淡雪を口に含んでいるみたいだ。口の中でほどけた瞬間、消えてなくなる。屋台で食べるかき氷のジャリジャリ感とはあまりにも違っていて、シロップも変に甘ったるくなく果肉まで入っている。
「しかし高いな……」
「そういうことは口に出さないでー」
ナツキは鼻で笑い、慎一は「たしかに贅沢だけどね」と苦笑する。いくら天然氷のかき氷といっても、氷は氷。高校生には、一杯1000円越えは高いと思う。
ナツキの提案により、4人でキャンプすることになった。慎一の運転する車で向かう途中、ひよりが天然氷のかき氷店を見つけ、休憩がてら寄ったのだ。
「天然氷は作るのに手間がかかるし、確保してる氷がなくなったら食べられなくなるって特別感もあるから、そういう意味で妥当な値段かもしれませんよ」
「限定ものって食べたくなるしね♪」
「単純なんだよ、ひよりは」
「心理的リアクタンス」
突然、ナツキが呪文のような言葉を呟く。
「『今しか食べられない』と言われると、自由に食べられるという権利が阻害されているように感じて、心理的な抵抗が働きます。それが心理的リアクタンス。よって人は今しか食べられないものを選択しがちです」
「なるほど~。今だけ、とか言われると飛びつきたくなるもんね」
「じゃあ、逆に『これ食べなさい』って言われると反抗したくなる?」
「同じことです。自由に食べられる権利が阻害されて食べたくなくなる。言った側は逆効果ですね。ブーメラン効果といいます」
「ナツキさん、心理学に詳しいんですね」
ナツキがかき氷を崩しながら、わずかに口角を上げた。
「そういえば、普通のかき氷のシロップって実は全部同じ味だって知ってます?」
慎一が問うと、俺とひよりだけ顔を見合わせる。
「そうなの? 知らなかった!」
「そんなことあります? 色もにおいも違うのに」
「色とにおいが違うだけで、人は別物と認識してしまう。でも味は同じなんですよ。ここのシロップは、そんなことないですね。やっぱり高いだけの価値はあります」
綺麗にまとめて微笑む慎一を見て、気づかれないよう小さく息を吐く。
――依頼を受けたときにしたトンボの話、覚えてますか? 慎一くんは無害な顔をしてひよりちゃんに近づき、純粋な彼女を傷つける最低な男です。
依頼を取り下げたいと申し出た電話で、ナツキから聞いたことだ。ナツキはいまいち信用できないが、同時に彼女が嘘をついていると結論づける証拠も見つからない。もし彼女の言うとおり慎一が危ない人間だとしたら、いま結婚を止めなければひよりが傷つくことになる。そして不思議なことに、慎一が危ない人間かもしれないと思い始めると、彼の言動や行動の全てに疑問が湧く。隙がなさすぎて、完璧に演じているようにみえなくもないのだ。仮面の下にどろどろした感情を隠していた場合、結婚した途端に豹変する可能性もある。
視線を感じた方を見ると、ナツキの鋭い視線が突き刺さる。やばい、顔に出ていたようだ。スプーンを持ち直し、乱暴に崩したかき氷を無心で食べる。溶けかけた氷が、冷たさに痺れた舌の上で転がって消えた。
店を出て車に乗り込みキャンプ場を目指す。公園に隣接する森の中に入っていくと、ホテルらしき建物の前に人が立っていて裏の駐車場に案内してくれた。
車の外に出て歩いていくと、ホテル前を流れる川の向こう側にドーム型のテントとコテージがあった。
「ホテル併設型なんです。お風呂や食事はホテルで」
「これがグランピングかー! すごーい、ね、お兄ちゃん」
「ああ」
金持ちでインドアなイメージのナツキとキャンプが結びつかなかったけれど、ここにきて納得した。ホテル併設型のグランピング、かつ、ドーム型テントでなくコテージに宿泊するらしい。コテージには広いリビングに2つのベッドルームがあり、シャワールームとトイレも2つあった。さぞ高いんだろうと思うが、ナツキの持つ会員カードか何かで破格の宿泊費にしてくれ、なんとか捻出できた。
