(なんかまだちょっと体だりぃ……。これも眠剤のせいか? いや、その後よく寝れなかったからかな……)
散々な夜の翌日、木曜日。
午後からの講義のため校舎に向かう俺の足取りは、とんでもなく重い。
正門から続くイチョウの並木道を、10月下旬のすっかり冷たくなった風が吹き抜けていく。散ったイチョウがペシッと頬を叩いて、無性にイラっとした。
(ほんとどういうつもりなんだ、タカのやつ。意味不明だわ)
(って、よく聞かなかったのは俺のほうだけど……)
あの後、連絡先交換を済ませたタカは平然とした顔で──
『んじゃよろしく。さっそくなんかする?』
(はぁぁっ!? なんかってなんだよ、こえーわ!)
『か、帰るに決まってんだろが!』
『なんで。泊まってけばいいだろ』
『泊まるかっ!』
──と、部屋を飛び出してド深夜にタクシーで帰宅した。
(けどあれは逃げるだろ。ラブホに俺のこと矯正するとか言ってる男と二人って、落ち着かねーわ)
タカは追ってこなかったし、連絡先交換した割に今のところ連絡もない。
「はぁ。ただの悪ふざけであってくれ……」
「ひーなみっ!」
漏らした独白に陽気な声が重なり、ポンッと肩を叩かれた。
友人の松枝と安田が俺の両端に並ぶ。同じ経済学部で1年から講義がほぼ被っていたので、自然とつるむことが多くなった二人だ。
「どしたよ、なんか背中疲れてたけど」
「……んー、ちょっと寝不足で」
いつもチャラい笑顔の松枝に覗き込まれ、目線を外して適当に答えた。
「寝不足って何よー。さっそく遊びほうけちゃってんの?」
「桧並は圧倒的勝ち組だもんな。3年の10月に早期内定獲得って、すげーわおまえ」
松枝に続き、安田も称賛3割、ひがみ7割の声で言う。
「遊びほうけてなんかねーし。つーか、就活に勝ったのだってそんだけのことしてきたからな」
とにかく早期内定を目標に、2年からオープンカンパニーやサマーインターンシップにも参加して着々と活動してきた。あれこれ資格も取った。その甲斐あっての、外資系企業での内定獲得だ。
(松枝は女遊びばっかしてんし。安田は経済学部にしたのもとりあえずとか言ってたから、これといった目標ないまま今に至ってる感じだよな)
「同じだけのことしてきてないんだからひがむな、負け組候補生たちよ」
ニタッとヒールな笑みを浮かべてみせると、松枝がおおげさに左胸を押さえた。
「うわ刺すねぇ! けどまだ負け確じゃねーし!」
「おー、今のとこはな」
「くうぅっ、勝者の余裕かましやがって!」
「おまえはわめくな、うるせーよ」
と、そんなしょうもないやり取りをしていると──
「あ、冬真くーん!」
前を歩いていた女子2人が足を止め、こちらに駆け寄ってきた。
「お、琴美ちゃんじゃん」
松枝が楽しげにつぶやく。
大野琴美、これまた同じ学部の顔見知り。一緒にいる女子は友達のようだが、知らない子だ。
「お店のインスタ見たよ。新しい動画出てたね」
乱れたゆる巻きの髪を直しながら、大野がニッコリ顔で俺を見上げる。
「あー、内装変えた個室の紹介動画?」
「そう、それ。相変わらずかっこよかった!」
「はは、あんがと」
「お店もまた行くね」
「おう」
それ以上俺からは話を振らずにいると、大野は微妙な間の後、「じゃあまたね」と手を振って友達と去っていった。
「おーい、桧並ー」
松枝が肘で俺の脇腹をつついてくる。
「もうちょいなんか言ってやれよ。琴美ちゃん、どう見てもおまえに気があんだろー」
「……だから言わないんだろうが」
「どこが駄目なんだ? けっこう可愛いじゃん、あの子」
反対側で安田も「やれやれ」という感じのため息をつく。
「てかおまえ、あんなバイトもしてんだし学校外でもモテてんじゃねーの? 背はそんな高くないけど目キレーな二重だし、笑うとマジ爽やかイケメンだもんな。タッパが惜しいけど」
「同じこと2回言うな」
「それ以外はツッコミどころがないからだよ。なのに全然彼女作らないのなんで。理想高いのか?」
