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帰るなと言った鷹谷の瞳が切実で。それに俺も、もう少し話していたい、なんて思ってしまって。
「シャワーありがと。換気ボタン押しといた」
「うん」
泊めてもらうことにして、ちゃっかりお風呂と着替えまで借りて部屋に戻ってきたのだけれど。
(ん? え、待て待て……)
出しっ放しだったパズルが片づけられた『だけ』の床を見て、俺はふと不安に襲われる。
(でもこの部屋、ソファーはないし……)
「なぁ……まさかと思うけど、客用布団ないとか言わないよな?」
「ないけど」
「はぁっ!? じゃあなんで泊まれって言った!?」
「セミダブルだしギリいけんだろ」
(いや広さの問題じゃねーわ! いけんわ!)
「おまっ……何もしないって……!」
「しねーよ。同じベッドで寝るだけ」
床に座っていた鷹谷はあっさり言い、立ち上がって布団をめくった。くるりと俺を振り返って、
「何? アンタは同じベッドに入ったらなんかしないと気が済まねータチなわけ?」
「そっ、そんなわけないだろ!」
「じゃあ寝よ。桧並サン壁側でいい?」
「どっちでもいいけど……じゃなくて……!」
(マジで一緒に寝るのか……!?)
非常に困る。でもこの真冬に布団もなく床に転がるのはキツいし、帰ろうにもすでに電車は動いていない時間帯だ。
「早く」
壁側の俺が先に入る必要があるので、鷹谷は布団をめくったまま待っている。
(うう……まぁ鷹谷が嘘つくとは思ってないけど……)
諦めて、俺はのっそりとベッドに上がった。奥に詰めると鷹谷も入ってきて、俺の肩がすっぽり隠れるまで布団を被せる。
(いや、やっぱ男二人でセミダブルは狭いだろ……!)
並ぶと肩が触れ合う距離感だ。俺はすぐに壁側へ体を横向けた。
「桧並サン、横向き寝派?」
「う、うん」
今は鷹谷に背を向けて少しでも距離を取るのが目的だけれど、実際横向きで寝ることが多いので嘘ではない。
「ふーん、そっか」
短い言葉に衣擦れの音が重なって、声が近づく。マットから伝わってくる振動に驚く間もなく、体に腕が巻き付いてきた。
後ろから、包み込むように抱きしめられている。
「ちょっ……? 何もしないんじゃ……!?」
ぎょっとして、でも振り返ると超至近距離で向き合ってしまうので、半端に首を捻って上ずった声をあげた。
「こんなの、何かしてるのうちに入らねーよ」
しれっと返しながら、鷹谷はさらに俺の腰を引き寄せる。素肌の足先が触れて、俺は逃げるように体を丸めた。
(ヤバい、ヤバいヤバいヤバいって……!)
お互いスウェット1枚で、布越しでも体の質感が近い。背中から腰辺りまでが、ぴったり鷹谷の胸や腹と触れ合って。うなじに息遣いを感じる。
「冬って足の指冷えるよなー」
鷹谷の片足が伸びてきて、逃げていた俺の足を絡め取られた。すりっと、足先の肌がこすれ合う。
(こいつ……!)
心音がまるで壊れかけのエンジンのようにおかしなことになってきた。耳の先まで脈打っている気がする。あれ、俺って湯たんぽだったっけと思うくらいに体が熱い。
絶対、この心拍も体温も鷹谷に伝わっているだろう。ふっと、小さく笑うような吐息が首筋をくすぐった。
「それにアンタ寂しがりだし、抱き枕いるタイプじゃね?」
「!」
(どうしてそれを……!)
「図星かよ」
「ほ、ほっとけっ」
(なんでおまえは、そんな涼しい態度でいられんだよ……!)
こっちはほとんどパニック状態なのに。鷹谷だけ余裕があるのが悔しくて恥ずかしい。
(クッソ、クッソ……!)
