震える手で通話開始をタップする。
「……加山、か?」
「ああ。元気か?」
通話の向こう側の声は、異常に思えるほど、今までと何も変わらなかった。あまりの変わらなさに、俺は二の句をつげなかった。
「あれ? 大丈夫か? 今、まずかったか?」
「……まずくは、ないよ」
ずずっと鼻を啜った。
言葉を話した分だけ、怪物から人間に戻ってしまうような気がして、心の中で膿んだ罪悪感がぎりぎりと痛んだ。
加山はそんな俺の気持ちまで見透かしたみたいに、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「昨日さ、行けなくて、ごめん」
「お前が……謝ることじゃないだろ」
「今日夕方に鳥居先生が見舞いに来てくれて、継原ががっかりしてたって聞いてさ。勝手に自爆したのはオレだから、行けなくなってごめんって、言わなきゃって思ったんだよ」
発火したのかと思うくらいに目の奥が熱くなった。
巨大な岩山が無理やり俺の口腔に詰め込まれたみたいだった。息ができない。代わりに獣じみた嗚咽が喉の奥からせり上がってきて、押しとどめるのに全精力を傾けなければならなかった。
「もしかして、怒ってるか?」
加山の声は、あまりにも変わらない。どうにか「……怒ってるわけ、ないだろ」と絞り出すのがやっとだった。
「謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」
「なんでだよ?」
「お前をそんな目に遭わせちまって」
「何言ってんだよ」
その言葉の調子には何一つ嘘や誤魔化しが含まれていなくて、たじろいでしまう。
「オレが事故ったのは、百二十パーセント、オレが悪いに決まってるだろ。継原が悪いわけない」
「でも、俺たちが現れなければ、お前が事故に遭うこともなかった。その右手も――」
口に出した瞬間、しまったと思った。そんなこと、俺の口から言うべきではない。でも、当の本人は「ああ、これな」と、何でもないような声だった。
「確かに、かなり長い間、絵は描けそうにないな。けど、それと継原たちが来てくれたことは関係ない。さっきも言ったけどさ、あくまで僕の不注意なんだ。それで継原や水嶋を恨むなんて、あるわけない」
「でも……」
加山の穏やかな声は、ざらついた俺の心すらも凪がせていった。
加山は当たり前のことを言っている。冷静な頭で考えればわかることだった。
加山の事故の責任が俺たちにないのはその通りだし、加山が俺たちを恨むなんて、普通に考えれば逆恨みもいいところだ。普通に考えれば、それは限りなく正しい。
だけど俺たちは、そうした『普通』とはかけ離れたものを元に動いていた。それさえなければ、加山を外に連れ出すことなんてなかったし、加山が事故に遭うことだってなかった。
加山の言葉は一般的には正しくても、俺や水嶋から見れば正しくなかった。
世界の誰が言おうと、俺たちは正しくない。
そう、言えればよかった。
なのに、俺の口はいつものように回ってはくれなかった。
この期に及んで俺は、加山に嫌われるのが怖かったし、加山から頭がおかしいと思われたくなかった。
死んでもいいと思っていたはずなのに、そんなことすら怖がっている自分が滑稽で、情けなかった。
「何度も言うけど、悪いのは僕だし、継原や水嶋との約束を破ったのも僕だ。そのことについて、継原が責任を負うことなんてないよ。でもさ」
加山はそこで言葉を切った。ずっ、と鼻を啜るような音がした。
「不謹慎だけど、僕、ちょっと嬉しいんだよ。継原みたいなやつが僕なんかに対して、そこまで思ってくれるのがさ。なんていうか、ちょっと気持ちいいっていうか」
継原みたいなやつ。
加山の言葉はあまりにも予想外すぎて、すぐに意味が掴めなかった。必死にその言葉を反芻して、ようやく意味がわかった。加山はきっと、とてもいい意味でその言葉を口にしてくれている。
