幼馴染なので、付き合ってることにしました

「……うわびっくりした。今日も一人で起きれたの?」

月曜の朝、僕はすでに制服を着て、尚が迎えに来るのをドアの前でスタンバイして待っていた。
僕と尚は恋人になった。
正直、今までと何が変わったのかはやっぱりよく分からない。
が、僕たちはキスしたんだ。間違いない。正真正銘の恋人だ。

それに、今の僕は一味違う。
ネットの海で『好きの定義』を完全理解した男だ。湧き上がる全能感で今朝は四時に目が覚めた。

「ネクタイもやった」
「えらいえらい」

口では言いながらも、尚の手は僕の首元に伸びている。

「なに」
「いいから、動くな」

そう言って尚は、僕が自分で結んだネクタイを一度解いてから結び直した。
今朝、この布と三十分も格闘したんだ。完璧に結べたと僕は思っていたけど、詰めが甘かったらしい。

「はい、イケメン」
「知ってる」
「そこ否定しないんだ」

尚がよく言うから、そうなんだと思う。

そういえば、尚はいつもネクタイを少し緩めている。
……ちょっとかっこいい。
僕も尚の真似をしてネクタイを少しだけ緩めてみることにする。

うん。これは首元が涼しくていいかもしれない。
明日から「緩めに結んで」って尚にリクエストしよう。

なんて考えていたら尚の手が僕の頭の上に乗せられた。

「ほら、遅刻するよ」

尚が僕の髪をくしゃくしゃにした。やっぱり安心する。
金曜日、つい避けてしまったことが悔やまれる。
いつも通りの距離。だけど、今までとは明らかに違う温かい感覚が、胸の奥からじわじわと込み上げてくる。

「尚」
「なに?」
「尚、僕以外とキスしたらムカつく」

尚の動きが一瞬止まった。
それから、

「しねぇよ」

今まで聞いたことがないくらい低い声。心なしか表情が険しい。

「ほんと?」
「したことねぇよ。ほっくんが初めて」
「……そっか。もし他のやつとキスしてたら、お前のセーブデータ全部消すとこだった」
「発想が極悪すぎるだろ……!」

そう言った尚はいつも通りに戻っていて、さっきの険しさはない。
よかった。尚も僕以外とキスしたことないんだ。安心した。



それから三日経ったが、やっぱり何も変わっていない。
朝、迎えに来るのは尚だし、登校も一緒。隣の席なのもやっぱり変わらない。昼休みも放課後も、結局一緒にいる。

変わったことがあるとすれば、一つだけ。

「尚」
「んー?」
「好き」

シャーペンを動かしていた尚の手が止まった。

「…………は?」
「好き」
「いや、二回言わなくていい」
「事実だから」

尚がゆっくり両手で顔を覆った。

「北斗」
「ん?」
「それ、毎日言うの?」
「思ったら言う」
「思っても一回飲み込もう?」
「どうやって?」
「頼むから。俺の心臓がもたない」

意味が分からない。好きだから好きと言っただけなのに。



古典の授業中。先生が枕草子について熱弁している。これをまともに聞いていたら、最高の睡眠導入剤だ。寝るなという方が無理がある。
それに加えて、体育の後の六限目なだけあって、半分以上のクラスメイトが睡魔に襲われていた。教科書を盾に眠ろうとしているが、すでに五人が寝たら激怒する教科担任の餌食になっていた。
僕はといえば、尚と絵しりとりに勤しんでいた。

「ほっくん、ライオ “ン” から始める?」

仕方ないく負けを認めて一から絵しりとりをスタートしたというのに、尚はあれから古典の授業のたびに僕のたてがみが爆発したライオンをいじってくる。僕をからかっている時の尚は一番楽しそうな顔をしている。器がでかいというのは間違いだったかもしれない。

尚からノートがスライドされてくる。ノートには僕が描いた『めだか』の隣に『かかし』が描いてあった。
その隣に僕は『尚』と書いてノートを返した。

「ん?」

ノートを凝視してから、尚は僕の方を向いた。

「僕、ずっと尚のこと好きだったらしい」

ガリッ!!!

