「継原くん。後でちょっと職員室に寄ってくれないかな?」
ホームルームが終わった後、残って文化祭アンケートのまとめをしていると、鳥居先生からそう耳打ちされた。
「わかりました」
「ごめんね。急がなくていいからっ」
ぱんっ、と顔の前で両手を合わせ、鳥居先生は足早に教室を出て行く。
その足音が廊下の向こうに消えていくのを確認して、俺は小さくため息をついた。
鳥居うみ先生は、着任二年目の新人教師だ。
通称『うみちゃん』。
授業やクラス運営にも、どこかぎこちなさが残っている。
教師としての自信のなさは生徒たちにも伝わっていて、うみちゃんうみちゃんと親しげに話しかけられる反面、裏では舐められ、騒ぎたいだけの連中を抑えられないのもまた事実だった。
しかめっ面が売りの学年主任から、何かと苦言を呈されることも多いのだろう。
夏休みが終わったばかりだというのに、顔には隠しきれない疲労の色が色濃く滲んでいる。
そんな鳥居先生が頼れるのは、学級委員であり、先生の要求に従順で、クラス内で発言力のある俺――継原征示くらいだ。
頼られるのなら、役に立たなければならないと思う。
まあ、俺にも出来ることと出来ないことがあるのは間違いないのだけれど。
「なになにー? またうみちゃん呼び出しー?」
脳みその質量が足りませんとばかりの軽薄な声に振り返ると、教室の真ん中を占拠してダンスに興じている集団のうちの一人が、輪から外れて近づいてきた。
静内瑠夏。
いかにも大人しそうな名字とは対照的に、実態はとても姦しい。
クラス内における女子最大派閥である〈瑠夏グループ〉の領袖で、クラス内でも慎重かつ丁寧な対応が求められる相手だ。
逆に言うと、彼女の手綱さえ上手く握っておけば、教室内の平和を維持することはそう難しくはない。
大小いくつかのグループで形成される教室内は、さしずめ島宇宙のようなものだ。
それぞれの銀河系は互いに観測し合い、牽制し合い、大きく関わり合うことはないまま、不思議な均衡を保って回り続ける。
予期せぬ不和や衝突を避けるには、島宇宙間の橋渡し役が欠かせない。
「継原くんも大変だねえ、学級委員」
「それは静内さんも同じだろ」
「てへ」
舌を出して、グーで頭をコツンとする。
「だってえ、継原くんアタマいいしー、頼っちゃうんだもん」
「全然いいよ。違うところでは助けてもらってるし。適材適所」
静内は俺の答えに満足したのか、明るい髪をしゃらんと揺らし、「へへ」と笑ってグループの輪の中に戻っていった。
――違うところでは助けてもらってるし。
丸っきりおためごかしでもない。
男子の俺だけの力では、陽キャ連中が圧倒的権力を持つ女子グループを御するのは難しい。
俺がクラス内で一定の発言力を保持できているのは、女子のボスであり、学級委員である静内と悪くない関係を保っている点が大きい。
学級委員の仕事を静内さんより多めに請け負っているのは、ギブ・アンド・テイクのギブの部分だ。
しかし――。
「ぎゃはははははっ!」
教室のど真ん中を我が物顔で占拠する一軍〈瑠夏グループ〉と、彼女らをどこか卑屈な表情で眺める二軍三軍グループ、我関せずとばかりに早々と教室を去っていく独立グループ、その他。
お世辞にもまとまりのあるクラスとは言い難い。
裏側には、それぞれの思惑と確執が蠢いている。
「……はぁ」
俺はまた、誰にも気取られないように小さく息を吐き出した。
俺がうみちゃんに呼び出されんの、誰のせいだと思ってんだよ――。
そんな本音は、誰にも言えない。
ホームルームが終わった後、残って文化祭アンケートのまとめをしていると、鳥居先生からそう耳打ちされた。
「わかりました」
「ごめんね。急がなくていいからっ」
ぱんっ、と顔の前で両手を合わせ、鳥居先生は足早に教室を出て行く。
その足音が廊下の向こうに消えていくのを確認して、俺は小さくため息をついた。
鳥居うみ先生は、着任二年目の新人教師だ。
通称『うみちゃん』。
授業やクラス運営にも、どこかぎこちなさが残っている。
教師としての自信のなさは生徒たちにも伝わっていて、うみちゃんうみちゃんと親しげに話しかけられる反面、裏では舐められ、騒ぎたいだけの連中を抑えられないのもまた事実だった。
しかめっ面が売りの学年主任から、何かと苦言を呈されることも多いのだろう。
夏休みが終わったばかりだというのに、顔には隠しきれない疲労の色が色濃く滲んでいる。
そんな鳥居先生が頼れるのは、学級委員であり、先生の要求に従順で、クラス内で発言力のある俺――継原征示くらいだ。
頼られるのなら、役に立たなければならないと思う。
まあ、俺にも出来ることと出来ないことがあるのは間違いないのだけれど。
「なになにー? またうみちゃん呼び出しー?」
脳みその質量が足りませんとばかりの軽薄な声に振り返ると、教室の真ん中を占拠してダンスに興じている集団のうちの一人が、輪から外れて近づいてきた。
静内瑠夏。
いかにも大人しそうな名字とは対照的に、実態はとても姦しい。
クラス内における女子最大派閥である〈瑠夏グループ〉の領袖で、クラス内でも慎重かつ丁寧な対応が求められる相手だ。
逆に言うと、彼女の手綱さえ上手く握っておけば、教室内の平和を維持することはそう難しくはない。
大小いくつかのグループで形成される教室内は、さしずめ島宇宙のようなものだ。
それぞれの銀河系は互いに観測し合い、牽制し合い、大きく関わり合うことはないまま、不思議な均衡を保って回り続ける。
予期せぬ不和や衝突を避けるには、島宇宙間の橋渡し役が欠かせない。
「継原くんも大変だねえ、学級委員」
「それは静内さんも同じだろ」
「てへ」
舌を出して、グーで頭をコツンとする。
「だってえ、継原くんアタマいいしー、頼っちゃうんだもん」
「全然いいよ。違うところでは助けてもらってるし。適材適所」
静内は俺の答えに満足したのか、明るい髪をしゃらんと揺らし、「へへ」と笑ってグループの輪の中に戻っていった。
――違うところでは助けてもらってるし。
丸っきりおためごかしでもない。
男子の俺だけの力では、陽キャ連中が圧倒的権力を持つ女子グループを御するのは難しい。
俺がクラス内で一定の発言力を保持できているのは、女子のボスであり、学級委員である静内と悪くない関係を保っている点が大きい。
学級委員の仕事を静内さんより多めに請け負っているのは、ギブ・アンド・テイクのギブの部分だ。
しかし――。
「ぎゃはははははっ!」
教室のど真ん中を我が物顔で占拠する一軍〈瑠夏グループ〉と、彼女らをどこか卑屈な表情で眺める二軍三軍グループ、我関せずとばかりに早々と教室を去っていく独立グループ、その他。
お世辞にもまとまりのあるクラスとは言い難い。
裏側には、それぞれの思惑と確執が蠢いている。
「……はぁ」
俺はまた、誰にも気取られないように小さく息を吐き出した。
俺がうみちゃんに呼び出されんの、誰のせいだと思ってんだよ――。
そんな本音は、誰にも言えない。