「……俺は、そんな、加山にそんなことを言ってもらえるようなやつじゃないんだ」
「何言ってんだよ。僕、ちょっとしか学校行ってないけどさ。継原はいつも教室の中心で頑張ってるのなんて、僕にだってわかるぞ。僕だったら、何度生まれ変わったって継原みたいにはなれない。そんなやつが、僕に対してそこまで思ってくれるのを、嬉しいって思うことって、だめなことか?」
「……だめなわけ、ない」
どうにか言葉を絞り出した。俺の喉からは、搾りかすのような声しか出てこなかった。
「とにかく、一言謝りたかったんだ。週末には退院できるみたいだし、また三人で〈スカイン〉やろうよ。右手はしばらく使えないけど、ガチャ引くくらいならできるからさ」
ははは、と笑った。
今一番つらい状況にあるのは、あれだけのイラストを描けなくなった加山のはずなのに。
「加山」
「うん?」
「もしも……もしもの話、していいか」
「いいよ」
「もしも俺が……加山が事故に遭うことを予め知っていた……って言ったら、どうする?」
「継原は超能力者なのか?」
「事故に遭うことわかってて、それでもなお加山を外に連れ出そうとしてたとしたら」
「別に、何も」
加山は間髪入れずに即答した。
「それより、継原や水嶋と仲良くなれない方が、ずっと悲しい」
「そうか」
思い切り責められたくて投げかけたのに、帰ってきた言葉は、今までに耳にしたどんな言葉よりもすっと胸に染み入ってきた。期待していた言葉ではなかったのに。
「じゃあ、遅いから、そろそろ切るよ。また遊ぼうね」
「ああ……また」
また、と口にするのには、相応の勇気が必要だった。
通話が切れた後も、しばらくそのまま立っていた。
俺は一体、どうしたいのだろう。
死にたいのか。
それとも、生きたいのか。
俺はずっと、その〈問い〉を禁じてきた。
「何をしたいか」ではなく、「何をするべきか」。
「正しい生き方をする」とは、自分の正解を自分の外側に求めることだ。
どうしたいかではなく、どうすべきかと問わなければならない。
〈答え〉はいつも、自分の外側にしかないのだから。
それなのに、今俺の脳裏に浮かんでいるのは加山の部屋だった。
イラスト用のボードとPCが置かれた部屋には加山と俺と、水嶋がいる。
水嶋がガチャを引いて、ピックアップキャラが出なくて死んだ目になって、それを先に引いた俺と加山が笑っている。
水嶋が頬を膨らませ、なら君らの人権キャラを貸せと、無茶なことを言ってくる。
いち早く攻略情報をまとめてくれるYouTubeチャンネルを、三人で肩を寄せ合って見て、次のイベントキャラいいよな、なんて笑ってる。
そんな光景をもう一度取り戻したいと、願うことは罪だろうか。
ブラックホールのように他人の幸せを吸い尽してしまう俺はこの世から消えてしまうべきなのに、そんな奇跡のような光景を望む権利が、俺にはまだ残されているのだろうか。
か細く、今にも消えてしまいそうな〈問い〉。
〈攻略本〉に問いかけても意味のない〈問い〉。
そして、俺が俺に問うことを許さなかった〈問い〉だ。
俺はもう一度、眼前を流れる国道の濁流を見た。
次の一歩を踏み出し、自分で自分を断罪する――それはきっと正しいのだと思う。
けど、俺は――。
肩が揺れた。
視界が揺れ、喉の奥に詰まったものが雫となり、目から次から次へと落ちた。
洗い流してはいけないのだと思う。
ずっと抱え続けなければならないのだと思う。
けど俺は、もう一度会いたかった。
加山に。
そして――、水嶋に、
あいつはどうだろうか。
もう一度会いたいと、思ってくれるだろうか。
歩道と国道の境界線から身を剥がし、ショルダーバッグの中にある〈攻略本〉を取り出した。
長い間、俺はずっとこれに頼り、翻弄されてきた。
俺は、俺の願いを叶えるために、こいつを使ってもいいのだろうか。
なあ神様、どう思う?
