幼馴染と離れられないのは、呪いじゃなくて恋のせいでした

「近江、体調大丈夫?」

教室に入ると、市橋たちが声をかけてきた。
たった数日休んだだけなのに、見慣れたはずの教室が少しだけ久しぶりに感じる。

「もう完全に治った」
「及川から聞いたけど、ガチでやばかったらしいじゃん」
「寝たら治る予定だった」
「予定だったってなんだよ」
「予定は未定」
「いや、意味分からんけど通常運転の近江だわ」

市橋たちが笑う。
隣で尚もカバンを机の横にかけながら笑っていた。それを見るだけでなんだか落ち着く。
僕が学校を休んでいた数日間だけ、日常が少し変だったけれど、やっぱりいつも通りだ。

「ほっくん、今日の昼どうする?」
「ポテト」
「だから購買に売ってないって」
「じゃあ尚のパン。今日はビッグカレーパンの日だろ」
「俺のメニュー勝手に決めんなよ。ほっくんが食べたいだけじゃん」
「違う。尚、金曜日はいつもそれ食べてる」

その瞬間、なぜか尚の視線が一瞬だけ泳いだ。
僕は知っているんだ。尚が毎日、絶対に日替わりの曜日限定パンを選ぶということを。

「……わかったよ。昼休みの前に買ってくる」
「チョコチップメロンパンとクリームパンと、あと焼きそばパンも」
「すげぇ食うじゃん。病み上がりなのにめちゃくちゃ元気だな」
「全快だから」
「はいはい。全部買ってくるよ」

尚がやれやれと笑う。
やっぱり、これだ。僕の日常は、こうでなくちゃいけない。

……そう思っていたのに。



「及川くん、一緒に食べない?」

昼休み。尚が無事ゲットしてきたパンを机に並べて、さあ「いただきます」をしようとしたその時。クラスの女子二人が、尚の席にやって来て、声をかけてきた。

尚は本当に人気者だ。こういう光景は、今までだって数え切れないほど見てきた。いつものことだ。いつもの日常、だけど……なぜか胸の奥がもやもやする。

尚は少し驚いた顔をして、それからいつもの営業爽やかスマイルを浮かべた。

「ごめん。俺、ほっくんと食べるから」

爽やかで、非の打ち所がない、誰にでも好かれる尚の完璧な笑顔。女子たちは「そっかぁ、ごめんね」と素直に引き下がって自分の席へと戻っていく。

いつもなら、「当然」と言って、僕が尚のジュースを一口拝借して終わるはずの流れだった。
なのに。
尚がそのお誘いを断った言葉を聞いた瞬間、胸の奥のもやもやが、すうっと少しだけ軽くなったのを感じた。

……なんでだ?

僕は別に、尚が誰かと食べたって困らない。僕だってパンくらい一人で食べられる。
それに、尚は僕の所有物じゃない。
……いや、恋人だけど。

でも、そうじゃなくって。今までは、尚が隣にいることを当たり前だと思っていた。幼馴染だから。昔からずっと一緒だったから。
それでも、もし。
もし尚が、僕じゃない誰かの隣にいる時間が増えたら――。

「……嫌だ」

さっきよりも大きいもやもやが胸の奥を支配して、声が勝手に漏れた。

「何が?」

聞き逃さなかったらしい隣の尚が、不思議そうに僕の顔を覗き込んでくる。

「……えっと」

うまく答えられなくて、喉の奥で言葉が引っかかる。
今、僕の胸を占領しているこの重苦しいもやもやは、たぶん寂しいとか、不安とか、そんな綺麗なものじゃない。
もっと別で、子供っぽいやつ。

――これ、前にもあった。今に始まったことじゃない。
何度も。もっとずっと昔から。

尚が廊下で三年の先輩と親しげに話していた時も。他の奴と楽しそうに喋っている時も。
面白くなくて、イライラして。誰かが尚の隣にいると、そこに入りたくなって。尚が僕以外の誰かに構っていると、無理矢理にでも僕の方を向かせたくなって。

