小学生になって、お母さんたちの顔色を窺うのは割と簡単だった。
例えばテスト。最初のうちは簡単だったが、学年が上がるにつれて怪しい単元も出てくるようになった。そこでうまく点を取れれば、私の目を見て、一言だけだったが褒めてくれた。逆に点が悪いと何も言われず、余計に不機嫌にさせてしまう。いつしか私は、良い点数だけのテストを見せるようになった。
学校での私は孤立していた。人と関わることには対して重きをおかず、自分のことに時間を費やした。
お母さんたちに、たった一言でいいから褒められたかった。いつも私を見てくれないが、あの瞬間だけでいいから、「頑張ったね」と笑ってほしかったのだ。だから私は、学校であろうと勉強に時間を使った。休み時間にみんなが外で遊んでいる中、私はただひたすら問題を解いた。教科書を読んだ。
それを、クラスメイトは嘲笑った。気味が悪い、狂っていると。でも私の頭にあったのは、お母さんとお父さん。周りの声なんて耳には入らず、ただその時のためだけに、突っ走っていた。
昨日会った数学のテスト。返ってきた答案用紙に書かれた点数は百点。連続記録を順調に伸ばしている。これならもっと……なんて、叶いそうにもない想像を勝手に膨らませている。
扉を開けて、怒られないように靴をそろえてリビングへ。
「ねぇお母さん……! この前の……」
台所にいたのは、息を荒げ、ナイフを逆手で持っているお母さんだった。鬼のような形相で、突如として入ってきた私を睨みつける。
「お……かあ……さ……」
一歩ずつ後ずさりながら、そんなお母さんの表情がじわじわと心を締め付けていく。
もうだめだ。
私はリビングを出て二階の自室へ向けて走った。手に持っていたテストも置き捨てて、ただ怖いという感情を打ち消すために走った。
どうして? 私何かしちゃった? なんで?
部屋の隅で蹲って、思考がぐるぐる回っていく。まとまらない。わからない。どうして、そんな言葉が消えてくれない。
ここまでの努力が、すべて水の泡に。それだけは絶対に嫌だ。
これ以上選択を間違えてはいけない。何事もなかったようにふるまおう。
日が落ちて、部屋は真っ暗になった。立ち上がれば壁に電灯のスイッチがあるが、なぜかその勇気はない。
もうそろそろ夕ご飯だから、早く下へ降りなければいけない。でも、その勇気を振り絞るのに相当な労力を使っているのだ。
もう……怒られたくない……。
緊張して手が震え、足にも力が入らない。喉の渇きが口いっぱいに広がっている。
生まれたての子鹿のように立ち上がり、いつもよりそおっと扉を開ける。
静まり返った廊下。いつもなら何かしら生活音があるのに、今は何もない。
リビングへ行くと、お母さんがちょうど準備を終えようとしているところだった。もう少し遅れたらと思うと、また気に障りそうで怖い。
「お父さんは今日も遅いみたいだから、食べなさい」
そう言って私に座るように促す。椅子を引く音が、妙に煩く響く。お父さんがこの場にいることは少ないので、あまり普段とは変わらないのだが……。
「いただきます……」
私が食べ始めたのを見て、お母さんも私に倣う。
粒立ちの良いご飯と、ごろごろと具沢山の肉じゃが、ふわふわの卵焼きに艶やかに光る甘辛の鶏つくね。どれも見たことがある、我が家の料理。
お母さんの料理は美味しい。それは本当に。学校でたまにあるお弁当の日は、最初の渡す場面さえ終わってしまえば楽しみで仕方ない。
「……咲九夜は、本当に美味しそうに食べてくれるね……しっかりしてて、言うことも聞くし……ありがとう」
「……え……?」
急にそんなことを言われて呆気に取られる私を、お母さんは柔らかく微笑み食事に戻る。
なんとも言えない不思議な感覚。でも彼女は、早めにご飯を食べ切った。
「今日も美味しかった。ありがとう、お母さん」
いつものように、でももっと感情深く伝えて、いつも通り自室に戻る。お母さんが何かを言いかけていたようにも見えたけど、今日は止まらない。少し無理やり詰み込んだからか、お腹が膨れ上がっている感覚がある。美味しかったはずのご飯も、味が思い出せない。
帰った時のことも、結局怖くて聞けないまま。
私は、母のあの言葉が、とても酷く聞こえてしまった。
『言うことも聞くし』
その言葉を、私は見過ごせなかった。
未熟であるからこそ、それが嫌だった。
私は、お母さんの言うことを聞き、空気を読んで生活しなければいけない。それを深く胸に刻み、自分を覆うことに専念していった。
