あの夏、俺は神様から人生の〈攻略本〉をもらった

 加山と別れた俺は、中央線と地下鉄を乗り継いで栄に出た。ドンキの横から地上に出ると、目の前の観覧車が鮮やかな光で自己主張をしていた。とっくの昔に日は暮れていて、辺りには夜の街の匂いがしている。
 錦通り沿いに東へ歩くと、青白く光るテレビ塔と、オアシス21があった。
 〈水の宇宙船〉を横目にその上の芝生広場を目指す。あの日と同じベンチに座ると、水嶋が〈水の宇宙船〉の上に登ったことがないと言っていたのを思い出した。
 機会がなかったわけではないだろう。だけど、あえて近寄らなかった水嶋の気持ちが、なぜか理解できる気がした。
 あそこは、眩しすぎるのだ。
 明るい場所には、近寄れない。
 それは水嶋も同じだったんじゃないか。
 俺たちはきっと、どこか似ているから。

「……なんでいるの」

 呆れたような声がした。

「それはこっちの台詞だよ」

 振り返ると、どこにも行き場のない顔をした水嶋がいた。

「せっかくだから、登ってみないか?」

 俺は背後の〈水の宇宙船〉を指差す。
 水嶋は、俺の提案に渋々同意したと言わんばかりに、眉間に皺を寄せながら小さく頷く。

   * * *

 〈水の宇宙船〉にある水盤も、園路も、薄紫色にライトアップされていた。
 〈水の宇宙船〉を歩いているのはほとんどが外国人観光客で、家族連れの彼らは、何事かを笑い合いながら、楽しそうに互いを撮影し合っていた。
 辛気臭い顔をして歩いているのは、俺や水嶋ぐらいのものだった。

「もしかして〈攻略本〉に訊いた?」
「いや」

 別に証拠を見せるわけでもないが、ショルダーバッグから取り出して、一番新しいページを見せる。
 水嶋は、ちらっとそれを確認すると、水盤の微かな揺らめきに視線を移した。

「加山のお母さんがお前を見たんだと。夜の栄で、何回も。三越で働いてるんだってさ」

 水嶋はフッと鼻で笑い、「やっぱり人とは関わり合いになるもんじゃないね」と言った。

「俺たちが加山の家に行く前から見たことあったんだと、お前のこと。心配してたらしいぞ、いつも夜遅くまでいるのを見るからって」
「それはどうも、ご心配をおかけしまして」
「あの時も、やっぱり家じゃなかったんだな」

 水嶋は俺から距離を取るように歩き出した。向かう先には〈水の宇宙船〉の先端と、テレビ塔がある。小走りでその背を追う。

「こういうところなら、いちゃいけないっていう人は、そんなにはいないでしょ」

 世界はこんなにも広いのに、自分がいても許される場所は想像以上に少ない。
 居場所がない人間は、いてもいい場所を渡り歩くジプシーになるしかない。
 夜の栄は、羽休めにはまさにうってつけだろう。

「どうして家に帰らないんだ?」

 水嶋はその問いには答えず、代わりに「ちょっと、行きたいところがあるんだけど、一緒に行く?」と投げかけてきた。
 俺は何も考えずに頷くと、水嶋はあらかじめそう決めていたかのように、迷いない足取りで〈水の宇宙船〉の出口へ歩いて行った。