透明な羽の君へ

 第二段階? そういえば、ひよりと慎一が別れたあと呼び出されたとき、「第一段階はこれで終了」と言われた。
 これから何が始まる? 「全部言う」って、もしかして――! 

「おまえ……!」
「オレはカップルクラッシャー。慎一くんとひよりちゃんの結婚を壊すために、洸くんに雇われました」

 頭の中がしんと静まり返ってから、大切にしていたものが粉々に砕けていく音がした。

「あ、雇われたっていっても今回は無料だから安心して? 君たち親いないんだもんね、お兄ちゃんは大切なお金には手をつけてないから大丈夫。
 クラッシュの依頼は、まず『女』で請けることにしてる。電話口が女性のほうが安心するってことないか? あるよな。まずは女で請けて、案件によっては男に戻る。今回は女でいくことにした。ちょうどいいや。この仕事からは足を洗うことにしたから、作戦全部明かしてあげる」

 ひよりが怯えるように身をすくめた。止めなくちゃ、そう思うのに体が全く動かない。

「『作戦①依頼者を誘惑して、この話はなかったことにする』。カップルクラッシャーって名乗ってるけど、実は平和主義なんだ。できれば穏便に済ませたい。依頼者はみんな恋人に裏切られたって怒ってる。まずは、その傷を癒してあげるんだ。失恋の痛みには新しい恋が効くから、依頼者の好みに合いそうな子をさりげなく当てる。そうすると、おもしろいくらいコロッといくんだよ。ただ人間、悲しいことに、裏切った相手には不幸に堕ちて欲しいと願う輩もいる。そういう場合は、秘密裏にターゲットとコンタクトをとるんだ。で、種明かしして一定期間別れてもらう。しばらく経ったら依頼者も昔の恋なんて忘れちゃうから、みんなハッピーエンドってわけ」

 ごくりと唾を飲む。
 Masaの場合はこのパターンか。Masaに瑠奈を当てて、蓮とミサトには一定期間別れてもらう。たしかにMasaは、希望どおり二人が別れ、かつ自分にも新しい恋人ができたことで満足しているように見えた。

「洸くんの場合はうまくいかなかったなぁ~。『吊り橋効果』って知ってる? 吊り橋みたいな不安な状況にいるとドキドキするでしょ? ドキドキの原因は目の前の人に恋してるからだって錯誤しちゃうやつ。洸くんのタイプはよくわかんなかったから、女版のオレがとびきりドキドキする状況で迫ってみたけど無効だったなぁ。洸くんたら、まるでわたしに興味がないんだもの」

 最後の言葉を女の声で言われ、鳥肌の立った体をさする。
 たしかに依頼した当初、ひよりのクローゼットの中に連れ込んで誘惑してきやがった。なるほど、そういう目論見だったわけか。

「そこで作戦変更、『作戦②慎一くんを誘惑して内側から壊す』。ただ、ご存知の通りこれもうまくいかなかったんだよねー、あいつの勘が鋭すぎて無理だった。これ以上はやめておくよ、彼のことをここで明かす必要はないからね。さすがに可哀想だし」

 慎一は過去、クズ男だった。抜け目がない性格で、悪意をもって近づく奴には敏感なんだろう。

「さぁ困った。もともと金はもらってないから、ここらへんで引くべきかとも考えた。でも逆に面白くもなっちゃってさ。それで『作戦③慎一くんに自爆してもらう』。真面目な慎一くんも、お酒には勝てなかったみたいだね。運転で疲れてたし、開放的な気分も手伝ってがっつり飲んでくれました! 正直、これでもダメかとは覚悟してたんだけどビンゴ! ひよりちゃんには刺激が強かったね」

 ふと隣のひよりを見ると、怯えたように自分を抱いてうつむいていた。
 
「生理的に無理だったんなら仕方ない。あのときも言ったけど、遅かれ早かれ同じ展開になってたと思うぜ? そんなこんなで、第一段階のクラッシュは成功したわけだ。ただ……予想外なことが起きた」

 ナツキの視線の先には、ひよりがいた。

「オレ、ひよりちゃんのことが好きになっちゃった。甘えたがりで、素直で、自分よりお兄ちゃんを優先しちゃう子。いたいけで、見てられないくらい可哀想でかわいい」

 うっとりとした顔でひよりを見つめるナツキを睨みつける。
 ありえない。いつから、ひよりのことをそんな目で見るようになった?
 ひよりはもともと大きい目をさらに見開き、ぽかんと口を開けている。目が合うと、泣きだしそうな顔で視線を逸らされた。
 そういえば、自分より俺を優先ってなに? この反応も……これじゃ、ナツキがほざいてることが事実みたいじゃないか。

「オレ、あきらめないからね」
「……ふざけんなよ。おまえ、そんな半裸でひよりに何してた? ひよりは未成年だ。犯罪だろ?」

 ナツキがぴくりと片眉を上げる。

「お兄ちゃん、わたし何もされて――」
「ひよりは黙ってて」

 事実がどうだろうと関係ない。勘違いされても仕方のない状況だ。

「警察に突き出されたくなかったら、もう二度とひよりに近づくな」
「突き出せば? どうせ無効になるけど」

 気味の悪い笑い顔にひやりとする。ナツキは裏の世界の奴らとのつきあいもあると、Masaの言葉を思い出す。

「ま、しばらくの間はお別れだけど」
「え?」
「知ってんだろ? 前の仕事がややこしくなった。表沙汰にしないよう画策してたが無理だった。落ち着くまでどっか放浪する」