尚の手元から、本来そこからは聞こえないであろう音が響いた。
見れば、尚の持っていたシャーペンが、僕の描いたライオンのたてがみの先端を貫いている。

「……らしい?」
「ネットで調べた」
「ネットで恋愛理解したの?」
「うん。尚誰かに取られるの嫌なのも好きだからだって書いてあった」
「待って」
「尚見ると安心す――」
「待ってほっくん。情報量が多い」

尚は僕の言葉を遮って、机に突っ伏した。背中が小刻みに震えている。

「及川くんどうかしましたか?」
「あ……、すみません。何でもないです」

教壇からの注意に、尚が消え入りそうな声で答える。尚があんな声を出すのは珍しい。

「尚」
「……ほっくん、一回黙ろうか」
「でも、僕尚のことす――」
「待って北斗。お願いだから授業中に脳を焼くのやめて……!」

その時「及川くん、近江くん」と教壇からの鋭い視線が飛んできた。
あの目は激怒五秒前のやつだ。ガチ説教だけは避けなければ。

真面目にノートをとっているふりをしてやり過ごしてみるが、隣の尚が気になる。ちらりと隣を盗み見れば、尚は真剣に黒板の字をノートに書き写していた。
でも、その字はいつもの綺麗な尚の字より雑な気がした。



放課後のチャイムと同時に、尚は「ジュース買ってくる」と遠い目をしながら教室を出たきり帰ってこない。
……まさか妖怪に食べられたとか?
昨日尚と観た映画に人食い妖怪が出てきた。あれが本当にいたらまずい。助けに行かなくては。
自分のリュックと尚のリュックを前と後ろに一つずつ背負って教室を出た。

廊下の向こうで、尚はジュースを二本持って立っていた。女子と話していて、爽やかスマイルを浮かべている。
スリッパの色を見るかぎり女子は三年の先輩で、やたら尚と距離が近い。それを見ただけで、胸の中にモヤモヤが広がっていく。

僕が尚の隣に辿り着く前に先輩は、「及川くん本当にありがとう!またね!」と尚に手を振りながら立ち去っていった。その瞬間にさっきまでのモヤモヤが少しだけ薄れた気がした。
したはずなのに、尚が先輩に手を振っていて、モヤモヤが復活する。

「尚」
「あ、ほっくん」
「迎えきた」
「ありがとう。リュックも。ほら、これほっくんの分」

尚が僕の方にサイダーを差し出して、代わりに自分のリュックを受け取ろうとする。
リュックとサイダーを交換すればいいだけ。でも、僕の身体はそうしなかった。モヤモヤが暴れて頭も身体も完全にバグっている。

「ほっくん?」
「他のやつと喋ってると腹立つ」
「……え」
「僕のこと一番好きなのは尚だろ。だから尚も僕だけ見てろ」

尚はしばらく固まってから、「…………はい?」と今日一番間抜けな声を出した。

「いやいやいや」
「違う?」
「違わないけど」
「じゃあ合ってる」
「そういう問題じゃない!」

尚が僕からリュックをひったくった瞬間、「及川の顔赤ぁぁぁぁぁ!!」と突然背後から叫び声が聞こえてきた。

「松風お前今すぐ黙れ」

尚がものすごい眼差しで松風を睨むけれど、当の本人は「あはは!」と楽しそうに笑っている。隣にいた市橋と近藤がニヤニヤしながら尚と僕にスマホを向けていた。

このお調子者トリオ、僕と尚の写真や動画が付き合いだしてから、あまりにもSNSに流出しすぎているのに気づいた尚に「次やったら分かるよね?」と言われていたばかりだ。
尚はいつも通りのトーン、爽やかな笑顔だったのに、何にそんなに怯えたのか、「もうしません!」と引きつった顔をしていた。
その後、フォルダ内にあった動画と写真を全部尚に送信してから削除させられていた。
昨日? いや、一昨日だったかもしれないけどつい最近の出来事のはずなのに、たぶんもう忘れている。

