はしたないのはオレの前だけ


 ●〇●〇


「そういや今日、クリスマスイベントの詳細説明するって言ってたっけ」
「あー、そうだったかも」
「まだハロウィン本番も来てねーのに目まぐるしいよな」

 秋葉原駅から店までは、仕事の話をしながら歩いた。
 目的地は徒歩5分の距離にある雑居ビルの2階で、エレベーターは使わず外階段で上がる。
 その途中で鷹谷は眼鏡を外し、顔にかかった前髪を横へ流していた。隠れていたイケメンがあらわになる。

「いつもここで眼鏡取ってんのか。どうりで店では眼鏡姿まったく見たことないと思ったわ」
「っすね」

 2階ロビーに着くと看板が出ている店舗出入口は使わず、その右手にある従業員専用ドアから中に入った。スタッフエリアはまず事務所兼休憩室や半個室のミーティングブースがあり、その奥に更衣室や手洗いという間取りだ。

「おはようございまーす」
「ざまっす」
「おはよ──って、あれ。二人一緒に来たの? 珍しいね」

 事務席に座っていた柔和な黒髪青年、宮瀬颯月(みやせさつき)さんが書類から顔を上げた。
 ここの正社員かつ副店長で、俺たちバイトの直属の上司に当たる人だ。とはいえ年齢は26と若く、おまけに童顔なのではっきり言って同い年くらいに見える。
 スタッフ管理と事務仕事がメインだが接客に入ることもあって、肩書きは『執事長』、キャスト名はそのまま『颯月』。

「あー、えっと、外で偶然一緒になって」

 適当な説明をしつつ奥に進んでいくと、休憩用のソファに寝転んでいた別の男が体を起こした。

「あ、トウマとタカだー。おはよ~」
「はよっす。イブ、もう上がりだっけ?」
「ううん、休憩。僕もラストまでだよ。今日学校ないから昼から入ってたんだぁ」
「えぇ、じゃあベストも脱いでから横なれよ。シワんなるぞ」
「平気だよー、上着れば隠れるじゃん。それに僕は、やんちゃな猫さんだし?」

 栗色に染めたふわふわの髪を揺らしながら、高めの可愛い声でふふっと笑う。
 同僚のバイトで、キャスト名はイブ。年齢は19だと聞いた覚えがあるが、本名は知らない。

「『子猫系』って便利なワードだよな」

 俺はつい同意を求めるように鷹谷を見た。
 俺たちのキャスト名には、それぞれ『〇〇系』という冠辞がつく。イブはそれが『子猫系執事』で、基本的には『小さくて愛らしい』という意味合いのはずなのだが。

「いいんじゃないすか、応用きいて」
「そうそう。やんちゃで気まぐれで、マイペースなのもにゃんこの魅力♪」

 実際に166㎝の小さな体を、猫のように丸めてイブはまた寝転んだ(ちなみに身長は公式プロフィールに載るので知っている)。

「でも本当にシワは気をつけてね、イブー」

 颯月さんの声を後ろに聞きながら、俺と鷹谷は「着替えてきます」と更衣室に入った。
 そこそこかさばる制服なので、ロングサイズのロッカーが一人ひとつ割り当てられている。俺と鷹谷のロッカーは同じ並びで、鷹谷は一番奥の壁際、俺はドア側から2番目だ。

(よし。気持ち切り替えないとな)

 ハンガーにかかった制服──燕尾服一式を出しながら小さく深呼吸する。

 執事カフェ『サニーガーデン』。
 俺はここで1年前の4月から『爽やか系執事・トウマ』として働いていた。俺より3カ月遅く、7月に入ってきた鷹谷は『クール系執事・タカ』。
 言わずと知れたコンセプトカフェで、執事として来客を『お嬢様・お坊ちゃま』と出迎え、接客するウェイター業だ。

(正直、入った時はこんなに続くとは思ってなかったけど)

 執事を目指している──なんてことはもちろんない。単に当時働いていた居酒屋が経費削減であまり入れなくなり、次を探している時にたまたま店の求人を見た。
 普通の接客業よりも時給がよかったし、働きながら礼儀作法を身に着けられるなら就活にも役立つかも、と試しに応募してみたら採用。作法や紅茶の種類を覚えるのは最初こそ大変だったが、慣れてしまえば居心地がよく、結局2番人気をキープしながら続けている。

(で、後輩のくせに一番人気を保ってるのがこの男……)