 Masaのことだろうか。マスコミは蓮とミサトの熱愛報道で盛り上がってる。蓮の人気絶頂の時期に、駆け出しのモデルとの真剣交際がばれた。しばらくはこの話題で持ちきりだろう。
 Masaがマスコミにナツキを売ると思ってるんだろうか。それとも違約金でも発生するのか?
 ナツキが散らばった服を拾い上げ、立ち上がった。

「ちょっと予定と違ったけど、第二段階のクラッシュも終了! オレ、家庭内での束縛って悪以外の何物でもないと思うんだよね。特に未成年の場合は。今回は自分の正義感が強く出ちゃったなぁ〜、ま、いっか。てことで目的達成、これにて一件落着! じゃ、またな」
「ちょっと待てって!」

 なに、と目で訊かれる。

「ひよりのこと、本当にあきらめないのか?」
「もちろん。オレはどっかの慎一くんみたいに、大人になれないひよりちゃんに愛想尽かしたりしないから」

 ナツキは、呆然として座ったままのひよりに視線を移した。

「ばいばい、ひよりちゃん。またね」

 女の声でにっこり微笑み、部屋を出て行く。
 遠くで玄関ドアの閉まる音がしても、まだナツキがここにいるような気味悪さが残っている。あいつがいつかまた来る。慎一とは比べものにならないくらい厄介な男が。

「……ナツキさんが男だったなんて」

 肩に触れると、かすかな震えが伝わってきた。

「やっぱり何かされたんだろ!? 大丈夫か!?」
「大丈夫、ほんとうに何もされてないから。男だってことを証明するために、自分から脱いでっただけだよ」
「そっか……」

 ほっとしたのも束の間、今度はじわりと焦りが湧いてくる。ナツキがバラした全て、ひよりはどう思っているんだろうか。

「……さっきの話、ほんとなの?」

 静かに問われ、背筋を冷や汗が伝っていった。
 嘘だと言うか? あんなヤツが言うことなんて信じるなって逃げてしまうか。案外いけるかもしれない。

「全部、嘘。あんなやつの言うことなんて信じるな」
「……ほんとに?」
「本当だよ、嘘じゃない」
 
 本当。嘘。自分がどちらを肯定しているのか混乱してきた。でも大丈夫、ひよりがナツキのほうを信じるなんてことは――

「お兄ちゃんの嘘つき」

 言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
 どうして。

「お兄ちゃんの嘘つき。わたしにはわかる。お兄ちゃんは嘘をつくとき早口になるし、目の周りが震えるの。いつもそう」

 嘘をつくときの癖。そんなものがあったなんて知らなかった。

「どうしてそんなことしたの? 慎一くんとのつき合いに反対だったなら、直接言えばいいじゃん。他の人に依頼して壊そうとするなんて」
「だって、もう決めたことだって言うから」
「浅井先輩のときは相談したじゃない。いい人じゃないってわかってるんなら止めてくれればいいのに、何も言ってくれなかった。あのときも、ナツキさんに依頼して別れさせればいいやって思ってたの?」
「ちがうよ。あれは――」
「ちがくない。お兄ちゃんのこと、もうわかんない」

 崩れていく。必死に積み上げてきた平穏な毎日。ひよりの笑顔。
 自分の心を犠牲にして、必死に守ってきたのに。
 全部、崩れていく。


――待って。


 手を伸ばして抱きしめると、ひよりの柔らかな髪が頬に触れた。

「そんな風に言わないで。ずっと守ってきたのに」

 ひよりが強張り、体を離した。戸惑う瞳と目が合ったけれど、自分のしたことは後悔してなかった。

「浅井がひよりを傷つけたら、俺が殴ってやるつもりだったよ。俺の妹を傷つけるなって、ふざけんなよって、あいつが謝るまで殴ってやるつもりだったのに」

 ただの兄である自分が、ひよりの生活に口を出せないことはわかってる。やりたいことは見守って、彼女が傷ついてしまったら、何百倍にして返してやればいいと思ってた。
 だけど俺は、自分の気持ちを隠しきれてなかったってわけか。自分の欲を我慢できず、中途半端になってしまったことで、逆にひよりに気を遣わせてしまった。
 守りたかったのに。必要とされたかったのに。
 乾いた笑いが漏れた。俺がもっと年上だったら、きちんとした大人のように振る舞えたんだろうか。

「ごめん。兄失格だ」


 今、はっきりとわかった。
 ナツキは最初から、俺の要望に応えるつもりはなくて。
 本当の目的は、『透明な羽のオス』の正体を明かすことで。
 そのための第一段階は、ひよりの結婚を壊すこと。
 第二段階は、兄妹関係を壊すこと。
 そして――
 善良な兄のふりをして、ひよりの人生を横取りする『透明な羽のオス』は俺だった。