放課後のリベンジマッチの結果から言うと、僕はまたしても尚に負けた。通算二十八連敗だ。
尚は僕が特訓の成果を披露しようと、新キャラのコンボを叩き込もうとするたびに、「ほっくん、手元お留守だよ」と余裕たっぷりに受け流してくる。やっぱり『泣かす』までの道のりは遠い。
そして翌日の休み時間、僕たちの席の周りは、昨日とはまた別の意味で騒がしかった。
ゲームが上手い人の動画を見れば、僕の腕も上がるはずだ。そう本気で信じて格ゲーの動画を見ていたら、市橋が僕の顔をじっと見てきた。
「なあ近江、前から思ってたけどさ」
嫌な予感がする。その顔は絶対ろくなことじゃない。
「お前、女装似合いそうじゃね?」
なんだ。さっきまで市橋が近藤たちと食べていた激辛チップスでも食べさせられるのかと思った。辛いのは嫌いだから困る。
でも……、女装。女の人の装い。ということは、女子の服を着るということだろうか。
「たしかに! 髪サラサラだし!」
「睫毛長いし、肌白いし!」
近くにいた女子たちが食いついてくる。
一人の女子が、「顔ちっちゃすぎ! 私より小さくない!?」と僕の顔の横に自分の顔を並べた。
「ガチで女子じゃん!」
ついには教室中が盛り上がっていた。
どうしたらいいか僕には分からない。こういうときは尚だ。
「尚」
「ん?」
「僕、女子らしい」
「らしいね」
尚は笑っている。面白がってるやつだ。この場を収める気は全くないらしい。爽やかな笑顔から一転、ニヤリと僕をからかう時の顔になった。
「昔もっと女の子みたいだったよね」
「そうだっけ」
「小学生の頃なんか、知らないおばちゃんに"可愛いお嬢ちゃんねぇ"って言われてた」
「そうだった」
思い出した。男だと訂正する前に、おばちゃんはいなくなったんだ。嵐みたいな人だった。
「ほら! 絶対似合うって!」
「一回やれよ!」
「近江、今すぐスカート履け!」
その言葉に、廊下を通りかかった女子たちまで「え、マジ!?」と食いつく。一七五cm以上ある男のスカート姿なんて見て、いったい何が楽しいんだろうか。
隣の尚は相変わらず笑っている。そんなに尚が楽しそうなら検証してみる価値はある。だったら――。
「お前が女子からスカート借りてこい」
僕が正面にいた松風を真っ直ぐ見据えてそう言うと、教室がシーンと静まり返った一秒後。
「いや真顔で準備始めんな!!」
松風の特大声量ツッコミを合図に、教室中がどっと爆笑に包まれた。
「マジで実行フェーズ入るのやめろや! 普通そこ否定するだろ!」
「借りてくる前提なの怖ぇよ!」
何がおかしいんだろう。借りないと履けない。当然の話だ。
尚は笑いすぎて机に突っ伏している。
「ほっくん最高……」
「なに?」
「天然って怖ぇ」
僕は天然が怖いと思ったことはない。でも、魚なら養殖の方が安心かもしれない。
「つーか、前からちょっと気になってたんだけどさ」
涙を流して笑っていた市橋が、お腹を押さえながらふと思い出したように尚に問いかける。
「ほっくんって何由来? やっぱ北斗だから?」
その質問に、尚は椅子の背もたれに寄りかかりながら、楽しそうに目を細めた。
「あー、こいつ昔ほっぺもちもちだったから」
「なわけ」
「ほっぺた触ると餅みたいだった」
「殺すぞ」
「あれ? 怒っちゃった?」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってない」
僕と尚を交互に見て、市橋が「ほら出た!」と笑う。
「殺すぞって言っといて怒ってないは無理だろ」
高二にもなってこの呼び方はさすがに恥ずかしい。でも、別に本気で嫌というわけではない。
