幼馴染と離れられないのは、呪いじゃなくて恋のせいでした

尚が僕の手首を掴む。痛くはない。けれど、絶対に振りほどけないくらい強く、確かな力が込められていた。

「……帰るぞ」

普段の尚からは想像できないくらい低い声だった。
いつもみたいに「アホ」とか「天然」とか言いながら笑ってからかってくる尚じゃない。
黙ったまま、ぐいぐい前を歩いていく。
僕も引っ張られるようにして、必死についていった。

……なんだろう。変だ。

「尚」

呼んでも、返事がない。
前にもこんなことがあった気がする。あの時は僕が足を止めたんだ。でも、今は僕が止まることを許されないくらい、たぶん尚はものすごく怒ってる。
怒ってる……? いや、怒ってるのとは違う気がする。

「尚」
「……なに」

何度目かの呼びかけでやっと返ってきた声も低いまま。
僕は横に並んで歩きながら、尚の顔を覗き込んだ。

息はまだ少し乱れているし、汗で前髪がおでこに張りついている。上着のシャツの襟元も少し乱れていた。
……走ってきたんだ。僕を探して。

「そんな急いで来なくてもよかったのに」
「急ぐだろ」

即答だった。

「ほっくんがいなくなったんだから」

その一言に、僕は言葉を詰まらせた。
そうか。そんなに必死で探してくれたんだ。でも――。

「……迷子だっただけ」
「だけじゃない」

またしても、即答。

「電話にも出ねぇし、どこにいるかも全く分かんねぇし。……事故にでも遭ったんじゃないかとか、」

尚はそこで一度言葉を切り、小さく息を吐いた。

「……本気で何かあったのかと思った」

その声は、少しだけ震えていた。

僕は思わず立ち止まる。尚もつられて足を止めた。
向き合って改めて見ると、尚の顔色はあまり良くない。

「お前普段の有り余る余裕どこいった?」

その言葉に尚は一瞬だけ目を丸くした。
それから、ふっと力が抜けたみたいに力なく笑う。

「……なに、それ」
「いつも余裕そうじゃん」
「そう見えてるだけだよ」
「僕のことすぐからかうし」
「それは……」
「違うか?」

尚は少しだけ黙り込み、それから気まずそうに視線を下に落とした。

「……最初から」

ぽつり、と零れた尚の声は弱々しくて。今まで照れたところは何回か見たけれど、その時の弱々しさとは全く違う。こんな尚を見るのは初めてだ。

「北斗の前で、余裕なんかねぇよ」
「……え?」

聞き返した時には、尚の指先は僕の手首からすっと滑り落ち、そのまま手をつなぎ直して再び歩き出していた。

「……ほら、行くぞ」

強く握られた手は離れない。手のひらに伝わる力がいつもより強くて、本気で心配させたんだということだけは僕にも分かった。

歩き出しながら、僕は繋がれた手元と、前を行く尚の背中を交互に見つめる。

「尚」
「なに」
「……デート、しない?」

尚の足がピタリと止まる。振り返った顔には、あきらかに「正気か?」と書いてある。
……やっぱり怒らせてしまったかもしれない。あと、盛大に呆れられている。
でも、それならどうしてこんなに優しく手を握ってくるんだろう。

「今、自分がどういう状況か分かってんのか」
「分かってる。でも僕、練習した」
「……練習?」
「『待った?』って言う練習。父さんと母さんにも練習付き合ってもらった」

尚がハッと息を飲んで、それから空いている方の片手で顔を覆った。

「……マジかよ」
「うん。でも尚に『待った?』って言えなかった」
「当たり前だろ! 迷子になったんだから!」
「……ごめん」

ボソッと呟くと、尚が覆っていた手を退けてパチパチと瞬きをした。

「……本当は昨日、デートプランも考えてたんだ」

ネットで『初デート 恋人を喜ばせるエスコート術』を検索して、何度も何度もシミュレーションしたプラン。本当は完璧に決めるはずだったのに、全部台無しにしてしまった。

落ち込んで地面を見つめていると、尚は「はぁ」と小さく息を吐いて、握っていない方の手で僕の頭をクシャッとなでた。それから、自分の指を僕の指の隙間に滑り込ませてきた。
恋人同士がするやつ――恋人繋ぎで、ぎゅっと隙間なく握られる。

「……ほっくんが考えたプラン、今からしよっか」
「え?」
「せっかく考えてくれたんだろ? 今から行こう」

怒っていたはずなのに。
たくさん走らせて、散々迷惑をかけたのに。僕が悪いのに。
どうして怒鳴らないで、手を繋いで、デートまで続けてくれるんだろう。

「……いいのか?」
「当たり前。だから全部行こう。その代わり、手は離さないけど」

尚は少しだけ悪戯っぽく笑うと、繋いだ手にもう一度ぎゅっと力を込めた。

……ずるい。
余裕なんてないって言っておきながら。寛大すぎる。
僕は尚のことを、ちゃんと知っているつもりだったのに。
今日の尚は、僕の知らない尚だった。
許してくれる時の顔が、悔しいくらいかっこよくて、なんだかムカついてくる。

これまでネットで見漁ったスマートな行動の数々なんかよりも、握りしめるこの手の熱とか、困ったように笑う顔の方が、ずっと僕の胸を揺らしてくるのはどうしてなんだ。

……やっぱり、尚は強い。
尚には、勝てないのかもしれない。

柄にもなくそんなことを思いながら、僕は握り直された手が離れないように力を込めて握り返した。

こうして、予定より二時間遅れの、めちゃくちゃで最高な「第一回・完璧な初デート」が仕切り直されることになった。