「ほっくん、今日は真っ直ぐ帰る?」
「ドリンクバーの気分」
「ってことは、ファミレスか」
「うん」
放課後、尚は肩をすくめて笑った。
ゲームでは、昨日ついに五十連敗を迎えたばかりだが、僕にだって尚に勝てることはある。
「はいはい。じゃあドリンクバー勝負な」
「負けた方が奢り」
「ほっくん、負けても毎回俺に奢らせるだろ」
「気のせい」
恋人になってからも、僕はネットの恋愛記事を網羅している。毎晩の欠かせない日課だ。
これはネットには書いていなかったことだが、尚は、照れると壊滅的に弱くなる。
つまり――。
「尚」
「ん?」
「好き」
「…………っ」
尚の足がピタッと止まった。
「は?」
「好き」
「おい」
耳が赤い。ほら、やっぱり効いてる。
「ほっくん」
「なに」
「最近それ武器にしてるだろ」
「うん」
「認めるな」
尚は耳を赤くしたまま僕の前を歩き始めた。
たぶん話題を変えたいんだと思う。
その証拠に、それ以上何も言わずファミレスの自動ドアをくぐっていった。
勝訴の気分で僕も後に続く。
店内に入ると、窓際に案内された。ドリンクバーも近いなんて、神席だ。
「ルール確認な」
尚がサクッとタブレットで注文を終えて、人差し指を立てた。さっきまでの照れはどこへ行ったのか。すっかりいつも通りの、いや、勝負師の目をしている。
この勝負は中一から続いている。
最初は僕が野菜ジュースとコーラを混ぜたのが始まりだった。あまりにも不味くて、二人で半ば押し付け合いながら飲みきったあの日。
『次はもっと不味いやつ作ろう』
そう言い出したのは尚だ。
それ以来、ファミレスに来るたびに僕たちは互いの味覚を破壊し合っている。
「負けた方が奢り。途中でギブアップなし。最後まで責任持って飲むこと」
「分かった。負けて泣くなよ」
「はいはい。じゃあ、始めるか」
「僕の最高傑作。飲め」
先に作り終えて席で待っていた尚に、僕は本日の魔改造第一号を差し出した。
見た目はどす黒い泥水そのもの。かなりの自信作だ。
「……何入れた。色もにおいもやべぇけど」
「メロンソーダ七割。コーラ一割。カルピス一割。ウーロン茶一割。隠し味にコーヒーを少々」
「最後なんでコーヒー入れた」
「深み」
「深みじゃねぇ」
「いちばん苦そうなやつ入れたから、絶対僕の勝ち。名付けて『暗黒の汚水』」
「ネーミングセンス死にすぎだろ。じゃあ俺の」
尚がニヤリと笑って、自信満々に差し出してきたグラスは、不気味な紫色に変色していた。香りからしてファンタグレープにジンジャーエール。たぶん尚お得意のコンポタも入っている。そのうえ、怪しい白い物体がコップの表面で浮遊していた。
「お前、これ違法薬物?」
「なわけねぇだろ。コーヒーフレッシュ入れたら溶けなかったんだよ」
飲んで、と尚がとんでもないゲテモノをさらに僕の方に渡してくる。
尚の作ったヤツこそ飲むのをためらうレベルで、色も、においも、すべてがヤバい。
「ほっくん、飲んで」
「嫌」
「勝負だろ」
「尚が先飲め」
「俺の方が先作ったんだから、ほっくんが先飲んでよ」
渋々受け取ったコップの表面で、炭酸がぱちぱちと不穏な音で弾けている。
意を決して一口飲み込めば、想像を遥かに超える破壊力が襲ってきた。脳が危険信号を出している。
「どう?」
「雑巾」
「雑巾飲んだことある?」
「ない」
「じゃあ、俺の勝ち?」
「お前まだ飲んでない。早く飲め」
僕の力作を尚の口元にコップを差し出すと、尚は一瞬ためらってから一気に飲み干した。
それから、よほどダメージがデカかったのか、尚は机に突っ伏したまま動かなくなった。
……勝ったな。
「尚死んだ?」
つついてみたら、ようやく「……ドブ水」と消え入りそうな声が腕の隙間から聞こえてきた。
「ドブ水飲んだことある?」
「……ない」
「じゃあ、僕の勝ち」
その一言で、尚がガバッと顔を上げた。
「ほっくん、一口しか飲んでないよね? ルール違反は負けちゃうよ?」
尚の口元が、にやりと吊り上がる。……もう復活したらしい。ゾンビか。