幼稚園の頃、僕のほっぺを突然両手でこねくり回してきたのが尚だった。その時、ちょうど母さんが「ほっくん帰るわよ」と僕を迎えに来た瞬間が全ての始まりだ。タイミングがいいのか悪いのか。それ以来、母さんですら、いつの間にか呼ぶことのなくなったこの呼び名を、尚だけがあの時からずっと使い続けている。
市橋がまだ笑っている。その横から近藤がひょいと顔を出した。
「俺もほっくんって呼んじゃおっかな~」
「ダメ」
「は?なんで?」
「ダメだから」
「理由になってねぇよ!」
それでもダメなものはダメだ。尚以外に呼ばれるのは……なんかムカつく。
放課後、夕暮れの校門を出ていつも通り尚と並んで家路についているとき、昼休みの会話を頭の中で反芻していた。
「僕、スカート似合うらしい」
「履くな」
尚が、いつもより少しだけ低い声で、即座に言った。
横を見ると、尚は前を向いたまま、珍しく笑っていない。昼休みはあんなに楽しそうだったのに。
「なんで?」
尚は少し黙ってから、
「……俺以外に見せんな」
と吐き捨てるように呟いた。
僕は足を止め、尚の顔を覗き込む。
俺以外に見せるな。
ということは、尚には見せてもいいということだよな。
「じゃあ今度履く」
「……は?」
「尚にだけ見せる」
「……そうじゃなくて」
尚は「もういい……」と大きなため息をついて、歩く速度を速めた。
「尚?」
小走りで隣へ並ぶけど、尚は前を向いたまま歩く速さを落とさなかった。
「お腹痛い?」
「……は?」
「顔色は悪くないな」
「違う」
「じゃあ頭? 痛い?」
「違う」
「風邪? どっか怪我したか?」
「違うって」
「大丈夫?」
「……なんでもないって」
尚はそれ以上何も言わずに、ぐんぐん先へ歩いていく。
…………機嫌が悪そうだ。僕が何かしたんだろうか。
少し考えてみたけど、思い当たることは特にない。ゲームは僕の連敗中だし、今日は尚のパンも横取りしていない。
早くいつもの尚に戻ればいいのに。
置いていかれないように、歩幅を広げて、僕はまた尚の隣に並んだ。
尚は僕が特訓の成果を披露しようと、新キャラのコンボを叩き込もうとするたびに、「ほっくん、手元お留守だよ」と余裕たっぷりに受け流してくる。やっぱり『泣かす』までの道のりは遠い。
そして翌日の休み時間、僕たちの席の周りは、昨日とはまた別の意味で騒がしかった。
ゲームが上手い人の動画を見れば、僕の腕も上がるはずだ。そう本気で信じて格ゲーの動画を見ていたら、市橋が僕の顔をじっと見てきた。
「なあ近江、前から思ってたけどさ」
嫌な予感がする。その顔は絶対ろくなことじゃない。
「お前、女装似合いそうじゃね?」
なんだ。さっきまで市橋が近藤たちと食べていた激辛チップスでも食べさせられるのかと思った。辛いのは嫌いだから困る。
でも……、女装。女の人の装い。ということは、女子の服を着るということだろうか。
「たしかに! 髪サラサラだし!」
「睫毛長いし、肌白いし!」
近くにいた女子たちが食いついてくる。
一人の女子が、「顔ちっちゃすぎ! 私より小さくない!?」と僕の顔の横に自分の顔を並べた。
「ガチで女子じゃん!」
ついには教室中が盛り上がっていた。
どうしたらいいか僕には分からない。こういうときは尚だ。
「尚」
「ん?」
「僕、女子らしい」
「らしいね」
尚は笑っている。面白がってるやつだ。この場を収める気は全くないらしい。爽やかな笑顔から一転、ニヤリと僕をからかう時の顔になった。
「昔もっと女の子みたいだったよね」
「そうだっけ」
「小学生の頃なんか、知らないおばちゃんに"可愛いお嬢ちゃんねぇ"って言われてた」
「そうだった」
思い出した。男だと訂正する前に、おばちゃんはいなくなったんだ。嵐みたいな人だった。
「ほら! 絶対似合うって!」
「一回やれよ!」
「近江、今すぐスカート履け!」