心の中で問いかけても、〈答え〉はない。
あるはずもない。
不思議と、それでいいと思えた。
もう一度〈攻略本〉を握り締め、これからのことに思いを巡らせた。
「……加山、か?」
「ああ。元気か?」
通話の向こう側の声は、異常に思えるほど、今までと何も変わらなかった。あまりの変わらなさに、俺は二の句をつげなかった。
「あれ? 大丈夫か? 今、まずかったか?」
「……まずくは、ないよ」
ずずっと鼻を啜った。
言葉を話した分だけ、怪物から人間に戻ってしまうような気がして、心の中で膿んだ罪悪感がぎりぎりと痛んだ。
加山はそんな俺の気持ちまで見透かしたみたいに、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「昨日さ、行けなくて、ごめん」
「お前が……謝ることじゃないだろ」
「今日夕方に鳥居先生が見舞いに来てくれて、継原ががっかりしてたって聞いてさ。勝手に自爆したのはオレだから、行けなくなってごめんって、言わなきゃって思ったんだよ」
発火したのかと思うくらいに目の奥が熱くなった。
巨大な岩山が無理やり俺の口腔に詰め込まれたみたいだった。息ができない。代わりに獣じみた嗚咽が喉の奥からせり上がってきて、押しとどめるのに全精力を傾けなければならなかった。
「もしかして、怒ってるか?」
加山の声は、あまりにも変わらない。どうにか「……怒ってるわけ、ないだろ」と絞り出すのがやっとだった。
「謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」
「なんでだよ?」
「お前をそんな目に遭わせちまって」
「何言ってんだよ」
その言葉の調子には何一つ嘘や誤魔化しが含まれていなくて、たじろいでしまう。
「オレが事故ったのは、百二十パーセント、オレが悪いに決まってるだろ。継原が悪いわけない」
「でも、俺たちが現れなければ、お前が事故に遭うこともなかった。その右手も――」
口に出した瞬間、しまったと思った。そんなこと、俺の口から言うべきではない。でも、当の本人は「ああ、これな」と、何でもないような声だった。
「確かに、かなり長い間、絵は描けそうにないな。けど、それと継原たちが来てくれたことは関係ない。さっきも言ったけどさ、あくまで僕の不注意なんだ。それで継原や水嶋を恨むなんて、あるわけない」
「でも……」
加山の穏やかな声は、ざらついた俺の心すらも凪がせていった。
加山は当たり前のことを言っている。冷静な頭で考えればわかることだった。
加山の事故の責任が俺たちにないのはその通りだし、加山が俺たちを恨むなんて、普通に考えれば逆恨みもいいところだ。普通に考えれば、それは限りなく正しい。
だけど俺たちは、そうした『普通』とはかけ離れたものを元に動いていた。それさえなければ、加山を外に連れ出すことなんてなかったし、加山が事故に遭うことだってなかった。
加山の言葉は一般的には正しくても、俺や水嶋から見れば正しくなかった。
世界の誰が言おうと、俺たちは正しくない。
そう、言えればよかった。
なのに、俺の口はいつものように回ってはくれなかった。
この期に及んで俺は、加山に嫌われるのが怖かったし、加山から頭がおかしいと思われたくなかった。
死んでもいいと思っていたはずなのに、そんなことすら怖がっている自分が滑稽で、情けなかった。
「何度も言うけど、悪いのは僕だし、継原や水嶋との約束を破ったのも僕だ。そのことについて、継原が責任を負うことなんてないよ。でもさ」
加山はそこで言葉を切った。ずっ、と鼻を啜るような音がした。
「不謹慎だけど、僕、ちょっと嬉しいんだよ。継原みたいなやつが僕なんかに対して、そこまで思ってくれるのがさ。なんていうか、ちょっと気持ちいいっていうか」
継原みたいなやつ。
加山の言葉はあまりにも予想外すぎて、すぐに意味が掴めなかった。必死にその言葉を反芻して、ようやく意味がわかった。加山はきっと、とてもいい意味でその言葉を口にしてくれている。