「……つーか、俺のほうが抱かれてるんだけど」
か細い声でせめてもの強がりを絞り出す。間を置かず、それにもさらりと返答が返ってきた。
「抱き返せばいいじゃん」
「なっ……!? んっ、なこと、できるか!」
もう完全に声がひっくり返ってしまう。鷹谷がブフッと噴き出した。しばらくクックと喉を鳴らした後、ようやく笑いを収めて、
「なぁ、顔見たい」
ねだるような声が耳元に吹き込まれて、思わずビクッと全身が震える。
「仲直り記念だろ。こっち向けよ」
「どういう記念だよ……」
(こんな心臓壊れそうなミッション、褒美になってねーんだけど……)
和解できて、俺だって嬉しい。もう少し話したい、一緒にいたいと思ったから帰らなかった。
鷹谷の傍にいるのは心地いい。こいつが俺に向けてくれる好意を感じると、胸が温かくなる。
「桧並サン」
「っ……」
いつになく甘い響きで名前を呼ばれて、抗えない魔法にかかったような気分でおずおずと体を反転させた。向き合った鷹谷は、満足げに微笑んでいる。
「ほら、今日は俺がアンタの抱き枕」
「……うちのはこんなデカくも硬くもねーわ」
ためらいがちに、両腕を鷹谷の体に回す。抱くというより、ただ添えている程度だ。それでも、さっきまでよりもっと、鷹谷が近い。
鷹谷の傍にいるのは心地いい。けど、『心地いい』で済むのは、適切な距離が保たれている場合の話で……。
(あっついって……)
体内で燃える熱が、緊張とは別のものに変わっていく。『ドキドキ』なんて可愛らしい言い方さえ似つかわしくない、もっと熱くて体を疼かせるようなものに。
(だってもう……意識しないようにとか、できねーよ……)
(なぁ、おまえは平気なん? 俺のこと好きなんじゃねーの?)
すぐ近くの顔を見上げてみっともなく聞いてしまいたくなる衝動を、懸命に抑え込む。鷹谷の胸に顔をうずめて、ギュッと目を閉じて熱い息を吐いた。
「……一緒に寝るだけって言っても……こんなの、逆にキツイんだけど……」
無意識のうちに鷹谷のスウェットをきつく掴んで、震える声をもらしていた。ピク、と鷹谷が反応したのがわかる。
数秒の沈黙の後、なだめるように俺の背中を撫でて鷹谷は言った。
「俺、付き合ってないやつ襲う趣味ねーから」
「…………」
(そうだよな。こいつはそういうやつだ)
鷹谷が最初、俺に言った言葉を思い出す。
『アンタが清く健全で真っ当な恋愛できるように、俺が変えるから』
そう宣言した男が、こんな形で手を出したりするわけない。
(俺がもっとしっかり、変わらなきゃ……)
「……寝れる気がしねー……」
何度か静かに呼吸をして、できるだけ心を落ち着けてから俺はぽそりと呟いた。真上から鷹谷の優しい声が降ってくる。
「寝れるまじないしてやろうか?」
「まじない? なんだそれ」
「パズル数えんの。パズルが1ピース、2ピース、3ピースって」
「はっ? 羊じゃねーの? てかあれってまじないって部類?」
「細かいこと気にすんな。俺はこれで寝れんだよ」
わしっと、後頭部を掴んで胸に押し付けられた。鷹谷の体温と匂いが再び俺を包み込む。
「作りかけのパズルと、そのピースがはまってくところをイメージしてると、いつの間にか寝てる」
「ふーん……」
俺は後ろの壁に飾ってあるすでに完成したパズルと、さっきまで出ていた作りかけのパズル、両方を思い出した。
どちらも海のイラストだ。淡い青、深い青。目の覚めるような青、暗く沈んだ青。様々な青で構成されている。
目を閉じて、そんな無数の青いピースを思い浮かべた。
「1ピース、2ピース、3ピース、4ピース……」
後頭部に添えられたままだった鷹谷の手が、声と同時にゆっくりと上下する。
(……気持ちいいかも)
「5ピース、6ピース、7ピース……」
柔らかく頭を撫でてくれる手。静かに数える声。声に合わせて、まぶたの裏で青いピースが綺麗なグラデーションを描きながらはまっていくところを想像する。
(なんか……深い海の底にいるみてー……)
やがて、水中をふわふわと漂うような心地よいまどろみが訪れて、鷹谷の声も聞こえなくなった。