俺と慎一、ナツキとひよりが同じ部屋だ。荷物を置いて、さっそく周辺を散歩しに行こうとしたところでナツキに呼ばれた。
「慎一くんとひよりちゃんには散歩に行ってもらって、わたしたちはここで話をしましょう」
「えー」
目を眇められ我にかえる。そうだった、これは純粋な旅行じゃない。ひよりと寄り添いながら遠ざかる慎一の背中を見送り振り返ると、あきれた様子のナツキがいた。
「ほんと、わかりやすいっていうか」
ため息まじりに言われ、反省するどころか「だってさ」とすねてしまう。これも心理的ナントカなんだろうか。
「座ってください。今回は、この旅行のゴールを共有します」
旅行のゴール。作戦会議か。ナツキの正面に座り身を乗り出すと、彼女はテーブルの上で指を組んだ。
「ゴール、つまりこの旅行の目標は、ひよりちゃんに『慎一さんとのつき合いを迷ってる』と言わせること」
「別れさせることじゃないんですか?」
「最終ゴールはそこですが、この旅行でのゴールは違います。たいていの場合、旅行先でトラブルがあってもその場で決裂して別れる場合は少ないと思います。旅行中は我慢して、帰ってきた直後にジ・エンドとなるパターンが多いかと」
たしかに。旅行中は途中で解散するのが難しい。
「旅行中は楽しい反面、慣れない環境で疲れも溜まりますし、誰しもがイライラしやすい状況になります。なので衝突が起きても、一時のものだとして深く思い詰めないときもある。よって、別れを迷わせるほど決定的なものを見せつける必要があります」
「ただ……どうやって仕掛ければいいんです? そもそも慎一の正体って」
「慎一くんは過去、相当なクズ男でした」
――クズ男? 慎一が?
喉の奥でひゅっと音が鳴った。
「誠実な見た目からは想像できないですよね」
「本当なんですか? クズ男って……浮気癖がひどかったとか?」
「いえ。同時並行はなかったようですが、経験人数が多い。とっかえひっかえって感じでしょうか」
「そんな……それ、ひよりは知ってるんですか?」
ナツキがゆっくりと首を横に振った。
「あくまで過去のことですから。ひよりちゃんが聞かない限り、あえて言う必要はないですよね」
たしかにそうだ。慎一がいま、ひよりだけを好きでいてくれるなら、過去にクズ男だったことは問題にならない。むしろ、ひよりに出会ったことで、心を入れ替えたとはいえないだろうか。そんな淡い期待は、次の一言で砕かれた。
「問題なのは、人間そんな簡単に変われないってことです。今のところ、ひよりちゃんに一途なのはたしかですが、いずれ飽きるはずです。それで次の女性にいくんですよ」
いずれ飽きる。思わずテーブルを蹴り飛ばしそうになったものの、ナツキが悪いわけじゃないと思いとどまった。
愛し合って結婚しても、どうしようもない理由で関係が破綻することだってある。だけど結婚前に離婚の火種となりそうな事実を知ってしまったら、快く認められるか。
まだひよりは17歳で、結婚に夢を見る歳だ。生まれたときから父親を知らず、母親も途中でいなくなった事情から、人一倍家族という形にこだわりがあるのかもしれない。
「どうしたらいいんだ……。ひよりの前で慎一の過去をぶちまけたところで、あんまり意味がない気がする。過去が最悪なやつだったから、今も未来も最悪なやつだなんて証明できるんですか……?」
ナツキは眉間にしわを寄せ、珍しく考え込んでいるように見えた。
「ま、なんとかしましょう」
「えええー! すげーいい案がでてくるの待ってたんですけど!」
「あまりわたしの手の内を明かすと、片倉さんの顔に出てうまくいくものもうまくいかなくなりますから」