 着替えながら、俺はちらっと鷹谷のほうをうかがった。開け放したロッカーの扉がその姿を隠しているので、立ち位置を少し変えてみる。すでに着替えは追え、扉の裏側についているミラーを見ながらワックスで髪を整えているようだった。

(あーそうか、いつもなら見えねー。だからここで髪型作ってんのも知らなかったんだな)

 そもそも入り時間が重ならない日も多い。まぁ、親しくもないのでさして気に留めていなかったというのが何より大きいのだけれど。

(髪上げて顔出すと、マジで化けるよなぁ。いや、元がいいのをあえて隠してんだから化けるとは言わねーか……なんにしろ恵まれたツラしやがって……)

「何見てんの」
「!」

 ふいに扉の横からにゅっと鷹谷の顔が出てきて、からかうように片頬を持ち上げる。

「見惚れてる?」
「ばっ……んなわけねーだろ、うぬぼれんな!」

 目線を外して、止まっていた着替えを再開した。

「素直じゃねー」

 鷹谷はクスッと笑いながら、すべての支度を終えたらしくロッカーの扉を閉める。

(んだよ……すっかりいつも通りじゃん)

 ほんの十数分前の気まずさなんて、なかったかのような態度だ。

(もう気にしてないのか……?)

「タイ決まってねーぞ」

 横をすり抜けて先に出ていくかと思いきや、鷹谷は俺の傍で足を止めた。

「え?」
「タイ」

 繰り返し、肩を掴んで俺の体を自分に向き合わせる。長い指が俺の胸元に伸びた。

「あ……」

 結んだリボンタイがしゅるっと解かれ、衣擦れの音を立てながら結び直されていく。

「じ、自分でできる……」
「変だったじゃん」
「あ、後で調整するつもりだったんだよ」

(おまえを気にしてておざなりだった、とは言えねー……)

「いいからじっとしてろ」
「……」

 仕方なく、俺は眼前にある鷹谷の襟元に目をやった。
 制服のタイはネクタイ、リボンタイ、蝶ネクタイが用意されていて、自由に選べる。可愛い系のイブはリボンタイで固定しているが、俺は気分でよく変えていた。
 クール系の鷹谷は基本的に黒タイだ。その綺麗に整えられたノット部分を、見るとはなしに見ながら沈黙に耐えた。

「これでいい」

 長さの微調整をして、最後に右手でポンと左胸を叩かれる。

「今日もよろしく、トウマさん」
「お、おう」

(ほんと、何事もなかったかのように……)
(──って、いつまでも考えてる俺のほうがダメだろ。仕事仕事!)

 気合を入れ直すように俺もロッカーを閉め、二人で更衣室を出た。



「トウマ、タカ。次の4名さん、二人で出迎え出てくれる?」
「わかりました」
「っす」

 仕事が始まれば、時間は慌ただしく過ぎていく。客を見送り、下げた食器を手にパントリーへ入ると、颯月さんからすぐさま次の指示が飛んだ。

「4人のうちの2人、タカのファンの常連さんだよな。おまえが先導して」
「ラジャ」

 エントランスで姿勢を正して待ち、予約客を出迎える。

「おかえりなさいませ、お嬢様がた」

 まずは俺がとっておきの笑顔で明るく声をかけ、

「おかえりなさいませ、お待ちしておりました。本日は奥の個室にてお茶のご用意をさせていただきます。こちらにどうぞ」

 鷹谷が落ち着いた低音ボイスで続け、4人をエスコートしていく。

「外はずいぶん冷え込むようになりましたね。体の温まる新しい茶葉もご用意してございますよ」

 個室までの道中も、鷹谷はお嬢様がたへの声かけを忘れない。クールな顔立ちがわずかに微笑むだけで、4人の女性客は瞳を輝かせていた。

(おーおー、なんつーか……素を知ると、このクールイケメン執事っぷりもちょっと感心しちまうな)

「ではすぐに支度を整えてまいりますので、くつろいでお待ちください」
「はっ、はいっ! あのっ、タカさん!」

 オーダーを取って部屋を出ようとした時、客の一人が鷹谷を呼び止めた。

「私、今日タカさんに接客してもらえたらなって思ってて……! 会えて嬉しいです!」
「ありがとうございます。私もお嬢様につかせていただけて、大変光栄です」
「は、はうぅ……ほんと顔が強……あ、なんでもないですっ……」
「はい。それでは失礼いたします」
「失礼いたします」

