうするつもりだったんだよ」
むすっとして礼真が言うと、
「カカオにはちゃんと護衛つけてたよー」
と、当然と言うようにマキシが答えてくるのがまた、憎らしいが、マキシがやることに間違いはないことを知っている礼真はむくれるのを止めることにした。
「父親がいなくなったらここあちゃんは?母親は?」
マキシから体を離して、横に座りなおして礼真が聞いた。マキシならそこまでここあの情報を追いかけていると思ったからだ。
「カカオは施設に行くことになったって」
マキシはまたゲームを再開しながら答える。
「施設…」
マキシの答えに礼真は、胸元のメモリースティックに触れながら、しばらく考えていると、
「マキシっここあちゃんが行った施設、どこか調べられる?」
急に立ち上がってマキシの手から、ゲーム機を取り上げた。
「できるけど…」
「調べておいて!」
ゲームオーバーの音を聞きながら、「えー」と声を上げているマキシに、勢いよく言うと、礼真は事務所を駆け出して行く。
「…いいけど…どこ行くの?」
「奥村先生のところっ」
その後ろ姿に声をかけると、ドアの向こうから声が飛んできて、バタバタと階段を登る音が遠ざかっていく。
「礼真はなにをバタバタしてんだ」
いつもいるのか、いないのかわからないくらい静かに動く礼真が、バタバタしている姿に、スマホを眺めながら、煙草をふかしていた花子が興味深そうにマキシに聞いてくる。
「さぁ…」
マキシも首を傾げながら、タブレットを使って、ここあの情報を調べ始める。
そうしていると、また、バタバタと礼真が戻ってきた。
「マキシっ施設、わかった?」
「わかったよー。はい、どーぞ」
勢いよく聞いてくる礼真に、数分で調べた結果のメモを渡す。
「ありがと、タブレット貸して」
「はいはい、どうぞ、なに?買い物?」
メモを受け取った礼真にタブレットを渡してやると、礼真はネット通販のページをすぐに開いている。
ソファに座った礼真の横から、タブレットを覗くと、タブレットの画面にはいろんな種類の動物のぬいぐるみが表示されている。
「ぬいぐるみ?あーカカオに?」
さっきからの礼真の行動からすぐに察してマキシが聞くと、
「奥村先生に匿名で送れるか聞いてきたんだ。そしたら、とりあえず奥村法律事務所の名前で発送していいからって」
礼真は画面から顔を上げることなく、カートにどんどん動物のぬいぐるみを入れていっている。
「なるほどーえっ?うさぎ、犬、猫、ゾウ、牛、馬、猿…」
「なんだ、十二支か?」
カートに入っている動物の多さにマキシが思わず声を上げていると、花子が面白そうにツッコミを入れてくる。
「いやいや、猫とゾウは十二支にはいないでしょ。それより、そんなにたくさん送るの?」
花子にツッコミ返して、マキシは礼真の手元を見る。礼真はさらにどんどんカートにぬいぐるみを追加していく。
「うん、ここあちゃんにっていうか、その施設に送るからさ。」
なにを想像しているのか、礼真の表情は柔らかい。
その綺麗な横顔に少し見惚れてから、マキシは、
「俺にも選ばせてー」
礼真からタブレットを取った。
「いいけど…」
礼真は少し心配そうにマキシがポチるのを見て声を上げた。
「ちょっと待てっサメ、タコ、マグロ、チンアナゴって!うわっこのダンゴムシみたいなのなに?全然かわいくないんだけどっ」
「ダイオウグソクムシだよー深海にいる子だよー多様性、多様性っ」
「やめろっマジでっ」
マキシのセレクトにタブレットを取り返そうとしてくる礼真から逃げたマキシは、購入まで手続きをあっと言う間にしてしまう。
「はーい、決済まで完了しちゃいましたー」
ひらひらーとタブレットを振って見せる。
「もう…」
と、マキシを睨んでから礼真はふっと笑うと、どんっとマキシに肩を当てた。
「あっそういえば、あれだけいろんな種類の動物いれてたけど、クマ入ってなかったね?」
マキシが思い出したように言っていると、ここあの父逮捕のニュースからのバタバタですっかり屋上に忘れられていたベア吉が一匹?でとことこ事務所に帰ってきた。
「あーベア吉っごめん、ごめん」
礼真が慌てて、ベア吉を抱き上げる。
「っ!!」
礼真の腕の中で文句を言うようにじたばたするベア吉に、
