「ごめん、ジュースぬるくなっちゃった。冷蔵庫から冷たいの持ってくるから、先に部屋行ってて」
その言葉とともに、結局学校からずっと繋がれていた手が離れていく。
もっと繋いでいたいと思ってしまうのは、なぜだろうか。そう思うのは、僕だけなのだろうか。
「おまたせ」
尚のベッドに座って待っていると、しばらくしてドアが開いた。
「ありが……」
コーラの入ったコップを持ってきた尚にお礼を言いかけて、ギリギリで言葉を飲み込んだ。
危ない。今のはセーフにしてほしい。
「ほっくんどうした?」
尚が不思議そうにコップを差し出してくる。僕はそれを受け取りつつ、人差し指を自分の唇に当てた。
「……喋っちゃだめだから」
尚が盛大に天を仰いだ。耳の先が、また真っ赤に染まっている。
「……さっきのやつ、まだ守ってたの?」
「尚が言った」
「言ったけどさぁ……」
尚は深く、長いため息をつきながら僕の隣に腰を下ろした。限界までHPを削られたような顔をしている。やっぱり照れているんだ。
きっと今の尚は、圧倒的に防御力が下がっているはずだ。
……ついに尚をボコボコにして泣かせるチャンスがやってきた。
◇
「尚、今ずるしただろ」
「ほっくんが弱いだけー」
ゲームを始めて三十分くらい経った頃。テレビ画面の中ではキャラクターたちが激しく動き回っている。僕は相変わらず、尚に惨敗を重ねていた。
今日こそ圧勝できると予定だったのに、「あーあ、ほっくんってほんと隙だらけ」なんていつも通り余裕たっぷりに受け流される。さっきまでの防御力激弱な尚の面影すら存在しない。僕を油断させるための罠だったんだ。
コントローラーを握ったまま隣を見れば、すぐ近くに尚の整った横顔。
それを見たら、この前の土曜日を思い出す。
「尚」
「なに? 手加減してほしいっていう交渉?」
「キスしよ」
「ブフッ!!」
尚が飲んでいたコーラを盛大に吹いた。飛散した液体が僕の腕まで飛んできて、べたべたする。
「きったな」
「誰のせいだと思ってんの!?」
尚が激しくむせながら袖口で雑に口元を拭う。
「尚のせい」
「北斗だろ!」
「僕は尚とキスしたいだけ」
「それをそんな『ジュース飲む?』と同じテンションで言うな!」
「恋人だろ?」
「そうだけど!」
「しないのか?」
僕の問いに、尚のため息が返ってきた。
……次の瞬間だった。
「北斗」
ぐい、と僕の後頭部に尚の手が添えられた。
視界が尚の顔でいっぱいになったのと同時に、唇に柔らかくて温かい感触が当たった。
前の時よりはほんの少しだけ長い、でもやっぱり羽みたいに優しいキス。
離れ際に、尚と僕の睫毛がかすかに触れ合った。
「……これで満足?」
「うん。二回目だな」
「数えんな!」
顔どころか首元まで真っ赤にした尚が、逃げるようにコントローラーを強く握りしめた。
尚とキスをすると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
僕は画面を見つめ直し、やっぱり恋人というのはいいものだな、とコーラをおかわりした。
◇
その夜。僕は尚の部屋のベッドに潜り込んでいた。
ゲームに熱中しすぎてすっかり夜遅くなってしまったのもあるが、尚の母さんの作った夜ご飯が美味しすぎた。腹が満たされすぎて、隣の家の自分のベッドまでたどり着く体力はゼロだ。
「尚」
「……はい」
お風呂上がりの尚が、ベッドの脇で信じられないほど遠い目をしながら立ち尽くしている。
僕に対して敬語を使うなんて、なにかの悟りでも開いたのだろうか。
「今日一緒に寝るだろ?」
「…………」
「ん? 尚?」
「……北斗は、俺を殺す気なの?」
「なんで?」
幼稚園の時からよく一緒に寝きたというのに、今更何をためらう必要があるんだ。
「尚っていつも僕のベッド勝手に使うよな」
「それは北斗だろ」
「そうだっけ?」
「いつも俺より先に俺のベッド入って、今も俺のベッド圧倒的に占拠してんの、どう見てもほっくんだよね?」
