透明な羽の君へ

 大学の入学式を控えた4月、ひよりは同学年の誰よりも早く成人した。

「ひより、18歳の誕生日おめでとう」
「ありがとう」

 ふたりで食べ切れるサイズのケーキには、1本だけろうそくを灯した。

「これだけで良かったの? プレートもないし」
「十分だよ。もう大人だし」

 ふうっと、ひと吹きで炎が消えた。焦げくさい匂いと、煙と、わずかな寂しさが残る。
 年末年始、アメリカの叔母の家で過ごしたひよりは、前よりも一層元気になって帰ってきた。自分の進むべき道が定まったというように落ち着いていて、オンライン英会話で英語力を磨くのが楽しいみたいだ。それに自分のことだけじゃなくて、共通テストを控える俺の代わりに家事のほとんどをやってくれていた。
 電気をつけて、テーブルの上に玉手箱を置く。

「この箱なに? プレゼント? やたら年季の入った箱だねぇ」
「まあね」

 叔母さんによると、母さんは成人したら話すつもりだったらしい。俺にできることは、その約束を果たすことだけだ。俺とこれからどんな関係でいるか決めるのはひよりで、俺はそこに関与できない。

「開ける前に、話があるの」
「話? いいよ、どうぞ」
「今までのこと……その、慎一くんやナツキさんとの間であったいろんなこと、わたし後悔してないよ」

 慎一。ナツキ。名前を聞くだけで頭の中を駆け巡る出来事の数々。
 ひよりにとっても目を伏せたいものであるはずなのに、どうして。

「ふたりには、いろんなことを教わったから。それなのに、ナツキさんが男だってわかったとき『お兄ちゃんの嘘つき』なんて言ってごめんね。お兄ちゃんには、いろんな葛藤があっただけなんだよね……あんな言い方しなくてもよかった」
「事実だから大丈夫。ひよりを思い通りに動かしたかったのを隠し切れなかっただけで……そんな風に思うこと自体、間違ってたって気づいたから」
「そっか……わかった。あとね」
「うん」
「わたし、アメリカの大学に行く」

 もう決めたのと、強い瞳で見据える。
 日本の大学に進学してから留学という形ではだめなのか? アメリカの大学に進学したら就職はどうなる。ビザは問題なく取得できる? 勢いよくでてきた言葉を、これは俺の考えだからと付け足し消化する。そんなこと彼女はすでに考えているはずで、ここで蒸し返す必要もない。俺がこうだと信じる道に進めと強要することもできない。

「よく考えて決めたんだろ?」
「うん」
「応援するよ。困ったことがあったら教えて。できるだけ手伝うから」
「ありがとう」

 泣き笑いみたいな顔に、小さく笑った。
 血の繋がった兄だとしても、仮に親だって、その人の未来を決める権利なんてどこにもない。本人の選択を信じて、見守ることしかできない。後ろを向きたくなったときに、どうしたのって笑顔で迎え、必要なサポートのできる人でありたい。
 ひよりの指が箱に伸びる。

「何が入ってるんだろう」
「何だと思う?」
「お兄ちゃんは知ってるの?」
「ああ。俺がこれを開けたのは5年前だったかな?」
「ええー、ずるい。わたしも一緒に開けたかった」

 あのとき一緒に玉手箱を開けていたら、俺たちの関係は変わったんだろうか。そんなこと考えても仕方ないか。時間は巻き戻せないんだから。
 5年前これを開けたときは、突きつけられた現実から目を背けたくて、母さんからの手紙もろくに読めなかった。俺とひよりが本当の兄妹じゃなかったという事実以外に書かれている母さんの想いに、きちんと向き合おうと思う。
 ひよりの手が、開けることを躊躇するように何度も玉手箱の上を行き来する。

「緊張するなー」
「そんな恐ろしいものじゃないよ」
「ほんと? じゃあ……」

 蓋を開けようとした手が止まり、目が合った。

「……もしかして、お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃないとかいう証拠が入ってたりして」
「もしそうなら、どうするの」

 冷静に聞き返す余裕があるほど、俺はもういろんなことを受け入れていた。ひよりが兄妹として過ごした時間を後悔しても、隠し続けていた母さんや俺に怒っても、それは彼女の反応で俺はどうにもできない。隠していたこと自体は謝るべきだけど、赦す赦さないは彼女の問題だ。
 彼女が今後、俺をどう扱おうとも、俺はひよりのことをただひとりの「妹」だと思ってる。幸せを願い、寄り添おうと心に決めている。何の役にも立たない「兄」でもない人間がそばにいてもいいと言ってくれたら、これ以上幸せなことはないのだけれど。
 他人の気持ちは、明日の天気と同じくらい思い通りにならない。
 自分の取った行動、言った言葉で、他人の気持ちが変わることもあるだろう。だけど最初からそれを目標にしてしまったら、思い通りにいかなかったとき苦しくなる。変えられるのはいつだって自分だけ。それさえ胸に刻んでいれば、随分と楽に生きていけることを知った。ナツキに「ありがとう」だなんて、絶対に言わないけど。

「えーどうしよう……。お兄ちゃんじゃなかったら、けっこうショックかもしれない」

 それが自然な反応だよな。
 薄く笑って、目を伏せた。

「あ、でも。そんなの関係ないかも」

 顔を上げる。

「兄妹として過ごしてきた時間は変わらないよね。わたしにとって、血が繋がってなくてもお兄ちゃんはお兄ちゃん。わたしに何かしてくれなくても、いてくれるだけでいい。ありがとう。これからもよろしくね、お兄ちゃん!」











(完)