「どうした? また具合悪くなったか?」
「悪くない」
「じゃあなに。怒ってんの?」
「怒って、ない」

そうだ。怒ってはいない。ただ、尚が僕以外の奴と喋っているとイライラするだけで。
尚は僕の顔をじっと見て、それからふっと可笑しそうに口元を緩めた。

「何その顔。ほっくん、もしかして……拗ねてる?」
「拗ねてない」
「いや拗ねてるじゃん。ほっぺフグみたいになってるよ」
「なってない」

尚の指先が僕のほっぺたをつつこうと伸びてくる。さっきまでの営業スマイルは消え去っていて、僕をからかう時の笑顔になっている。ものすごく楽しそうだけど。
……今、そういうのじゃない。僕は真剣なんだ。

僕はその手首を空中でガシッと掴んで、尚の目を真っ直ぐ見つめた。

「尚は僕の恋人だから、他の人と喋るな」
「……は!? 無茶言うなよ」
「じゃあ二秒だけしか喋るな」
「無理に決まってんだろ」

そう抗議しながらも、尚は掴まれた手首を振り払おうとはしなかった。目も逸らさない。
それどころか、ニヤニヤとした笑みを深めて顔を近づけてきた。

「……ねぇ、ほっくん。もしかして、やきもちやいたの?」

またからかいモードだ。いつもならここで「気のせい」と逃げるところだが、今の僕はネットの知識を得てバージョンアップしている。

やきもち。
つまり、嫉妬のこと。

ネットの検索画面が脳裏に浮かぶ。

「そうかも」
「え」
「ネットに書いてあった。誰かに取られたくないと思うこと。自分の方を見ていてほしいと思うこと。他の誰かと仲良くしているのが嫌だと思うこと、って」
「おま……っ、それを真顔でプレゼンする奴があるか!」
「全部、当てはまる。僕、嫉妬するから。だから尚は僕のだし、僕とだけいればいいだろ」

その瞬間、尚は耳の先まで真っ赤に染め上げ、視線を泳がせた。
事実を言っただけなのに、また照れてる。さっきまで僕のことからかってたくせに。

「……っ、いつも一緒にいるじゃん」
「もっと」
「これ以上どうしろってんだよ!」
「恋人だろ」

僕がぐっと顔を寄せると、尚は盛大にため息をついた。

「……それ言えば何でもされると思ってんの?」
「思ってる」
「恋人だからって、何でも言うこと聞くと思うなよって前も言ったよね?」
「でも、尚、朝起こしてくれるし、靴下履かせてくれるし、ネクタイやってくれるし、パン買ってくれるし、靴紐も結んでくれるし――」
「俺は便利屋じゃねぇって言ってんだろ! あと、何でもかんでもネットで情報を漁るな!」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「キスしたらなおる?」
「……あのなぁ、北斗。ここ教室だぞ」
「じゃあ、廊下出るか?」
「そういう問題じゃねぇよ! 調子乗るなって何回言えばわかるんだ!」

盛大に顔をしかめた尚に、おでこをピシッとデコピンされる。

「……いてっ。頭割れた。尚のいじわる。最低。ドケチ」
「ガキかよ」

本当は全然痛くなんてないけど、おでこを押さえて全力で抗議する。

「……あー、もう! 俺が悪かったよ。ほら、昼休み終わっちゃうから早くパン食べるぞ」
「ん。じゃあ今日も僕の勝ちな」
「なんの勝ちだよ」

なんの勝ちかは僕にも分からない。けど、今日は僕の勝ちだと思う。
尚は、今日何度目か分からない特大のため息をついたけれど、口元だけは緩んでいた。
負けたのに嬉しそうなんて、尚はやっぱり変なやつだ。
……でも、やっぱり尚に勝つと気分がいい。

僕は尚が手に持っている、開封したてのビッグカレーパンに大きく一口齧りついた。

「……あっ、おい! 俺のパン奪うな! ほっくん同じの手に持ってるだろ!」
「やっぱり尚のやつの方が美味しい」