「今日はたまたま。でも尚の方がデカいから、尚の負け」
「意味わかんねぇよ」
結局、尚は諦めたように深いため息を吐いて僕の隣に入ってきた。
「……北斗、もっと壁側いけって」
「無理。これ以上いったら壁と一体化する。僕そっちがいい。尚、場所交換しよ」
「ダメに決まってんだろ。北斗、ただでさえ寝相悪いのに、こっち側にしたら夜中にベッドから落ちるだろ」
「一生のお願い」
「北斗の一生のお願い、今日までに何十回聞いたと思ってんの。ほら、早く寝ないと明日起きられないぞ」
そのまま背中を向けられているが、尚の体温が伝わってきて落ち着く。
もう少しだけ夜更かしをしていたかったのだが。
尚の背中に頭をすり寄せた瞬間、僕は秒で意識を失った。家でひとりで寝る時は毎日夜更かししているのに、尚の隣だとこんなにも早く寝落ちしてしまう。
翌朝「起きろ」と尚に容赦なく布団をはぎ取られるまでの間の記憶が、全くない。
◇
どうやら恋人同士になると、好きだと思ったら何度でも口に出していいらしい。
少なくとも、ネットの解説にはそう書いてあった。
だから僕は、毎日その通りに実践している。
そうすると、尚は毎回おかしな反応をする。最初は偶然かと思ったけど、どうやら違うらしい。
数日後の休み時間――。
「尚」
「……今度はなに」
「耳、赤い」
「赤くない」
「赤い」
「赤くない」
「照れたのか?」
「照れてない」
「ふーん」
「その『ふーん』やめろ!」
「やっぱ照れてるだろ」
「うるさい!」
バン、と尚が勢いよく机を叩いて立ち上がり、教室中が大爆笑の渦に包まれた。
「また夫夫漫才やってるよー!」と、クラスメイトたちから野次が飛んでくる。
市橋たちが教室の真ん中でまたしても『ビッグラブの舞』を踊り始め、教室を一気にお祭り騒ぎに変えていく。
みんなからは『爽やか王子様』なんて呼ばれて崇められている尚けれど。
最近は、僕のたった一言で簡単に壊れてしまう。
どうやら尚は、照れると一気に弱くなるらしい。
……最高の弱点を見つけた。しっかりと覚えておくことにしよう。
その言葉とともに、結局学校からずっと繋がれていた手が離れていく。
もっと繋いでいたいと思ってしまうのは、なぜだろうか。そう思うのは、僕だけなのだろうか。
「おまたせ」
尚のベッドに座って待っていると、しばらくしてドアが開いた。
「ありが……」
コーラの入ったコップを持ってきた尚にお礼を言いかけて、ギリギリで言葉を飲み込んだ。
危ない。今のはセーフにしてほしい。
「ほっくんどうした?」
尚が不思議そうにコップを差し出してくる。僕はそれを受け取りつつ、人差し指を自分の唇に当てた。
「……喋っちゃだめだから」
尚が盛大に天を仰いだ。耳の先が、また真っ赤に染まっている。
「……さっきのやつ、まだ守ってたの?」
「尚が言った」
「言ったけどさぁ……」
尚は深く、長いため息をつきながら僕の隣に腰を下ろした。限界までHPを削られたような顔をしている。やっぱり照れているんだ。
きっと今の尚は、圧倒的に防御力が下がっているはずだ。
……ついに尚をボコボコにして泣かせるチャンスがやってきた。
◇
「尚、今ずるしただろ」
「ほっくんが弱いだけー」
ゲームを始めて三十分くらい経った頃。テレビ画面の中ではキャラクターたちが激しく動き回っている。僕は相変わらず、尚に惨敗を重ねていた。
今日こそ圧勝できると予定だったのに、「あーあ、ほっくんってほんと隙だらけ」なんていつも通り余裕たっぷりに受け流される。さっきまでの防御力激弱な尚の面影すら存在しない。僕を油断させるための罠だったんだ。
コントローラーを握ったまま隣を見れば、すぐ近くに尚の整った横顔。
それを見たら、この前の土曜日を思い出す。
「尚」
「なに? 手加減してほしいっていう交渉?」
「キスしよ」
「ブフッ!!」
尚が飲んでいたコーラを盛大に吹いた。飛散した液体が僕の腕まで飛んできて、べたべたする。
「きったな」
「誰のせいだと思ってんの!?」
尚が激しくむせながら袖口で雑に口元を拭う。
