透明な羽の君へ

 コテージから車で数十分のところに遊園地はあった。はしゃぐひよりを制しながら歩きつつ、慎一とナツキから距離を取る。オレンジジュース一杯だけの朝食だったのに、胃がずんと重い。
 ひよりが洞窟探検のアトラクション看板の前で立ち止まる。

「これやりたい!」
「探検しながら隠れたアイテムを集めるのか。楽しそうだね」

 うしろから慎一に覗き込まれ、ひよりがほんのすこし動揺した。すかさずナツキがひよりの手を取り列に並んだ。

「梯子とか上ったりするんだね。ヘルメットもつけるって、けっこう本格的」
「楽しみー♪ ね、お兄ちゃん」
「ああ……」

 胃が重い。笑顔がひきつれる。早く洞窟の闇に呑まれたい。
 30分ほど並び、やっと俺たちの番になった。荷物を預け、ヘルメットとバンドを装着する。バンドにはリモコンのようなものが付いていて、ここに見つけた宝石を記録していくらしい。いくつかコースがあるみたいだが、ひよりが上級者コースに入っていってしまった。慎一が追いかけていく。ナツキがいないなと辺りを見回すと、受付の人と話していた。

「ナツキさん! 先行ってるよ!」
「え!?」
 
 珍しく動揺した顔のナツキが気になったものの、ふたりの跡を急いだ。
 暗い道をヘッドライトの明かりを頼りに歩く。カーテンをくぐると、ひよりと慎一が待ってくれていた。

「おそいよー。ちゃんと宝石見つけた?」
「うそ。今までの道にあった?」
「あったよ! 岩の影のところ、ちょっと明るくなってたでしょ」

 虹色に輝くところに宝石があるとは聞いていたが、気がつかなかった。想像していたより弱い光らしい。

「わたしは見つけましたよ」

 後から来たナツキは記録ができたようだ。見逃しがわかっても戻れないルールなので、そのまま行くことにする。
 四つん這いで進んだり梯子に上らされたりしながら、宝石3つをゲットした。残りは2つ。
 途中、別のコースを行く人たちの声が聞こえてきたが、洞窟内で混雑しないように入場制限されているので他のグループと重なることはなかった。
 太古の泉という名前のボールプールで、かすかな虹色の光を見つけた。

「あった!」
「これは見つけにくいですね」
「お兄ちゃんナイス!」

 残りはあとひとつ。と、思ったところで、ボールプールの一部分がごそごそと動き始めた。次の瞬間、すごい勢いで何かが飛び出した。

「うわっ」

 黒い塊。これは……

「犬?」

 尻尾をふるダックスフント。ボールプールの中で、楽しそうに跳ね回っている。

「かわいい! だけど、どこから入ったんだろ?」
「ここ、犬連れのコースもありましたよね。洞窟内で脱走して、コースが交差するところでこっちに入ってきたんじゃないかな?」
「あー、なるほどね」

 そういえば、コースには3種類書いてあった。初級者コース、上級者コース、犬連れコース。飼い主のところへ連れていってやらないと。リードもつけてるし、狭い空間なので捕まえられそうだ。

「ナツキさん! 犬、捕まえてくれます?」
「……」
「ナツキさん?」

 いちばん近くにいるナツキに声をかけたけれど、彼女は犬を凝視したまま固まっている。もしかして犬が苦手?と察した瞬間、ダックスフントがナツキの胸に飛び込んだ。

「わわわ!」

 ナツキが倒れた衝撃で、たくさんのボールが飛び散る。

「大丈夫ですか!」
「実はわたし、犬が苦手で……」
「わかりました、いま捕まえますから」

 ナツキの胸でくつろぐダックスフントを抱き上げた。しばらくは暴れたが、動けないことがわかったのか次第におとなしくなる。

「わー♡ かわいい」

 ひよりが頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。ひよりがナツキの手を引っ張って起こす。

「子どものころ犬に追いかけられたことがあって、それからずっと苦手なんです……。犬連れのコースがあるとわかって、コースが重ならないか受付の人に確かめたんですが」
「だから入る前に受付の人と話してたのか」
「ごめんなさい。わたしがさっさと入っちゃったから」

 しゅんとしているひよりの頭を、ナツキが優しく撫でた。

「ううん、もう大丈夫」
「お兄ちゃん、ワンちゃん絶対に離しちゃだめだよ!」
「わかってるよー」
「お兄さん、大丈夫ですか? どこかで代わりますよ」
「ありがとうございます」

 俺たちは最後の宝石の在処を探すことなく外に出た。ダックスフントの飼い主はすぐに見つかり、何度も謝罪された。ナツキだけが、憮然とした表情で飼い主と犬を眺めていた。
 疲れたので休もうとカフェエリアでアイスを選んでいたとき、急激に腹が空いてきてひとりラーメンを頼む。

「朝ごはん食べてないからでしょ」
「朝は、あんまり食欲なくてさ。あーラーメン、うまー」

 ちらりとナツキに視線をやると、さっきまでとは打って変わり涼しい顔でアイスを食べていた。

「ナツキさん、もう大丈夫?」
「もう大丈夫です。ひよりちゃんのアイス、何味だったっけ?」
「イチゴだよ、ここの名産みたい。ナツキさんはチョコミント?」
「うん。交換しませんか?」
「いいよー♡」