尚のコップは空。僕のコップはまだ大半が残っている。
あれをもう一度体内に取り込むのは嫌だ。でも、負けるのはもっと嫌だ。
覚悟を決めて残りを一気に飲み干す。
「……僕の勝ち」
「なんでだよ」
「尚のやつ、喉越しが完全に生ゴミ」
「だったら俺の勝ちだろ。それにほっくんちょっと涙目になってんじゃん」
「なってない。これは感動の涙」
「ほんと負けず嫌いだな。今日くらい負け認めろって」
尚がいつもの爽やかスマイルではない、僕だけに見せるガキっぽい顔で意地になって言い返してくる。
学校では『爽やか王子』なんて呼ばれている尚だけど、僕の前では昔から勝ち負けでむきになる。
恋人になっても、そのへんは全然変わらない。
……ちょっとだけ安心した。
「尚が奢る」
「……それと勝敗は別」
「別? でも尚が払う」
「払うけど」
「じゃあ僕の勝ち」
尚が額を押さえてため息をついた。
「……ほっくん」
「なに」
「ゲームで教育する。ほら、行くぞ」
尚が伝票を持って立ち上がった。
やっぱり今日も僕の勝ちだ。僕はゲテモノ対決で負けたことがない。無敗記録更新。これはかなりすごい記録だと思う。
尚は「教育する」と言っていた。
何を教育されるのかよく分からなかったけど、数十分後にはいつものように尚の部屋でコントローラーを握っていた。
「ほっくん、準備いい?」
「ん。ボコボコにしてやる」
「その威勢どこまで続くかな? 今日は容赦しないから」
「いつもそう言う」
「今日は本当に容赦しない」
ファミレスで負けたことが悔しかったのか、尚は珍しく最初から本気だった。
開始早々、尚のキャラの動きのキレがハンパない。
「……もう一回」
「また負けても知らないよ?」
一戦目、二戦目とあっさり惨敗し、三戦目に突入する。
今度こそ尚の余裕しゃくしゃくな顔を崩してやろうと意気込んだのも束の間、三戦目開始後すぐに画面の中で僕のキャラクターが尚の猛攻を受け、体力が残り二割まで削られる。
「ほっくん弱くなった?」
「今集中してる」
「あーあ。ほっくんまた負けちゃう」
よほど余裕があるのか、尚がクソムカつく笑みを浮かべて僕の顔を覗き込む。
……これ以上負けるのは嫌だ。
「尚、好き」
「ッ――!?」
画面の中で、尚のキャラクターがピタリと動きを止めた。ガードが完全に外れている。
その隙に、コントローラーのボタンを連打して尚のキャラクターにコンボを叩き込んだ。
「北斗」
「なに。今いいところ」
「ゲーム中は『好き』禁止」
「知らない。あ、あと一発叩き込めば僕の勝ちだ」
「やば」
尚が慌てて僕のキャラクターを攻撃しようとコントローラーを握り直す。
……まずい。このままだと押し切られる。
「尚」
「もう効かないから」
「好き」
隣で息をのむ気配がした。けれど、尚のキャラクターは止まらない。
……本当にもう効かないかもしれない。
そう思った次の瞬間。
「……っ」
画面の中で、尚のキャラクターの動きが止まる。時差で効いたみたいだ。
……今だ。
最後の一手を叩き込むと、『YOU WIN !』の文字が画面に踊った。
「僕の勝ち」
「おま……っ! 今のずるいだろ!」
「ずるくない。尚が勝手に自爆した」
「真顔でとんでもないチート技使うのやめろ! 完全に悪用じゃん!」
「好きだから好きって言っただけ」
「黙れ」
尚はコントローラーを机に置いて、大きく息を吐いた。
「……今日はもう終わり」
「やだ。今日尚んち泊る」
「だめ。送ってくから」
「家、隣」
「いいから。行くぞ」
プツンと無情にもゲームの電源は落とされ、尚が部屋を出ようとする。
せっかく尚にゲームで勝てたのに。もっとゲームしたかった。もっと尚といたかった。
だったらせめて――。
「尚」
「なに」
「手繋ぐ」
尚は、ん、と差し出した僕の手を一瞬見てから小さく笑った。
それから、はいはい、と僕の手を握る。
「照れた?」
「照れてない」
「うそだ」
「ほんと」
そのまま僕の手を引いて歩き出す。
……おかしい。幼稚園の時から何回も繋いでるから?
