本当のところ、俺は一体何をしたかったのだろう。
プラットフォームを行き交う人いきれに揉まれながら、ふとそんなことを考えた。
俺は何になりたかったんだろう。
どこへ行きたかったのだろう。
『正しい』自分でありたかった――その気持ちが間違いじゃなかったとして、それは目的だったのか。それともここではないどこかへ行くための手段だったのか。
わからないまま、いつの間にか今日を生き抜くために『正解』を選び続けるだけのロボットになってしまった自分がいて。
『正しい』自分がいればよくて。
それさえあれば、他には何もいらなくて。
そんな生き方が正しかったのかは、本当は今でもよくわからない。
* * *
「お待たせ」
改札から出てすぐのコンコースの壁に身体を預けてスマホをいじっていると、声をかけられた。
視線をあげるとそこには私服の水嶋がいた。落ち着いた色のジャケットに、レザーっぽい生地のロングスカート。今日のヘアクリップには花飾りのようなものがあしらわれている。
高蔵寺駅に来るのは今日で三回目だ。三度目ともなると、JR中央線にもさすがに慣れてきた。
せっかくの休みに何やってんだろうなと思わなくもないが、見慣れない街の景色はそれなりに刺激があって面白かった。
「水嶋、こっちの方は来たことあんの?」
「春日井市に足を踏み入れること自体初めて」
「だよな」
大きなホールのある刈谷や、スタジアムのある豊田の方がまだ行く機会があるように思う。
「高蔵寺ってさ、昔はニュータウンって呼ばれてたらしいぜ」
「知ってる。でもそう呼ばれ始めたのって五十年くらい前なんでしょ?」
「世の中ってそんなもんだよな」
物事はどんどん古びていくのに、呼び名だけはずっと変わらない。五十年も前にできたのにニュータウン。古びたことしか載っていないのに新聞。あとは……何だろうか?
「場所はわかるの?」
「何回かは行ったことあるから、たぶん大丈夫」
次に来ることもないだろうと思っていたから、道順を覚える努力もほとんど放棄していた。途中にどんな建物があったのかすら覚えていない。歩いていて息が切れたことから、坂道が多かったことだけはよく覚えている。
まあ、住所はわかっているので、あとはスマホにその身を委ねるだけだ。
「じゃあ、行きますか」
「へいへい」
水嶋に促され、殺人的な日差しの降る路上へと踏み出した。真夏と比べれば随分ましにはなってきたものの、まだまだ残暑は厳しい。
「継原くんは、何回か加山くんの家に行ったんだよね?」
「二回だけな」
加山泰道が不登校になったのはゴールデンウィークが明けて少し経ったくらいの頃だったと思う。
学校に来なくなってから二週間くらい経った頃に、うみちゃんから初回の要請を受けて足を運んだ。二回目は夏休みに入ったばかりの時期。
「どんな様子だったの?」
「本人には会ってないんだよ。プリント渡す時に会えないかは訊いてみたけど、やんわり断られて、それで終わり」
「なるほど」
「まあ、いじめとかトラブルがあったわけでもないんだから、学校に誘われてもありがた迷惑なだけかもな。学校に行くのが必ずしも正しいわけじゃないし」
「でも、本心から学校に行きたくないとも限らないでしょ?」
「それはまあ」
「なら、訊いてみなくちゃわからないじゃない」
まあ、それは確かにそうだと思う。
案外、出てくるきっかけを失ってしまっただけ、ということだってあり得る。もしそうだとしたら、俺たちのやろうとしていることは、極めて『正しい』ことだと言えるだろう。
――人生で一度くらいは、正しいことをしてみたくなったんだ。
「なあ」
道もわからないのに俺を先導する水嶋の背中に話しかけた。水嶋はこちらも向かずに「うん?」と声だけ寄越してくる。
「水嶋は本当に助けたいのか? その……加山を」
「うん。そう言ったじゃん」
「なんで?」
「なんでって言われても」
あはは。
鞄から取り出した、ハンディ扇風機を首元に当てながら、乾いた笑いを漏らした。
「お前ってさ、そんなやつだっけ? そんな、よく知りもしない誰かを助けたい――なんてさ」
「わたしの普通を知らない人に、そんなこと訊かれてもねえ」
「そりゃそうだけどさ」
「でもさ、したくない? 正しいこと」
正面切って訊かれると言葉に詰まってしまう。
「別に、加山泰道の件じゃなくてもよくないか? 正しいことしたいなら、道路の掃除とか、草むしりでも」
「そんなの、わたしたちじゃなくてもいいじゃん。そういうことじゃないんだよ。わかるでしょ?」
「だから、何が」