 アイスを交換し楽しむ女子たちを見て、ため息。お互いのアイスを食べ合うなんて、よくやるなとあきれる。兄の俺でさえ、食べ物の交換は幼稚園で卒業したのに。
 それにしても、この旅行でナツキとひよりの仲がより深まった気がする。相変わらずナツキは無表情だけど、なにかとひよりの近くにいたがるし、世話を焼きたがるような……。

「ひよりちゃん、アイスついてる」

 口の端に垂れたアイスを、ナツキが紙ナプキンで拭う。

「ありがと! ナツキさん、お姉ちゃんみたい」
「そんなこと言ったら、洸さんがやきもち妬いちゃうよ?」
「妬きませんって!」

 伸びかけたラーメンを口に運びながら、ナツキと慎一と笑い合うひよりから目を逸らした。

 ジェットコースター、お化け屋敷と散々楽しみ尽くし、夕飯は湖畔のレストランに行った。カジュアルな雰囲気のイタリアンレストランで、ここでもナツキはピザやパスタをたくさん食べた(生魚が苦手なナツキは、白身魚のカルパッチョだけは手をつけなかったけれど)。コテージに戻り、飲酒のできる成人組はホテルのバーに飲みに行くと言ったので、俺とひよりは大浴場に向かった。
 風呂から出たあと休憩所でアイスキャンディーを食べていると、女湯のほうからひよりが出てきた。

「いいなー! わたしも」
「昼間にアイス食ったじゃん」
「あれはアイスクリームね! これはアイスキャンディー」

 ひよりが赤いアイスキャンディーの袋を開ける。

「それイチゴだよ?」
「わかってるよ?」
「昼間、食ったじゃん」
「だからさー」
「ハイハイ。あれはアイスクリームで、これはアイスキャンディーね」
「そういうこと」

 そういえば、ひよりは昔からイチゴが好きだったっけ。子どものころ、俺の皿からイチゴをくすねようとするのを見て見ぬふりをしたことが何度もあった。

「なに、思い出し笑い?」
「昔はよくイチゴ盗まれたなぁって」
「え!? 気づいてたの?」
「もちろん」
「気づかれてないと思ってたんだけど」

 こっそり取っていく姿が可愛くて、あえて注意しなかった。

「俺にはいいけど、友達にはやるなよ」
「わかってるよっ」

 慎一にも、と言いかけて結婚の話がなくなるかもということを思い出した。まだ味の残るアイス棒をくわえながら、ひよりの横顔をちらりと見る。乾かしたばかりの髪はふわりと柔らかく広がっていて、火照った体からはボディークリームだろうか、爽やかな柑橘系の香りが漂う。

――ひよりちゃんは、これからもっと綺麗になる

 慎一もナツキもそろって同じことを言っていた。赤ん坊のころから一緒に過ごしてきた妹が、いつの間にか女になっている。胸がざわついて落ち着かないのは、妹を持つ兄ならば同じなんだろうか。

「ごちそうさま♡」

 食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に捨てに行く。ひよりがまたアイスキャンディーの箱をのぞいていたので、さすがに注意した。

「一人ひとつだろ」
「わかってるよう。ナツキさんにあげようかと思って。ナツキさん、大浴場は苦手らしくて、ここに来ないから」
「だとしても、そんなの今持って行っても溶けちゃうだろ。部屋には冷凍庫なかったと思うぜ」
「そうだっけ? じゃあ、あとでふたりで来ようかな」
「おまえはもう食うなよ」
「うっ……うん」
「『うっ』ってなんだよ」

 ひとしきり笑い合って、コテージの道をふたりで歩く。夜空には星が瞬いて、風は涼しくて、流れる川の水の音がして――

「来てよかったな」
「うん」

 もう二度と、こんなにも満たされた時は巡ってこないだろう。かみしめるように夜空を仰いだ。


 リビングでひよりとテレビを観ていると、慎一が帰ってきた。

「あれ、ナツキさんは?」
「ラウンジで酔いを醒ましてるって。お兄さんを呼んできてと頼まれたよ」
「俺?」

 俺が出ると、部屋には慎一とひよりのふたりきりになる。横目でひよりの様子を窺うと、案の定、落ち着かない様子で鼻を触っていた。慎一は酒を飲んでいるし、万が一のことを考えて出るのはやめよう。

「んーと、このテレビ観たいから行けないってメールしときます」
「ナツキさん、スマホを部屋に忘れてきたんだって」

 なるほど、それで俺に直接ではなく慎一に伝言したんだなと納得するも、これじゃあ行く羽目になるじゃないか。

「わたし行ってきます!」
「ひよりちゃんが?」
「うん。ラウンジってバーの横にあるところだよね? 大浴場の休憩所でアイスもらいたいし、わたし行ってくるよ」

 コテージからホテル棟までは徒歩5分弱。もう22時すぎだし危ないと止めようとしたが、そそくさと靴を履き始めてしまった。

「走っていけばすぐ着くし。大丈夫!」
「ホテル棟ついたら連絡して。念のために」
「はいはい。行ってきます」

 バタンと扉が閉まる。テレビから聞こえる芸人たちの笑い声がやけに響いてきて、音量を下げた。

「僕、軽くシャワー浴びたら寝るよ。明日は運転しなきゃだし。洸くんはテレビ観てていいから」
「あ、はい……おやすみなさい」

 どこか引っかかるものを感じたとき、スマホが震えた。画面に『ついた!』と一言、ひよりからのメッセージが浮かぶ。それを見たときにやっと、慎一に初めて「洸くん」と名前で呼ばれたことに気がついた。