翌日の土曜日。学校が休みで本当に良かった。もし今日が平日だったら、放課後まで待てなかったと思う――。
朝ご飯かき込んで尚の家へ向かった。インターホンを押すと、「開いてるから勝手に入ってー」と尚の母さんの声がして、僕はそのまま二階にある尚の部屋へ向かった。
昨日置いて帰ったこと尚が怒っていたらどうしよう。なんて考えが今更湧いてくるが、誠心誠意謝るしかない。僕が悪いんだから。
ノックしてからドアを開けると、尚はベッドの上で壁に背中を預け、ゲームコントローラーを握っていた。それから「あ、ほっくんいらっしゃい」といつも通りのトーンで言った。
……よかった。怒ってはいないらしい。
「入れよ。ゲームするだろ」
そう言って昨日のことなんて何もなかったみたいに笑って、隣に転がっているコントローラーをぽんぽんと叩く。
いつも通りの尚の笑顔。なのに、その顔を見たら、胸の奥が昨日よりも強く痛む。
「……昨日、ごめん」
「ああ」
それだけ言って笑った。あまりにもあっさりしていて拍子抜けしてしまう。
「いいよ。用事あったんでしょ」
用事。……用事といえば用事だった。でも、尚を置いて帰るほど重要な用事じゃない。
僕のことは普段、「アホ」「鈍感」「態度でかい」と散々からかうくせに、こういう時だけは何も追及せずに受け入れてくれる。そういえば尚が怒ったところなんて十六年間一度も見たことがない気がする。学校で『爽やか王子』なんて呼ばれているのも、今なら少しだけ納得できる。
「ありがと」
「気にしてないって。ほら、そんなとこ立ってないでこっち来いよ」
「ん」
本当に気にしていないらしい。やっぱり尚は器がでかい。
僕は尚の隣へ座った。
第一ミッションはクリアしたが、昨日からずっと考えていたことを確認しなければならない。
ゲームのキャラ選択をしている尚の横顔を見つめる。毎日一緒にいるからあまり分からなかったけど、改めて見ると確かに整った顔だ。女子だけじゃなくて男子にまで「ビジュ強すぎ」と言われるのも分かる。
「……なに」
視線に気づいた尚が、コントローラーを置いて僕を見た。
「尚」
「ん?」
「キスするか?」
尚の動きが止まった。ゲーム画面だけが動いている。
「……は?」
「キス」
「いや、聞こえてる」
ぶおんと車が通る音が外から聞こえた。
「……なに、急に」
「昨日調べた」
「何を?」
「好き」
尚がまた固まる。
「好きな人とはキスしたいってネットに書いてあった」
尚は額を押さえて、深いふかーーいため息を吐いた。
「……ほっくん。そういうの誰にでも言っちゃ駄目だよ」
尚の声が、いつもより少しだけ低くなる。諭すような、呆れたような声。
誰にでも? そんなわけがない。
「尚にしか言ってない」
その瞬間、尚の肩がぴくっと震えた。
何か考えているらしい。俯いたまま、また黙る。それからさっきよりも深いため息を吐きだしてから、顔を上げて僕を真っ直ぐ見た。
「……北斗、目閉じて」
「ん。分かった」
言われた通り、目を閉じる。すぐ近くで布団が沈む音。爽やかで少し甘い尚の匂い。
直後、左の頬に信じられないくらい柔らかくて羽が触れたみたいな軽い感触が頬に落ちた。
「簡単に目閉じるな」
尚の声がすぐ近くで聞こえて、僕は目をあけた。
僕のすぐ目の前で尚は困ったように笑っていた。その顔が少しだけ苦しそうなのはなぜか。答えは分からないけど、頬じゃダメだ。
「口」
「……は?」
「キスって普通そっちだろ?」
「ほっくんさぁ……っ」
尚が両手で顔を覆った。
何か違ったのか? でも検索にはそう書いてあった。
それに――今、ほっぺたに触れられただけなのに。
嫌だとか、気持ち悪いとか、そんな感情は一ミクロンも湧いてこなかった。それどころか、胸の奥で暴れていたモヤモヤが綺麗に消え去って、ものすごく安心したような、温かい塊がじわじわと広がっていく。
だったらやっぱり確かめたい。
「え、ちょ、ほっ――」
確かめるなら、今しかない。
尚の言葉より先にそっと唇を重ねる。ほんの一瞬。一秒もなかったと思う。
僕はゆっくり唇を離した。
「……できた」
自分の唇に触れる。
やっぱり全然嫌じゃなかった。むしろ、もう一回したいと思った。
ああ、そういうことか。
「僕、尚のこと好き」
ゲームが好きなのとは違う。
プリンが好きなのとも違う。
幼馴染だから、でもない。
ちゃんと、恋愛として好きなんだ。
「尚?」
返事がない。完全にフリーズしている。魂がどこかへ飛んでいってしまったのか微動だにしない。つついてみるが、やっぱり反応がない。
「死んだ?」
「…………死んだ」
「もう一回キスしたら生き返る?」
「……無理」
「嫌い?」
「……嫌いじゃないからもうやめて」