「他の誰かがやれることなら、やるのはわたしたちじゃなくてもいい。わたしは、誰かの特別になりたいんだよ。あなたがいなければ困るって言われたい。特別になるためには、特別なことをしなきゃならない。そういうこと」
水嶋の足はどんどん早まっていく。
T字路を勝手に右へと進んでいく水嶋を、「そっちじゃないぞ」と呼び戻すと、「早く言ってよ」と小さな頬を真ん丸く膨らましながら戻ってきた。
誰かの特別になりたい、誰かに必要とされたい――その気持ちは理解できる。
誰かに必要とされるのは、この世界に存在していいという許可をもらうのと似ている。
継原征示はこの世界に存在していいか。
そんな問いが投げかけられたとする。
選択肢は『はい』『いいえ』『どちらでもよい』。
ほとんどの人間は『どちらでもよい』を選ぶだろうが、誰か一人でも『はい』を選んでくれたなら。一つでも多くの積極的肯定を集めることができたなら――その想像は、とても甘美だ。
「けど、どうやって加山泰道に会うんだ? 二回とも出てきてくれなかったのに」
無根拠に三度目の正直を期待するのは、いくらなんでも分の悪い賭けという気がした。
水嶋はつまらなそうな顔をして、ハンディ扇風機を俺の鞄に向ける。
「それこそ継原くんの必殺技の出番じゃない」
なるほど、確かに使いどころとしては妥当だ。
道すがら見つけたコンビニに入り、席を使う言い訳としてのカフェオレを買って、イートインスペースに二人で座った。
「なんて書けばいいかな」
「『加山泰道くんと直接会って話すためにはどうしたらいい?』とかでいいんじゃない?」
「じゃ、それで」
今日の日付を記入し、その横に水嶋が言った通りのことを書いた。〈攻略本〉を閉じ、数秒待ってから次のページを開く。
「……何これ?」
俺の顔の下に頭をねじ込むようにして〈攻略本〉を見た水嶋が、困惑気味の声を漏らした。
「見えねーよ。どいてくれ」
水嶋の後頭部をぺしぺし叩いて抗議すると、ようやくどいてくれた。水嶋の頭で隠されていた内容を見たが、確かにいまいちよくわからない。
「……つまり、これをそのまま言えってこと?」
「そういうことだと思うが……」
指示の内容は簡潔だ。
加山泰道の母親に、ある単語を伝えればいいと。
問題はその単語の意味がよくわからないということだ。
「どうする? 出たとこ勝負で行ってみる?」
「それでもいいけど、意味がわからないまま行くのもな」
経験上、〈攻略本〉は行為の正解は示しても、その裏側の意味を解説したりはしない。
後になってからこういうことだったのかと納得する方が多いが、調べられることなら調べた方が、後々の行動がスムーズに進む。
「ちょっと調べてみるか」
俺は〈攻略本〉をショルダーバッグにしまい、代わりに自分のスマホを取り出した。
プラットフォームを行き交う人いきれに揉まれながら、ふとそんなことを考えた。
俺は何になりたかったんだろう。
どこへ行きたかったのだろう。
『正しい』自分でありたかった――その気持ちが間違いじゃなかったとして、それは目的だったのか。それともここではないどこかへ行くための手段だったのか。
わからないまま、いつの間にか今日を生き抜くために『正解』を選び続けるだけのロボットになってしまった自分がいて。
『正しい』自分がいればよくて。
それさえあれば、他には何もいらなくて。
そんな生き方が正しかったのかは、本当は今でもよくわからない。
* * *
「お待たせ」
改札から出てすぐのコンコースの壁に身体を預けてスマホをいじっていると、声をかけられた。
視線をあげるとそこには私服の水嶋がいた。落ち着いた色のジャケットに、レザーっぽい生地のロングスカート。今日のヘアクリップには花飾りのようなものがあしらわれている。
高蔵寺駅に来るのは今日で三回目だ。三度目ともなると、JR中央線にもさすがに慣れてきた。
せっかくの休みに何やってんだろうなと思わなくもないが、見慣れない街の景色はそれなりに刺激があって面白かった。
「水嶋、こっちの方は来たことあんの?」
「春日井市に足を踏み入れること自体初めて」
「だよな」
大きなホールのある刈谷や、スタジアムのある豊田の方がまだ行く機会があるように思う。
「高蔵寺ってさ、昔はニュータウンって呼ばれてたらしいぜ」
「知ってる。でもそう呼ばれ始めたのって五十年くらい前なんでしょ?」
「世の中ってそんなもんだよな」
物事はどんどん古びていくのに、呼び名だけはずっと変わらない。五十年も前にできたのにニュータウン。古びたことしか載っていないのに新聞。あとは……何だろうか?