「本当にごめんね、お詫びにまた公園に行こうな」
ぎゅっとしながら言うと、
「っ♪?」
ベア吉がぎゅうっと礼真に抱きつく。
「クマはさ…」
ベア吉をあやすようにしながら、礼真はマキシに向きなおった。
「俺たちにとってクマのぬいはベア吉だけだろ」
礼真の言葉にマキシはふっと笑うと、
「確かに、手のかかるクマはこいつだけで十分だ」
と、ぐりぐりとベア吉の頭を撫でた。
20年後。
「ただいまー」
硝子がはめられた格子のドアを開けて礼真が帰ってきた。
ドアにつけられているベルが、カランと音を立てる。
入口のドアを開けた左にはカウンターがあり、その中にはキッチン。右側には4人掛けのテーブルとそれに合わせたソファが3セット並んでいる。
住宅街から少し離れた民家。一階の一部をカフェに改造した建物に、ミロクセキュリティのは一週間前に引っ越してきていた。
姿の変わらない自分たちの存在が周囲に与える影響を考えて、花子は十数年に一度程度事務所の引っ越しをする。
外が見える窓側の席にベア吉に並んで座っているマキシが、エコバッグを下げて、コンビニから帰ってきた礼真に声をかけた。
「おかえりーお疲れさま、どう?コンビニまでの距離」
「んー距離はあったけど、前のところよりは近いかな。」
礼真は答えながら、一番奥に座っている花子に、
「マルボロです」
と、いつもタバコを2カートン渡して、そのままカウンターの中に入る。
「コーヒー入れるね。所長飲みます?」
「飲む」
花子が即答してくる。
マキシも礼真も飲食はできない。だが、マキシがコーヒーの香りが好きだったこともあり、この場所の雰囲気に流されるように、豆を挽いて、コーヒーを入れるのが礼真の楽しみになっていた。
普段、水くらいしか飲まない花子も、そのコーヒーは飲む。
礼真は、まだ少しぎこちなくコーヒーをドリップして、元カフェの名残のように残されていたカップにコーヒーを入れた。
店に残っているものは自由に使っていいという契約になっていた。
カフェらしいぽってりとした白いカップをソーサーに乗せて最初に花子に出し、マキシの分はソーサーには乗せずにカップだけ。
マキシの前にカップを置いた礼真は、ベア吉を挟んでソファに座る。
「ベア吉、なに見てるの?」
熱心にタブレットに見入っているベア吉に礼真は声を掛けながら、タブレットを覗き込んだ。
「水族館の動画か、最近よく見てるね」
「♪?」
かなり大きな水族館らしく巨大な水槽に大小さまざまな魚。カメも泳いでいる。
『この水槽に太平洋の海を再現しています。魚の種類は…』
と、飼育員らしい若い女性と、その女性を撮影しているカメラマンが会話をしながら、水族館の紹介をしていくという動画のようだ。
若い女性飼育員は新人なのか、ときどきつっかえながらも、一生懸命に魚たちの魅力を伝えようとしている。
つい、礼真も見入ってしまう。
画面が少し暗くなって、女性とカメラマンが深海魚のゾーンに入った。
『じゃあ、ちょっと別の質問です。新人のマツモトココアさん、どうして水族館飼育員になろうと思ったんですか?』
カメラマンから声が入って、女性はカメラを見ると、にこっと笑った。
マツモトココア…松本心愛…。
礼真の頭の中で、その音はすぐに漢字に変換された。そして、その女性の笑顔に夜の公園でパンを食べて笑っていたここあの顔が重なった。
「マキシ!見てっこれっ」
礼真はマキシの肩を叩いて、画面を指さした。
スマホを眺めていたマキシは動画を見て、
「カカオじゃん」
と、顔を見ただけですぐに、ベア吉が迷子になったあの夜の公園で会った女の子だとわかったらしく、あのとき変わらない愛称が彼女を呼んだ。
『飼育員になった理由ですか?』
画面の中で笑顔のままで心愛が答えている。
『私、施設で育ったんですよ。ある日、その施設に大量の動物のぬいぐるみが届いたんです。差出人は不明でした。』
『あしながおじさんだ』
『そうかもしれないですね』
カメラマンの言葉に心愛はちょっと頷いてから、続けた。
『本当にいろんな動物がいっぱいで、みんなで動物園と水族館つくって遊んだんです』
心愛の言葉に、マキシと礼真はちょっと顔を見合わせて、微笑み合った。
