週明けの教室に、水嶋の姿はあった。
あの無表情を見ると、昨日のデートがまるで嘘か幻だったかのように思える。しかし、その『いつも通り』は、敵意を持って水嶋を貶めようとする連中への圧力にもなっているようだった。水嶋の周囲数メートルの範囲内には、何か不思議な緊張感のようなものが漂っていた。
俺は特に〈瑠夏グループ〉の動きを注意して見ていたが、先週に引き続き騒ぎを起こすのは自重している様子だった。緊張感を保ちながらも、徐々に無風化していくなら、それが一番望ましい。
その日の授業が終わるタイミングで、またうみちゃんから「放課後、時間あったら職員室に来て」と呼び出しを受けた。
十中八九、水嶋関係のヒアリングだろうが、今は何もできることがない。呼び出されても、気持ちはかなり楽だった。
やるべきことを片付けてから行こうと思って、しばらく自席で作業をしていると、誰かが背後から近づいてきた。
「継原くん」
その声に、教室の空気がざわついた。
声の主は水嶋だ。
飽きもせずにダンス動画を撮っているギャル軍団すら、こちらの様子をうかがっているのを感じる。
「鳥居先生のところに行くんでしょ。わたしも行く」
まさか声をかけてくるなんて思わなかった。言葉こそ聞こえてこないが「なぜお前が」という声なき声が響き渡っているようだ。
「わかった。行こう」
作業はまだ片付いてはいなかったが、ここでもたもたしているよりはいい。足早に廊下を歩き、真っ直ぐ職員室に向かう。水嶋は小走りで俺の後ろをついてきた。
背後にいる水嶋に、声を潜めて話しかける。
「まさか、教室で声かけてくるとは思わなかった」
「言ったでしょ。したいこと、決めたって」
「それと、俺が職員室行くのについて行くのと、何か関係があるのか?」
「内緒」
その声はどこかいたずらっぽい響きを孕んでいた。
* * *
職員室の扉を開ける。うみちゃんは、俺の後ろにいる水嶋の姿に、少なからず動揺したようだった。
「あ、み、水嶋さん。何か相談?」
声が裏返っている。
「鳥居先生。ご心配かけて、すみませんでした」
「あ、いえ……うん。水嶋さんが、元気なら……うん、うん」
うみちゃんは目をあちこちに泳がせながら、何度も頷いた。
俺に声をかけたのもきっと、水嶋のことだったのだろうし、本人が来てしまったら話せないことも多いはずだ。
うみちゃんは二度ほど深呼吸をして、どうにか態勢を整えた。
「……こほん。それで、水嶋さんは何かご相談?」
「いえ、わたしは継原くんの付き添いです」
「付き添い」
うみちゃんは無意味にオウム返しした。数秒後、うみちゃんは水嶋がそれ以上何も話そうとしていないことに気づいた様子で、おもむろに再起動し、「継原くんにお願いがあって」と口にした。
とりあえず、水嶋の件については棚上げすることに決めたようだった。
「加山くんにこのアンケート用紙を届けてほしいんだけど、頼めるかな?」
水嶋の手前、直截な表現を避けたようだが、つまりアンケート用紙を届けるついでに彼の様子を見てきてほしい――というのがとうみちゃんのミッションなのだろう。
書類を届けるだけなら、学校のメールシステムを使うなどいくらでも方法はある。
加山泰道は、一学期の途中から学校に来なくなった、いわゆる不登校だ。
クラスメイトと揉め事を起こした水嶋のように、具体的なきっかけやトラブルがあったわけではない。数日休んで一日登校し、また数日休んで――と徐々に学校から遠ざかっていったような格好だ。
教室内でも存在感は薄く、親しくしていた人間もいない。彼の不登校が与えるクラスへの影響は、極めて軽微と言わざるを得ない。
専門学校進学や転校など、もしかしたら前向きな理由で不登校を選んでいるのかもしれないし、今日び、何がなんでも学校に通わなくてはならないというものでもないだろう。
そうした理由もあり、俺は加山の不登校に対して主体的に行動を起こしてはいない。当然〈攻略本〉の力も借りていなかった。
加山の不登校について俺にできることはほぼないが、アンケート用紙を届けるぐらいならお安い御用だ。うみちゃんが加山の様子を知りたいのなら、行った上で通り一遍の報告をすればいいだけ。簡単な仕事だ。
「わか――」
りました――とは言えなかった。
水嶋が俺とうみちゃんの間に割って入ったからだ。
「加山くんの件は、わたしと継原くんが責任を持って引き受けます」
「へ?」
「ええ?」
俺とうみちゃんの間抜けな声がシンクロした。
水嶋は引ったくりよろしくうみちゃんの手から用紙を奪い取った。目を白黒させるうみちゃん。
まるで品行方正な優等生のように、胸に手を当てて水嶋は言う。
「加山くんのことはわたしも心配していたんです。これを機会に、加山くんの力になれたら。そう思ってます。大船に乗った気で、わたしたちに任せてください」

