あの夏、俺は神様から人生の〈攻略本〉をもらった

 小さい頃から、俺は泣かない子どもだった。

 通っていた保育園にいた、これ見よがしに大声で泣きわめく子どもがいつも不思議だった。
 どうしてあの子はあんなに大きな声を出して、身体をばたつかせて騒ぐのだろう。
 あんなことをしたってお腹は膨れないし、自分の状況は何一つ改善しやしないのに。

 それは幼かった俺の大いなる勘違いだった。
 怒りや悲しみ、不満や憤りを表現することには意味がある。
 子どもが泣けば、いつだって保育園の先生は飛んできて、「どうしたの」と泣く子を優しく抱き締める。

 そうした光景を何度か目にした俺は、どうやら泣くことにも意味があるらしいと学習した。

 意味があるのなら、泣いてみようと思った。
 腹が減った時。
 トイレに行きたい時。
 遊びたかった玩具を取られた時。
 泣くためのチャンスならいくらでもあった。

 だけど、泣けないのだ。

 どれだけ泣こうとしても、涙はちっとも出てこなかった。
 泣き喚くやつの真似をするのには、どうしたって恥ずかしさがついて回った。
 泣こうとすればするほど、涙は遠ざかり、俺は幾度となくその機会を逸した。
 上手く泣けたことなんて、結局一度もなかった。

 きっと俺なんかが涙を流して悲しみを訴えるなんて、分不相応なことだったのだ。
 ちゃんと泣けたところで、結局は誰も俺の悲しみを掬いあげてはくれないからだ。

 だったら別に、泣けなくてもよかったのだと思う。
 救いを期待して、裏切られることほどつらいものはないだろうから。