「……別に、めんどいだけ。向いてないんだよ、恋愛とか」
ゲイだから女の子に興味ない、とは誰にも言えない。けど、あながち嘘でもない。
(恋愛に向いてないってのは、ホントにその通りなんだろうな)
(そうだよ、俺にはもう恋愛なんて──)
そこまで考えた時、再び脳裏にあの男がポンッと現れた。
『アンタが清く健全で真っ当な恋愛できるように、俺が変えるから』
『普通に好きんなる気持ちを思い出させる』
(……いや、無理だし)
普通で真っ当な恋愛なんて、もう諦めてる。ゲイにとってはそんなの、きっとエベレスト並みにハードルが高い。
(あいつは俺のこと好きなんて言ってたけど、こっち側だったのか? けど、あんな告白本気とも思えないし……)
(……うん、本気なわけないよな)
考えれば考えるほど、そうだとしか思えなかった。
バイト仲間になってからはたしか1年以上経つけど、本当に交流らしい交流はしていない。
(そもそも知ってるのはタカっていうキャスト名だけで、名前も歳も、普段何してるやつかも……)
(……ん?)
ふと、眠りに落ちる間際の、ほとんど消えそうになっていた記憶が呼び起こされた。
『もう見てらんねーわ、桧並サン』
(あれ……あいつ、俺の本名呼んでた……?)
店では基本キャスト名で呼び合うから、個人的に教えない限り本名を知る機会はない。そしてもちろん、タカに教えた覚えもない。というか誰にも教えていない。
(社員は知ってるだろうけど、勝手に教えたりしないだろうし。どうしてあいつ──)
「桧並サン」
「っ!?」
唐突にぐいっと腕を掴まれ、俺は思案から醒めるとともに大きく肩を跳ね上げた。
「えっ、だっ……?」
すぐ後ろに背の高い全身黒づくめの男が立ち、俺の右腕を掴んでいる。
黒のブルゾンにテーパードパンツ、デイバッグ。細い黒フレームのスクエア眼鏡。
といっても眼鏡はかろうじて見えている程度だ。黒くて長い前髪が左目を完全に隠していて、顔つきはよくわからない。
(……誰?)
「何? 知り合いか、桧並?」
横から安田も戸惑いがちに聞いてくるけど、答えようがなくて返事できずにいると……
「講義の前に少し時間ある?」
両サイドの2人はまったく気にも留めない様子で、男が俺に尋ねた。
その声に聞き覚えがあることに気づく。
「……! ま、まさかおまえ……!?」
「あー、話は移動してから」
わずらわしげに言い、男は俺を引いて歩き始めた。松枝と安田が驚いているがお構いなしだ。ずんずん来た道を引き返し、正門右手にあるスペースに連れていかれる。大講堂と事務室が入る棟の前で、人通りが少ない場所だ。
(身長も……髪もボサッとしてるけど、長さは多分こんくらい……)
後ろ姿を観察し、予想が確信に近づいていく。
「おい、離せって!」
ほぼ確信して、掴まれた腕を振り払った。男が足を止めて振り返る。
ほとんど髪に隠れている顔を真下から覗き込めば、やっぱりそれは──
「タカ……おまえ、同じ大学だったのか!?」
「そう。つか声でけー」
しれっと答えて、タカはバッグから出した学生証を見せてくる。
『文理学部 教育学科 鷹谷臣』
生年月日からすると、ひとつ年下だ。
(後輩だったのかよ……)
「……2年? なんて読むんだ、名前」
「たかや・おみ、2年」
「……『タカ』って苗字から来てたのか」
「っすね」
「いやあっさりしすぎなんだって。なんなん、おまえ。まずそのビジュどうした。クールイケメンが見事に死んでるじゃねーか」
「どうもしねー。学校ではいつもこう」
学生証をしまってから、タカは面倒そうに前髪を掻き上げた。一瞬だけ露出した顔は眼鏡で印象が薄れるものの、やはりあの整ったイケメンだ。
「その鬱陶しさはけっこうどうかしてるレベルだと思うけどな……」
「俺の自由だろ。ほっとけ」
フンと鼻を鳴らして、タカは近くの植栽の化粧ブロックに腰を下ろした。
(態度でけーな、年下のくせに!)