「尚のせい」
「北斗だろ!」
「僕は尚とキスしたいだけ」
「それをそんな『ジュース飲む?』と同じテンションで言うな!」
「恋人だろ?」
「そうだけど!」
「しないのか?」
僕の問いに、尚のため息が返ってきた。
……次の瞬間だった。
「北斗」
ぐい、と僕の後頭部に尚の手が添えられた。
視界が尚の顔でいっぱいになったのと同時に、唇に柔らかくて温かい感触が当たった。
前の時よりはほんの少しだけ長い、でもやっぱり羽みたいに優しいキス。
離れ際に、尚と僕の睫毛がかすかに触れ合った。
「……これで満足?」
「うん。二回目だな」
「数えんな!」
顔どころか首元まで真っ赤にした尚が、逃げるようにコントローラーを強く握りしめた。
尚とキスをすると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
僕は画面を見つめ直し、やっぱり恋人というのはいいものだな、とコーラをおかわりした。
◇
その夜。僕は尚の部屋のベッドに潜り込んでいた。
ゲームに熱中しすぎてすっかり夜遅くなってしまったのもあるが、尚の母さんの作った夜ご飯が美味しすぎた。腹が満たされすぎて、隣の家の自分のベッドまでたどり着く体力はゼロだ。
「尚」
「……はい」
お風呂上がりの尚が、ベッドの脇で信じられないほど遠い目をしながら立ち尽くしている。
僕に対して敬語を使うなんて、なにかの悟りでも開いたのだろうか。
「今日一緒に寝るだろ?」
「…………」
「ん? 尚?」
「……北斗は、俺を殺す気なの?」
「なんで?」
幼稚園の時からよく一緒に寝きたというのに、今更何をためらう必要があるんだ。
「尚っていつも僕のベッド勝手に使うよな」
「それは北斗だろ」
「そうだっけ?」
「いつも俺より先に俺のベッド入って、今も俺のベッド圧倒的に占拠してんの、どう見てもほっくんだよね?」
「今日はたまたま。でも尚の方がデカいから、尚の負け」
「意味わかんねぇよ」
結局、尚は諦めたように深いため息を吐いて僕の隣に入ってきた。
「……北斗、もっと壁側いけって」
「無理。これ以上いったら壁と一体化する。僕そっちがいい。尚、場所交換しよ」
「ダメに決まってんだろ。北斗、ただでさえ寝相悪いのに、こっち側にしたら夜中にベッドから落ちるだろ」
「一生のお願い」
「北斗の一生のお願い、今日までに何十回聞いたと思ってんの。ほら、早く寝ないと明日起きられないぞ」
そのまま背中を向けられているが、尚の体温が伝わってきて落ち着く。
もう少しだけ夜更かしをしていたかったのだが。
尚の背中に頭をすり寄せた瞬間、僕は秒で意識を失った。家でひとりで寝る時は毎日夜更かししているのに、尚の隣だとこんなにも早く寝落ちしてしまう。
翌朝「起きろ」と尚に容赦なく布団をはぎ取られるまでの間の記憶が、全くない。
◇
どうやら恋人同士になると、好きだと思ったら何度でも口に出していいらしい。
少なくとも、ネットの解説にはそう書いてあった。
だから僕は、毎日その通りに実践している。
そうすると、尚は毎回おかしな反応をする。最初は偶然かと思ったけど、どうやら違うらしい。
数日後の休み時間――。
「尚」
「……今度はなに」
「耳、赤い」
「赤くない」
「赤い」
「赤くない」
「照れたのか?」
「照れてない」
「ふーん」
「その『ふーん』やめろ!」
「やっぱ照れてるだろ」
「うるさい!」
バン、と尚が勢いよく机を叩いて立ち上がり、教室中が大爆笑の渦に包まれた。
「また夫夫漫才やってるよー!」と、クラスメイトたちから野次が飛んでくる。
市橋たちが教室の真ん中でまたしても『ビッグラブの舞』を踊り始め、教室を一気にお祭り騒ぎに変えていく。
みんなからは『爽やか王子様』なんて呼ばれて崇められている尚けれど。
最近は、僕のたった一言で簡単に壊れてしまう。
どうやら尚は、照れると一気に弱くなるらしい。
……最高の弱点を見つけた。しっかりと覚えておくことにしよう。



