はしたないのはオレの前だけ


 鷹谷の部屋に泊まった翌日、月曜日。
 お互い午前中から講義があるので、一緒に家を出てキャンパスで別れた。
 空きコマの時間。俺はカフェテリアで一人、なんだか怒涛だった昨日のことを振り返る。

(鷹谷がバイト辞めるのは止められたし、仲直り……もできたし。よかった)

 そこはよかった、本当に。
 よくないのは──俺と鷹谷の関係だ。

(いいかげん、宙ぶらりんはやめねーと……)

 あんなに必死に走って、会いに行って。抱きしめられると、ドキドキして。嬉しいのに苦しい、矛盾した感情で胸が詰まって。
 学園祭でキスした時も、引っぱたいた後強引にキスされた時も。頭が痺れて、どうにかなってしまいそうだった。

(俺、もう完全に……そう、だよな……)

「……よし」

 あえて声に出して言い、スマホを手に取る。トークアプリから相手を選び、音声通話の発信をした。

「もしもし──……」


 ●〇●〇


「ごめん、急に無茶言って」
「ううん、いいよ」

 都内にある某名門大学のキャンパス、その付近のカフェ。
 呼び出しに応じてくれた漣は、人のいい笑みを浮かべて正面に座った。
 でも、その笑みはややぎこちない。きっと俺も似たような顔をしているだろう。

「冬真こそ、こっちまで来てくれてありがとう。今日、学校はよかったのか?」
「大丈夫、気にすんな」

 余計な気遣いをさせたくないので曖昧に濁した。実際にはサボって、こうして漣の大学がある近くまで来ている。
 決めたなら早いほうがいい。連絡したら漣の空き時間に合わせられそうだったので、俺がそっちに行くから話をしたいと伝えた。

「……話って?」

 オーダーしたコーヒーが運ばれてくると、口をつけずに漣のほうから切り出してくる。声が幾分硬い。

「うん。この間漣が言ってくれたことの、返事なんだけど」

 漣の眉がわずかに動く。
 相手を傷つけるとわかっている言葉を口に出すのは勇気がいる。俺は一度の失恋で恋愛を諦めてしまうような臆病者だし、空気を読んで当たり障りのない発言をしがちの人間だ。
 でも今は、怯えていられない。漣は過去を謝罪して気持ちを伝えてくれた。だから俺も、まっすぐ答えないと。

「ごめん。俺、漣とやり直す気はない。今、他に好きな人もいるから。だから、気持ちだけありがとう」

 しっかり目線を合わせて、一息に告げた。
 漣は唇を結んで、何かを飲み下すようにテーブルへ視線を落とす。さらにしばらくの沈黙の後、ゆっくりと顔を上げた。

「そっか、わかった」
「……本当にごめん」
「ううん。冬真も俺のことはもう気にしなくていいよ。多分こうなるだろうっていうのは、予想してたから」

 口角だけで無理やり笑っているのがわかる表情に胸が痛む。
 でも、俺にできることはこれだけしかない。そして、漣にはちゃんと伝えられた。
 次は──

「ありがとう。じゃあ俺、行くわ」

 伝票を持って立ち上がる。漣は「気を付けて」と見送ってくれた。
 店を出ると、駅までの道を歩きながら再び電話をかける。

(今ならちょうど休み時間のはず……)

 1、2、3……4コール目で回線が繋がった。

『はい』
「もしもし、鷹谷?」
『うん、どした?』
「あのさ。俺、今から大学戻るから、二人で会えない?」
『……いいよ。着いたら連絡して』

 なんの質問もせずに、鷹谷はそう言って通話を切った。

(どこ行ってんだ、とか聞かれるかと思ったけど……あいつのことだから、もしかしたら気づいてる?)
(──いいか。会って話せばわかる)

 急いで大学へと戻り、キャンパスに着いたのは4限目が終わろうかという時間だった。俺は鷹谷のカリキュラムを把握しているわけじゃないので、今あいつがどこで何をしているかまでは知らない。
 今度はメッセージで『着いた』と送ると、すぐに返信がある。教室番号と、『ここにいるから来て』という内容だった。

(……? 授業中って意味じゃないよな……?)