 鷹谷に続いて俺も再度礼をし、個室を出る。

「……さすがナンバーワン、おモテになることで」

 パントリーに入ってからぼそっと皮肉ってやると、

「どっちに妬いてんの?」

 ニヤリと笑われ、すぐさま言ったことを後悔した。

「妬いてねーわ!」

(ほんと、なんなんだこいつ)
(……なんか混乱してきた。考えてみたらこの1週間でこいつと色々ありすぎなんだよな。理解も整理も追いつかねーっての)

 と、そんなことを思いつつも、その後はまたそれぞれ指示を出されて忙しく立ち働く。
 閉店まであと30分という時間になると、店内に残る客も減ってきた。手の空いた俺は、食器の片付けを手伝ってほしいと言われてキッチンに入る。
 鷹谷はまだホールにいて、イブと手分けしてラストオーダーの確認に回っていた。

(……あんなにかっこいいんだから、女だけじゃなく男にもモテるよな、絶対)
(しかも色々と有能だし。この間のデートでのエスコートだって……)

「……なんで俺なんかに」

 本気にしろ、そうでないにしろ。どうして親しくもなかった俺にちょっかいをかけてくるんだろう。わからない。

(……まぁ、どのみちうまくいくわけないんだけど。現時点ですでに、考え方の違いが露呈してるもんな)

 同性愛者であることをオープンにするかしないかは大きな問題だ。そういうすり合わせていかないといけないことが、同性同士だと異性間恋愛以上に山ほど待ち構えている。

(本気で好きになっても……必ずどこかで、その山にぶち当たって……)

 俺はまたきっと、そこでつまずく。他にもそんなカップルがたくさんいるのと同じように。

(だから……俺は……)

 ──ガチャンッ!

「っ!」

 足元で響いた音に、俺は体を震わせて我に返った。

(ヤバッ、カップが……!)

 洗浄と乾燥を終え、棚に移動させていたティーカップを落としてしまった。繊細なデザインのそれは見事に割れてしまっている。

「え、何割れた? 大丈夫、トウマくん?」

 近くで作業していたキッチンスタッフの男性が首だけを動かして声をかけてきた。

「す、すみません、手が滑って。すぐに片づけます」

(何やってんだ、新人でもないのにこんなミス……!)

 慌てて屈み込み、破片を拾い始める。それとほぼ同時に、速い足音がキッチンに入ってきた。

「トウマさん!」

(え、鷹谷?)

「ちょっ、何してんの。素手危ねーだろ」

 俺の手元を見た鷹谷は、さらに焦った顔で駆け寄ってくる。破片を拾っていた手首が素早く掴まれ、動きを止められた。

「タカ……」
「手、切ってない?」

 同じく屈んだ鷹谷と間近で目線が合って、俺はとっさに視線を逸らす。

「へ、平気」

 取られた手も逃げるように引き寄せた。強く掴まれていたわけではなかったので、拘束はするりと解ける。

「どいてろ、俺が片づける」
「え……いや、自分でやるよ。俺が割ったんだから」
「いい。アンタぼーっとしてるから」

 強い語調で言うと、鷹谷は隅にある掃除用具の入ったロッカーまで歩き、ホウキとチリトリを持って戻ってきた。
 怒っているというほどではないが有無を言わせない態度に、俺もそれ以上は言わず立ち上がる。
 腰を屈めてホウキで破片を集めながら、鷹谷は少しボリュームを抑えた声を床に落とした。

「悩ませるようなこと言って悪かった。けど、仕事中は切り替えて」
「あ……」
「こんなんでアンタがケガするとか、困るから」
「……別に、おまえのせいじゃ……」
「顔に出やすいタチなの自覚しろ」
「……っ」

(お見通しか……)
(それに……心配して、来てくれたんだよな)

「ごめん。もうこんなことないようにする」
「うん」

 会話は途切れ、鷹谷は集めた破片を新聞紙で包み始める。その時、新たな足音が耳に届いた。

「何か割れたって? 大丈夫かい?」

 颯月さんが入ってきて、俺たちに歩み寄る。

「あ、はい。すみません、俺がカップをダメにしちゃって……」
「仕方ないよ。次から気を付けて」

 優しい上司は穏やかに告げると、鷹谷に顔を向けた。

「それとタカ、2番テーブルのお客様、お見送り出てくれる? キミの大ファンの子だから」
「はい」
「タカ、ありがとう。後は俺がやるから」
「気つけろよ」
「わかってるって」