「学校で愛の告白とかやるなぁ近江」

うんうん、と感心した様子で市橋が頷いている。やっぱり反省している様子は全くないようで、さっきからシャッター音が止まらない。たぶん、その写真はまた全部尚が回収すると思うけど。

「近江、照れとか恥じらいってもんがないわけ? お前一生真顔じゃん。及川そのうちガチで死ぬぞ」
「尚が死ぬのは困る」
「じゃあ大好きな及川クン死なないために、今日一日だけ及川貸してくんね?」
「無理。尚は僕の恋人だから」
「北斗っ……!」

尚が耳まで真っ赤にして、「帰るぞ」と僕の手を引いて歩き出した。
幼稚園の時から当たり前のように何度も繋いできた尚の手。この手の温度がさっきまでのモヤモヤを全部上書きしていくみたいだ。

背後で「ぎゃははははは! サイコー!」とお調子者トリオの爆笑が聞こえる。
手を引かれたまま振り返れれば、「ビッグラブッ! エボリューション!!」という謎の掛け声とビッグラブの舞をさらに激しくした動きをしていた。あれをSNSに載せたほうが僕と尚よりずっとバズると思う。

尚、と呼んでも、その足は止まらず、振り返ることもない。大股でずんずん歩いていく尚に付いていくのがやっとだ。
尚が止まらないなら、僕が止まればいい。

僕はその場で足を止めた。
手を繋いだままだから、数歩先を歩いていた尚の身体がぐいっと僕のへ引っ張られる。
その衝撃でようやく尚が振り返った。耳はまだ赤いまま。

「怒ってる?」
「怒ってない」
「止まってくれなかった」
「……それはごめん」
「怒ってないなら、なに」
「……何でもない」

そう言ってまた前を向く。
でも、何でもない人は、そんなに耳が赤くならないと思う。

「しょ――」
「ほっくん」

尚は前を向いたまま僕の声を遮った。

「今日もう喋らないで」
「なんで」
「俺の心臓がもたない」

またその言葉だ。前にも聞いた気がする。心臓って、そんなに簡単にもたなくなるものなんだろうか。

よく分からないまま家までの道を無言で歩いた。尚に今日はもう喋るなと言われたんだから仕方ない。
さっきまで耳を真っ赤にしていた尚は、玄関を開ける頃にはいつもの爽やか王子に戻っていた。
やっぱり、よく分からない。
でも一つだけ分かったことがある。尚は恋人になってから、前より照れやすくなった。



「ごめん、ジュースぬるくなった。冷蔵庫からなんか持ってくるから先部屋行ってて」

その言葉とともに、結局学校からずっと繋がれていた手が離れていく。
もっと繋いでいたいと思ってしまうのはなんでだろうか。

「おまたせ」

尚のベッドに座って待っていると、しばらくして部屋のドアが開く。

「ありが……」

コーラの入ったコップを持ってきた尚にお礼を言いかけて、ギリギリで言葉を留める。
危ない。今のはセーフにしてほしい。

「ほっくんどうした?」

尚が不思議そうにコップを差し出してくる。僕はそれを受け取りつつ、人差し指を自分の唇に当てた。

「喋っちゃだめだから」

尚が盛大に天を仰いだ。また耳が赤くなっている。

「……さっきのやつ、まだ守ってたの?」
「尚が言った」
「言ったけどさぁ……」

尚は深く、長いため息をつきながら僕の隣に腰を下ろした。限界までHPを削られたような顔をしている。やっぱり照れているんだ。
きっと今の尚は圧倒的に防御力が下がっていると思う。
……ようやく尚をボコボコにして泣かせる日がきた。