例えばテスト。最初のうちは簡単だったが、学年が上がるにつれて怪しい単元も出てくるようになった。そこでうまく点を取れれば、私の目を見て、一言だけだったが褒めてくれた。逆に点が悪いと何も言われず、余計に不機嫌にさせてしまう。いつしか私は、良い点数だけのテストを見せるようになった。
学校での私は孤立していた。人と関わることには対して重きをおかず、自分のことに時間を費やした。
お母さんたちに、たった一言でいいから褒められたかった。いつも私を見てくれないが、あの瞬間だけでいいから、「頑張ったね」と笑ってほしかったのだ。だから私は、学校であろうと勉強に時間を使った。休み時間にみんなが外で遊んでいる中、私はただひたすら問題を解いた。教科書を読んだ。
それを、クラスメイトは嘲笑った。気味が悪い、狂っていると。でも私の頭にあったのは、お母さんとお父さん。周りの声なんて耳には入らず、ただその時のためだけに、突っ走っていた。
昨日会った数学のテスト。返ってきた答案用紙に書かれた点数は百点。連続記録を順調に伸ばしている。これならもっと……なんて、叶いそうにもない想像を勝手に膨らませている。
扉を開けて、怒られないように靴をそろえてリビングへ。
「ねぇお母さん……! この前の……」
台所にいたのは、息を荒げ、ナイフを逆手で持っているお母さんだった。鬼のような形相で、突如として入ってきた私を睨みつける。
「お……かあ……さ……」
一歩ずつ後ずさりながら、そんなお母さんの表情がじわじわと心を締め付けていく。
もうだめだ。
私はリビングを出て二階の自室へ向けて走った。手に持っていたテストも置き捨てて、ただ怖いという感情を打ち消すために走った。
どうして? 私何かしちゃった? なんで?
部屋の隅で蹲って、思考がぐるぐる回っていく。まとまらない。わからない。どうして、そんな言葉が消えてくれない。
ここまでの努力が、すべて水の泡に。それだけは絶対に嫌だ。
これ以上選択を間違えてはいけない。何事もなかったようにふるまおう。
日が落ちて、部屋は真っ暗になった。立ち上がれば壁に電灯のスイッチがあるが、なぜかその勇気はない。
もうそろそろ夕ご飯だから、早く下へ降りなければいけない。でも、その勇気を振り絞るのに相当な労力を使っているのだ。
もう……怒られたくない……。
緊張して手が震え、足にも力が入らない。喉の渇きが口いっぱいに広がっている。
生まれたての子鹿のように立ち上がり、いつもよりそおっと扉を開ける。
静まり返った廊下。いつもなら何かしら生活音があるのに、今は何もない。
リビングへ行くと、お母さんがちょうど準備を終えようとしているところだった。もう少し遅れたらと思うと、また気に障りそうで怖い。
「お父さんは今日も遅いみたいだから、食べなさい」
そう言って私に座るように促す。椅子を引く音が、妙に煩く響く。お父さんがこの場にいることは少ないので、あまり普段とは変わらないのだが……。
「いただきます……」
私が食べ始めたのを見て、お母さんも私に倣う。
粒立ちの良いご飯と、ごろごろと具沢山の肉じゃが、ふわふわの卵焼きに艶やかに光る甘辛の鶏つくね。どれも見たことがある、我が家の料理。
お母さんの料理は美味しい。それは本当に。学校でたまにあるお弁当の日は、最初の渡す場面さえ終わってしまえば楽しみで仕方ない。
「……咲九夜は、本当に美味しそうに食べてくれるね……しっかりしてて、言うことも聞くし……ありがとう」
「……え……?」
急にそんなことを言われて呆気に取られる私を、お母さんは柔らかく微笑み食事に戻る。
なんとも言えない不思議な感覚。でも彼女は、早めにご飯を食べ切った。
「今日も美味しかった。ありがとう、お母さん」
いつものように、でももっと感情深く伝えて、いつも通り自室に戻る。お母さんが何かを言いかけていたようにも見えたけど、今日は止まらない。少し無理やり詰み込んだからか、お腹が膨れ上がっている感覚がある。美味しかったはずのご飯も、味が思い出せない。
帰った時のことも、結局怖くて聞けないまま。
私は、母のあの言葉が、とても酷く聞こえてしまった。
『言うことも聞くし』
その言葉を、私は見過ごせなかった。
未熟であるからこそ、それが嫌だった。
私は、お母さんの言うことを聞き、空気を読んで生活しなければいけない。それを深く胸に刻み、自分を覆うことに専念していった。



