そこは、無の空間だった。物体が何もなければ、色もない、ただ真っ白で空虚な空間。音も聞こえない。自分の呼吸すら、できているのかわからない。意識がぼんやりしている。
少しずつ感覚が蘇ってくる。鼓動——響く感覚から、手が動くようになっている気がする。指先の感覚も戻ってきた。足があともうちょっと。
今自分が、ここにいる。そんな感覚が次第に戻って来て、でも相変わらず殺風景な空間で。
夢の中かな……どこなんだろう。
咲九夜は心の中で口にする。耳や口の感覚は相変わらずない。
「こんにちは、咲九夜」
ぐわっと、突然鼓膜が振動する。何も無かった空間に、透き通った声が届く。
曖昧な感覚で、声があったはずの方向に振り向く。
そこにいたのは、フードを被った小さな少女。背中から顔を覗かせているのは、鋭利な鎌。
「きっと、もう喋れるはずだよ」
「……だ、れ……?」
本当に出た……。
その代わり、喉の渇きがじわじわと広がっていく。
「てか……なんで私の名前……」
だんだんと思考もはっきりしてくる。この空間に存在していることの不思議さを、ようやくまとめはじめたようだ。
「それは……内緒」
口元に手を当てる彼女。ローブで身を包んでいるうえに、フードが深くて表情が上手く見えない。不明瞭なことが多すぎて、恐怖も現れ始める。
「大丈夫だよ。何もひどいことなんてしないから」
心を汲み取ったように、優しく告げる彼女。鎌なんか背中に下げて、わからないことが多すぎるのだから、説得力なんてない。
「咲九夜は死んだの。だからこうやって、私が死後の世界を案内することになった。やることがあるから、行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
スタスタと歩いてく彼女は、反応することも、振り向くこともせず進んでしまう。このまま一人でこの空間にいるのは心細いので、やっと感覚が戻り切った足で地面——と言っていいかはわからないが——を蹴る。
身体が浮かんでしまうのではないかと思うくらい軽い。動く度の微弱な疲労も、息切れも感じそうにない。感覚がないわけではなく、この世界の仕組みなのだろう。
小さい彼女にはあっという間に追いつき、歩幅を合わせて後ろを辿る。
「今から咲九夜には、生きていた頃の記憶を辿ってもらうよ」
「どういうこと……さっきから話を勝手に……」
あまりにも説明がなさすぎる。急にこんなところに来て、首を縦に振るなんて簡単じゃない。
そもそも、私っていつ死んだの……?
なんで死んだの……?
この世界って……。
「過去にタイムスリップするように、その時の咲九夜に魂を移すみたいな感じ。ある程度思い出したら、ちゃんとここに戻ってくるよ」
「……記憶を辿る意味もわからないし、そもそも君は一体誰なの? お願いだから、ちゃんと私の話を聞いてよ……!」
それでも、彼女は止まらない。触れて取っ捕まえてやろうかとも思ったけど、小さい彼女に危害を加える恐れがあるために、流石に躊躇う。
やがて、一つの珠が見えてくる。その前でようやく、彼女は動かなくなった。
その珠は、サッカーボールくらいの大きさ。淡い光を帯びていて、形容できない落ち着いた色をしている。
「咲九夜、自殺したの、覚えてないの?」
——へっ?
私が……自殺……?