隣同士の家はあまりに近すぎて、あっという間に僕の家の前に着いてしまう。
「尚」
「今度はなに」
「キス」
「やだ」
尚がニヤッと笑った。
耳を赤くしたりフリーズしたりしていない。
今フリーズしているのは、僕の方だ。
「……なんで」
「最近ほっくん調子乗ってるから」
「恋人だろ」
「恋人だからって、何でも言うこと聞くと思うなよ」
「……じゃあどうしたらいい」
その一言に、尚はニヤリと笑ったまま、僕に顔を近づけてきた。
視線が尚の瞳と交わる。至近距離。やっぱり無駄に整った王子の笑顔がすぐそこにある。
「キスしてほしいなら、もっと可愛くおねだりしてみたら?」
「どうやるの」
「自分で考えろ」
……むかつく。さっきまで真っ赤になってたくせに。
それに、おねだりなんて今まで一度もしたことがないから分からない。
「尚」
「ん?」
「キスしてください?」
「違う」
「キスしろ」
「暴君かよ」
……難しい。恋愛難しすぎる。ネットの記事に書いておいてほしかった。……いや、勉強不足か?
何回言っても尚は笑って「違う」と言うだけ。
諦めて玄関のドアに手をかけた、その時――。
「ほっくん」
振り向いた瞬間に、一瞬だけ唇に柔らかい感触が当たった。
初めてした時よりも、もっとずっと短くて、軽いキス。
「これで十分。恋人だからって、あんま調子乗んな」
「ずるい」
「俺の勝ち」
「尚、嫌い」
「嫌いなんだ? 俺は北斗のこと好きだけど」
「お前マジでむかつく」
尚はここ最近でいちばん楽しそうに、声を出して笑った。
今回だけは、尚の勝ちだ。
……納得はしていない。
「ドリンクバーの気分」
「ってことは、ファミレスか」
「うん」
放課後、尚は肩をすくめて笑った。
ゲームでは、昨日ついに五十連敗を迎えたばかりだが、僕にだって尚に勝てることはある。
「はいはい。じゃあドリンクバー勝負な」
「負けた方が奢り」
「ほっくん、負けても毎回俺に奢らせるだろ」
「気のせい」
恋人になってからも、僕はネットの恋愛記事を網羅している。毎晩の欠かせない日課だ。
これはネットには書いていなかったことだが、尚は、照れると壊滅的に弱くなる。
つまり――。
「尚」
「ん?」
「好き」
「…………っ」
尚の足がピタッと止まった。
「は?」
「好き」
「おい」
耳が赤い。ほら、やっぱり効いてる。
「ほっくん」
「なに」
「最近それ武器にしてるだろ」
「うん」
「認めるな」
尚は耳を赤くしたまま僕の前を歩き始めた。
たぶん話題を変えたいんだと思う。
その証拠に、それ以上何も言わずファミレスの自動ドアをくぐっていった。
勝訴の気分で僕も後に続く。
店内に入ると、窓際に案内された。ドリンクバーも近いなんて、神席だ。
「ルール確認な」
尚がサクッとタブレットで注文を終えて、人差し指を立てた。さっきまでの照れはどこへ行ったのか。すっかりいつも通りの、いや、勝負師の目をしている。
この勝負は中一から続いている。
最初は僕が野菜ジュースとコーラを混ぜたのが始まりだった。あまりにも不味くて、二人で半ば押し付け合いながら飲みきったあの日。
『次はもっと不味いやつ作ろう』
そう言い出したのは尚だ。
それ以来、ファミレスに来るたびに僕たちは互いの味覚を破壊し合っている。
「負けた方が奢り。途中でギブアップなし。最後まで責任持って飲むこと」
「分かった。負けて泣くなよ」
「はいはい。じゃあ、始めるか」
「僕の最高傑作。飲め」
先に作り終えて席で待っていた尚に、僕は本日の魔改造第一号を差し出した。
見た目はどす黒い泥水そのもの。かなりの自信作だ。
「……何入れた。色もにおいもやべぇけど」
「メロンソーダ七割。コーラ一割。カルピス一割。ウーロン茶一割。隠し味にコーヒーを少々」