こうしてひよりの未来は、百戦錬磨のカップルクラッシャーの手に委ねられた。
「しかし高いな……」
「そういうことは口に出さないでー」
ナツキは鼻で笑い、慎一は「たしかに贅沢だけどね」と苦笑する。いくら天然氷のかき氷といっても、氷は氷。高校生には、一杯1000円越えは高いと思う。
ナツキの提案により、4人でキャンプすることになった。慎一の運転する車で向かう途中、ひよりが天然氷のかき氷店を見つけ、休憩がてら寄ったのだ。
「天然氷は作るのに手間がかかるし、確保してる氷がなくなったら食べられなくなるって特別感もあるから、そういう意味で妥当な値段かもしれませんよ」
「限定ものって食べたくなるしね♪」
「単純なんだよ、ひよりは」
「心理的リアクタンス」
突然、ナツキが呪文のような言葉を呟く。
「『今しか食べられない』と言われると、自由に食べられるという権利が阻害されているように感じて、心理的な抵抗が働きます。それが心理的リアクタンス。よって人は今しか食べられないものを選択しがちです」
「なるほど~。今だけ、とか言われると飛びつきたくなるもんね」
「じゃあ、逆に『これ食べなさい』って言われると反抗したくなる?」
「同じことです。自由に食べられる権利が阻害されて食べたくなくなる。言った側は逆効果ですね。ブーメラン効果といいます」
「ナツキさん、心理学に詳しいんですね」
ナツキがかき氷を崩しながら、わずかに口角を上げた。
「そういえば、普通のかき氷のシロップって実は全部同じ味だって知ってます?」
慎一が問うと、俺とひよりだけ顔を見合わせる。
「そうなの? 知らなかった!」
「そんなことあります? 色もにおいも違うのに」
「色とにおいが違うだけで、人は別物と認識してしまう。でも味は同じなんですよ。ここのシロップは、そんなことないですね。やっぱり高いだけの価値はあります」
綺麗にまとめて微笑む慎一を見て、気づかれないよう小さく息を吐く。
――依頼を受けたときにしたトンボの話、覚えてますか? 慎一くんは無害な顔をしてひよりちゃんに近づき、純粋な彼女を傷つける最低な男です。
依頼を取り下げたいと申し出た電話で、ナツキから聞いたことだ。ナツキはいまいち信用できないが、同時に彼女が嘘をついていると結論づける証拠も見つからない。もし彼女の言うとおり慎一が危ない人間だとしたら、いま結婚を止めなければひよりが傷つくことになる。そして不思議なことに、慎一が危ない人間かもしれないと思い始めると、彼の言動や行動の全てに疑問が湧く。隙がなさすぎて、完璧に演じているようにみえなくもないのだ。仮面の下にどろどろした感情を隠していた場合、結婚した途端に豹変する可能性もある。
視線を感じた方を見ると、ナツキの鋭い視線が突き刺さる。やばい、顔に出ていたようだ。スプーンを持ち直し、乱暴に崩したかき氷を無心で食べる。溶けかけた氷が、冷たさに痺れた舌の上で転がって消えた。
店を出て車に乗り込みキャンプ場を目指す。公園に隣接する森の中に入っていくと、ホテルらしき建物の前に人が立っていて裏の駐車場に案内してくれた。
車の外に出て歩いていくと、ホテル前を流れる川の向こう側にドーム型のテントとコテージがあった。
「ホテル併設型なんです。お風呂や食事はホテルで」
「これがグランピングかー! すごーい、ね、お兄ちゃん」
「ああ」
金持ちでインドアなイメージのナツキとキャンプが結びつかなかったけれど、ここにきて納得した。ホテル併設型のグランピング、かつ、ドーム型テントでなくコテージに宿泊するらしい。コテージには広いリビングに2つのベッドルームがあり、シャワールームとトイレも2つあった。さぞ高いんだろうと思うが、ナツキの持つ会員カードか何かで破格の宿泊費にしてくれ、なんとか捻出できた。