「じゃあ好き?」
「…………好き」
朝ご飯かき込んで尚の家へ向かった。インターホンを押すと、「開いてるから勝手に入ってー」と尚の母さんの声がして、僕はそのまま二階にある尚の部屋へ向かった。
昨日置いて帰ったこと尚が怒っていたらどうしよう。なんて考えが今更湧いてくるが、誠心誠意謝るしかない。僕が悪いんだから。
ノックしてからドアを開けると、尚はベッドの上で壁に背中を預け、ゲームコントローラーを握っていた。それから「あ、ほっくんいらっしゃい」といつも通りのトーンで言った。
……よかった。怒ってはいないらしい。
「入れよ。ゲームするだろ」
そう言って昨日のことなんて何もなかったみたいに笑って、隣に転がっているコントローラーをぽんぽんと叩く。
いつも通りの尚の笑顔。なのに、その顔を見たら、胸の奥が昨日よりも強く痛む。
「……昨日、ごめん」
「ああ」
それだけ言って笑った。あまりにもあっさりしていて拍子抜けしてしまう。
「いいよ。用事あったんでしょ」
用事。……用事といえば用事だった。でも、尚を置いて帰るほど重要な用事じゃない。
僕のことは普段、「アホ」「鈍感」「態度でかい」と散々からかうくせに、こういう時だけは何も追及せずに受け入れてくれる。そういえば尚が怒ったところなんて十六年間一度も見たことがない気がする。学校で『爽やか王子』なんて呼ばれているのも、今なら少しだけ納得できる。
「ありがと」
「気にしてないって。ほら、そんなとこ立ってないでこっち来いよ」
「ん」
本当に気にしていないらしい。やっぱり尚は器がでかい。
僕は尚の隣へ座った。
第一ミッションはクリアしたが、昨日からずっと考えていたことを確認しなければならない。
ゲームのキャラ選択をしている尚の横顔を見つめる。毎日一緒にいるからあまり分からなかったけど、改めて見ると確かに整った顔だ。女子だけじゃなくて男子にまで「ビジュ強すぎ」と言われるのも分かる。
「……なに」
視線に気づいた尚が、コントローラーを置いて僕を見た。
「尚」
「ん?」
「キスするか?」
尚の動きが止まった。ゲーム画面だけが動いている。
「……は?」
「キス」
「いや、聞こえてる」
ぶおんと車が通る音が外から聞こえた。
「……なに、急に」
「昨日調べた」
「何を?」
「好き」
尚がまた固まる。
「好きな人とはキスしたいってネットに書いてあった」
尚は額を押さえて、深いふかーーいため息を吐いた。
「……ほっくん。そういうの誰にでも言っちゃ駄目だよ」
尚の声が、いつもより少しだけ低くなる。諭すような、呆れたような声。
誰にでも? そんなわけがない。
「尚にしか言ってない」
その瞬間、尚の肩がぴくっと震えた。
何か考えているらしい。俯いたまま、また黙る。それからさっきよりも深いため息を吐きだしてから、顔を上げて僕を真っ直ぐ見た。
「……北斗、目閉じて」
「ん。分かった」
言われた通り、目を閉じる。すぐ近くで布団が沈む音。爽やかで少し甘い尚の匂い。
直後、左の頬に信じられないくらい柔らかくて羽が触れたみたいな軽い感触が頬に落ちた。
「簡単に目閉じるな」
尚の声がすぐ近くで聞こえて、僕は目をあけた。
僕のすぐ目の前で尚は困ったように笑っていた。その顔が少しだけ苦しそうなのはなぜか。答えは分からないけど、頬じゃダメだ。
「口」
「……は?」
「キスって普通そっちだろ?」
「ほっくんさぁ……っ」
尚が両手で顔を覆った。
何か違ったのか? でも検索にはそう書いてあった。
それに――今、ほっぺたに触れられただけなのに。
嫌だとか、気持ち悪いとか、そんな感情は一ミクロンも湧いてこなかった。それどころか、胸の奥で暴れていたモヤモヤが綺麗に消え去って、ものすごく安心したような、温かい塊がじわじわと広がっていく。
だったらやっぱり確かめたい。
「え、ちょ、ほっ――」
確かめるなら、今しかない。
尚の言葉より先にそっと唇を重ねる。ほんの一瞬。一秒もなかったと思う。
僕はゆっくり唇を離した。
「……できた」
自分の唇に触れる。
やっぱり全然嫌じゃなかった。むしろ、もう一回したいと思った。
ああ、そういうことか。
「僕、尚のこと好き」
ゲームが好きなのとは違う。
プリンが好きなのとも違う。
幼馴染だから、でもない。
ちゃんと、恋愛として好きなんだ。
「尚?」
返事がない。完全にフリーズしている。魂がどこかへ飛んでいってしまったのか微動だにしない。つついてみるが、やっぱり反応がない。
「死んだ?」
「…………死んだ」
「もう一回キスしたら生き返る?」
「……無理」
「嫌い?」
「……嫌いじゃないからもうやめて」
「じゃあ好き?」
「…………好き」