 よくわからないが、来いと言うなら向かうしかない。離れた棟だったので走って行くと、人の気配はなく現在空いている小教室のようだった。
 後方ドアを開けて入ると、思った通り鷹谷が一人、最後列の座席に座っている。

「鷹谷……!」
「また息切らしてんじゃん」

 昨夜と同じくゼーハーいいながら現れた俺を見て、鷹谷は立ち上がりながら苦笑した。かけていた眼鏡を外してポケットにしまう。

「俺、漣と会ってきた」

 まだ息も整わない状態で、鷹谷に歩み寄る途中で告げた。
 会って伝えよう、伝えたい。ここに来るまでの間ずっとそう考えていたから、もうタイミングとか状況とか場所とか、そんなものどうでもいい。言葉が勝手に出てくる。

「やり直すつもりはないって、話してきた」
「……いきなり行動派になったな。かっけーじゃん」

 鷹谷はやっぱり察していたのかもしれない。驚いた様子はなく、優しく目を細めた。
 その瞳をまっすぐ見つめ返して、一番伝えたかった想いを口にする。

「俺、次の恋は鷹谷としたい」

(もう逃げないって決めた。俺は──)

「鷹谷が好きだから、ちゃんと恋愛したい。また傷つくのが怖くて逃げてたけど、もうやめる。傷ついてもいい。いつか傷つくとしても、臆病になって諦めたくない。鷹谷とはちゃんと向き合いたい」

 話しながら、無意識のうちに鷹谷の袖を掴んでいたみたいだ。その腕を、鷹谷がやんわりと握り返してくる。
 そっと下ろされて……そのまま鷹谷は、俺を抱き寄せた。

「傷つくの前提で話すな、バカ」

 頭のすぐ上から、子供を叱るような声が落ちてくる。そっけなくてキツめなのに、柔らかい感情がダダ漏れの声。
 こいつの声がこんなに感情豊かだなんて、親しくならなかったら絶対気づけなかったなと、ちょっとズレたことを考えた。

「昨日、死ぬほど後悔したって言っただろ。もうあんなふうには泣かせたくねーから、俺も変わる」

 抱き締める腕が緩み、右手が俺の頬に触れてくる。顔を上げると、前髪を透かして漆黒の瞳と視線が絡んだ。

「傷つけて離れていかれんの怖い、とか。大事にしたい、優しくしたい、って……そういうこと、初めて思った。俺にとってアンタは特別なんだと思う」

(特別……)
(俺も、同じだ。俺にとって鷹谷は……今まで閉じこもってた殻をぶち壊してでも、手に入れたい人だ)

「桧並サン、俺の恋人になっ」
「うん。鷹谷の恋人になりたい」
「返事はや」

 被せ気味に大きくうなずくと、最後まで言い切れなかった口をゆがめて鷹谷がプッと笑う。

「い、いいだろ。伝わってれば」
「まぁそうだけど。ったく、やっぱいちいち可愛いな、アンタ」

 頬に触れる指先が、もう少し角度を上げるよう俺を促した。誘われるまま上向けば、さっきまでより鷹谷の瞳が近い。
 もう一度、互いの気持ちを確かめるように見つめ合って。それからゆっくり目を閉じ、唇を重ねた。
 三度目だけど、恋人としては初めてのキス。静かな波が広がるように胸が震えて、まるで春の日差しみたいな温かさが満ちていく。

(キスって、こんなに幸せなものだったっけ……)

 いつまでもこうしていたいと思ってしまう。離れていく時には、名残惜しくてまたキュッと鷹谷の袖をつまんだ。
 気恥ずかしさもあって目が泳ぐ。でも思い切って、最後にもうひとつ言おうと思っていたことを言葉にした。

「あのさ。今日、バイトの後……俺んち来ないか」
「え……桧並サンち? 行っていいの?」

 これは予想外だったようで、鷹谷は驚いたように俺を見下ろす。

「うん。おまえんちには行ったことあるから、今度は……」

 顔あっつと思いながらも答えると、鷹谷はとても嬉しそうにうなずいた。

「絶対行く」