俺と慎一、ナツキとひよりが同じ部屋だ。荷物を置いて、さっそく周辺を散歩しに行こうとしたところでナツキに呼ばれた。
「慎一くんとひよりちゃんには散歩に行ってもらって、わたしたちはここで話をしましょう」
「えー」
目を眇められ我にかえる。そうだった、これは純粋な旅行じゃない。ひよりと寄り添いながら遠ざかる慎一の背中を見送り振り返ると、あきれた様子のナツキがいた。
「ほんと、わかりやすいっていうか」
ため息まじりに言われ、反省するどころか「だってさ」とすねてしまう。これも心理的ナントカなんだろうか。
「座ってください。今回は、この旅行のゴールを共有します」
旅行のゴール。作戦会議か。ナツキの正面に座り身を乗り出すと、彼女はテーブルの上で指を組んだ。
「ゴール、つまりこの旅行の目標は、ひよりちゃんに『慎一さんとのつき合いを迷ってる』と言わせること」
「別れさせることじゃないんですか?」
「最終ゴールはそこですが、この旅行でのゴールは違います。たいていの場合、旅行先でトラブルがあってもその場で決裂して別れる場合は少ないと思います。旅行中は我慢して、帰ってきた直後にジ・エンドとなるパターンが多いかと」
たしかに。旅行中は途中で解散するのが難しい。
「旅行中は楽しい反面、慣れない環境で疲れも溜まりますし、誰しもがイライラしやすい状況になります。なので衝突が起きても、一時のものだとして深く思い詰めないときもある。よって、別れを迷わせるほど決定的なものを見せつける必要があります」
「ただ……どうやって仕掛ければいいんです? そもそも慎一の正体って」
「慎一くんは過去、相当なクズ男でした」
――クズ男? 慎一が?
喉の奥でひゅっと音が鳴った。
「誠実な見た目からは想像できないですよね」
「本当なんですか? クズ男って……浮気癖がひどかったとか?」
「いえ。同時並行はなかったようですが、経験人数が多い。とっかえひっかえって感じでしょうか」
「そんな……それ、ひよりは知ってるんですか?」
ナツキがゆっくりと首を横に振った。
「あくまで過去のことですから。ひよりちゃんが聞かない限り、あえて言う必要はないですよね」
たしかにそうだ。慎一がいま、ひよりだけを好きでいてくれるなら、過去にクズ男だったことは問題にならない。むしろ、ひよりに出会ったことで、心を入れ替えたとはいえないだろうか。そんな淡い期待は、次の一言で砕かれた。
「問題なのは、人間そんな簡単に変われないってことです。今のところ、ひよりちゃんに一途なのはたしかですが、いずれ飽きるはずです。それで次の女性にいくんですよ」
いずれ飽きる。思わずテーブルを蹴り飛ばしそうになったものの、ナツキが悪いわけじゃないと思いとどまった。
愛し合って結婚しても、どうしようもない理由で関係が破綻することだってある。だけど結婚前に離婚の火種となりそうな事実を知ってしまったら、快く認められるか。
まだひよりは17歳で、結婚に夢を見る歳だ。生まれたときから父親を知らず、母親も途中でいなくなった事情から、人一倍家族という形にこだわりがあるのかもしれない。
「どうしたらいいんだ……。ひよりの前で慎一の過去をぶちまけたところで、あんまり意味がない気がする。過去が最悪なやつだったから、今も未来も最悪なやつだなんて証明できるんですか……?」
ナツキは眉間にしわを寄せ、珍しく考え込んでいるように見えた。
「ま、なんとかしましょう」
「えええー! すげーいい案がでてくるの待ってたんですけど!」
「あまりわたしの手の内を明かすと、片倉さんの顔に出てうまくいくものもうまくいかなくなりますから」
こうしてひよりの未来は、百戦錬磨のカップルクラッシャーの手に委ねられた。