「尚、今ずるしただろ」
「ほっくんが弱いだけ」

ゲームを始めて三十分くらい経った頃。テレビ画面の中ではキャラクターが激しく動き回っている。僕は相変わらず尚に惨敗中だった。

今日こそ圧勝できると思ったのに、「あーあ、ほっくん隙だらけ」なんていつも通り余裕たっぷりに受け流される。さっきまでの防御力激弱な尚の面影すらない。

コントローラーを握ったまま隣を見れば、すぐ近くに尚の整った横顔。
それを見たら、この前の土曜日を思い出す。

「尚」
「ん?」
「キスしよ?」
「ブフッ」

尚が飲んでいたコーラを盛大に吹いた。僕の方まで飛んできた。べたべたする。

「きったな」
「誰のせいだと思ってんの!?」

尚が激しくむせながら袖口で雑に口元を拭う。

「尚のせい」
「北斗だろ」
「僕は尚とキスしたいだけ」
「それをそんな『ジュース飲む?』と同じテンションで言うな!」
「恋人だろ?」
「そうだけど!」
「しない?」

僕の問いに、尚のため息が返ってきた。
瞬間だった。

「北斗」

ぐい、と僕の後頭部に尚の手が添えられる。
視界が尚の顔でいっぱいになったのと同時に、唇に柔らかい感触が当たった。

前の時よりは少しだけ長い、でもやっぱり羽みたいに優しいキス。離れ際に、尚と僕の睫毛が触れた。

「……これで満足?」
「うん。二回目だな」
「数えんな!」

顔まで真っ赤にした尚が、逃げるようにコントローラーを強く握りしめた。

尚とキスすると胸がぽかぽかする。
僕は画面を見つめながら、やっぱり恋人はいいものだ、とコーラをおかわりした。



その夜。僕は尚の部屋のベッドに潜り込んでいた。

ゲームに熱中しすぎてすっかり夜遅くなってしまったのもあるが、尚の母さんの作った夜ご飯が美味しすぎた。腹が満たされすぎて、自分のベッドまでたどり着く体力はゼロだ。

「尚」
「……はい」

お風呂上がりの尚が、ベッドの脇で信じられないほど遠い目をしている。

「今日一緒に寝る?」
「…………」
「ん? 尚?」
「俺を殺す気?」
「なんで?」

幼稚園の時からよく一緒に寝てるのに、今更何をためらうのか。

「尚、いつも僕のベッド勝手に使うよな」
「それは北斗だろ」
「そうだっけ?」
「今、俺のベッド占拠してんのどう見てもほっくんだよね?」
「今日はたまたま。でも尚の方がデカいから、尚の負け」
「意味わかんねぇよ」

結局、尚は諦めたように深いため息を吐いて僕の隣に入ってきた。

「……北斗、もっと壁側いけ」
「無理。これ以上いったら壁と一体化する。僕そっちがいい。尚、変わって」
「ダメに決まってんだろ。北斗、ただでさえ寝相悪いのに、こっち側にしたらベッドから落ちるだろ」
「一生のお願い」
「その一生のお願い今までに何回も聞いてんだよ。ほら、早く寝ないと明日起きられないぞ」

そのまま背中を向けられているが、尚の体温が伝わってきて落ち着く。
もう少しだけ夜更かししていたかったのに。

尚の背中に頭をすり寄せた瞬間、秒で寝落ちしたようだ。翌朝「起きろ」と尚に布団をはぎ取られるまでの間の記憶が全くない。



どうやら恋人になると、好きだと思ったら口に出していいらしい。少なくともネットにはそう書いてあった。だから僕は、その通りにしてみた。

そうすると、尚は毎回おかしな反応をする。最初は偶然かと思ったけど、どうやら違うらしい。

数日後の休み時間――。

「尚」
「今度は何」
「耳赤い」
「赤くない」
「赤い」
「赤くない」
「照れた?」
「照れてない」
「ふーん」
「その『ふーん』やめろ!」
「やっぱ照れてる」
「うるさい!」

バン、と尚が勢いよく机を叩いて立ち上がり、教室中が大爆笑に包まれた。

「また夫夫漫才やってるよ」と、クラスメイトたちから野次が飛んで来る。市橋たちが教室の真ん中でまたビッグラブの舞を踊り始めているのが見えた。

みんなからは『爽やか王子』なんて呼ばれている尚だけど。
最近は、僕の前だけでよく壊れる。

どうやら尚は、照れると弱くなるらしい。
……覚えておこう。