『かわいいぬいぐるみもたくさんいたんですけど、私も、その中にいたダイオウグソクムシのぬいぐるみが気に入っちゃって、なんかずっと抱っこしてまわってたんですよ』
心愛はある水槽の前で足を止めた。
『ダイオウグソクムシ!』
心愛は水槽の中を指さすと、少し眩しそうに目を細めて、隅っこでじっとしているダイオウグソクムシを紹介した。
『本物のグソクンに会いたくて水族館で働きたいって思ったんです!今の夢はもっと勉強してグソクンたちの担当になることです!』
カメラに向き直って、ぐっと両手を握ってみせた心愛に、カメラマン役が思わずというように、
『頑張れーグソクンも待ってるーって』
と、カメラを揺らして声援を送る。
画面を見ていたマキシは、横で同じように心愛の姿をじっと見つめている礼真に目をむけた。
礼真は、なにも言わずただじっと大人になって夢を語る心愛の姿を見つめている。
涙はでないはずのその目がマキシには少し潤んでいるように見えた。
礼真がはぁ…と息をつくと、なにかを噛みしめるように俯いた。
「レイマ…」
あのときの閉まった扉の前での礼真の姿を思い出す。
礼真の中でいろんな思いが渦巻いているのだろうと、マキシが柔らかく声をかけて、髪を撫でようと手を伸ばしかけた。その瞬間、がばっと礼真が顔をあげて、
「なっなんでっダイオウグソクムシ!?」
と叫んだ。
その叫びに、マキシは一瞬ぽかんとしてから、笑い出す。
「多様性って言ったでしょーイエーイ!俺の勝ちー」
「ダイオウグソクムシ…」
勝利宣言をするマキシの横で、肩を落とす礼真だったが、動画の中でダイオウグソクムシ愛を語り続けているここあを見る目はどこか晴れやかだった。
動画が終わって、ベア吉はまた別の水族館の動画を見始めた。
礼真はまだ、ダイオウグソクムシ…と呟いている。
「あっそうだ、レイマー」
「なに?」
「子どもが気に入ったことを無限ループする理由なんだけどさ。脳が『これ大事!』って学習してる最中なんだって。だから、同じ遊びでも毎回少しずつ新しい発見があるし、何回もやってて、先が分かる安心感もある。だから大人には同じに見えても、子どもにとっては毎回ちゃんと意味があるんだよ。」
「は?なに急に」
突然、説明口調で話し始めたマキシに、礼真は目を丸くした。
礼真の言葉にマキシも目を丸くする。
「ま?なにって、カカオとクマが何回も滑り台滑ってるときに、礼真がその理由調べて教えてって言ったじゃん」
なに言ってるの?と逆に言われて、礼真は記憶の糸をたどる。
「子供ってさーなんで同じヤツばっかり無限ループするだろうな」
マキシがぽつっと呟いて、礼真は自分も同じことを考えていたと思いながら、
「それ、俺も気になるから、マキシ、調べて教えてよ」
また滑り台を登りはじめたここあとベア吉に目を細めた。
「あっ…」
ここあに出会ったあの夜の公園でのなにげない会話を礼真は思い出した。
それ…今?と思いながら、マキシの顔を見つめると、投げたボールをとってきて褒めてもらうのを待っている犬のような顔のマキシがいて、礼真は思わず吹き出した。
「ありがとう、なるほど新しい発見かー」
無限ループをする子供とは違うが、新しい発見をするのは確かに楽しい。
礼真は思いながら、すっかり覚めて香りが立たなくなったマキシのカップを手に立ち上がった。
500年という礼真からは想像もできない長い時間を地縛霊として過ごしてきたマキシにとっては、20年前のなにげない雑談は3日くらい前の感覚なのかもしれない。
新しい発見だ。
それに、なにげない会話を覚えていて、ちゃんと返してくれるのも、マキシらしい。
「礼真ーコーヒーおかわり」
花子から、声が飛んでくる。
「はい」
礼真は、カウンターに入っておかわりのコーヒーを淹れ始める。
「ねーねーレイマー今度ークマと水族館の行こうよ」
ベア吉と一緒にタブレットを見ながらマキシがそんな提案をしてくる。
「いいよー」
「やった!」
「♪」
礼真の返事にマキシとベア吉が顔を見合わせて、ハイタッチをしている。
この今度ももしかしたら、10数年後になったりして…と思ってみたりしながら、どうせずっと一緒にいるんだし、時間は関係ないか…礼真はゆっくり落ちていくコーヒーを見つめた。
See you next heart



