あの夏、俺は神様から人生の〈攻略本〉をもらった

 次の土曜日。水嶋は都合が悪かったらしく、俺一人で加山の家に向かった。ついに翌週に迫った文化祭に向け、製作物の打合せをするためだ。
 加山の筆は、美術素人の俺が想像する以上に早く、展示するイラストはもう一両日もあれば完成するとのことだった。
 イラストに描かれたのは、〈スカイン〉のキャラだった。

「〈シズク〉と〈ミナミ〉はともかく、なんで〈メムコ〉なの?」
「〈シズク〉は継原の推しだろ。僕は〈ミナミ〉。なら水嶋の推しも描いてやらないと」
「水嶋って〈メムコ〉推しだっけ?」
「まあ、水嶋がリセマラ以降初めて引いたSSRだし。周回で使わないのに無駄にレベル上げしてるから、そうなのかなって思って」
「よく見てるな……」
「継原が見てなさ過ぎなんじゃないか」

 加山はディスプレイに向かう手を止めずに、小さく肩を揺らした。

 必要な確認は既に終わっていた。画像データの締め切りと、入稿作業。イラスト制作をほとんど加山に頼ってしまっている以上、それ以外の雑務や費用負担は俺や水嶋が担うべきだと俺は主張した。
 雑務についてはそれでいいが、費用負担については折半すべきだと加山は主張する。

「感謝してるんだ、僕は。たぶん、君らが想像している以上に」

 結局、製作費用のうち、幾ばくかを加山にも負担してもらう、という線で落ち着いた。加山がいいなら、俺たちはそれで構わない。

 加山が静かに作業を進めている傍ら、特に何もできない俺は、〈スカイン〉の周回をしていた。俺と加山の間に多くの会話は生まれなかったが、その沈黙が気まずいとは思わなかった。

「ところで」

 どうでも良さそうに、加山が言った。俺は周回画面から目を離さずに「うん?」とだけ返した。

「継原は水嶋さんと付き合ってるのか?」

 その台詞があまりにも予想外過ぎて、スマホを取り落としそうになってしまう。

「どうして?」
「いや、水嶋さんって前、クラスではほとんど喋らなかったし。でも、ここに来た水嶋さんは前とは別人みたいで……、その」
「それと俺が付き合ってるのとどう関係があるんだよ」

 あり得なさ過ぎて、笑ってしまった。

「何かあったのかなと思って」

 加山の言葉に、俺は水嶋とのこれまでを思い返す。
 〈攻略本〉の内容が露見して、〈攻略本〉の機能を共有し、どうせなら正しいことに使いたいと思い実行に移したこと。
 その内容は、加山には話せないことを含んでいたので、単に「色々あってさ」と、言葉を濁すことにした。加山も「そっか」と、それ以上突っ込んでくることはなかった。

 加山は水嶋のことが気になっているのだろうか。
 人に恋愛感情を持たせるのにもっとも有効なのは、単純接触機会を多くすることだ、という説を聞いたことがある。その効果が加山に作用したとしてもおかしくはないのかもしれない。
 そこまで考えたところで、その説はそのまま俺や当てはまることに気づいた。

 群れないマイワシ。
 首筋に当てられたレモンスカッシュ。
 それを首筋に当てた時の水嶋の笑顔。

「あのさ」

 加山の声が、俺を回想の海から引きずり出した。加山の手は止まっていて、こちらに向き直った加山はやけに神妙な顔をしていた。

「この前、母親から聞いたんだけど……その、僕の母さん、栄のデパートで働いてるから」

 加山は母親から聞いた話を、そのまま俺に教えてくれた。
 初耳だったその話は、なぜか俺の中にある欠けた部分にぴったりと嵌った。欠けている部分のパズルピースが、予想もしない場所からひょっこり出てきたかのような。

 加山は「水嶋を悪く言うつもりはないんだ」と言った。「知ってるよ」と俺は言った。加山は身体を少し小さく丸め、はにかむように笑った。

「嬉しかったんだ。三人で、この部屋でゲームをやったこと。僕にはそんな思い出、他にはなかったから。僕はきっと、何十年経ってもこのことを思い出せると思う。だからこそ、まだ続きを見ていたいって気持ちがあるんだ。〈スカイン〉だって、まだまだ続いていくと思うから」
「確かに、〈スカイン〉はまだ終わらないだろうな」

 そう言って、俺は笑った。
 〈スカイン〉は終わらないし、文化祭の展示が終わっても、この日々を通じて育まれた俺たち三人の関係は続いていく。
 けど、俺は知っている。小さな蝶が遠くでほんの少し羽を広げただけで、誰かの運命が百八十度変わってしまう――そういう事象だってあるということを。
 運命の気まぐれのような嵐に襲われれば、俺や加山の願いなんて風の中のちり紙のように吹き飛ばされるだけなのだろう、ということも。

 だけど、今がより長く続いてほしいと願うこと、それ自体が間違っているとは、俺には思えなかった。