「最後なんでコーヒー入れた」
「深み」
「深みじゃねぇ」
「いちばん苦そうなやつ入れたから、絶対僕の勝ち。名付けて『暗黒の汚水』」
「ネーミングセンス死にすぎだろ。じゃあ俺の」
尚がニヤリと笑って、自信満々に差し出してきたグラスは、不気味な紫色に変色していた。香りからしてファンタグレープにジンジャーエール。たぶん尚お得意のコンポタも入っている。そのうえ、怪しい白い物体がコップの表面で浮遊していた。
「お前、これ違法薬物?」
「なわけねぇだろ。コーヒーフレッシュ入れたら溶けなかったんだよ」
飲んで、と尚がとんでもないゲテモノをさらに僕の方に渡してくる。
尚の作ったヤツこそ飲むのをためらうレベルで、色も、においも、すべてがヤバい。
「ほっくん、飲んで」
「嫌」
「勝負だろ」
「尚が先飲め」
「俺の方が先作ったんだから、ほっくんが先飲んでよ」
渋々受け取ったコップの表面で、炭酸がぱちぱちと不穏な音で弾けている。
意を決して一口飲み込めば、想像を遥かに超える破壊力が襲ってきた。脳が危険信号を出している。
「どう?」
「雑巾」
「雑巾飲んだことある?」
「ない」
「じゃあ、俺の勝ち?」
「お前まだ飲んでない。早く飲め」
僕の力作を尚の口元にコップを差し出すと、尚は一瞬ためらってから一気に飲み干した。
それから、よほどダメージがデカかったのか、尚は机に突っ伏したまま動かなくなった。
……勝ったな。
「尚死んだ?」
つついてみたら、ようやく「……ドブ水」と消え入りそうな声が腕の隙間から聞こえてきた。
「ドブ水飲んだことある?」
「……ない」
「じゃあ、僕の勝ち」
その一言で、尚がガバッと顔を上げた。
「ほっくん、一口しか飲んでないよね? ルール違反は負けちゃうよ?」
尚の口元が、にやりと吊り上がる。……もう復活したらしい。ゾンビか。
尚のコップは空。僕のコップはまだ大半が残っている。
あれをもう一度体内に取り込むのは嫌だ。でも、負けるのはもっと嫌だ。
覚悟を決めて残りを一気に飲み干す。
「……僕の勝ち」
「なんでだよ」
「尚のやつ、喉越しが完全に生ゴミ」
「だったら俺の勝ちだろ。それにほっくんちょっと涙目になってんじゃん」
「なってない。これは感動の涙」
「ほんと負けず嫌いだな。今日くらい負け認めろって」
尚がいつもの爽やかスマイルではない、僕だけに見せるガキっぽい顔で意地になって言い返してくる。
学校では『爽やか王子』なんて呼ばれている尚だけど、僕の前では昔から勝ち負けでむきになる。
恋人になっても、そのへんは全然変わらない。
……ちょっとだけ安心した。
「尚が奢る」
「……それと勝敗は別」
「別? でも尚が払う」
「払うけど」
「じゃあ僕の勝ち」
尚が額を押さえてため息をついた。
「……ほっくん」
「なに」
「ゲームで教育する。ほら、行くぞ」
尚が伝票を持って立ち上がった。
やっぱり今日も僕の勝ちだ。僕はゲテモノ対決で負けたことがない。無敗記録更新。これはかなりすごい記録だと思う。
尚は「教育する」と言っていた。
何を教育されるのかよく分からなかったけど、数十分後にはいつものように尚の部屋でコントローラーを握っていた。
「ほっくん、準備いい?」
「ん。ボコボコにしてやる」
「その威勢どこまで続くかな? 今日は容赦しないから」
「いつもそう言う」
「今日は本当に容赦しない」
ファミレスで負けたことが悔しかったのか、尚は珍しく最初から本気だった。
開始早々、尚のキャラの動きのキレがハンパない。
「……もう一回」
「また負けても知らないよ?」
一戦目、二戦目とあっさり惨敗し、三戦目に突入する。
今度こそ尚の余裕しゃくしゃくな顔を崩してやろうと意気込んだのも束の間、三戦目開始後すぐに画面の中で僕のキャラクターが尚の猛攻を受け、体力が残り二割まで削られる。