その言葉に、廊下を通りかかった女子たちまで「え、マジ!?」と食いつく。一七五cm以上ある男のスカート姿なんて見て、いったい何が楽しいんだろうか。
隣の尚は相変わらず笑っている。そんなに尚が楽しそうなら検証してみる価値はある。だったら――。
「お前が女子からスカート借りてこい」
僕が正面にいた松風を真っ直ぐ見据えてそう言うと、教室がシーンと静まり返った一秒後。
「いや真顔で準備始めんな!!」
松風の特大声量ツッコミを合図に、教室中がどっと爆笑に包まれた。
「マジで実行フェーズ入るのやめろや! 普通そこ否定するだろ!」
「借りてくる前提なの怖ぇよ!」
何がおかしいんだろう。借りないと履けない。当然の話だ。
尚は笑いすぎて机に突っ伏している。
「ほっくん最高……」
「なに?」
「天然って怖ぇ」
僕は天然が怖いと思ったことはない。でも、魚なら養殖の方が安心かもしれない。
「つーか、前からちょっと気になってたんだけどさ」
涙を流して笑っていた市橋が、お腹を押さえながらふと思い出したように尚に問いかける。
「ほっくんって何由来? やっぱ北斗だから?」
その質問に、尚は椅子の背もたれに寄りかかりながら、楽しそうに目を細めた。
「あー、こいつ昔ほっぺもちもちだったから」
「なわけ」
「ほっぺた触ると餅みたいだった」
「殺すぞ」
「あれ? 怒っちゃった?」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってない」
僕と尚を交互に見て、市橋が「ほら出た!」と笑う。
「殺すぞって言っといて怒ってないは無理だろ」
高二にもなってこの呼び方はさすがに恥ずかしい。でも、別に本気で嫌というわけではない。
幼稚園の頃、僕のほっぺを突然両手でこねくり回してきたのが尚だった。その時、ちょうど母さんが「ほっくん帰るわよ」と僕を迎えに来た瞬間が全ての始まりだ。タイミングがいいのか悪いのか。それ以来、母さんですら、いつの間にか呼ぶことのなくなったこの呼び名を、尚だけがあの時からずっと使い続けている。
市橋がまだ笑っている。その横から近藤がひょいと顔を出した。
「俺もほっくんって呼んじゃおっかな~」
「ダメ」
「は?なんで?」
「ダメだから」
「理由になってねぇよ!」
それでもダメなものはダメだ。尚以外に呼ばれるのは……なんかムカつく。
放課後、夕暮れの校門を出ていつも通り尚と並んで家路についているとき、昼休みの会話を頭の中で反芻していた。
「僕、スカート似合うらしい」
「履くな」
尚が、いつもより少しだけ低い声で、即座に言った。
横を見ると、尚は前を向いたまま、珍しく笑っていない。昼休みはあんなに楽しそうだったのに。
「なんで?」
尚は少し黙ってから、
「……俺以外に見せんな」
と吐き捨てるように呟いた。
僕は足を止め、尚の顔を覗き込む。
俺以外に見せるな。
ということは、尚には見せてもいいということだよな。
「じゃあ今度履く」
「……は?」
「尚にだけ見せる」
「……そうじゃなくて」
尚は「もういい……」と大きなため息をついて、歩く速度を速めた。
「尚?」
小走りで隣へ並ぶけど、尚は前を向いたまま歩く速さを落とさなかった。
「お腹痛い?」
「……は?」
「顔色は悪くないな」
「違う」
「じゃあ頭? 痛い?」
「違う」
「風邪? どっか怪我したか?」
「違うって」
「大丈夫?」
「……なんでもないって」
尚はそれ以上何も言わずに、ぐんぐん先へ歩いていく。
…………機嫌が悪そうだ。僕が何かしたんだろうか。
少し考えてみたけど、思い当たることは特にない。ゲームは僕の連敗中だし、今日は尚のパンも横取りしていない。
早くいつもの尚に戻ればいいのに。
置いていかれないように、歩幅を広げて、僕はまた尚の隣に並んだ。