「仕方ないか……死んだ人はみんな、現世の記憶を一時的に忘れてるんだ。特に君みたいな、壮絶な人たちは、苦しみから逃げるためにね……。今からの旅で、思い出してね」
無理やり笑うような彼女。どこか苦しそうで、痛みを隠すような、そんな表情。
「……触れたくない。嫌だ」
素直に従うわけにはいけない。拒否し切れるとは思っていないけど、これはせめてもの抵抗。
「わかるけど……ごめんね、触れて」
苦しげに何かを迷う少女に、疑問や戸惑いを抱く咲九夜。心の中をぐちゃぐちゃにされるように、少女の一つひとつの行動が気にかかってしまう。
鋭く見つめられて、もう逃さないと言われているみたいだ。
不可解に思いながらも、促されたとおり珠に触れる。
その瞬間、珠の色がくすみ始めた。淡い光も、色も、汚染されていく。温かみがあったはずが、急速に熱が奪われていく。
電流のように、そこに込められていた想いが蘇る。
確かに私は死んだ。自殺した。
もう思い出したくもなかったのに。
少しずつ感覚が蘇ってくる。鼓動——響く感覚から、手が動くようになっている気がする。指先の感覚も戻ってきた。足があともうちょっと。
今自分が、ここにいる。そんな感覚が次第に戻って来て、でも相変わらず殺風景な空間で。
夢の中かな……どこなんだろう。
咲九夜は心の中で口にする。耳や口の感覚は相変わらずない。
「こんにちは、咲九夜」
ぐわっと、突然鼓膜が振動する。何も無かった空間に、透き通った声が届く。
曖昧な感覚で、声があったはずの方向に振り向く。
そこにいたのは、フードを被った小さな少女。背中から顔を覗かせているのは、鋭利な鎌。
「きっと、もう喋れるはずだよ」
「……だ、れ……?」
本当に出た……。
その代わり、喉の渇きがじわじわと広がっていく。
「てか……なんで私の名前……」
だんだんと思考もはっきりしてくる。この空間に存在していることの不思議さを、ようやくまとめはじめたようだ。
「それは……内緒」
口元に手を当てる彼女。ローブで身を包んでいるうえに、フードが深くて表情が上手く見えない。不明瞭なことが多すぎて、恐怖も現れ始める。
「大丈夫だよ。何もひどいことなんてしないから」
心を汲み取ったように、優しく告げる彼女。鎌なんか背中に下げて、わからないことが多すぎるのだから、説得力なんてない。
「咲九夜は死んだの。だからこうやって、私が死後の世界を案内することになった。やることがあるから、行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
スタスタと歩いてく彼女は、反応することも、振り向くこともせず進んでしまう。このまま一人でこの空間にいるのは心細いので、やっと感覚が戻り切った足で地面——と言っていいかはわからないが——を蹴る。
身体が浮かんでしまうのではないかと思うくらい軽い。動く度の微弱な疲労も、息切れも感じそうにない。感覚がないわけではなく、この世界の仕組みなのだろう。
小さい彼女にはあっという間に追いつき、歩幅を合わせて後ろを辿る。
「今から咲九夜には、生きていた頃の記憶を辿ってもらうよ」
「どういうこと……さっきから話を勝手に……」
あまりにも説明がなさすぎる。急にこんなところに来て、首を縦に振るなんて簡単じゃない。
そもそも、私っていつ死んだの……?
なんで死んだの……?
この世界って……。
「過去にタイムスリップするように、その時の咲九夜に魂を移すみたいな感じ。ある程度思い出したら、ちゃんとここに戻ってくるよ」
「……記憶を辿る意味もわからないし、そもそも君は一体誰なの? お願いだから、ちゃんと私の話を聞いてよ……!」
それでも、彼女は止まらない。触れて取っ捕まえてやろうかとも思ったけど、小さい彼女に危害を加える恐れがあるために、流石に躊躇う。
やがて、一つの珠が見えてくる。その前でようやく、彼女は動かなくなった。
その珠は、サッカーボールくらいの大きさ。淡い光を帯びていて、形容できない落ち着いた色をしている。
「咲九夜、自殺したの、覚えてないの?」
——へっ?
私が……自殺……?
「仕方ないか……死んだ人はみんな、現世の記憶を一時的に忘れてるんだ。特に君みたいな、壮絶な人たちは、苦しみから逃げるためにね……。今からの旅で、思い出してね」
無理やり笑うような彼女。どこか苦しそうで、痛みを隠すような、そんな表情。
「……触れたくない。嫌だ」
素直に従うわけにはいけない。拒否し切れるとは思っていないけど、これはせめてもの抵抗。
「わかるけど……ごめんね、触れて」
苦しげに何かを迷う少女に、疑問や戸惑いを抱く咲九夜。心の中をぐちゃぐちゃにされるように、少女の一つひとつの行動が気にかかってしまう。
鋭く見つめられて、もう逃さないと言われているみたいだ。
不可解に思いながらも、促されたとおり珠に触れる。
その瞬間、珠の色がくすみ始めた。淡い光も、色も、汚染されていく。温かみがあったはずが、急速に熱が奪われていく。
電流のように、そこに込められていた想いが蘇る。
確かに私は死んだ。自殺した。
もう思い出したくもなかったのに。



