幼馴染と離れられないのは、呪いじゃなくて恋のせいでした

デートを終えて尚の家に着いた頃には、すっかり外は暗くなっていた。
いつもなら部屋に入るなり、どちらからともなくゲームコントローラーを手に取るのに、今日はゲーム機の電源すらつけていない。
ただベッドに並んで座ったまま、僕は今日の初デートの余韻に浸っていた。

隣に座る尚もさっきからずっと黙ったまま。尚も同じように余韻に浸ってくれているのだろうか。僕と同じように最高に楽しかったって、思ってくれてたらいいな。

二時間遅れでスタートしたデートは、予定していたプランの半分も実行できなかった。ゲーセンも、映画も。たくさん調べて見つけた、尚が好きそうなカフェにだって行けなかった。昨日の深夜までネットを見ながら順番まで考えていた完璧な初デートプランは、全部崩壊した。
それでも不思議と失敗したとは思わなかった。むしろ今日一日で、一番覚えているのは――ずっと、繋がれたままだった尚の手だったから。

部屋の明かりをつけても、尚は右手を僕の左手に絡めたままだ。カバンを置く時も、ベッドに座ってからも、頑なにこの手だけは離そうとしない。

「いつまで繋ぐんだ」
「今日はずっと」

尋ねてみると、尚は静かに僕を見つめたまま答えた。

「トイレは?」
「ドアの前で待つ」

本気で言っている顔だ。冗談の気配が一切ない。

「……これからは待ち合わせ禁止な」
「え」
「これからは俺が迎えに行く」
「家、隣」
「それでも迎えに行く」
「待ち合わせ」
「禁止」
「デートは?」
「家から一緒に行く」
「普通の恋人のデートは――」
「俺らは普通じゃないから」

反論できなかった。
……たしかに。普通の恋人は、駅まで徒歩二十分の、それも一本道で迷子になったりしない。
どうやら家を出た瞬間から、駅とは逆方向へ向かって歩き出していたようで。我ながら、恐ろしい。

でも、もし――。

「……はぐれたら?」

そう問いかけてみたら、尚は握っていた手に少しだけ力を込めた。

「今日みたいに絶対見つけ出す」

尚はまっすぐに僕の目を見つめてくる。昼間の焦りと、どこか底知れない強い光が宿った瞳。それは、僕を見つけた時と同じもので。学校でみんなに見せる『爽やか王子様』の顔とも、いつも僕をからかう時のものとも違う。
そこで、ふと思い出した。

「そういえば、なんで僕の場所分かったんだ?」

尚は少しだけ瞬きをして、

「エリザベスちゃん」

と、すぐに答えた。

小学生の頃、通学路にいた大きい犬。僕が勝手につけた名前。

「覚えてたのか?」
「忘れるわけないだろ。ほっくんが言ったことなんだから」

あまりにも普通のことみたいに言うけど、エリザベスちゃんなんて僕が思いつきで呼び始めただけだったのに。尚は覚えていて、たったそれだけで僕を見つけてくれたんだ。

ネットの検索結果に出ていた「恋人の行動パターン」なんかじゃ、到底説明できない。
電話越しの声が震えていたこと。迷子になった僕を探して走ってきたこと。怒っているのに、手を離さなかったこと。今もこうして、僕がここにいることを確かめるみたいにずっと手を握っていてくれること。

尚は僕のことが好きで。それは、幼馴染だから、恋人だから、一番だから。
だから一緒にいるのだと、ずっとそう思っていた。
でも、違った。
尚は、恋人だから僕を大切にしているんじゃない。僕だから、大切にしてくれているんだ。
今日初めて、その本当の意味が分かった。
尚はずっと、僕を大切にしてくれていた。僕が思っていたよりも、ずっと、ずっと大きな想いで。

「……てか」

静かな空気を破るように、尚が少しだけはにかんでから言葉を足した。

「はぐれないようにすればいいだけだし」
「ん?」
「こうやって」

そう言って、恋人繋ぎのままの手を軽く持ち上げてみせる。

「ずっと手繋いでる」
「ずっと?」
「ずっと」
「ゲームする時も?」
「片手でやる」
「ご飯食べる時も?」
「片手あればいけるだろ」
「風呂は?」
「それは……、離そっか」
「そこは一緒に入るじゃないのか」
「風呂とトイレは、離す」
「ルール追加?」
「そう。特別ルール」

めちゃくちゃなルールだ。でも、今日くらいは尚のルールに従ってやる。
……僕が迷子になって、尚を散々困らせてしまったから。

そんな僕を尚がまじまじと見ていることに気づく。

「また新ルールか?」
「いや」

尚の目元が、ふっと和らいだ。

「ほっくん今、ちょっと嬉しそうだった」
「そう?」
「自覚ないんだな」

そう言ってくすくすと笑う尚の表情は、今まで見たどんな顔よりも優しくて柔らかい。
笑いながらも、尚は僕の手を離さない。僕も、離さなかった。離したくないと強く思ったんだ。

「今日、一緒に寝てやる。手繋いだままでいてやるから、お前泣くなよ」
「泣くわけないだろ」
「昔泣いてた」
「……は?」
「『暗いの怖いからほっくんと手繋がないと寝れない。朝まで絶対に離さないでね』って」
「俺の黒歴史掘り返すのやめようか」
「小四の夏まで言ってた」
「なんで時期まで鮮明に覚えてんだよ……」
「尚だから」

尚が覚えていたみたいに、僕だって尚のことならなんだって覚えている。
……たまに尚が記憶の改ざんをしてくるけれど。
僕が答えると、尚は一瞬だけ固まって、それから観念したように少しだけ眉を下げた。今日は尚の見たことのない顔を見たけれど、こうやって笑う尚は、やっぱり僕のよく知っている尚で。小さい時から変わらない、僕の大好きな尚の顔だった。

「……敵わねぇな」

そう苦笑しながら、尚は空いている方の手で僕の髪をくしゃっと優しくなでる。
……悔しいけど、本当に敵わないのは、僕の方なのに。
優しくなでてくれる手とか、いじわるなのに甘いところには、どうしたって勝てないんだ。

「でも、ほっくんだけが知ってるんだよな」
「なにを?」
「俺の黒歴史も、くだらないことまで全部覚えてるること」

尚は髪をなでていた手をそのまま後頭部へと滑らせると、僕の頭を優しく自分の方へと引き寄せた。
不意を突かれて息を呑んだ瞬間にはもう、唇が塞がれていた。

今までしたどのキスよりも優しくて、けれど逃げ場をなくすみたいに少しだけ深い。
繋がれた手からも、後頭部を優しく支える手からも、重なった唇からも、尚の熱がじんわりと僕の中に流れ込んでくる。
確信した。僕は一生、尚には勝てない。

ゆっくりと唇が離れる。
息が触れ合うほどの至近距離で、尚が嬉しそうに目を細めて、低くて甘い声で囁いた。

「……そういうところが、俺がほっくんを特別だって思う理由なんだろうな」