「場所はわかるの?」
「何回かは行ったことあるから、たぶん大丈夫」
次に来ることもないだろうと思っていたから、道順を覚える努力もほとんど放棄していた。途中にどんな建物があったのかすら覚えていない。歩いていて息が切れたことから、坂道が多かったことだけはよく覚えている。
まあ、住所はわかっているので、あとはスマホにその身を委ねるだけだ。
「じゃあ、行きますか」
「へいへい」
水嶋に促され、殺人的な日差しの降る路上へと踏み出した。真夏と比べれば随分ましにはなってきたものの、まだまだ残暑は厳しい。
「継原くんは、何回か加山くんの家に行ったんだよね?」
「二回だけな」
加山泰道が不登校になったのはゴールデンウィークが明けて少し経ったくらいの頃だったと思う。
学校に来なくなってから二週間くらい経った頃に、うみちゃんから初回の要請を受けて足を運んだ。二回目は夏休みに入ったばかりの時期。
「どんな様子だったの?」
「本人には会ってないんだよ。プリント渡す時に会えないかは訊いてみたけど、やんわり断られて、それで終わり」
「なるほど」
「まあ、いじめとかトラブルがあったわけでもないんだから、学校に誘われてもありがた迷惑なだけかもな。学校に行くのが必ずしも正しいわけじゃないし」
「でも、本心から学校に行きたくないとも限らないでしょ?」
「それはまあ」
「なら、訊いてみなくちゃわからないじゃない」
まあ、それは確かにそうだと思う。
案外、出てくるきっかけを失ってしまっただけ、ということだってあり得る。もしそうだとしたら、俺たちのやろうとしていることは、極めて『正しい』ことだと言えるだろう。
――人生で一度くらいは、正しいことをしてみたくなったんだ。
「なあ」
道もわからないのに俺を先導する水嶋の背中に話しかけた。水嶋はこちらも向かずに「うん?」と声だけ寄越してくる。
「水嶋は本当に助けたいのか? その……加山を」
「うん。そう言ったじゃん」
「なんで?」
「なんでって言われても」
あはは。
鞄から取り出した、ハンディ扇風機を首元に当てながら、乾いた笑いを漏らした。
「お前ってさ、そんなやつだっけ? そんな、よく知りもしない誰かを助けたい――なんてさ」
「わたしの普通を知らない人に、そんなこと訊かれてもねえ」
「そりゃそうだけどさ」
「でもさ、したくない? 正しいこと」
正面切って訊かれると言葉に詰まってしまう。
「別に、加山泰道の件じゃなくてもよくないか? 正しいことしたいなら、道路の掃除とか、草むしりでも」
「そんなの、わたしたちじゃなくてもいいじゃん。そういうことじゃないんだよ。わかるでしょ?」
「だから、何が」
「他の誰かがやれることなら、やるのはわたしたちじゃなくてもいい。わたしは、誰かの特別になりたいんだよ。あなたがいなければ困るって言われたい。特別になるためには、特別なことをしなきゃならない。そういうこと」
水嶋の足はどんどん早まっていく。
T字路を勝手に右へと進んでいく水嶋を、「そっちじゃないぞ」と呼び戻すと、「早く言ってよ」と小さな頬を真ん丸く膨らましながら戻ってきた。
誰かの特別になりたい、誰かに必要とされたい――その気持ちは理解できる。
誰かに必要とされるのは、この世界に存在していいという許可をもらうのと似ている。
継原征示はこの世界に存在していいか。
そんな問いが投げかけられたとする。
選択肢は『はい』『いいえ』『どちらでもよい』。
ほとんどの人間は『どちらでもよい』を選ぶだろうが、誰か一人でも『はい』を選んでくれたなら。一つでも多くの積極的肯定を集めることができたなら――その想像は、とても甘美だ。
「けど、どうやって加山泰道に会うんだ? 二回とも出てきてくれなかったのに」
無根拠に三度目の正直を期待するのは、いくらなんでも分の悪い賭けという気がした。
水嶋はつまらなそうな顔をして、ハンディ扇風機を俺の鞄に向ける。
「それこそ継原くんの必殺技の出番じゃない」
なるほど、確かに使いどころとしては妥当だ。
道すがら見つけたコンビニに入り、席を使う言い訳としてのカフェオレを買って、イートインスペースに二人で座った。
「なんて書けばいいかな」
「『加山泰道くんと直接会って話すためにはどうしたらいい?』とかでいいんじゃない?」
「じゃ、それで」
今日の日付を記入し、その横に水嶋が言った通りのことを書いた。〈攻略本〉を閉じ、数秒待ってから次のページを開く。
「……何これ?」
俺の顔の下に頭をねじ込むようにして〈攻略本〉を見た水嶋が、困惑気味の声を漏らした。
「見えねーよ。どいてくれ」
水嶋の後頭部をぺしぺし叩いて抗議すると、ようやくどいてくれた。水嶋の頭で隠されていた内容を見たが、確かにいまいちよくわからない。
「……つまり、これをそのまま言えってこと?」
「そういうことだと思うが……」
指示の内容は簡潔だ。
加山泰道の母親に、ある単語を伝えればいいと。
問題はその単語の意味がよくわからないということだ。
「どうする? 出たとこ勝負で行ってみる?」
「それでもいいけど、意味がわからないまま行くのもな」
経験上、〈攻略本〉は行為の正解は示しても、その裏側の意味を解説したりはしない。
後になってからこういうことだったのかと納得する方が多いが、調べられることなら調べた方が、後々の行動がスムーズに進む。
「ちょっと調べてみるか」
俺は〈攻略本〉をショルダーバッグにしまい、代わりに自分のスマホを取り出した。