こいつはバイトでも3カ月くらい後輩だ。学校でも後輩とわかると、生意気度も一気に増して見える。
(けど……これで、俺の本名知ってた理由は読めた)
「おまえ、前から俺がここの学生だって知ってたのか」
「ああ、知ってた」
(納得。SNSでも顔出ししてるし、学内でも知ってるやつはそこそこいるしな)
「クソ……俺はまったく知らなかった」
「だろうな、誰にも言ってねーし。バレたくねーから、アンタも学校では鷹谷って呼んで」
(隠したいのか。あ、もしかしてこんな格好してんのもそのためとか?)
(にしても……じゃあ昨日言ってた『ずっと見てた』ってのは、学校でも……? いつからだよ……?)
「桧並サン? 聞いてる?」
「えっ? あ、おう」
下から隠れていない右目にジロッと見上げられて、慣れない状況につい視線を泳がせてしまう。
タカ──鷹谷は小さくため息をついてから、
「そんで本題だけど。昨日の件、今週末から始めるから」
「へっ?」
ドクッと心臓が鳴る。
「昨日の件って……」
「まさか覚えてないとは言わないだろ。アンタの矯正プログラム。まずは、普通のデートする」
「デ、デート!?」
泡を食って声を荒げると、鷹谷は「うるせー」とばかりに俺を睨みつけて、
「会って酒飲んでヤるだけの繰り返しで、麻痺ってる心の修復だよ。普通の恋愛がどんなものかってとこからやってかねーと」
「麻痺って……人を病人みたいに言うな」
「そんなようなもんだろ。カサカサに乾いてささくれ立ってんじゃねーの」
涼しい声で言いながら、鷹谷はスマホを出して手早く操作した。直後、ポケットの中で俺のスマホが震える。確認すると、トークアプリのカレンダーでスケジュールが共有されていた。
今週日曜の、時間と待ち合わせ場所のようだ。
「土曜はアンタ早番、俺遅番で合わねーし。日曜ならバイトないから空いてるだろ?」
(……俺のシフトまで確認済みかよ)
「バ、バイトはなくても他の用事が……」
「あんの?」
「…………今のとこ、なかったけど」
(素直に答える俺アホか……けど強がるのも虚しいしな、なんか……)
「んじゃ決まり。遅れんなよ。ああ、あと──」
話しながら再び立ち上がった鷹谷は、俺の前に立つと背中を丸めて目の高さを合わせてくる。
「もう1回言っとくけど、絶対に男探して寝たりすんなよな。したら即あの画像さらすから」
「……っ!」
声音を低めた脅し文句に、俺はぐっと息を詰めた。
(クソ……これも、冗談じゃねーのか……?)
(普通のデートするって言った後に脅しとか、温度差激しいんだよ。どれがどこまで本気で言ってんのか全然わかんねー……)
背筋を、熱いのか冷たいのかはっきりしないゾクゾクしたものが駆けのぼっていく。でもその動揺を悟られるのはシャクで、俺は精いっぱい強気な口調で返した。
「即とか言うけど、俺がどこかで誰かと寝たって、おまえにはわかんねーだろ。四六時中見張ってるわけでもねーのに」
「わかる」
秒を置かずにきっぱり即答されて、思わずピクッと頬が震える。
「ど、どうやってわかるってんだよ」
「見張ってなくても、アンタの顔見りゃ一発でわかる」
「は……」
(顔でわかる? ハッタリだろ。俺だってそれくらいの嘘はうまく……)
「アンタの嘘なんかすぐ見抜けんだよ。俺にごまかしが通用すると思うな」
「!」
まるで心を読んだかのような宣告に、返す言葉を完全に失う俺。
黙り込んだ俺を見て、鷹谷は満足げに口の端を上げた。
「じゃ、日曜にな」
さっと右手を上げて歩き出す鷹谷を、俺はその場に立ち尽くして見送った……。