「……俺は、そんな、加山にそんなことを言ってもらえるようなやつじゃないんだ」
「何言ってんだよ。僕、ちょっとしか学校行ってないけどさ。継原はいつも教室の中心で頑張ってるのなんて、僕にだってわかるぞ。僕だったら、何度生まれ変わったって継原みたいにはなれない。そんなやつが、僕に対してそこまで思ってくれるのを、嬉しいって思うことって、だめなことか?」
「……だめなわけ、ない」
どうにか言葉を絞り出した。俺の喉からは、搾りかすのような声しか出てこなかった。
「とにかく、一言謝りたかったんだ。週末には退院できるみたいだし、また三人で〈スカイン〉やろうよ。右手はしばらく使えないけど、ガチャ引くくらいならできるからさ」
ははは、と笑った。
今一番つらい状況にあるのは、あれだけのイラストを描けなくなった加山のはずなのに。
「加山」
「うん?」
「もしも……もしもの話、していいか」
「いいよ」
「もしも俺が……加山が事故に遭うことを予め知っていた……って言ったら、どうする?」
「継原は超能力者なのか?」
「事故に遭うことわかってて、それでもなお加山を外に連れ出そうとしてたとしたら」
「別に、何も」
加山は間髪入れずに即答した。
「それより、継原や水嶋と仲良くなれない方が、ずっと悲しい」
「そうか」
思い切り責められたくて投げかけたのに、帰ってきた言葉は、今までに耳にしたどんな言葉よりもすっと胸に染み入ってきた。期待していた言葉ではなかったのに。
「じゃあ、遅いから、そろそろ切るよ。また遊ぼうね」
「ああ……また」
また、と口にするのには、相応の勇気が必要だった。
通話が切れた後も、しばらくそのまま立っていた。
俺は一体、どうしたいのだろう。
死にたいのか。
それとも、生きたいのか。
俺はずっと、その〈問い〉を禁じてきた。
「何をしたいか」ではなく、「何をするべきか」。
「正しい生き方をする」とは、自分の正解を自分の外側に求めることだ。
どうしたいかではなく、どうすべきかと問わなければならない。
〈答え〉はいつも、自分の外側にしかないのだから。
それなのに、今俺の脳裏に浮かんでいるのは加山の部屋だった。
イラスト用のボードとPCが置かれた部屋には加山と俺と、水嶋がいる。
水嶋がガチャを引いて、ピックアップキャラが出なくて死んだ目になって、それを先に引いた俺と加山が笑っている。
水嶋が頬を膨らませ、なら君らの人権キャラを貸せと、無茶なことを言ってくる。
いち早く攻略情報をまとめてくれるYouTubeチャンネルを、三人で肩を寄せ合って見て、次のイベントキャラいいよな、なんて笑ってる。
そんな光景をもう一度取り戻したいと、願うことは罪だろうか。
ブラックホールのように他人の幸せを吸い尽してしまう俺はこの世から消えてしまうべきなのに、そんな奇跡のような光景を望む権利が、俺にはまだ残されているのだろうか。
か細く、今にも消えてしまいそうな〈問い〉。
〈攻略本〉に問いかけても意味のない〈問い〉。
そして、俺が俺に問うことを許さなかった〈問い〉だ。
俺はもう一度、眼前を流れる国道の濁流を見た。
次の一歩を踏み出し、自分で自分を断罪する――それはきっと正しいのだと思う。
けど、俺は――。
肩が揺れた。
視界が揺れ、喉の奥に詰まったものが雫となり、目から次から次へと落ちた。
洗い流してはいけないのだと思う。
ずっと抱え続けなければならないのだと思う。
けど俺は、もう一度会いたかった。
加山に。
そして――、水嶋に、
あいつはどうだろうか。
もう一度会いたいと、思ってくれるだろうか。
歩道と国道の境界線から身を剥がし、ショルダーバッグの中にある〈攻略本〉を取り出した。
長い間、俺はずっとこれに頼り、翻弄されてきた。
俺は、俺の願いを叶えるために、こいつを使ってもいいのだろうか。
なあ神様、どう思う?
心の中で問いかけても、〈答え〉はない。
あるはずもない。
不思議と、それでいいと思えた。
もう一度〈攻略本〉を握り締め、これからのことに思いを巡らせた。

