あの夏、俺は神様から人生の〈攻略本〉をもらった

 加山泰道の家は、勾配の急な坂道の途中にある。訪問する旨の事前連絡を入れておいたので、門の呼び鈴を鳴らすとすぐ玄関が開いた。
 出てきたのはふくよかな体型の中年女性。加山泰道の母親だ。目尻に刻まれた皺の深さに、どことなく彼女の疲れを感じてしまう。

「ごめんなさいね、いつもいつも……って、あら」

 母親は、水嶋の姿を認めると驚いたように口元を押さえた。
 水嶋は、普段の無表情が嘘のような愛想の良さで、「こんにちは。継原くんの付き添いで来ました。クラスメイトの水嶋暝といいます。加山くんのこと、心配で……」と頭を下げた。
 クラスの連中に見せられないのが惜しくなるくらいの、見事な猫の被り方だった。
 自分の息子と同年代の女子が訪ねてくることに慣れていないのか、加山の母親はあらぬ方向に視線をさまよわせている。

「今日は文化祭の案内とアンケート用紙を持ってきました。もしよければ、加山くんとお話できればと思うんですが……」
「あ、ありがとう。ちょっと待っててね」

 俺の台詞が助け舟になったのか、ぱっと顔に色が戻り、慌ただしく家の中に引っ込んでいった。

「どうだろうね」
「まあ、待とうぜ」

 〈攻略本〉のナビは絶対だ。
 この段階では加山泰道は出てこない。
 俺たちは間違いなく〈攻略本〉が示した〈攻略〉ルートに乗っている。
 扉の向こうから微かに聞こえてくる足取り。軽い足取りが、帰りは少しだけ重くなっていて、返事を聞くまでもなく、答えがわかってしまう。

「ごめんなさいね、やっぱり無理だって」

 お母さんの顔が、先ほどまでよりも疲れていた。そんな彼女を糸電話にするのは気が引けるが、これが〈攻略〉ルートなのだからしょうがない。

「わかりました。ありがとうございます。でも、伝え忘れてたことがあって、もう一言だけ伝えてもらってもいいですか?」
「もちろん。何かしら」
「〈砂梟(すなふくろう)〉。僕らは〈砂梟〉について知ってるよ――って。そう言っておいてもらえれば」
「……え? 何?」
「『すなふくろう』です。お母さん」
「『すなふくろう』ね。わかったわ」

 彼女の顔から困惑の色は消えなかった。俺たちも〈攻略本〉に書かれたものを読んだ時にはそんな顔をしていたと思う。だが、答えを知ってしまった今思えば、これ以上の呼び水はない。
 母親と別れた僕たちは近くの塀の角に身を隠しながら、加山の家の玄関の様子を伺った。母親が引っ込んでから数分も経たないうちに地響きのような音とともにドアが開いた。

「出てきたね」
「ああ」

 春からこちら、かなり体重は増量したようだが、あれは間違いなく加山泰道だ。
 履き損なったサンダルで、転がり落ちるように玄関から飛び出し、まるでお魚咥えたドラ猫を探す国民的アニメの主人公みたいに、凄い勢いで辺りを見回している。

「加山くん?」

 いざ俺たちが姿を見せると、まるで外敵の襲撃に身を竦ませる臆病な猫みたいにビクッと震え、身体を小さく丸めた。

「お前ら、どうして知ってるんだよ」
「〈砂梟〉のことか?」

 自分から聞いてきたのに、加山は何も答えなかった。

「突然ごめん。俺たち、加山くんと話したかったんだ。少しだけでも、話せないかな?」

 追い詰められた〈砂梟〉に断る選択肢は存在しない。その卑劣さを理解した上で提案した。
 加山はぎゅっと両拳を握り締め、ふらふらと近くの公園へと歩き始めた。