 微妙に名残惜しそうな鷹谷を見送り、俺は新聞紙をもう1枚使って梱包を厚くしようとした。ところがその途中で、人差し指の先にかすかな痛みが走る。

「……つ」
「ん、どうしたの?」

 まだ残っていた颯月さんが振り向く。指先を確認すると、ごく少量だが血が滲んでいた。

「わ。どこが大丈夫なの、切れてるじゃないか」
「……みたいです。さっきまで血出てなかったんで気づいてませんでした」

(痛くもなかったし……)

 あははと他人事のように笑う俺に、颯月さんは「もう~」と肩をすくめると、

「裏おいで、絆創膏貼ろう」
「や、大したことないんで」
「大したことなくても!」
「は、はい」

 結局半強制的に事務所へ連行され、しっかり消毒したうえで絆創膏を貼られた。本当によくできた上司だ。
 それから間もなく閉店時間を迎え、店内清掃をしてバイトも終了と相成った。

「お疲れさまー」
「お疲れ~」
「タカ、今日も大人気だったな~」
「ですかね」
「クーッ! 一番どうでもよさそうにしてるやつが一番人気ってのがマジムカつく!」

 バイト仲間6人ほどが連れ立って更衣室に入り、賑やかに着替え始める。仕事中は物腰優雅な執事でも、勤務を終えればただの学生やフリーターだ。
 ワイルド系だったりダウナー系だったり、接客中はそれぞれのキャラを誇張している面もあるので、魔法が解けたように素へ戻る瞬間がけっこう面白い。それもこの仕事が続いている理由のひとつだった。

「じゃあお先ー」
「お疲れっした~」

 彼女が待っているやら課題が終わっていないやらで、何人かは慌ただしく退勤していく。
 特に急いでいなかった俺は鷹谷、イブと同じタイミングで更衣室を出た。

「颯月さん、お先です~」
「お疲れさまでした」
「みんなお疲れさま、明日もよろしくね」

 いつも最後まで事務所に残る颯月さんへ挨拶し、店を出る。
 外階段から路上に降り、駅の方向へと歩き出そうとした時──

「ちょっと来て」

 唐突に鷹谷が俺の腕を引く。

「な、なんだよ?」
「いいから」

 問答無用で鷹谷は駅とは逆方向へ歩き出した。「え、どしたの?」とイブが不思議そうにこちらを見ていたが、あっという間に離れて近くの路地裏に連れ込まれる。

(なんでこんなとこ……)

「おい、離せって」

 腕を振りほどいたが、すぐにまたその手首を掴み直して顔の高さまで持ち上げられた。

「どした、これ」

(これ? あ、指のケガ?)

 険しい視線は、人差し指の絆創膏に注がれている。

「あ……切れてないと思ってたけど、後から見たらちょっと切れてた」
「後からって。はぁ……」

 疲れ切ったように肩を落とし、鷹谷は絆創膏越しにそっと指へ触れてきた。

「自分で手当てしたのか? ちゃんと消毒とかした?」
「おまえも大げさだな。要らないって言ったけど、颯月さんが消毒もしっかりやってくれたよ」

 安心させるつもりでそう答えた。けれど予想に反し、そのとたん鷹谷の瞳が不穏さを増す。

「颯月さんかよ」
「え?」
「すぐ気づけっての。俺がやりそびれただろ」
「は……」
「他の男に触らせてんじゃねー」
「……、や……」

(え、なに? もしかしてこいつ、妬いてんの?)

 にわかに降りてきた不機嫌の理由に、俺はぽかんと口を開いた。

(心配して駆けつけて、代わりに危ないことやって、自分じゃない他のやつが俺の手当したから怒ってるって……?)

「……おまえ……」
「何?」
「いや……おまえ、さ……」

 聞くか、聞かないか。口を開いておきながらも、最後にもう一回逡巡する。
 けれどやはり、聞かずにいるほうが難しい。俺は先を続けた。

「……俺のこと好きって、マジなの?」
「……」

 沈黙が落ちる。喧騒が空気を隔てた少し先で、遠く聞こえている。
 呆れているような、驚いているような、少しだけ怒っているような真顔でしばらく俺を見つめた後。鷹谷はゆっくりと、一言一言区切るように答えた。

「最初からずっと、本気だけど」

(……!)

「……そう、か」

(本気なんだ……)

 カップを割ってしまう前にぐるぐると考えていたことが舞い戻ってくる。
 なんで俺なんか。無理だ。どうしたら。

(だって、そんなのはもう──)

「アンタがどう思ってても、俺は逃がす気ねーから」

 なかば放心状態で言葉の出ない俺にむくれたような声で告げ、鷹谷は一人、足早に路地を出ていった。