「ほっくん弱くなった?」
「今集中してる」
「あーあ。ほっくんまた負けちゃう」
よほど余裕があるのか、尚がクソムカつく笑みを浮かべて僕の顔を覗き込む。
……これ以上負けるのは嫌だ。
「尚、好き」
「ッ――!?」
画面の中で、尚のキャラクターがピタリと動きを止めた。ガードが完全に外れている。
その隙に、コントローラーのボタンを連打して尚のキャラクターにコンボを叩き込んだ。
「北斗」
「なに。今いいところ」
「ゲーム中は『好き』禁止」
「知らない。あ、あと一発叩き込めば僕の勝ちだ」
「やば」
尚が慌てて僕のキャラクターを攻撃しようとコントローラーを握り直す。
……まずい。このままだと押し切られる。
「尚」
「もう効かないから」
「好き」
隣で息をのむ気配がした。けれど、尚のキャラクターは止まらない。
……本当にもう効かないかもしれない。
そう思った次の瞬間。
「……っ」
画面の中で、尚のキャラクターの動きが止まる。時差で効いたみたいだ。
……今だ。
最後の一手を叩き込むと、『YOU WIN !』の文字が画面に踊った。
「僕の勝ち」
「おま……っ! 今のずるいだろ!」
「ずるくない。尚が勝手に自爆した」
「真顔でとんでもないチート技使うのやめろ! 完全に悪用じゃん!」
「好きだから好きって言っただけ」
「黙れ」
尚はコントローラーを机に置いて、大きく息を吐いた。
「……今日はもう終わり」
「やだ。今日尚んち泊る」
「だめ。送ってくから」
「家、隣」
「いいから。行くぞ」
プツンと無情にもゲームの電源は落とされ、尚が部屋を出ようとする。
せっかく尚にゲームで勝てたのに。もっとゲームしたかった。もっと尚といたかった。
だったらせめて――。
「尚」
「なに」
「手繋ぐ」
尚は、ん、と差し出した僕の手を一瞬見てから小さく笑った。
それから、はいはい、と僕の手を握る。
「照れた?」
「照れてない」
「うそだ」
「ほんと」
そのまま僕の手を引いて歩き出す。
……おかしい。幼稚園の時から何回も繋いでるから?
隣同士の家はあまりに近すぎて、あっという間に僕の家の前に着いてしまう。
「尚」
「今度はなに」
「キス」
「やだ」
尚がニヤッと笑った。
耳を赤くしたりフリーズしたりしていない。
今フリーズしているのは、僕の方だ。
「……なんで」
「最近ほっくん調子乗ってるから」
「恋人だろ」
「恋人だからって、何でも言うこと聞くと思うなよ」
「……じゃあどうしたらいい」
その一言に、尚はニヤリと笑ったまま、僕に顔を近づけてきた。
視線が尚の瞳と交わる。至近距離。やっぱり無駄に整った王子の笑顔がすぐそこにある。
「キスしてほしいなら、もっと可愛くおねだりしてみたら?」
「どうやるの」
「自分で考えろ」
……むかつく。さっきまで真っ赤になってたくせに。
それに、おねだりなんて今まで一度もしたことがないから分からない。
「尚」
「ん?」
「キスしてください?」
「違う」
「キスしろ」
「暴君かよ」
……難しい。恋愛難しすぎる。ネットの記事に書いておいてほしかった。……いや、勉強不足か?
何回言っても尚は笑って「違う」と言うだけ。
諦めて玄関のドアに手をかけた、その時――。
「ほっくん」
振り向いた瞬間に、一瞬だけ唇に柔らかい感触が当たった。
初めてした時よりも、もっとずっと短くて、軽いキス。
「これで十分。恋人だからって、あんま調子乗んな」
「ずるい」
「俺の勝ち」
「尚、嫌い」
「嫌いなんだ? 俺は北斗のこと好きだけど」
「お前マジでむかつく」
尚はここ最近でいちばん楽しそうに、声を出して笑った。
今回だけは、尚の勝ちだ。
……納得はしていない。



