透明な羽の君へ

 石段を上ったところにある神社は、思ったより小ぶりだった。都内にはもっと有名な縁切り寺があるらしいが、撮影の仕事までに行けそうな距離に縁切り神社があったので、とりあえずここに来てみた。縁結びとしても有名な神社だからか陰鬱な雰囲気はなくて、神社特有の清々しい空気に背筋が伸びる。

 どうか、ひよりが結婚を思い直してくれますように。

 しっかりと手を合わせ祈る。神頼みかよと思われるかもしれないが、神でも仏でも縋れるものには縋りたい。
 まだ時間があったので、境内で時間を潰すことにした。スマホを手にとり、バイト先の近くにできたという珈琲屋を調べる。すぐに特定ができホームページをのぞいてみると、落ち着いた雰囲気の画像が並んでいた。光を抑えた店内の様子、挽きたての珈琲豆。店主やひよりの彼氏と思われる画像はなかった。俺の顔がばれる前に直接乗り込むか? いや、すでに写真など見せられているかもしれない。どうしようか考えていたところで「洸?」と名前を呼ばれ飛び上がる。見上げると、見知った顔があった。

「ミサト!?」
「やっぱり洸だ。久しぶり」

 モデル仲間のミサトだった。プロ仕様のメイクをしているから撮影帰りだろう。でもなぜこんな所に。

「洸も縁切りに来たの?」
「いや……ちょっと寄っただけで」

 説明するのも面倒で、咄嗟に嘘をつく。ミサトは「ふぅん」と辺りを見回してから「わたしは縁切りで」と笑いながら帽子を目深に被った。薬指のシルバーリングに目が留まる。シンプル好きのミサトの趣味じゃない、装飾たっぷりのごつめなリング。ミサトは同じくモデルのMasaと長くつき合っているはずだが、そのリングは彼の趣味でもない。誰との縁を切ろうとしてる?

「……わたしがなんでここにいるのかって、気になるんなら聞いてよ。洸ってほんと顔に出るんだから」
「気になるっていうか……聞いてほしいんなら聞くけど」

 ミサトは黙って視線をさまよわせた。長いまつ毛が震えるように揺れてから「Masaのこと頼んだ!」と笑う。紙面でよく見る、ミサトの完璧な笑顔。

「洸にもご利益あるといいね♪ じゃ、行くわ。Bye」
 
 ミサトの真っ直ぐに伸びた背中が見えなくなっていく。
 結局、誰との縁切りなんて聞いても答えないじゃん。ていうか、なんで俺にMasaのことを頼む? 浮かんだ疑問を突き詰めるほどの気力もなくて、ただ呆然とミサトの去った方向を眺めていた。


 家に帰ると、宣言どおり夕飯が作られていた。米、味噌汁、焼き魚、野菜の小鉢2つ。見事な一汁三菜。

「頑張ったでしょ」

 朝と比べるとたしかにそうだが、食材の費用が気にかかる。ちゃんと安いスーパーをまわって調達したのならいいんだけど。

「これ、食材はどこで買ったの?」
「駅前のとこ」
「駅前!? あそこ、めっちゃ高いんだぞ! 金はどうした」
「いつも置いてあるところから使うのは気が引けて、わたしのお小遣いから……」

 言いたいことをぐっと堪えて目を閉じる。使える金額、スーパーの情報、伝えなかった自分が悪い。落ち着いてから目を開き、テーブルに並ぶ夕飯に小さく息をつく。きっといろいろ調べながら、長い時間をかけて作ったんだろう。

「……ありがとな。あったかいうちに食べよ」

 いただきますと言い合い、口をつけた味噌汁はちゃんと味がした。

「……おいしい?」

 静かに頷くと、安心したように笑って「包丁で手を切りそうになった」とか「火傷しそうにもなって」とか、食べるのも忘れて話し始める。レシピサイトを見て作ったという小鉢は俺の味付けとちがっていて、なんだかすこし寂しかった。
 洗い物くらいすると言ったが断られたので、先に風呂に入った。喉が渇いたので(鮭が塩辛かった……)髪を拭きながらリビングに入ろうとすると、かすかに声が聞こえてくる。どうやら誰かと電話しているらしい。

「……来週の金曜日? ごめん、お兄ちゃんの誕生日で。うん、うん……ケーキ作る」

 漏れ聞こえてくる会話から、自分の誕生日がせまっていることを思い出した。ひよりの誕生日から1週間も経つと、俺の誕生日がやってくる。ちなみに年子の俺たちは、兄と妹でありながら今はお互いに17歳だ。
 それにしても相手は友達? それとも……彼氏?

「わかった、がんばる! じゃあね。大好きだよ、おやすみなさい」

 濡れた髪が額に触れる。洗い物を再開した水の音に足音を隠すようにして自分の部屋に入った。
 喉の渇きなど消えてしまった。それどころか全ての感覚が遠ざかってしまい、力なくベッドに腰掛ける。

――大好きだよ

 甘いささやき。あんな「女」みたいな声、出せるなんて知らなかった。これがひよりだと信じていたものがことごとく覆されていく。
 ため息と、うめき声が漏れた。


 俺の18歳の誕生日には、ひより特製のケーキに1本だけろうそくを立てた。ハッピーバースデーのプレートも乗せなかった。

「シンプルだけど、これもいいね」

 笑いながら言う横顔を見つめる。来年、ここにいるのは「片倉ひより」じゃない気がして。同じように過ぎていくと思っていた日々が、ある日突然形を変える。母さんを失ったあの日のように。もう誰も失いたくないのに。

「お兄ちゃん、18歳の誕生日おめでとう!」
「ありがとう」

 今年1年の間に、ひよりと彼氏が別れてくれますように

 強く願い、ろうそくの火を消した。神頼みはこれでおしまい。
 次の策は、もう考えてある。